3682話
レイに視線を向けられていた者達のうち、何とか動ける者の一人が口を開く。
「レイがドラゴンの力を見せると言うが……レイはドラゴンを倒したことはないのだろう? なら、ドラゴンの力が具体的にどのくらいなのかは分からない筈だ。……惜しいな。もし本当にレイがドラゴンの力がどれくらいなのかを示せるのなら、模擬戦をやってもいいと思ったのだが」
それは咄嗟に出て来た言い訳ではあったが、それを口にした者は自分の言葉が決して悪いものではないと判断する。
何しろ今の自分の言葉にはかなりの正当性があるのだから。
だが……そのような言葉を向けられたレイは、戸惑った様子を見せる。
そんなレイの様子に、レイに声を掛けた男も一体どうしたのかと戸惑った様子を見せるものの、その男が何か口にするよりも前にレイが口を開く。
「マティソン、こいつらもしかして俺がドラゴンスレイヤーであると知らないのか?」
その言葉は、決して大きなものではない。
大きなものではなかったが、それでも間違いなく訓練場にいた者達全員の耳に届いた。
「あー……そうですね。学園長からはその辺はあまり広めないようにと言われてますので」
レイの世話役的な役割を任されているマティソンは、レイが何故ガンダルシアに来たかについて、学園長のフランシスから聞いていた。
ダンジョンを攻略するというのが目的なのは間違いないし、冒険者育成校の教官として働くのが目的なのも間違いない。
だがそのような行動を取る最大の理由となったのは、クリスタルドラゴンの素材や情報を聞き出そうと接触してくる者がギルムにいたからだ。
冬の間は、ダスカーによってそのようなことはしないようにと大々的に知らされていた。
冬にギルムに残っているのは、全員がという訳ではないが、それでも大半が増築工事以前からギルムで活動していた者達だけにギルムにおけるダスカーの影響力を知っている。
その為に、多少の例外はあったが冬の間はレイも安心してギルムで暮らせた。
だが……それが春になってギルムにやって来る者が多くなると、中にはダスカーの影響力を全く知らず、それでいながらレイがクリスタルドラゴンを倒したという情報を知ってる者が、レイに接触しようとする。
だからこそ、レイは面倒に思い……一度ギルムを離れることにした。
実際にはもう少し後で離れる予定だったのだが、それが面倒になって予定より早めにガンダルシアに来たというのが正しい。
ともあれ、レイがこうしてガンダルシアに来たのは、レイが倒したクリスタルドラゴンの素材の問題についての関係からだ。
レイはその辺りの事情を簡単にその場にいた者達に説明する。
フランシスがあまり話さないようにと配慮してくれたものの、今の状況を考えると話した方が手っ取り早いのも事実。
結果として、レイの視線の先にいる者達は逃げ場を失うことになる。
ドラゴンの強さを知らない者がドラゴンの代わりに模擬戦をするなという意見が、全く無意味になってしまったのだから。
ちなみにレイのギルドカードにはその辺の情報もしっかりと書かれている。
もっとも、レイのギルドカードは基本的にミスティリングに収納されているので、それを見ることが出来る者は限られているのだが。
「そんな訳で、俺はドラゴンスレイヤーでもある。……というか、最初にドラゴンと遭遇したら逃げろとかそういうのを言った時に多少は気が付いてもよさそうなものだったんだが」
無理を言うな。
そう思ったのは、アルカイデに切り捨てられた者達……だけではなく、他の教官達も同様だった。
ドラゴンというのは、こうして話題に出ることは多いものの、実際に遭遇する機会があるかと言われれば……多くの者は一生ドラゴンに遭遇するようなことはないだろう。
あるいは幸運にも……もしくは不運にもドラゴンと遭遇したら、それこそ殺されてしまうので、ドラゴンに遭遇したと教えることは出来ないのだから。
「さて、話は分かったな? 俺がドラゴンと同じくらいの力を見せるというのも納得した筈だ。そんな訳で……そろそろ模擬戦をやるぞ」
そうレイが言うと、その言葉を聞いた者達……模擬戦の相手として選ばれた――自分で立候補したようなものだが――者達が、息を呑む。
レイに向かって喧嘩を売るようなことをした者達の本心としては、絶対にレイと模擬戦をやりたくはない。
もしここでレイと模擬戦をやったら、それこそ一方的に叩きのめされるのは間違いない。
アルカイデが貴族の血筋を引いている者達の派閥を率いているのは、一番爵位の高い血筋の者だからというのもあるが、それと同等……あるいはそれ以上に派閥の中で最強の人物だったからだ。
そんなアルカイデですら、レイとの模擬戦においては手加減をされて負けたのだ。
なお、その手加減はレイが実力を出さなかったというのもあるが、使用する武器がレイ本来の、現在持っているデスサイズや黄昏の槍ではなく、模擬戦用の槍というのもある。
「ま……待て! 待ってくれ!」
レイが本気でやる気だというのを知ったのだろう。アルカイデの元取り巻きの一人が咄嗟にそう叫ぶ。
……幸か不幸か、それは以前職員室でレイに絡んだ者の一人だったのだが、レイはそのことを覚えていなかった。
レイにしてみれば、自分に絡んでくる者は多い。
余程特徴的ならまだしも、そうでなければわざわざ顔を覚えるようなことはなかった。
ただ、今回こうして喧嘩を売ってきた相手である以上、レイもここで見逃すようなことはしない。
「待つ? 何を待つんだ? お前達は弱いんだから、ドラゴンを相手に一人ずつ戦うとか、そういうことは言わないよな? 全員で俺に掛かってこい」
「いや、だから! 少し落ち着いてくれ!」
落ち着くのはお前だ。
マティソン派閥の何人かは、必死になって叫ぶ男を見て、そう思う。
今この状況においてそのようなことを言っても意味はない。
やるべきなのは、レイを相手に模擬戦をするという選択肢だけだ。
……いや、このまま逃げるという選択肢もあるが、それを選べば最悪の未来しか待っていない。
周囲で見ている者達もそれが分かっているからこそ、レイに喧嘩を売った集団に対して憐憫や嘲笑、呆れ……そんな視線を向ける。
「落ち着くのはお前だ」
そして周囲が思っていたことを、そのまま口にするレイ。
レイにとっても、目の前にいる者達の様子を見れば落ち着けと言いたくなる。
……言いたくなるからといって、模擬戦を止めるかと言えば、その答えは否なのだが。
「準備をしなくてもいいのか? そっちが素手でいいのなら、俺もそのつもりで相手をするが」
「違う! 私達には模擬戦をするつもりはない!」
「問答無用だ。準備時間は三十秒やる。その間に模擬戦用の武器を手にするなり、心構えをするなりしろ。三十秒経ったら、俺は模擬戦を開始する」
その言葉に、男達は更に何かを言おうとするものの、レイは目を瞑って数を数え始める。
そんなレイの様子に、これ以上自分達が何を言っても無駄だと判断したのだろう。
男達は焦りつつも、模擬戦用の武器を取りに向かう。
逃げ出すような者がいなかったのは、貴族の血に連なる矜持といったところか。
もっとも、この期に及んでも……模擬戦用の武器を手にしても、実際に模擬戦が行われるとは思っていないらしい。
とにかく何とかこの場をやりすごそうといったように仲間同士で相談をしているが……
「二十九……三十」
そのタイミングで、レイが三十秒を数え終わる。
同時に手に持つデスサイズと黄昏の槍を敵に……模擬戦相手に向け、殺気を放つ。
「マジか」
殺気を放った瞬間、全員が……それこそ一人の例外もなく気絶して地面に倒れたのだ。
中には股間を濡らしている者すらいた。
これは正直なところ、レイにとってかなり意外な……いや、予想外な出来事。
さぁ、これからドラゴン級の実力を発揮して模擬戦をやってやろうと思っていたのに、殺気を放っただけで全員が気絶してしまったのだから。
ドラゴンとの戦いで例えるのなら、戦闘開始前にドラゴンが雄叫びを上げたら気絶してしまったというところだろう。
周囲で様子を見ていた他の者達も、唖然としている。
それはいきなり気絶した者達に対する呆れでもあるし、同時にレイの発した殺気を考えれば仕方がないといった同情でもある。
「レイさん、レイさん。殺気を!」
マティソンが必死に言ってくる声に、レイは殺気を放つのを止める。
そうしながら、目の前にいる者達……地面に倒れている者達をどうしたものかと思う。
「幾ら何でも、これはちょっと酷すぎないか? 仮にも冒険者育成校の教官をやってるってのに」
「いえ、教官をやってるからこそ、多少なりともレイさんの殺気を感じて、自己防衛に近い形で意識を失ったのだと思いますけど」
マティソンはレイにそう言う。
口調はいつもと同様だったが、マティソンの額には冷や汗が滲んでいる。
このガンダルシアにおいても、間違いなくトップクラスの実力を持つ一人だ。
そんなマティソンが、殺気を感じただけでその額にびっしりと冷や汗を掻いているのだ。
そこにはレイとマティソンの間にある絶対的なまでの実力差を示していた。
……もっとも、マティソンは冷や汗を掻いてこそいるものの、それでもまだこうしてレイと話を出来るだけマシなのだろう。
マティソン派の面々や中立派の面々は、動くに動けない。
アルカイデ派の方はといえば、何人かは立ったまま気絶している者すらいた。
「取りあえず分かったことは、お前達がドラゴンと遭遇したら戦おうなんて考えないで、即座に逃げ出すことだな。運が良ければ何とか逃げられると思う」
デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納しながら、そう断言する。
少なくても、レイが倒したクリスタルドラゴンの強さを思えば、この程度の殺気で戦意喪失……どころか、気絶しているようでは勝つことは絶対に出来ない。
「そうですね。ただ……さっきの殺気はちょっとやりすぎです」
ようやくレイの発している殺気の影響から脱したのか、マティソンは先程よりも少しだけ滑らかに話す。
その言葉に、レイは少し大袈裟だろうと言おうとするが……マティソンが見ている方を見ると、何も言えなくなった。
マティソンの視線の先には、完全に気絶している生徒達の姿があったのだから。
……せめてもの救いは、殆どの者がレイとの模擬戦で気絶していたということか。
その為、実際に先程のレイの殺気で気絶した者はかなり少ない。
だからといって、レイがやりすぎたのは事実だが。
「あー……その、悪いな。ドラゴンの話になったからちょっと」
「……そうですね。まぁ、今回の件は生徒達にとって悪いことだけではありません。中には今回の一件で強力なモンスターと遭遇しても、レイさん程ではないと思う者もいるでしょう」
そう言うマティソンだったが、それはフォロー的な意味を多分に含んでいた。
実際、マティソンの言うような効果はあるだろう。
だが、それはあくまでもレイの殺気を受けた後でも冒険者として活動出来るならの話だ。
もしそれが出来ない場合、それこそ冒険者としてこれ以上活動するのは不可能になり、冒険者育成校を辞めて別の道を探すしかなくなるだろう。
だが、それは同時にこの状況を自分の力だけで切り抜けた場合、冒険者としては大きな経験になるのも事実だった。
……そちらの道を選べる者が一体どれだけいるのかは微妙なところだったが。
「そうか。……まぁ、俺の殺気が冒険者としての糧になるのならいい」
少し照れ臭そうに、そして困った様子でそう言う。
レイにしてみれば、先程の殺気はあくまでもアルカイデの元取り巻き達に向けて放ったものだ。
それによって生徒達が被害を受けたのが問題にならず、寧ろ糧となったとマティソンがフォローしてくれたのが嬉しかったのだ。
「そうですね。……ただ、出来れば次からはそういうのはもっと控え目に、あるいは上位のクラスでやって下さい。もしくは教官達がいる場所だけで」
「そうするよ」
レイもこの言葉には反論出来ないので、素直にそう言っておく。
そんな様子を見ていた他の教官達は、そのやり取りを見てようやく完全に回復したらしい。
それぞれにレイの殺気について意見を交わしている。
「それで……あの連中はどうする?」
「どうしましょうかね」
レイとマティソンの視線の先にいるのは、気絶した教官達。
それだけなら放っておくなり、どこかに運ぶなりすればいいのだが……何人かの股間が濡れているのを見ると、そのような者達を運ぶのは出来れば遠慮したかったし、このままにしておくのも惨いような気がして、どうするべきかと困るのだった。