3689話
「美味しいですね」
野菜と肉がたっぷりと入ったスープを一口飲んだイステルの感想がそれだった。
そんなイステルの言葉に、ジャニスは嬉しそうに笑みを浮かべて頭を下げる。
このスープはジャニスにとってとっておきのスープだった。
普段から作るには材料費が高くなりすぎるので、頻繁に作ることは出来ない。
だが、今日は違う。
学園長のフランシスが来るということで、このスープを作ることが出来たのだ。
……もっとも、ジャニスはフランシスやイステルと同じテーブルにいるのが少し慣れない様子だったが。
メイドのジャニスとしては、やはりこういう時に自分が主人のレイと一緒の……そして客人達と一緒のテーブルで食事をするというのは慣れないのだろう。
普段の食事であれば、レイと一緒のテーブルで食べているのだが……今は違う。
れっきとした客人、それも学園長というこのガンダルシアにおいて間違いなく上から数えた方がいいくらいの地位にいる人物との食事なのだ。
また、イステルについてはジャニスも初めて会ったが、その仕草や雰囲気、言葉遣いから貴族に連なる者だというのは容易に予想出来る。
そんな相手と一緒のテーブルで食事をしてるのだから、どうしても緊張してしまう。
「ありがとうございます。ちょっと珍しい香草を使ってるんです。なかなか手に入りにくい香草なのですが、今日は売っていたので」
「あら、そうなの? そんなに珍しい香草ということは……ダンジョン産かしら?」
フランシスも香草という言葉が気になったらしく、そう尋ねる。
ジャニスは笑みを浮かべてフランシスの言葉に頷く。
「はい。何でも五階にある森に生えているとかで」
「五階?」
次のジャニスの言葉に反応したのはレイだった。
何しろ五階というのは、転移水晶のある場所だ。
マティソンから貰った地図があるので、五階から六階に行くのはそこまで難しくはないと思っているものの、最近は色々と用事があってダンジョンに潜ることが出来ていない。
つまり、現在のレイの潜っている一番深い場所が五階なのだ。
そんな五階の話題が出て来たのだから、レイがそれを気にするなという方が無理だった。
「はい。森になっている階層なのだそうで。それなりに高く買い取られるということで、それを目当てにとはいきませんが、機会があったら採ってくる冒険者が多いとか」
「五階……ですか。冒険者育成校の生徒では、一部の生徒達だけが進める場所ですね」
「そうなのか?」
教官ではあっても、生徒達がどの辺りの階層で行動しているのかまでは分からないレイが、興味深そうにイステルに視線を向ける。
その視線を受けたイステルは、あっさりとその言葉に頷く。
「はい。私が聞いた話によると、現在五階まで到達しているのは私のパーティを含めて三つか四つといったところですね」
「それなりに多いな」
「多いですか?」
尋ねるイステルは、少し複雑そうだ。
レイを驚かせたのは、イステルにとっても嬉しいことだ。
だが、レイが言う多い中の一つのパーティが自分達だというのは、どのように受け止めればいいのか分からなかったのだ。
五階まで行けるパーティが多い中、イステルのパーティもその一つでしかないと思っているのか。
もしくは、レイが予想していた以上に冒険者育成校の生徒達が優秀だと思ったのか。
「模擬戦をした限りでは、多い方だと思う。まぁ、模擬戦と冒険者としてのパーティでは色々と違うけど」
模擬戦は色々な形式があった。
一番多かったのはクラス全員とレイが戦うというものだったが、他にもクラスの中で自分の力に自信のある者だけがレイと戦うといったこともあった。
そんな訳でレイも模擬戦だけで生徒達の力を完全に理解した訳ではないのだが、少数を除くと五階まで行けるような実力はないだろうと思えたのだ。
しかし、実際にはイステルが言うように幾つか五階まで行けるパーティがいるのだから、それに驚くなという方が無理だろう。
「そう言えば、あの件は話しておいた方がいいんじゃないの?」
レイとイステルの会話を聞いていたフランシスはパンを……焼きたてではないが、まだ柔らかいパンを千切りながら言う。
「あの件?」
「あ……そう言えばすっかり忘れてました」
イステルはフランシスの言葉で思い出したのか、不思議そうな様子を見せるレイに説明する。
「実は、今日の午後の一件でレイ教官が目を掛けているポーターがいたじゃないですか」
「ハルエスか」
「はい。ポーターなのに、レイ教官の殺気に耐えた人です」
「それを言うのなら、お前達も十分に殺気に耐えたと思うけどな」
それはお世辞でも何でもない。
実際にアーヴァイン、イステル、ザイード、セグリットの四人は間近でレイの本気の殺気を受けたにも関わらず、気絶したりはしなかった。
セグリットの仲間の三人の女達も、立っていることも出来なかったが、それでも気絶はしなかった。
アルカイデの元取り巻き達がレイの殺気によって全員気絶したことを考えれば、立っていることは出来なかったまでも、気絶しなかったのは褒められるべきだろう。
そしてイステルが口にしたハルエスだったが、ハルエスも気絶するようなことはなかったし、立ったままレイの殺気を受けたのは間違いない。
だが……それは、距離の違いもある。
具体的には、イステル達のように正面からレイの殺気を受け止めてみたいと思った者達と、それを見物しに来た者達ではレイとの距離が大分違う。
そういう意味ではハルエスはイステル達よりもレイから受けた殺気の威力は低かったということになる。
「ありがとうございます。ですが、私達は倒れはしなかったものの、一歩も動くことは出来ませんでした。そういう意味では、レイ教官の殺気に対処出来たとは……」
「目標が高いのはいいけど、あまり無理はしないことだ。俺はこう見えて……うん。自分で言うのもなんだが、こう見えて異名持ちのランクA冒険者なんだ。まだ冒険者として未熟なお前達が殺気を受けて動けなくなるのは、そうおかしなことじゃない」
そのレイの言葉に、イステルは嬉しく思う。
レイが自分を認めてくれたと、そう思えたからだ。
ただ、すぐに表情に出た嬉しさを隠しながら、イステルは言葉を続ける。
「とにかく、ハルエスがレイ教官の殺気に耐えたのは事実です。離れた場所にいたから耐えられたというのもあるのは間違いないでしょう。ですが、ハルエスと同じように離れた場所にいた者達の多くは倒れてしまいました。そう思えば、ハルエスが非凡な才能を持ってるのは明らかでしょう」
「まぁ……そうかもしれないな」
レイもムキになってハルエスの才能を否定するつもりはない。
実際、ハルエスは弓に関しては結構な才能を持っているのだから。
「なので、あの場にいた私、アーヴァイン、ザイードの三人でハルエスを勧誘しました。学園長とレイ教官の話……深い階層ではポーターが必須だという話もありましたし」
「……セグリットもいなかったか?」
「彼もハルエスを勧誘はしたかったようですが、結局諦めたようですね。彼のパーティの場合、主導権は必ずしも彼が持ってるとは限らないようですし。もっとも私の予想が正しければ……いえ、何でもありません」
途中で言葉を止めたイステルにレイは話の先を聞きたいと思ったが、イステルはそれを分かっていながらもスルーする。
何しろ、イステルが思い当たったことが事実であれば、この件は部外者が口を出すようなことではないと思えたのだから。
(それに、競争相手は少ない方がいいですしね。あの三人にしてみれば、セグリットを巡るライバルが増えるという意味で女の仲間はこれ以上増やしたくないでしょうし、かといって軽い男を仲間に入れると、自分達に言い寄ってきて面倒だと思うでしょうし)
イステルが見たところ、セグリットの仲間の三人の女は全員がセグリットに好意を持っている。
それも友情的な意味での好意ではなく、男女間での好意。
幸か不幸か、今はそれでも特に問題になってはいないようだったが、この先どうなるのかは分からない。
それこそ恋愛が理由でパーティ解散ということになったり、もしくはセグリットが三人全員を受け入れてもおかしくはない。
ともあれ。今の状況で安定している以上、セグリットの仲間三人が新しい仲間を受け入れる可能性はかなり低かった。
その辺については実際に話して確認はしていないのでレイには言わなかったが……イステルの女特有の情報網であったり、何より女としてセグリットを見る三人の目を見れば、その辺は予想出来た。
「で? セグリットの件は分かったけど……話の流れからすると、イステルがハルエスをパーティに引き込むことに成功したのか?」
それだったら嬉しいんだけど。
口には出さないが、レイはそう内心で続ける。
レイから見て、ハルエスはポーターとしてかなり有能だと思う。
そんなハルエスがパーティを解散した後で他のパーティに入れて貰えず、ソロで活動をしていたのだ。
そんなハルエスがイステルのパーティに入ったのなら、それは喜ぶべきことだった。
もっとも、冒険者育成校におけるイステルの人気は高い。
これが上位のクラスの生徒ならともかく、ハルエスが……最下位のクラスから脱出したとはいえ、それでもまだ下位のクラスの生徒であるハルエスがイステルのパーティに入ったとなると、面倒なことになりそうな気がレイにはしていたが。
だからこそ、今までの話の流れから自分の言葉にイステルが頷くと思っていたのが外れ、イステルが首を横に振ったことに驚く。
「いえ、私のパーティではありません。……ある意味では私のパーティと言ってもいいのかもしれませんが」
「どういうことだ? 分かりやすく説明してくれ」
「そうですね。……簡単に言えば、あの場にいた私達、セグリット以外の三人がハルエスをパーティに引き入れようとしたのですが、誰も引きませんでした。なので最終的には一度あの場にいた四人で臨時のパーティを組んで行動してみてはどうかということになったのです」
イステルの口から出た言葉は、最初レイも理解出来なかった。
だが、数秒が経過してその言葉の意味を理解する。
「え? 本当にか?」
「はい。殆ど成り行きに近いですが」
あっさりとそう言うイステルに、レイはフランシスに視線を向ける。
だが、そのフランシスはレイに視線を向けられても特に気にした様子もなく焼かれた魚を切り分けつつ、口を開く。
「本当らしいわよ」
「……それは、また」
アーヴァイン、イステル、ザイード……この三人は、それぞれ一組、二組、三組を率いている立場の者達だ。
それこそ純粋な戦闘技術であれば、イステルやザイードも一組にいて、アーヴァインとトップの座を競い合っていてもおかしくはないと思える。
そんな三人がハルエスと共にパーティを組む。
そう考えると……
(あれ? もしかして悪くないのか?)
それぞれの特性を考えたレイは、そう思う。
アーヴァインは前衛として活躍出来る。
イステルはその速度から、前衛……というよりは遊撃的な扱いとなるだろう。
ザイードは言うまでもなく、壁役……いわゆるタンクとして活躍する筈だ。
そしてハルエスはポーターではあるが、弓を使えることから後方で援護をする。
こうして考えてみると、この四人でのパーティはそれなりに上手くいけるのではないかとレイには思えた。
唯一の難点としては、盗賊がいないことか。
他にも魔法使いがいれば色々な面でフォローが出来たりするのだが、その魔法使いもいない。
……もっとも、盗賊はともかく魔法使いはそもそも魔法の才能を持っている者が少ない。
冒険者のパーティ全体で見れば、魔法使いがパーティにいない者の方が多いのだ。
そういう意味では、イステルが臨時で組んだというパーティに魔法使いがいないのはそう珍しい話ではない。
「……なるほど。それぞれの相性を考えると、決して悪くないかもしれないな」
レイの言葉に、イステルは笑みを浮かべる。
「レイ教官にそう言って貰えると嬉しいです」
「ちなみにだが、それはあくまでも臨時のパーティなんだよな? 今のパーティを解散して、その面子で行くというのは……」
「どうでしょう。今のところは臨時のパーティでしかないと考えていますが……将来的にどのような形になるのかは、分かりません。そもそも学校を卒業した後も今のパーティをそのままという風にはならないでしょうし」
そう告げるイステルの言葉に、レイはだろうなと思いつつも、もし本気でそのメンバーが組んだのなら、冒険者育成校における現時点での最強パーティになるだろうなと思うのだった。