3680話
「いや、それにしても今回の買い物は悪くなかったな」
「……悪くなかったって、一体どのくらいの金額を使ったんだ?」
「ん? えーと……」
「いや、言わなくていい」
自分で聞いておきながら、ニラシスはレイが答える前にそう言う。
ニラシスにしてみれば、もしここでレイがどのくらい使ったのかを聞けば、かなりのショックを受けることになると思ったのだろう。
……実際、レイがポーションや指輪、短剣といった諸々を購入するのに使った金は、このガンダルシアにおいて上澄みに入る冒険者の一人でもあるニラシスから見ても、普通の買い物で使う金額ではないと思えるだけのものだった。
勿論、そのくらいの金額はニラシスも使ったことがある。
だが……それはかなり悩んでの末のことだ。
それこそ衝動買いとでも呼ぶべきレイの行動とは違う。
そんなニラシスに対し、レイはそれこそ街中を歩いていて、少し気に入った小物があったらそれを買うといった感じで大金を支払ったのだ。
このグワッシュ国の宗主国とも呼ぶべきミレアーナ王国の中でも、冒険者の本場と呼ばれているギルムにおいても活躍しているレイの実力――財力含めて――をこれ以上ない形で目にしたのだ。
ここで具体的にどのくらい使ったのかといったようなことを聞いて、それによって追加のダメージを受けるのは避けたいところだった。
「そうか? まぁ、お前がそう言うならいいけど」
レイはそんなニラシスの考えには全く気が付いた様子もない。
本当に何でもない様子を見せるレイに、ニラシスは大きく息を吐く。
こう見えて、ニラシスもそれなりに自分の実力には自信があった。
実際、このガンダルシアにおいては最高峰の実力を持っている上澄みに入っているだろう自信はあった。
だが……そのような自信を持っていても、こうしてレイとの実力差を見せつけられると落ち込むものがあった。
この場合は実力差ではなく財力の差と言うべきだろうが、財力も実力の一部と考えれば、そうおかしな話ではない。
「それで、レイはこれからどうするんだ?」
「え? うーん、そうだな」
ニラシスの言葉に、空を見上げるレイ。
春らしい天気だが、既に太陽は大分西に傾いている。
夕方にはまだ少し早いくらいといったところか。
(これからダンジョンに行くのは……ちょっと遅いか)
このガンダルシアでレイが最優先にやるべきことなのは、ダンジョンの攻略だ。
だが、まだ冒険者育成校の教官として最低限の仕事をやる必要はある。
そういう意味では、まだ全てのクラスの模擬戦の授業を見た訳ではない以上、今はまだそちらを優先させる必要があった。
「取りあえず適当に見て回ってから家に帰るつもりだ。ニラシスはどうするんだ?」
「ちょっとダンジョンに行ってくる?」
「え? この時間からか?」
ニラシスの口から出た言葉は、レイにとっても予想外だった。
それだけに驚きながら尋ねるが、それを聞いたニラシスは真剣な表情で頷く。
「ああ。今日の買い物でレイの凄さが理解出来た。なら、俺もそんなレイに負けないように、しっかりと鍛えようと思ってな」
「はぁ……そうか」
ニラシスの言ってることをレイは完全には理解出来なかった。
今日のマジックアイテム屋での買い物は、レイにしてみれば少し奮発したといった程度なのだから。
言うなれば、忙しい自分に対するご褒美としてコンビニやスーパーで少し高いケーキを買ったようなものか。
レイにとってはその程度の認識である以上、ニラシスがそこまでショックを受けているのは、レイにも分からない。
恐らく自分の中で何かがあったのだろうとは思うが、言ってみればそれだけだ。
それ以上は特に何かを言うでもなく、ただそういうものかと納得する。
あるいは、今日の模擬戦の時の行動を見て自分に負けていられないのかもしれないとも思ったが、
「分かった。じゃあ、この辺でな。俺はさっきも言ったように適当に見て回るから」
そう言い、レイはニラシスと別行動をする。
ここでもう少しニラシスと話していてもよかったと思うレイだったが、ニラシスがこれからダンジョンに行くとなると、ここで引き留めるようなことをしても、邪魔になるだけだと判断した為だ。
「お、おう。分かった。じゃあ、またな」
ニラシスはこうもレイがあっさり言ってくるとは思わなかっただけに、少しだけ驚きつつも、素直に頷く。
ここでレイとこれ以上話していて、自分の中にあるダンジョンで少しでも自分を鍛えるという気持ちがなくなる、あるいは弱くなるのを嫌ってのものだろう。
そうしてニラシスはダンジョンに向かう準備をする為にレイの前から走り去る。
「さて……そうなると、これからどうするかだな。何をするにも、とにかく適当に歩くか」
そんな風に思ったところで、ドラゴンローブのフードの下で軽く眉を顰める。
何人かの視線が自分に向けられていることに気が付いた為だ。
ここが裏通りである以上、素行の悪い者……いわゆるチンピラの類がいてもおかしくはない。
寧ろそれは当然のことだろう。
ただし、問題なのはそのチンピラ達がレイに目を付けたということか。
これでドラゴンローブの隠蔽を見抜く目を持っていたり、あるいはちょっとしたレイの動きからその実力を多少なりとも察することが出来ればともかく、そのようなことが出来ない者達の目からは、レイは魔法使いになったばかりの者にしか思えない。
ましてや、小柄な身体からチンピラ達の目にはいい獲物であるとしか映らなかったのだろう。
ニラシスが一緒にいれば、筋骨隆々……とまではいかなくても、それなりに鍛えている身体ということや長剣を持っていることから冒険者であると判断して、チンピラ達もちょっかいを出すようなことはしなかっただろう。
だが……そのニラシスもダンジョンに潜る為に既にここにはいない。
また、レイの代名詞の一つであるセトもここにはいない。
ここがギルムであればまた話は別だったが、レイがガンダルシアに来てからまだそんなに時間が経っていない。
ましてや、基本的にレイはダンジョンと家と冒険者育成校くらいしか行っていない。
一応街中を見たりもしているが、その時は基本的に表通りだった。
そんな諸々について考えれば、レイが裏通りに一人でいれば、絡まれても仕方がないわけで……
「よお、兄ちゃん。ちょっと金をかしてくれないか?」
そんなありきたりな言葉と共に、何人かのチンピラ達が姿を現す。
その顔にあるのは、獲物を見つけ、その獲物を自分の好きなようにいたぶることが出来るという嗜虐的な笑み。
「はぁ」
だが、自分を囲むようにして姿を現したチンピラ達を見たレイの口から出たのは、そんな溜息。
それが、レイを囲んでいるチンピラ達の気に障った。
チンピラ達にしてみれば、自分達の方が圧倒的に有利だと思っている。
そんな中で、獲物にしかすぎないレイが余裕を見せるように溜息を吐いているのだから、それで頭にくるなという方が無理だった。
「てめえ……ぶっ殺されてえのか?」
「殺す? お前が? 本当にそのつもりがあるのなら、こうして話していないでとっとと行動に出たらどうだ?」
挑発するように言うレイ。
チンピラ達の口から殺すという言葉が出たが、それが本気ではなく脅しなのだろうというのは、稚拙な殺気すら発していない時点で明らかだった。
これがギルムのスラム街の住人なら、脅しの言葉を口にしながらも、殺すと言えば本当に殺してもおかしくはない。
この辺の覚悟の違い……いや、環境の違いが、レイの目の前にいるチンピラ達とギルムのスラム街の住人達の違いだったのだろう。
「てめえ……?」
レイの言葉に何かを感じたのか、話していたチンピラが訝しげな様子でそう言う。
だが、そんな男とは違い、他のチンピラ達はレイの言葉をハッタリとしか思えなかったのだろう。
短剣やナイフ……中には長剣を手に、脅すように見せつけてくる。
いや、実際に脅すようにではなく、脅しのつもりなのだろう。
その武器を本当に使うのかどうかは、レイにも分からなかったが、そうして武器を出されればレイとしても相応の対処を取る必要がある。
どう対処するべきか。
そう思い、ミスティリングから武器を取り出そうとしたところで……その動きを止める。
「どうした? 自分の言葉を後悔したのなら……」
「そこで何をやっている!」
チンピラの言葉を遮るように響く声。
その声と共に姿を現したのは、二人の警備兵。
チンピラ達は、それを見た瞬間に焦る。
武器を手に、一人を囲んでいるのだ。
このような状況で実は仲良く話をしていたと口にしても、それを信じる者がいる筈もない。
「くそっ!」
チンピラの一人が短く叫ぶと、それを合図に他のチンピラ達が逃げ出す。
それを見ていたレイだったが、面倒そうに息を吐くと、ミスティリングから使い捨ての槍を取り出し、投擲する。
普段であれば、レイの投擲した槍はモンスターや盗賊の胴体や頭部を貫いたりするのだが、警備兵の前でそういうことをするのは不味いだろうと、狙いは足。
それも足を貫くのではなく、足の間に槍を入れ、それに引っ掛けて転ぶようにしたのだ。
「うわぁっ!」
続けて取り出した槍を投擲し、二人、三人、四人と転ばせていく。
とはいえここにやって来た警備兵は二人だけだ。
それと比べてチンピラ達の人数は七人。
中にはレイが槍を投擲するよりも前に脇道に逃げ込んだ幸運な者もいる。
幾らレイだとはいえ、見えない場所にいった相手を捉えることは出来ないのだから。
殺してもいいのなら槍を投擲するなり、いっそデスサイズでスキルを使ったりといった手段もあるが、レイもさすがにそこまではしようとは思わなかった。
「取りあえず、お前はそのままにしてろ」
転んだ者の一人に近付くと、その背中を踏む。
本来なら、小柄なレイの体格を思えば踏んでいるレイを吹き飛ばして起き上がることも出来るだろう。
だが……レイの身体能力は普通ではない以上、踏まれた状態から吹き飛ばすことは出来ない。
「ぐ……この……離せ!」
「そのつもりはないな」
レイはそんな風に言いつつ、警備兵の様子を見る。
そして気が付いたのだが、警備兵の一人はレイにとって見覚えのある相手だった。
レイが初めてガンダルシアに来た時、冒険者育成校まで案内した警備兵。
向こうはまだレイのことに気が付いた様子はなく、倒れたチンピラ達を捕らえることに必死になっている。
素早くロープで手足を縛っていく手慣れた様子は、レイの目から見ても感心するべきものだった。
(上手いな。……多分、迷宮都市だというのが関係してるんだろうけど)
迷宮都市のガンダルシアには多くの冒険者が集まってくる。
グワッシュ国の中でも、恐らく最も多い冒険者を抱えているだろう。
それだけに、当然ながら冒険者の中には乱暴な者も多く、中には酔っ払って暴れるような者もいるだろう。
その辺の状況を考えると、警備兵がそのような冒険者達を捕らえる技術に熟練するのはそうおかしなことではない。
そういう意味では、ガンダルシアの治安は悪くないのだろう。
……そんな治安の悪くないガンダルシアであっても、レイはこうしてチンピラ達に絡まれた訳だが。
そんな風に考えていると、ようやく警備兵達が転んでいた者達を縛り上げ、最後にレイが足で押さえている男の前までやって来る。
ここでようやく、警備兵はレイの姿に気が付いたのだろう。
……幸いだったのは、ドラゴンローブの持つ隠蔽の効果があっても、向こうはそれも含めて自分が案内したレイのことを覚えていたことか。
「レイ殿!?」
「ああ、久しぶりだな。まさかこんな場所で会うとは思わなかったけど」
「それは……いえ、こういう場所だからこそ、このような連中がいるのでしょう。とはいえ、この連中もまさかレイ殿に危害を加えようとするとは……」
大きく息を吐く。
警備兵が知っているレイの噂の半分どころか、一割……いや、それ以下でも正しければ、このチンピラ達のこの状況はそうおかしなことではない。
レイの手によって攻撃されていないだけ、幸運ではあるのだろう。
……実際、もし警備兵の到着が遅くなっていれば、チンピラ達は死にはしないものの、骨の一本や二本は間違いなく折られていただろう。
そういう意味では、チンピラ達は警備兵が早めに来たのが幸運だったのは間違いない。
「だ……誰なんだよ、そいつ……」
レイと警備兵のやり取りを見ていた、縛り上げられたチンピラがそう言う。
他のチンピラ達も、警備兵の言葉に一体自分達が誰に絡んだのかといった様子で視線を向けていたが……
「噂は聞いたことがないか? 深紅の異名を持つ、ランクA冒険者のレイさんだ」
警備兵のその言葉に、チンピラ達は呆けた表情を浮かべるのだった。