3675話
満腹亭という食堂での食事は、レイにとって十分に満足出来るものだった。
なお、一応……念の為にということで、店主にギルムの満腹亭との関係について尋ねてみたレイだったが、何の関係もないという返答だった。
つまり、客を満腹にしたいという思いからシンプルにそれを店名にするというのを、ギルムの満腹亭とガンダルシアの満腹亭、双方の店主が同じことをしたのだろう。
……いや、客を満腹にしたいという思いから満腹亭という名前を考えたのを思うと、世の中にはまだ他にも満腹亭という店名があってもおかしくはなかったが。
「マジックアイテムを売ってる店はこっちだ」
そう言いながら、ニラシスはレイを案内していく。
進むのは、大通りではなく裏通り。
満腹亭も大通りから離れた場所……裏通りとまではいかないが、それに近い場所にあったのだが、現在レイ達が進んでいるのは、完全に裏通りだった。
「こんな場所にあっても、客が来ないんじゃないか?」
「これから行く店は少し変わってるからな。弱い奴には売らないという拘りを持っている。だからこそ、人が来やすい……つまり、弱い奴が多く来る可能性が高い場所じゃなくて、こうして知ってる者だけが来る可能性の高い裏通りに店を構えている」
「危険じゃないか?」
マジックアイテムは基本的に高価だ。
そうである以上、それを狙う者は当然いる。
勿論、店主側もそれを知っているので護衛を置いていたり、それこそマジックアイテムで何らかの対応策を考えていたりするのだが、それでも世の中にはその辺に考えが及ばない者や、自分の見たいものだけを見るような者、あるいは護衛がいても倒せるだけの実力の持ち主といった者もいる。
ましてや、強い相手にしか売らないと公言している店主だ。
もしマジックアイテムを買いに来た客がいて、その客に売らないと言ったらどうなるか。
それは店主の目から見て、その客が弱い相手ということになる。
……冒険者にとって、それは大きな屈辱なのは間違いない。
そして裏通りで人のあまりいない場所となると……危険な行動に出る者がいてもおかしくはなかった。
「そうだな。俺もそう言ってはいるんだが……」
そこまで言ったニラシスは、首を横に振る。
どうやらそのマジックアイテムを売ってる店の店主を心配はしているらしいが、その店主の方は話を聞く様子がないらしい。
覚悟が決まっているのだろう。
「そういう店主なら、それなりに俺好みのマジックアイテムがあったりするかもしれないな」
「お勧めというか、見て欲しいと思うのはポーションだな。かなり高級な奴もあるから、レイも満足すると思う」
ポーションは基本的に高級な程に効果が高くなる。
いや、より正確には効果が高いからこそ、値段が上がるのだろう。
とにかく金で購入出来るのなら、レイにとってそれは悪い話ではなかった。
強くなければ売らないという話だったが、レイは自分の強さに自信がある。
……寧ろ、レイでも売らないとなると、恐らくこのガンダルシアにそのマジックアイテム屋で買い物が出来る者はいないだろう。
(それに……)
レイは自分を案内するニラシスを見る。
ニラシスがそのマジックアイテム屋を紹介するということは、そこで買い物を出来るということなのだろう。
つまり、ニラシスよりも強いのなら、買い物は出来る筈だった。
そしてレイは、模擬戦での結果も示しているがニラシスよりも強い。
取りあえず自分がその店で買い物出来るのはほぼ間違いないだろうと、そう思いながら進み……
「ほら、あの店だ」
「……店?」
足を止めたニラシスが示したのは、裏通りにある一軒の建物。
ニラシスは店と言うものの、レイの目から見れは普通の家にしか見えない。
敢えて特徴を挙げるとするのなら、裏通りにあるのが納得出来るような、薄汚れた建物というところか。
「えっと……本当にあの建物がマジックアイテムを売ってる店なのか? 悪いが、俺の目には普通の家か何かにしか見えないんだが」
「その辺も、店主の趣味だよ。何でも、そういう風にした方がそれらしいとか何とか。……それらしいって何だよと思わないでもないが。もっとも、さっきも言ったがこういう場所に店を構えているんだから、そういう意味では擬態として悪くないとは思う」
「……なるほど」
ニラシスの言葉は、レイを納得させるのに十分な説得力を持っていた。
レイから見ても、その建物は本当に普通の建物にしか見えない。
このような場所に堂々とマジックアイテム屋だと分かるような店があれば、妙な者達の……それこそ襲ってマジックアイテムを、あるいはその代金を奪おうとする者達に目を付けられる可能性がある。
しかし、一見して店……それもマジックアイテムを売ってるような店には見えず、普通の家にしか見えないような建物なら、そのような者達に目を付けられる心配はない。
もっとも、普通の家に見えるからこそ、そのような家に盗みに入るような者達に目を付けられる可能性はあったが。
その辺はどのような家であっても避けようがないのだから、仕方がない。
「じゃあ、行くぞ」
ニラシスの言葉に頷き、レイはその後を追う。
家の前に到着すると、ニラシスは扉を叩く……のではなく、扉の側にあった、一見すると何らかの飾りのように思えるような小鳥のような何かが彫られた木の板を軽くノックする。
なお、木の板はニラシスがノックした物以外にも複数あった。
すると数秒と経たず、扉の鍵が外れる音が聞こえた。
(なるほど。拘りがあるって話だったけど、こういうのにも拘ってるのか)
一応の防犯意識はあるのかと納得するレイだったが、同時に木の板をノックしないで……あるいは他の木の板をノックした場合、どうなるのか。
ここがマジックアイテムを売っている店だとすれば、どのような防犯装置があるのか、レイには想像も出来なかった。
「入るぞ」
「分かった。……ちなみに他の木の板をノックした場合、どうなる?」
「……聞くな」
心の底からの言葉に、レイはそれ以上ニラシスに聞くのは止めた。
もしここで更に追及したら、ニラシスはやる気をなくし、このまま帰ってしまうのではないかと思ったからだ。
ただ分かったことは、愉快な出来事になるのだろうと、そう思うことだけだった。
レイがそれ以上何も言わないのを確認し、ニラシスは建物の中に入っていく。
レイもそれに続く。
建物の外見は普通の家のように思えたが、建物の中は普通の店だった。ただし……
「広い?」
そう、建物の中は明らかに広かったのだ。
レイはマジックテントを持っているので、空間魔法によって空間が広がっているのを見てもそこまでは驚かない。
そんなレイの様子に、ニラシスは残念そうな表情を浮かべる。
ニラシスもこの店は知り合いの紹介で今回のレイのように入ったのだが、その時は外から見たのとは全く違う……それこそ外から見た建物の二倍程の広さを持つ光景を目にし、驚愕の声を上げたのだ。
なので、どうせならレイにも自分と同じように驚いて欲しかったのだが……その狙いが外れた形だ。
「驚くかと思ったんだけどな」
「空間魔法で内部の空間が拡張されているようなマジックアイテムは、俺も持ってるしな」
「へぇ、そうなのかい? よかったら、そのマジックアイテムを見せて欲しいんだけど」
レイの言葉にそう返したのは、話していたニラシスではなく第三者の人物。
もっとも、レイは気配を感じていたのでこちらも特に驚くようなことはなかったが。
……ただし、姿を現した人物を見たレイは、今度こそ驚く。
何しろ、猫の着ぐるみを着ていたのだ。
声も男か女か分からず、身のこなしからも男か女か分からない。
それこそこのような場所ではなく、遊園地にいるのが相応しいような、そんな人物がそこにはいた。
「あー……ニラシス。これは……」
「……この店の店長だ」
出来れば違っていて欲しいというレイの予想を裏切り、ニラシスがそう断言する。
「それで、君が持っているマジックアイテムには空間魔法が使われた物があるということだけど?」
猫の着ぐるみ……いや、店長はそんなレイとニラシスのやり取りを全く気にした様子もなく、そう尋ねてくる。
その精神の強さ、あるいはスルー力とでも呼ぶべきものに呆れながらも、レイは口を開く。
出来ればあまり関わり合いになりたいとは思わない。思わないが、それでもこの着ぐるみが店長である以上、そういう訳にもいかないのだから。
「マジックテントというのを知ってるか? 俺はそれを持っている」
「それは……あのマジックアイテムはかなり貴重な筈だけど。いや、ちょっと待った。君……そのローブは……」
レイの言葉に少しだけ驚いた店長だったが、話している途中でレイの着ているドラゴンローブに気が付いたらしい。
「気が付いたか。さすがだな」
感嘆の言葉を口にするレイ。
レイのドラゴンローブの持つ能力の一つに隠蔽の効果があり、それによってドラゴンローブを普通の……それこそ魔法使いになったばかりの者が着るようなローブだと認識してしまう。
だが、店長はその隠蔽の効果を見破り、レイの着ているドラゴンローブの存在を認識したのだ。
「これはまた……他にも靴もマジックアイテムだね?」
「ああ、スレイプニルの靴だ」
スレイプニルの靴はそれなりに貴重ではあるが、ドラゴンローブのような特注品ではなく、それなりに多くある。
実際、エレーナもスレイプニルの靴を持っている。
もっとも、それでもそう簡単に手に入れられるような物ではないのだが。
「君は……そんなマジックアイテムを持っているのを見ると、さぞ高名な人物なのだろうね」
驚きの声を上げる店長だったが、猫の着ぐるみを着ている為に表情は確認出来ない。
もしかしたら、その驚きの声も実はそういう風に演技をしているだけなのでは? とすら思ってしまう。
「店長、こいつはレイだよ。深紅のレイ。少し前にミレアーナ王国のギルムから俺と同じ教官として呼ばれた」
「……深紅のレイ? あの? 何故そのような有名人がここに?」
「だから、俺と同じく冒険者育成校で教官をしてるんだよ。……というか、本当に知らなかったのか? 一般人でも少し事情通なら知ってるくらいに、レイがガンダルシアに来たという話は広がっているぞ?」
「……」
ニラシスのその言葉に、店長は沈黙を守る。
着ぐるみの為に表情は分からないが、レイが見たところ……雰囲気的に落ち込んでいるように思えた。
「その……少し忙しくてね。ここ暫く外には出ていないんだ」
食事とかはどうした?
そう聞きたくなったレイだったが、何となく干し肉や焼き固めたパンのような保存食を食べていたと言われそうな気がしたので、聞くのは止めておく。
レイは食事を楽しみにするタイプだったが、世の中には食事に興味を示さず、食べられればそれでいいと思ったり、あるいは普段は普通に食事をしていても、自分の趣味に没頭すると食事を疎かにするという者がいるのを知っている。
恐らくこの店長もそういうタイプなのだろうというのは、容易に確信出来てしまう。
「そうか。なら、まずは自己紹介でもしておくか。レイだ。深紅の異名持ちで、ランクA冒険者。普段はギルムで活動してるんだが、少し面倒なことがあって現在はガンダルシアで教官をやりながらダンジョンを攻略している」
レイの自己紹介に、店長は気分を切り替えたのか、一礼してから口を開く。
「私はこの店の店長。猫店長と呼んで欲しい。ニラシスが連れてきたのなら分かると思うし、こうして並んでいる商品を見ても分かると思うけど、マジックアイテムを売っているよ」
「猫店長……」
「何かな?」
あまりの名前に思わずその名を呼んだレイだったが、そのレイに向かって猫店長はそう尋ねる。
別に猫店長を呼んだ訳ではなかったレイだったが、どうせならと疑問を口にする。
「何だって、猫の着ぐるみ?」
「私が猫好きだからさ! ……というのは冗談。いや、冗談ではなく猫好きだけど。この着ぐるみはそれなりに強力なマジックアイテムなんだ。何しろ、あの歴史上最高の錬金術師と呼ばれているエスタ・ノールの作品なのだから! どう? 凄いでしょう!」
エスタ・ノールという名前を聞いた瞬間、レイは固まる。
一体目の前の人物は何を言っているのだろう。
そんな風に思いつつ……何かを言えばいいのは分かるのだが、具体的に何を言えばいいのか分からない。
そして固まったレイに、ニラシスと猫店長は不思議そうな――猫店長は雰囲気でだが――視線を向けるのだった。