3687話
「えっと……?」
レイは目の前にいる相手を前に、戸惑った様子を見せる。
レイの前……家の玄関の前には、フランシスがいる。
既に時刻は夕方。
夕日が周囲を赤く染める中、フランシスの顔も赤く染め、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
誰もが思わず目を奪われるかのような、そんな光景。
だが、レイが戸惑ったのはそんなフランシスを見たからではない。
フランシスの斜め後ろに、イステルの姿があった為だ。
これはレイにとってもかなりの予想外だった。
だからこそ、こうして戸惑った様子を見せたのだ。
「すいません、レイ教官。私も来ちゃいました」
自分を見たレイが戸惑っているのが分かったのだろう。
イステルはそう言い、頭を下げる。
「……ああ」
レイが何かを言うよりも前にこうして頭を下げられてしまうと、ここでレイも何と言えばいいのか分からなくなる。
ここで怒ればいいのか、それともよく来たと言えばいいのか。
レイは頭を下げているイステルから視線を逸らし、フランシスに視線を向ける。
レイに視線を向けられたフランシスは、困ったように言う。
「どうやら訓練場で私とレイが話していたのを聞いていたらしくてね。部屋の前で待っていたのよ」
「それはまた……」
イステルもまた、貴族の血筋だ。
そんなイステルが部屋の前でフランシスが出てくるのを待っているというのは、それなりに外聞の悪いことではある。
とはいえ、イステルにしてみればそんな状況であっても部屋の前で待たないという選択肢はなかったのだろう。
何しろ、レイの家に堂々と行けるチャンスなのだ。
ここでそのような行動をしないというのは、イステルにとってありえなかった。
「で? イステルは何をしに俺の家に?」
「グリフォンを一足先に見ることが出来るという話を聞いたので」
「……二組は明日模擬戦の授業があった筈だし、別に今日こうして無理をして見に来る必要はなかったと思うんだがな」
明日は一組から三組までの授業がある。
そうである以上、こうしてわざわざ今日レイの家までセトを見に来る必要はなかっただろう。
そうレイは思ったのだが、イステルはそんなレイの言葉に対し、首を横に振る。
「レイ教官の言う通りかもしれません。ですが、少しでも早くグリフォンを見る機会がある以上、それを逃すというのはありえません」
「……そこまですることか?」
千載一遇のチャンス。
そのようにイステルが思っているのは、レイも理解出来た。
だが、レイにしてみれば、そこまでやる必要があるのか? とそんな疑問を抱く。
そんなレイの様子に呆れの視線を向けたのはフランシスだ。
「あのね、レイ。別にイステルを庇う訳じゃないけど、セトを……グリフォンを見る機会というのは、滅多にないのよ? なら、イステルがその機会があるのなら、それを逃さずにこうしているのは納得出来る話だわ」
「……随分といきなり態度が変わったな」
呆れた様子でレイが言う。
先程まではイステルを連れてきたことに対して申し訳なさそうにしていたのに、今はこうして堂々とイステルを庇っているのだ。
そんなフランシスの様子を見て、レイが呆れるのはおかしくはない。
「イステルの行動には驚いたけど、冒険者として考えると、好機を逃さないというのは褒められこそすれ、怒られることじゃないわ」
「……まぁ、別に構わないけどな。イステルが来ても駄目って訳じゃないし」
これでフランシスと何か重要な……それこそ、これからの授業に対する何かや、夏になったらギルムに行く件について話す訳ではない。
あくまでも、フランシスにセトを見せる為のものなのだ。
そうである以上、イステルが来たというのなら別に構わないと思ってた。
「じゃあ、いいのですか?」
「ああ。セトをフランシスに見せるのが目的だったんだ。一人増えたくらいは、何の問題もないだろう」
「ありがとうございます」
レイに向かって深々と頭を下げるイステル。
イステルにしてみれば、フランシスが言っているように絶好の機会だったので、それを見逃さない為に行動したのだ。
それは冒険者として決して間違っているものではない。
間違ってはいないが、だからといって貴族の血筋の女として正しいのかと言われれば、それに頷ける筈もない。
とはいえ、今は冒険者として活動している以上、今回の行動に後悔はしていなかったが。
「となると……どうする? 食事をしてからセトに会うか、それともセトに会ってから食事をするか」
「別に食事は……」
「ジャニスが張り切って料理を作ったんだけどな」
そうレイが言うと、フランシスが申し訳なさそうな顔になる。
「どうする?」
「そういう風に言われて、食事を食べないで帰ることが出来る筈もないでしょう? ご馳走になるわよ」
「そうか。なら……どうする? セトと食事のどっちを優先する?」
「そうね……セトと会うのを優先するわ。料理の準備が出来たとはいえ、イステルの分もあるでしょう?」
「え?」
まさかここで自分の名前が出るとは思わなかったのだろう。
イステルは少し戸惑う。
当初の予定ではイステルが来る予定ではなかった以上、イステルの分の料理がなくてもおかしくはない。
イステルも話の流れからそれは分かっていたので、セトと会うつもりではあったが、料理をご馳走になるつもりは全くなかった。
さすがにそこまで図々しい真似は出来ないと思っていたのだ。
レイにしてみれば、こうして家にまで来た時点でそう変わらないと思うのだが。
「レイ教官、私はそんな……」
「別にその辺は気にするな。ここまで来たんだ。一緒に食事くらいしていけ」
何も知らない者が見れば、美人のエルフと美少女のイステルをレイが食事に誘っているようにしか見えない。
それはある意味で事実なのだが、レイの言葉の中にそういう意味は含まれていない。
実際にレイはそういうつもりで食事に誘ってる訳ではないのだから、当然だが。
イステルもまた、何か裏の意味を考えないまま食事に誘ってくれたレイに感謝しつつ、頷く。
「分かりました。では、お願いします」
「ああ、ちょっと待っててくれ。ジャニスに食事を一人分追加するように言ってくる」
そう言い、レイはフランシスとイステルをその場に残して家の中に戻ると、台所で料理をしているジャニスに声を掛ける。
「ジャニス、悪いが料理を一人分追加だ」
「え? 学園長だけではないのですか?」
「ああ。生徒が一人ついてきた」
「そうですか、分かりました。では、そのように」
人数が増えても特に料理には問題がなかったのか、ジャニスはあっさりとそう答える。
料理の種類によっては人数が増えると対応出来ないこともあるのだが、幸い今日の料理は特にそのようなことを心配する必要はないらしい。
そのことに安堵しつつ、レイは玄関に戻る。
「料理の方は問題ないらしい。……そんな訳で、まずはセトとの顔合わせだな。行くぞ」
そう言い、レイは緊張感も何もなく庭に向かう。
レイにしてみれば、セトと会うのはいつものことなのだから、緊張する必要も何もないので当然なのだが。
だが、フランシスとイステルにとってセトと会うのは初めてだ。
グリフォンに初めて会うのだから、緊張しながらレイを追う。
もっとも、この二人もレイを信じているからこそ、この程度の……少し距離を空ける程度の緊張で問題はないのだが。
もしレイの従魔であるというのを知らずにグリフォンと会おうとすれば、その時はこの程度の緊張ではすまなかっただろう。……いや、寧ろ会いに行く前に逃げ出していてもおかしくはない。
そのような状況と比べれば、やはりこうして逃げずにレイを追うのはさすがと言うべきなのだろう。
……セトが街中で可愛がられているという情報を入手しているからというのも、この場合は影響してるのだろうが。
そうして庭に入ったレイを追う二人だったが……
「グルルルゥ!」
聞こえてきたその鳴き声に、一瞬動きを止める。
それがセトの鳴き声だというのは、明らかだ。
だが、それを承知の上でフランシスとイステルは再度歩み始める。
そうして進むと……
「あら」
目の前の光景に、フランシスの口からは我知らずそんな声が出た。
それも当然だろう。
何しろ、そこではセトが横になってレイに思う存分撫でられていたのだから。
そのような光景……無邪気な様子で嬉しそうに喉を鳴らしているセトの姿を見れば、数秒前まで自分達が怯えていたのは一体何だったのかと、そんな風に思ってもおかしくはない。
「えっと……その、あれがセトですよね?」
イステルもフランシスと同様に、そんな風に呟く。
セトの情報については知ってはいた。
知ってはいたのだが、それでもまさかここまで大人しいとは、思ってもみなかったのだろう。
セトはレイよりも大きい。
それもちょっとやそっとではなく、圧倒的なまでの大きさを持つ。
そんなセトが、寝転がってレイに撫でられるのを喜んで受け入れているのだ。
何も知らなければ……いや、セトの情報を持っていても、目の前の光景は予想外だった。
「フランシス、イステルも。セトとの顔合わせをしにきたんだから、いつまでもそこにいないでこっちに来いよ」
片手でセトの腹を撫でつつ、レイが二人に呼び掛ける。
そんなレイの行動に、セトは顔を上げ……フランシスとイステルの二人に視線を向ける。
円らな瞳がフランシスとイステルを捉える。
じっと見つめてくるその瞳には、敵意や悪意の類は一切ない。
ただ、無邪気な光だけがそこにはある。
「あ……」
フランシスは自分でも気が付かないうちにそんな声を上げ、一歩前に出る。
そんなフランシスに遅れるようにして、イステルもまた前に出る。
そうして二人は一歩、また一歩といった具合に歩き、気が付けばセトのすぐ側までやってきていた。
「グルゥ?」
セトはそんな二人を見て、喉を鳴らしながら小首を傾げる。
セトは既に三m……いや、四m近い大きさになっている。
普通ならそのくらいの大きさの存在が小首を傾げるといった行為をしても、愛らしいとは思わない。
だが、セトの場合は不思議とそこに愛らしさがあった。
自然と、それこそフランシスやイステルは自分で意識するでもなく、本当に自然とセトに手を伸ばす。
これが悪意を持っている相手なら、セトも自分を撫でさせるようなことはしないだろう。
その鋭いクチバシか、あるいは爪によって攻撃してもおかしくはない。
だが、フランシスとイステルからは敵意や悪意は感じない。
その為、セトは黙ってその手を受け入れる。
……なお、先程までセトを撫でていたレイは、雰囲気を読んで撫でるのを止め、そっとセトから距離を取っていた。
ここで自分がいたままだと、フランシスとイステルに悪いと思ったのだろう。
「あ……柔らかい」
「本当ですね」
セトの身体に触れたフランシスとイステルは、それぞれに感想を漏らす。
その言葉には感嘆の色が強い。
それだけ、セトの体毛は柔らかかったのだろう。
実際セトの体毛は普通の獣やモンスターの体毛とは違ってシルクの如き滑らかさがある。
そんな手触りだけに、触れた者にしてみれば今のような声を上げるのはおかしな話ではない。
そのまま数分……レイは黙ってフランシスとイステルがセトを撫でる光景を眺めていた。
二人の撫で方は上手いらしく、セトも気持ちよさそうにしている。
そんな様子を見ていたレイだったが、いつまでもこのままではいけないと思い、声を掛ける。
「どうやら十分にセトと仲良くなった……というか、気に入ったみたいだな」
『あ』
レイの言葉で我に返った二人は、揃ってそんな声を上げる。
気が付けば、いつの間にかずっとセトを撫でていたのに気が付いたのだろう。
声を上げたのも同時であれば、慌てて手を離したのも同時。
それに気が付き、フランシスとイステルはお互いに顔を合わせ……そして同時に笑い出す。
「あっ、あはははは」
「ふふふふふふ」
何がそんなに面白いのかは、レイにも分からない。
分からないが、それでもこうして笑っているのを見る限り、お互いに悪い感情を抱いている訳ではないのだろう。
(セトを熱心に撫でていたのを思えば、その辺でも問題はなかったようだし)
セトの性格を思えば、余程のことがない限り嫌われるようなことはない。
レイもそれは分かっていたが、それでも相性というのがあるのを考えると、それも絶対とは言えないのだ。
あるいは、レイを敵視している者であればセトも相手を嫌うかもしれないが。
フランシスとイステルは双方共に揃ってレイを嫌ってはおらず、寧ろ好意すら抱いていた。
もっとも、その好意がどのような好意なのかは不明だったが。
ともあれ、フランシスとイステルとセトの顔合わせはこうして無事に完了したのだった。