3695話
セトとセグリットの模擬戦が終わり、次は四組の生徒全員との模擬戦になる。
「ちょっと待って下さい、レイ教官。その……ちょっと今の模擬戦について検討したいので、時間を少し貰えますか?」
レイが四組の生徒全員との模擬戦を始めようとしたところで、四組の生徒の一人からそんな風に言われる。
その提案……というか要望に、レイはどうしたものかと迷う。
ダンジョンで行動する際、未知の敵と遭遇した時、敵に戦闘をするのを待って欲しいと言って、それが通じるか。
勿論、その答えは否だ。
その為にレイは却下しようとしたのだが……
「レイ、受け入れてもいいんじゃないか? 生徒達にしてみれば、今の戦いを見た状況ですぐに模擬戦をやるのは厳しいだろうし」
ニラシスがそう言ってくる。
その言葉にレイは生徒達の方を見ると、そこでは生徒達がとてもではないがすぐに模擬戦を出来るような状態ではない。
(仕方がない、か)
このまま模擬戦をやっても、生徒達の為にはならない。
そう判断したレイは、ニラシスの言葉に頷く。
「分かった。じゃあ、少しセト対策について考える時間を与える。……強力なモンスターがいると知っていれば、そのモンスターに対する作戦を考えたりする時間はあるしな」
レイの想定としては、ダンジョンを攻略中にいきなりセトのような……あるいはそこまでいかなくても、高ランクモンスターと遭遇した時のことを想定している。
だが、ニラシスにしてみれば、今レイが言ったようにそういうモンスターがいると前もって知っていて、その時の対策を……と、そう考えたのだろう。
そうして生徒達が相談という名のセグリットに対する事情聴取をしている間、レイは特にやることもないので、セトを撫でる。
レイの手の感触が嬉しいのだろう。
セトは円らな目を細めて喉を鳴らす。
「な、なぁ。レイ。その……すこしセトに触ってみてもいいか?」
そんなレイとセトを見ていた教官のうちの何人かが、そう声を掛ける。
当然ながら、声を掛けてきた教官達は全員がマティソンの派閥の者達。
中立派の者は羨ましそうにレイに声を掛けた者達を眺めていた。
アルカイデ達は、セトから距離をとって身内同士で何かを話している。
それが一体何なのかはレイにも分からないが。
「ああ、構わない」
そんなレイの言葉に、教官達がそっとセトに近付く。
ここで乱暴に近付いたりしたら、それこそ一体どうなるのか分からないという思いがあったのだろう。
レイの従魔ということで、その言葉をしっかりと聞いているのは見ている。
だが、それでも自分達が接触するということを考えると、もしかしたら……と、そのように思ったのだろう。
もっとも、セトはそんなことを気にするような性格をしていないのだが。
勿論、悪意から接触してくるような相手に対しては別だが、そうでないなら人懐っこいセトのことだ。
少し不器用だったり乱暴であっても、寧ろ喜ぶだろう。
「グルルルゥ」
最初に撫でた男に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
そんなセトの様子を見れば、つい先程セグリットを相手に圧倒した強者だとは到底思えない。
セトの様子に驚きつつも、多くの者がその身体を撫でていく。
レイはそんな光景を見つつ……
「おい、相談はどうした? 相談が終わったのなら模擬戦を始めるぞ」
セトを撫でている教官達を羨ましそうな表情で見ている生徒達に声を掛ける。
先程、生徒達はセグリットがセトと模擬戦を行ったのを見て、それで自分達がこれからどうやって戦うのかの相談をする時間が欲しいと言ってきた。
だというのに、四組の生徒の何人かは相談をせず、セトを撫でる教官達をじっと見ていたのだ。
セグリットを含めて、四組の中では主力となるのだろう者達が真剣に相談しているのは、せめてもの救いか。
(とはいえ、ここで少し相談したくらいでセトをどうにか出来るとは思えないけどな。……それでも、セトのような強者を相手にどうするのかの相談をするのは、悪い話じゃないけど)
これから先、冒険者として活動していく上で、強力なモンスターと遭遇した時にどうするのかというのは、重要なことなのは間違いない。
そういう意味では、今回の一件も大きな糧となるのは間違いないだろう。
レイが生徒達に時間が欲しいと言われた時、それを受け入れたのはそのような理由もある。
レイに注意をされた生徒達が相談に戻っていき、セグリットや他の生徒達に注意されているのを見ながら、レイは空を見上げる。
薄らと雲が漂い、春らしい天気。
こういう時はどこかの草原でゆっくりとピクニックでもしたいと、そう思う。
とはいえ、ガンダルシアの付近にそのようなピクニックに丁度いい場所はない。
あるとすれば、ダンジョンの中だろう。
ただし、ダンジョンの中である以上はモンスターが出てくるが。
「レイ? どうした?」
ピクニックについて考えていたレイだったが、ニラシスのそんな声で我に返る。
気が付けば、レイが考えごとを始めてからある程度時間が経っており、セトを撫でるのも一段落したらしい。
「いや、何でもない。ただ、ちょっと今日もいい天気だなと思っただけだ」
そんなレイの言葉に、ニラシスも空を見上げる。
するとそこにはレイが言うように、春らしい快晴が広がっていた。
「そうだな。いい天気なのは間違いない。こういう天気が続けばいいんだけど」
「けど、晴ればかりで雨が降らないと、農業的には問題だろう? 一応、このガンダルシアにも農業をやってる奴はいるんだよな?」
「いるけど、そんなに多くはない。ガンダルシアの中や外、どっちでもやってる奴がいるな」
「中でだと、そこまで農業の場所は用意出来ないんじゃないか?」
いわゆる、家庭菜園の類ならともかく、商売として農業をやるのに、ガンダルシアの中ではそう場所を取れない。
「モンスターとか動物の心配をしなくてもいいから、そういう意味では楽らしいぞ。……もっとも、スラム街の住人だったり、金に困ってる奴が野菜を盗んだりするから、どっちもどっちだと思うが」
「うわぁ……それは……」
レイが日本にいた時、家が農家だった。
それも畑は山からそう離れていないので、鹿や猪、狸、狐、熊……少し変わったところでは、アライグマやイタチ、フェレット、ハクビシンといった動物がやって来ては、野菜を喰い荒らすのだ。
対策として網を張ったり、育てている野菜に農薬を使ったりもしていたが、それでもどうしても喰い荒らされることがある。
それに対処する為に、猟師が罠を仕掛けたりもしていた。
……その罠で採れた動物の肉を差し入れして貰い、レイの家の食卓に並んだりもしていたのだが。
ともあれ、農業というのは素人が思っている程に簡単なものではないのを、家の手伝いをしていたレイは十分以上に知っていた。
「けど、農業か。……ちょっと見せて貰ってもいいかもしれないな」
「農業を? また、妙なことに興味を持つな」
「いや、妙なことって……農業は重要だぞ?」
このガンダルシアで食べられている食料のうち、具体的にどのくらいがここで農業をやっている者の手によるものか、レイは分からない。
それでも生きている者なら、食事をしなければ駄目なのだ。
また、単純に生きていくだけではなく、料理というのは舌を楽しませ、ストレスを発散させる。
実際、レイも食事にはかなりの力を入れている。
それはミスティリングの中に自分が美味いと思った料理を大量に収納しているのを見れば明らかだろう。
また、美味い料理を食べる為には金に糸目を付けないというところもある。
「まぁ、それは否定しないよ。実際、一階で農業をやるという計画もあるらしいし」
「……なるほど、言われてみればそれはありかもしれないな」
一階は草原だ。
そのような場所なら、農業も出来るだろう。
もっとも、ゴブリンを始めとしたモンスターがいる以上、その対処をどうするのかといった問題もあるが。
逆に言えば、それをどうにかすれば農業をやる上で問題はあまりないと言える。
水源をどうするのか、草むしりをどうするのか、収穫をどうするのか……そんな問題もそれなりにあったが。
「一階だと果実のなる木とかもあったし、その辺を考えれば向いてるのかもしれないな」
「上手くいってくれれば、一年中食料に困ることがなくなるんだよな。……そうなると、ガンダルシアの食料品の値段も下がりそうだ」
そんな風にレイはニラシスと話をしていたのだが……
「お、どうやら終わったみたいだな」
視線の先で、四組の生徒達がそれぞれ覚悟を決めた表情を浮かべたのを見て、レイがそう言う。
ニラシスもそんなレイの視線を追い、納得したように頷く。
「らしいな。じゃあ、頑張ってくれ」
「いや、別に俺が戦う訳じゃないし」
模擬戦を行うのは、あくまでもセトだ。
ここでセトだけではなく、レイまでもが模擬戦に参加するようなことになれば、それこそ四組の生徒達に勝ち目はないだろう。
……もっとも、レイは自分が参加しなくても、セトだけが相手でも四組の生徒達に勝ち目はないだろうと思っていたが。
「レイ教官、相談は終わったので、模擬戦をお願いします」
最初にレイに少し時間が欲しいと言ってきた生徒が、そうレイに告げる。
そんな生徒の言葉に、まだセトを撫でていた教官達が残念そうに離れていった。
……いつの間にか、マティソン派の者だけではなく、中立派の者達もその中に交ざっていたが。
どうやらレイとニラシスが話している間にセトの側に行ったらしい。
もっとも、それを知ってもレイは別に咎めるつもりはない。
別にマティソン派の者だけがセトを撫でられるという訳ではないのだから。
(あ、でもマティソン派を増やすのに使えるか? ……まぁ、別に俺はそこまでしっかりとマティソン派って訳でもないから、そこまでしなくてもいいか)
レイも一応所属はマティソン派ということになってはいるが、何となく成り行きでそうなっただけだ。
単純に、マティソン派に所属している方が色々と便利だからというのがそこにはあったが。
アルカイデの派閥よりは、明らかにマティソン派の方がやりやすい。
そういう意味では、レイがマティソン派に所属するのは自然な流れだったのだろう。
あるいは何らかの理由でマティソン派に所属しない場合、中立派に所属していたかもしれない。
「じゃあ、準備はいいか?」
レイがそう尋ねると、四組の生徒達はそれぞれ自分の武器を手に、隊形をとって待機していた。
セトもまた、撫でられるのが終わったので模擬戦の時間だと理解し、四組の生徒達の前に立つ。
教官達に撫でられ、可愛がられた為だろう。
その身には気力が満ちあふれていた。
(あ、これは生徒達が不利だな)
生徒達は、まだそんなセトの様子に気が付いていない。
もしくは、気が付ける程に詳しくセトを知っていないという点もあるのだろう。
そんな生徒達を少しだけ哀れに思いつつ、レイは口を開く。
「模擬戦のルールはさっきと同様だ。ただし、生徒側は人数が多いから、こっちがこれ以上は危険だと思ったら、その生徒は脱落とする」
そうレイが断言すると、その言葉に反対を言う者はいない。
教官達は勿論、生徒達もセトを相手に戦うのだから、それくらいは当然だと判断しているのだろう。
「それと、教官組は気絶した生徒達がいたら、危ないから訓練場の端まで移動させてくれ」
その言葉にも多くの教官が賛成したものの、アルカイデやその取り巻きは不承不承といった様子だ。
貴族の血に連なる自分達が、何故そのようなことをしなければならないのかと、そのように思えるのだろう。
とはいえ、不満そうな表情を浮かべつつも、結局反対の言葉は口にしなかったが。
(これが模擬戦なら、実戦に近づけたい……気絶したり動けなくなったりした者は、そのまま地面に寝かせておいた方がいいと思うんだが。それはちょっと危ないしな)
実戦であれば、当然ながら気絶したり動けなくなったりした者はその場に捨て置かれる。
あるいは戦いには参加出来ずとも、ある程度動ける者が何とか頑張って移動させるか。
そんな中で戦うのだから、それこそ下手をすれば敵どころか味方に踏み殺されたりしてもおかしくはない。
普通ならそのようなことにはならないだろうが、セトのような強力なモンスターを前にすれば話は別だった。
本当の意味で模擬戦をするのなら、そのリスクも込みで模擬戦をやるのがいいのだろう。
だが、これはあくまでも生徒達……それも冒険者育成校の中では上位のクラスである四組の生徒とはいえ、冒険者として未熟な者達の集まりなのだ。
そうである以上、ここはしっかりとその辺についても考慮する必要があった。
「模擬戦、始め!」
レイの声が訓練場に響き……そして、模擬戦が始まる。