3685話
バタ、バタバタバタ。
そんな風にレイの殺気を感じた者の多くは倒れていく。
興味本位、あるいは冒険者として上に行きたいと思っている者達が訓練場には残ったのだが、それでもレイの放つ殺気に耐えることは出来ず、次々に倒れている。
……不幸中の幸いなのは、漏らすかもしれないという話をフランシスから聞いた生徒達は、前もってトイレに行っていたことだろう。
その為、気絶はしても漏らしている者はどこにもいない。
(とはいえ、まだ意識を保ってる奴は結構いるな)
アルカイデの元取り巻き達に行った時のように、レイはデスサイズと黄昏の槍を手にしているのだが、その武器二つを持ったまま、周囲の様子を確認する。
アーヴァイン、イステル、ザイード、セグリットの四人は何とか気絶せずに持ち堪えており、フランシスは顔を強張らせているがその場に立ったままだ。
レイにとってかなり驚いたのは、セグリットの仲間の女三人までもがレイの発する殺気に耐えていたことだ。
勿論セグリットを含めた他の面々のように、立ったまま殺気に耐えている訳ではない。
片膝を地面につき、あるいは両膝と両手を地面について四つん這いになっている者もいる。
だが……それでも、三人の女達はレイの殺気に気絶せずに耐えていたのだ。
これには素直にレイも驚いた。
三人の女は、レイから見てもそれなりに高い才能の持ち主なのは間違いなかった。
しかし、それでもパーティーリーダーをしているセグリットには及ばなかっただけに、てっきり気絶するのだと思っていたのだ。
(もっとも、驚いたと言えば向こう程じゃないけど)
三人の女から視線を逸らし、次にレイが見たのはハルエス。
こちらにいたっては、かなり厳しい……それこそ額に汗をびっしりと掻いてはいるが、それでも二本の足で立ち続けていたのだ。
だからといって、ハルエスがセグリットの仲間の三人よりも高い才能を持っているという訳ではない。
ハルエスのいる場所とセグリット達のいる場所の違いを考えればそれは明らかだった。
同じ訓練場の中ではあるが、それでもそれなりにレイとの近さが違う。
そういう意味では、ハルエスはまだレイの殺気をそこまで受けない場所にいたのは間違いなかった。
……もっとも、ハルエス以外の見物客として残った生徒達が全員気絶しているのを見れば、ハルエスがその生徒達よりも才能……もしくは見込みがあるのは間違いなかったが。
何しろ倒れている生徒達の中には、上位のクラスの生徒達もいたのだから。
「レイ……もう、いいわ」
殺気を発していたレイに、フランシスがそう声を掛ける。
そんなフランシスの言葉に、レイは殺気を発するのをやめる。
「ぶはぁっ!」
その瞬間、そんな声……いや、大きく息を吐く声が聞こえてきた。
周囲の様子を確認すると、アーヴァインを始めとした、レイの殺気をまともに受けても気絶しなかった者達が、それぞれ激しく息を吐いていた。
まるで止めていた呼吸をようやく再開出来たかのような、そんな様子。
そのような者達がいる中で、唯一平然としているように見えるのが、フランシス。
この辺りはさすがと言うべきだろう。
……もっとも、それは表に出していないだけで、額には冷や汗がびっしりと浮かんでいたのだが。
よく見れば、足も震えているように思える。
そのような状態ではあったが、それでも他の生徒達と比べると自由に動けるだけマシなのは間違いなかった。
そんなフランシスは、ゆっくりと……一歩ずつ確実にレイの前まで歩いてくる。
「それで、どうだった?」
「……ギルムの冒険者が化け物なのか、それともレイがギルムでも特別なのか……」
疲労と呆れと諦観……他にも幾つかの感情が交ざった様子で、フランシスがそう言う。
そんなフランシスの言葉に、レイはどう言えばいいのか迷う。
「俺も特別だが、ギルムも特別なのは間違いないな」
結局レイが口にしたのは、そのような言葉。
だが、それは決して間違ってはいない。
レイがギルムでも特別なのは間違いないが、同時にギルムには色々な冒険者がいる。
その中には、それこそレイよりも特殊な者もいてもおかしくはない。
「ギルムに生徒達を連れていくのは、もしかしたら止めた方がいいのかしらね。生徒達が戻ってきた時、レイみたいになってると困るんだけど」
「向こうにいるのはそんなに長い時間じゃないんだから、ギルムに染まるということはないと思うぞ。……もっとも、その辺は人によるかもしれないけど」
アーヴァイン辺りはあっさりギルムに染まってしまいそうな気がするレイだったが、わざわざそれを口にしたりはしない。
もしここでそのようなことを口にすれば、本気でフランシスがギルムに生徒を行かせるのを止めるかもしれないと思ったからだ。
当初はレイも面倒なことになりそうだから、出来ればギルムに行く時は一人で行きたいとは思っていた。
だが、生徒達のやる気を見ていると、ギルム行きを中止にするのは可哀想だと思ったのだ。
「まぁ、レイがそう言うのなら……あら? へぇ、アーヴァイン達だけじゃなくて、普通の生徒達の中にも生き残りはいたのね」
レイと話していたフランシスは、不意に視線を逸らし、ハルエスの方を見て言う。
レイの殺気を受けていた時は二本足で立っていたハルエスだったが、今は地面に座り込み、激しい呼吸をしながら息を整えていた。
「ハルエスか」
「あら、知ってるの?」
「ああ。それこそ俺がガンダルシアに来た時に知り合った男だ」
「まぁ。……もしかして、迷惑を掛けているのかしら?」
一瞬、本当に一瞬だけフランシスのハルエスを見る視線が鋭くなる。
もしこれでレイがそうだと言えば、ハルエスが一体どうなるのか……予想は出来るものの、そうなって欲しいとはレイも思わなかった。
「いや、そうでもない。ダンジョンの案内をして貰ったりした感じだ。後は、相談に乗ったりな」
取りあえずハルエスを庇っておくレイ。
パーティー間の恋愛沙汰でパーティが解散し、苦労していたところでレイが相談に乗って、それでようやく何とかなってきたのだ。
そんな中でいきなり停学や退学になったりしたら、それはさすがに哀れすぎた。
「相談に? レイが?」
レイが相談に乗ったというのが、フランシスには信じられなかったのだろう。
ハルエスに向けていた視線が、今はレイに向けられている。
その視線も鋭い訳ではないが、疑惑の色が強い。
レイが一体どのような相談に乗ったのか。
あるいはレイが相談に乗った結果、何か妙な影響を受けているのではないか。
「何だ、その目は。別に何か妙なことは言ってないぞ。ただ、あのハルエスは純粋なポーターだったんだが、パーティ間の恋愛関係でパーティが解消して、それで他のパーティにも入れて貰えずに困っていたから、弓を使ってみたらどうかと言ってみただけだ」
「……そうですか」
少しだけバツの悪そうな表情を浮かべるフランシス。
冒険者として活動していく上で……特にガンダルシアのダンジョンを攻略する上で、ポーターというのは大きな意味を持つ。
だが、冒険者育成校の生徒達が活動している浅い階層においては、ポーターはいれば便利だが、いなければいないで構わないといった存在だった。
ましてや、そのポーターはある程度戦闘に参加したり、もしくは偵察能力を持っていたり、罠を解除出来たり……専門の者には及ばないが、ある程度の能力は期待出来るといったような者達が多かった。
だが、ハルエスは純粋なポーターで、その手の能力を持っていない。
そんな訳でレイがアドバイスし、弓を使うようになったのだが……ハルエスはかなりの弓の才能を持っていた。
それこそポーターではなく、弓を武器とした弓術士として十分にやっていける程に。
もっともハルエスはあくまでも自分がポーターであることに拘っており、弓術士になるようなことはなかったが。
その辺りの事情について、フランシスは何も知らなかった。
特にポーターが虐げられている……とまではいかないが、純粋なポーターとして以外に何らかの技術がないとパーティが組めないというのは、フランシスにとってショックだったのだろう。
自分が作ったこの学校で、まさかそのようなことになっているとは……と。
「ポーターがそのような状況になっていたとは」
「生徒達は基本的に浅い階層でしか動かないし、それを考えれば分からないでもないんだけどな。一階や二階、三階といった場所では、ポーターがいなくてもそこまで困るようなことはないだろうし」
レイの言葉にフランシスも頷く。
実際に生徒達の様子や教師や教官達からの話を聞く限りでは、浅い階層ではポーターは足を引っ張る存在というのを何とか誤魔化しているようなものもあった。
実際にそれがどのようになっているのか、もっと詳しく調べるべきだったのだ。
「今はいいけど……学校を卒業して冒険者として活動を始めると、ポーターは必須よ。ポーターを下に見た状態で卒業をするようなことになったら……もう少し授業でポーターの重要性に触れるように教師達に指示をすべきかしら」
「まぁ、何もしないよりはいいんじゃないか?」
ポーターが差別とまではいかないが、下に見られることが多いのが冒険者育成校の現状だった。
レイはミスティリングがあるので、ポーターを必要としない。
だが、ミスティリングを持っていない普通の冒険者がもっと深い階層に潜るとなると、ポーターは必須となる。
勿論、ポーターを連れていかなくてもダンジョンに挑むことは出来るものの、そうなると倒したモンスターの魔石や素材、採取した素材……場合によっては、鉱石といった物も持ってくるのは難しい。
持ち帰るのは不可能ではないが、ポーターがいなければ持ち帰る量はどうしても少なくなってしまう。
今、冒険者育成校の生徒がポーターを下に見るようなことになっており、そのまま卒業したらどうなるか。
最悪、ポーターがいない為に無理に素材を運ぼうとして、その隙を突かれ奇襲され、死ぬかもしれない。
そんなことにならないように、出来るだけしっかり授業をしておく必要がある。
そう決意するフランシス。
レイはそんなフランシスの様子を見ていたが、フランシスを見ていたのはレイだけではない。
レイの近くにいるアーヴァイン、イステル、ザイード、セグリットの四人も、レイとフランシスの話をしっかりと聞いていた。
……セグリットの仲間の三人の女達は、今もまだレイの放つ殺気に当てられた状況から回復はしていなかったが。
それぞれが真剣な表情でレイとフランシスの会話を聞いている。
この四人も冒険者育成校の生徒である以上、ポーターについてはそこまで重要視はしていなかったのだろう。
勿論、他の面々のようにポーターを格下扱いしている訳ではない。
だがそれでも、いなければいないでもいいといった認識だったのは間違いなかった。
しかしレイとフランシスの会話を聞けば、ダンジョンを攻略する上でポーターというのは重要な存在になるのは明らかだ。
それも浅い階層ではそこまで重要ではないが、深い階層に行く程に重要になると。
そうなると……そんな四人の視線は自然とハルエスに向けられる。
レイが期待をしているポーター。
弓の才能を持つとレイが断言するのを思えば、そちら方面でも優秀な存在なのは間違いない。
この四人も、自分のパーティは持っている。
……特にセグリットは、パーティーメンバーの三人がこの場にいるくらいだ。
それでも、レイが期待するポーターということであれば、仲間に引き入れたいと思うのは当然だった。
とはいえ、すぐにハルエスに声を掛けにはいかない。
ここで他の者達に先んじるというのは悪い話ではない。
ないのだが、だからといって勝手にパーティメンバーを追加するようなことをすれば、面倒なことになるという思いが全員にあったからだろう。
パーティというのは、一蓮托生だ。
アーヴァインを始めとして、ここにいるのは誰もがパーティを率いるリーダーとして相応のカリスマ性を持っている。
持っているが……だからといって、自分だけの判断でパーティにいれたりすれば、それはそれで問題になるのだ。
……なお、ここで有利なのはセグリットだ。
何しろ、ここにパーティーが全員揃っているのだから。
もっとも、セグリットもここでハルエスに声を掛けるのは何となく違うなと思う。
……あそこまで疲れ切っているハルエスだ。
ここでパーティに勧誘するのは、フェアではない。
無理にパーティに勧誘し、それが理由で後日面倒が起きる可能性を考えれば、やはりここは抜け駆けをするべきではなかった。