3684話
「何でこうなったんだろうな」
そう言うレイは、冒険者育成校の訓練場にいた。
その周囲には、アーヴァイン、イステル、ザイード、セグリット、その仲間の女が三人。
そして何故かフランシスの姿もある。
更には、まだ冒険者育成校に残っていた生徒達が二十人程集まっていた。
「そうは言っても、私も興味があったし。それにアーヴァイン達はこの冒険者育成校の中でも間違いなくトップクラスの生徒達よ。そのような者達にとってはレイの本気の殺気を感じるのは、良い経験になると思うし」
「今日の午前中に殺気を出した件で、さっきお前に怒られたばかりなんだけどな」
「午前中は私に無許可でそういうことをしたから怒ったのよ。私の許可があれば問題ないわ」
堂々とそう言ってくるフランシスに、レイは思いきり突っ込みたくなった。
突っ込みたくなったが……だからといって、ここで突っ込んだら負けのような気がして拳を握り締める。
大きく息を吐くことによって落ち着きを取り戻し、それから改めて周囲の様子を確認する。
「で? アーヴァイン達だけならまだしも、何だか話を聞いて普通の生徒達も集まってきているようだけど、これはどうするんだ?」
「後で注意するわ。ただ、その注意を聞いてここに残るかどうかは、その生徒次第よ。説明を聞いた上でもここに残りたいという者がいるのなら、私もこれ以上は止めないわ」
「いいのか?」
レイの口から出たその言葉は、真剣な色がある。
何しろレイの殺気を……それもちょっとしたお遊び程度のものではなく、ドラゴン級だとレイが判断出来るだけの殺気は、全開にせず、少し出しただけでマティソン達ですら動きを止めたのだ。
まともにその殺気を浴びせられたアルカイデの元取り巻き達にいたっては、気絶し、中には失禁している者すらいた程だ。
そのような殺気を間近で感じたら、生徒達がどうなるかは予想するのも難しくはない。
レイもそれを理解していたので、だからこそいいのか? といったように聞いたのだ。
気絶して失禁するといったようなことになった場合、レイとやり合おうとした教官達ではないが、同じように冒険者育成校にもう来ない、それどころか自分が漏らしたのを知られなくないので、ガンダルシアから出ていくといったことを考える者が出て来てもおかしくはない。
「仕方がないわよ。私は忠告するけど、その忠告を聞いた上でまだ残るという判断をした生徒達でしょう? それなら、その判断は尊重されるべきでしょうし」
「……いや、それは……うん。まぁ、そういう考え方もあるかもしれないけど」
レイにしてみれば、それでいいのか? と思わないでもなかったが、この冒険者育成校のトップであるフランシスがそう言うのであれば、そういうものかと納得するしかない。
(それに……漫画とかだと、まだ冒険者として未熟な時に圧倒的な恐怖を感じて、それによって力を覚醒させるとか、そういうのはありふれている話だしな。そこまでご都合主義的に行くかどうかは分からないけど)
そんな風にも思う。
ただ、上手くいったらいったで構わない。
失敗してそれで折れるのなら、それはそれで構わないというのがレイの考えだった。
レイはこの冒険者育成校の教官の一人ではあるが、それでもまだ来たばかりだ。
生徒達の顔と名前が一致していない相手も多く……いや、寧ろ一致している生徒の方が少数だ。
それだけに、折れた相手がいるのなら、それはそれで仕方がないだろうと思う。
フランシスの注意を聞いた上で、ここに残るのだ。
全てを承知の上での行為である以上、それは自己責任でしかないだろう。
(あ)
そんな中、集まっている者達の中にレイにとって見覚えがある……というか、不思議な縁でそれなりに付き合いのある男の姿を発見する。
それは、弓を使うことによって一番下のクラスから上のクラスに移ったハルエスの姿。
そんなハルエスはドラゴンローブのフード越しでもレイと視線が合ったのを感じたのか、一体これ何をやってるんだという呆れの視線を向けてくる。
そのような視線を向けられたレイだったが、それを言うのならお前も何でここにいるんだといった視線をハルエスに向ける。
二人がそんな視線のやり取りをしている中で、フランシスが前に出て小さく呪文を唱える。
それは自分の声をこの場にいる全員に届ける為の風の精霊魔法。
「これからここで行われるのは、大変に危険なことよ。具体的には深紅の異名を持つレイが、本気で殺気を放つ。ドラゴン級の殺気と思って貰ってもいいわ」
そんなフランシスの言葉に、生徒達がざわめく。
それは精霊魔法の力によって突然耳のすぐ側から聞こえた声に驚いたのか、それとも話の内容に驚いたのか。
それはレイにも分からなかったが、そうしている間にもフランシスの言葉は続く。
「ここにいる者達が冒険者として活動する以上、いつかは強力な……自分の力ではどうしようもないモンスターと遭遇することもあるでしょう。ですが、そのような相手と接触しても、今日これからレイが発する殺気を知っていれば、心が折れずにすむかもしれない」
フランシスの言葉を聞いている間に黙り始める生徒達。
真剣に聞いているのは、それだけ冒険者として成功してやろうという思いからか。
「けど、先にも言ったようにレイがこれから放つ殺気はドラゴン級の殺気。それがどれくらいのものかは、その殺気を受けた教官達の何人かが即座に気絶したことからも明らかでしょう」
失禁について言わないのは、フランシスのせめてもの情けか。
もっとも、教官が失禁したというのは言わないが、だからといってここでその件について何も言わない訳にもいかない。
「また、気絶した場合は最悪失禁をする可能性もあります。……また、恐怖で心を折られ、明日以降は冒険者として活動するのも難しくなるかもしれません。それでもいい。ドラゴンを相手にした時の殺気を感じてみたいと思う生徒達だけ、ここに残るように。少し時間を置いた後、レイ教官の特別授業を行います」
その言葉を最後に、精霊魔法の効果が消える。
そして話を聞いた生徒達はそれぞれに話し始める。
「ねぇ、どうする?」
「うーん……冒険者として活動していくのならレイ教官の特別授業を受けた方がいいんだけど……それでもちょっと、ねぇ」
「漏らすとか、女として終わってるじゃない」
「あら、でもそういうのが好きな人もいるのよ?」
「……そういう特殊な趣味の人の話はいいから」
「なぁ、どうする?」
「俺は勿論ここに残る。俺は冒険者として上に行くんだ。それに役立つのなら……」
「はぁ。お前がそう言うのなら仕方がないか」
何人もがそんな話をしているが。半分……十人くらいの生徒達は訓練場から立ち去る。
立ち去った生徒の半分以上は女だった。
やはりフランシスが口にした失禁という言葉が大きく効いたのだろう。
もっとも、それを聞いても全ての女が立ち去る訳ではない。
それでも訓練場に残り、レイの殺気を受ける……レイの特別授業を受ける者の中にはそれなりに女の姿もいる。
そんな中、レイにとって意外だったのはハルエスもまた残っていることだ。
(本気か?)
ハルエスが残っていたことに、レイはそんな風に思う。
レイから見て、ハルエスは弓に高い才能を持つ。
その才能はかなりのものだとは思うが、唯一無二と言う程ではない。
高ランク冒険者の中で弓を使っている者の中には、ハルエスと同程度の才能の持ち主は数え切れない程にいるだろう。
ましてや、ハルエスが弓を使うようになってから、まだそこまで経っている訳ではない。
今の状況でハルエスがレイの殺気に耐えるといったことをする必要はないというのがレイの思いだった。
とはいえ、レイがそのように思っているのはあくまでもレイの考えからだ。
ハルエスがどう思っているのかは、また別の話だろう。
そしてハルエスにしてみれば、ここで残るのは自分がこれから冒険者としてやっていく上で重要だと考えているからなのは間違いなかった。
なお、当然ながらアーヴァインを始めとした、この機会を用意した者達は全員が残っている。
セグリットの仲間の女三人までもが残っているのは、レイにとっても驚きだったが。
セグリットの仲間の女達は、自分達は勿論、セグリットがこの場にいる……レイの殺気を当てられるのも、止めた方がいいという認識だった筈だ。
なのに、こうして訓練場に残っているのは……それだけセグリットを放ってはおけないということなのか、それとももっと別の理由があるのか。
「セグリット、ちょっといいか?」
「はい? 何です?」
レイに呼び掛けられたセグリットが、近付いてくる。
最初……いや、冒険者育成校で会った時はレイを同級生だと思っていたセグリットだったが、今はもうきちんと教官として認識している。
その為、言葉遣いも目上に対するものだった。
「お前の仲間の三人だけど、本当にいいのか? フランシスも言っていたが、俺の本気の殺気を受けるのはかなり厳しいぞ?」
「……俺もそうは言ったんですけどね。ただ、俺が残るなら自分達も残るって言い張って」
セグリットがそう言いながら仲間の三人を見ると、その三人はそれぞれ強い意志を込めた視線で……それこそ、セグリットどころかレイが帰るように言っても決して聞かない様子を見せる。
(うわぁ……これはまた。別に今回の件を受けたからといって、冒険者としての能力が上がるとか、そういう訳じゃないんだけどな。あるいはもっと何か別の理由が……ああ)
そこまで思ったレイは、何となく納得した様子でセグリットを見る。
何故セグリットの仲間の三人がここにいるのか、その理由を理解してしまったのだ。
勿論それは、何か明確な証拠がある訳ではない。
だが……それでも、もしかしたらと、そのように思ってしまったのだ。
(というか、冒険者としての才能があって仲間の女達は全員が顔立ちが整っていて、冒険者としての素質も高い。……どこのハーレム系主人公だ?)
日本にいた時に読んでいた漫画や小説、あるいはアニメやゲームのことを思い出してそんな風に考える。
(主人公……主人公? あれ? まさかこの世界って実は何かのゲームや漫画、アニメとかの原作のある世界とか、そういう流れじゃないよな?)
セグリットの様子を見ていたレイはもしかして……と思ってしまうが、すぐにそれを否定する。
実際にはこのエルジィンという世界がそういうのであっても、自分が実際に生きている以上、そのようなことを考えても仕方がないと思っただけだが。
それであっさり気分を切り替えられるのも、レイらしいのだろう。
「レイ、そろそろ帰る生徒もいなくなったし……お願い出来る?」
周囲の様子を確認していたフランシスが、そうレイに言う。
「分かった。ちなみに、今日ここでやった強さでいいんだな?」
「ええ。それは……ちょっと待って」
レイの言葉に頷きそうになったフランシスだったが、その前にふと気が付く。
今の言葉だと、まるでもっと上があるように思えたのは自分の気のせいなのだろうか、と。
「えっと、今の様子からすると、昼前よりもっと上があるという風に聞こえるんだけど」
「上……というのは少し違うな。あの時の殺気が本気だったのは間違いないし。ただ……うーん、何て説明すればいいんだろうな」
この辺りのことはかなり感覚的な面も含まれているとあってか、レイはどう説明すればいいのか迷う。
迷うのだが、すぐに何かを思いついたのか口を開く。
「俺が言いたいのは、殺気の質と量の違いだな。昼前にやったのは、殺気の質は間違いなく本気だった。けど、放つ殺気の量そのものは少なかったか」
正確には殺気を少し出したところで、向かい合っていた者達が気絶してしまったというのが正しい。
そう説明すると、フランシスは難しい表情を浮かべる。
微かに発した殺気だけであの有様だったのだ。
執務室で仕事をしていたフランシスでさえ、背筋が冷たくなった程のものだった
それが実は、殺気の質はともかく、量では少し出しただけだと言われれば……それに対して、思うところがあるのは当然だろう。
ましてや、これから希望者だけとはいえ、生徒達に向かってその殺気を放つのだから、尚更だった。
「じゃあ……取りあえず最初は少しだけ殺気を出してくれる? それで問題ないようなら少しずつ殺気を増やしていって欲しいのだけど」
妥協案とでも呼ぶべきフランシスの言葉だったが、特に反対する理由もないのでレイはその言葉に素直に頷くのだった。