3674話
午前中で模擬戦が終わり、レイは早速ニラシスと共に街中に出ていた。
「出来れば、食事が終わってからの方がよかったんだけどな」
ニラシスが少し不満そうに言うのは、冒険者育成校の食堂の料理が美味い、多い、安いと三拍子揃っているからだろう。
ニラシスもダンジョンではそれなり以上に稼いではいる。
稼いではいるのだが、冒険者というのは稼ぐ金額も大きいが、準備に使う金額も相応に大きくなる。
世の中にはそれを知らず、ただ稼いでいるということだけを理解し、それで冒険者を羨ましがる者もいるが、それは大きな間違いだった。
もっとも、冒険者が街に戻れば派手に宴会をしたり、高級娼館に行ったりといったことをする者も多いので、勘違いされても仕方がないのだが。
だが、ポーションを始めとした各種必要物資を集めるには結構な……それこそ冒険者ではなく、普通に働いているような者達では到底すぐに用意出来ないような金額が必要となる。
その準備に、稼いだ金の全て……というのは言いすぎだが、それでも二割から三割、場合によっては半分程使ってしまうことも珍しくはない。
ニラシスもまた、ダンジョンに挑む時の物資の補充を考えると、出来るだけ節約したいと思っているのだろう。
「昼食は俺が奢るから、気にするな。肉屋にでも行くか?」
昨日、ニラシス達に案内された店の名前を口にするレイだったが、それを聞いたニラシスは首を横に振る。
「いや、肉屋は昼にはやっていない。夕方から朝に掛けてだな」
「昼食はないのか? 店で食べることは出来なくても、昨日買ったサンドイッチとか昼食用に売りに出せば、それなりの儲けになると思うけど」
レイの言葉に、ニラシスは首を横に振る。
その表情には残念そうな色があり、ニラシスとしても本来なら昼食をやって欲しいと思っているのは間違いない。
「夕方からの仕込みで昼から忙しいらしい。朝方までやってるから、それから掃除をして寝て起きてとなると……それこそ昼くらいに起きることになるだろう? そうなると、起きてからすぐに夜の仕込みをやってる訳だ。そう考えれば、昼も出して欲しいとは言えないだろう」
「そう言われると……そうだな」
起きてすぐに仕込みをやって、それが終わる頃にはまた店を開ける時間となる。
そんな中で昼食も出すというのは……やれば儲かるのは間違いないが、健康的な意味で危険だった。
「でも、昨日見た限りだと従業員は結構いるんだし、例えば仕事が終わった後の掃除を専門にする人員と、仕込み専門の人員とか、そういう風に分ければ、店主の負担も少なくなるんじゃないか?」
「それについては、他の奴が提案したことがあったが、掃除についてはともかく、仕込みについては店主が自分で納得がいくようにやりたいってことらしい」
「拘りか。そうなると、やっぱり難しいな」
「特に肉屋はダンジョンのモンスターの肉を使ってるからな。その種類も多いし、肉の処理の仕方とかでも味に大きく影響してくる。その辺については全部自分でやりたいんだろう」
例えば血抜きの類をしっかりとやらないと、肉はかなりの臭みを持つ。
また、内臓を取り出す時に破ったりした場合もそれは同様だ。
他にも色々と注意点があるが、冒険者の中にはそんなのは分からず、倒したら適当に解体すれば売れると考えている者もいる。
……実際にもしそうした場合、それこそオークのような美味い肉を持つモンスターの肉であっても、大分安く買い叩かれるのだが。
ともあれ、そんな訳で肉の処理もまちまちである以上、仕込みの時にそれぞれの肉にあった処理をする必要もある。
これが日本であれば、スーパーで肉を購入すれば一定の品質が維持されているのだが。
しかし、このエルジィンにおいてはそんな場所はない。
いや、正確には肉屋であればあるが、その肉屋では一般的な肉を扱うことが多く、モンスターの肉はあまり扱ってはいなかった。
これがギルムのような辺境の……普通の動物の肉よりもモンスターの肉の方が一般的な地域なら、話は別だったのだが。
「取りあえず肉屋については分かった。……そういう拘りがあるのは店主の健康的にどうかと思うんだが、そういう拘りがあるからこそ、ああいう風に美味い料理になってるってのもあるんだろうな」
「そんな感じだな。しかもそれで今のところ上手くいってるから、余計にどうにかするのも難しいって訳だ」
これで、店主が拘りを妙な方向に持っていくようなことがあれば、それによって料理の味が落ちるなり、店の雰囲気的な問題であったりで、客足が遠のくようなこともあるだろう。
だが、今の肉屋では店主の拘りは正しい方向に発揮されており、問題なく店は流行っていた。
「となると、今のところはどうこう出来ないな。……ともあれ、肉屋で昼食が無理だとなると、どこか他の店になるか。美味い店を期待してるぞ」
「そう言われてもな。……まぁ、それなり美味くて安い、俺の行きつけの店にでも行くか」
「もう少し高い店でもいいんだけどな」
レイにしてみれば、マジックアイテムを売ってる店を教えて貰うのだ。
ニラシスにはかなり感謝している。
その感謝の気持ちを示す為なら、それこそ高級店と呼ばれるような場所で奢るくらいは構わない。
レイにとって金とは、稼ぐつもりになれば盗賊狩りに行くなり、モンスターを倒すなりすればいいのだから。
「そういう店はあまり好みじゃないんだよな。金持ちが食うような料理も悪くないけど、基本的には一般人が食うような料理が好みだ」
そう言われると、レイも無理に高級店を勧めるといったことは出来ず、ニラシスに案内されながら進む。
昼ということもあり、外に出ている者の数は多い。
多くの者が、レイ達と同じように昼食を求めて……あるいは食事を終えたところなのだろう。
そんな中を進み……やがてニラシスが足を止めたのは、表通りから少し離れた場所にある店だった。
「ここだ。満腹亭って店だ」
「……え?」
ニラシスの口から出た聞き覚えのある店の名前に、レイは自分でも気が付かないうちにそんな声を出す。
「どうした?」
「いや……ギルムにも満腹亭って食堂があるんだよ」
「そうなのか? それは偶然だな。……とはいえ、満腹亭というのはそこまで珍しい名前じゃない。同じ名前の店があってもおかしくはないだろ」
「そう言われると、納得するしかないが」
実際、店だけではなく人の名前でも何人かレイは同じ名前をしている人物を知っている。
そう考えれば、この店が満腹亭という名前であってもおかしなことはないのだろう。
ましてや、腹一杯に食べさせてやりたいと思った店主が、満腹にさせる店ということで満腹亭という名前を付けるのは、自然な流れだ。
「だろ? 実際、この店は安い、美味い、早いと三拍子揃ってるからな」
「……どこかの牛丼チェーンみたいだな」
そう言うレイだったが、レイが日本で住んでいた場所には、牛丼チェーン店は一件もなかったので、それはあくまでもTVや漫画といったものでの知識でしかないのだが。
(俺がエルジィンに来てそれなりに時間が経っているし、もしかしたら今は有名な牛丼チェーン店とかもあるかもしれないけど)
そう思っていたレイだったが、ニラシスはそんなレイに疑問の視線を向ける。
「牛丼って何だ?」
先程のレイの呟きが聞こえていたのか、そうレイに尋ねた。
「料理の一種だよ。白米……米を炊いたのに、牛肉とタマネギを甘辛く煮込んだのを掛けて食べる奴」
牛丼チェーン店はなかったが、レイも牛丼を食べたことはある。
すき焼きを食べた翌日に、残った牛肉とタマネギを入れて煮込み、白米の上に載せて。
……場合によっては、牛肉とタマネギを煮込む時にすき焼きの残りの野菜や焼き豆腐を煮込んで牛丼ではなくすき焼き丼にして食べたりもしていたが。
「ふーん。その白米ってのは分からないが、パンにも合いそうだな」
「……どうだろうな」
牛丼の具とパンが合うかどうか、レイには分からない。
そういう風に食べたこともないので、もしかしたら合うかもしれないが……何となく合わなさそうな気もする。
「食ってみたいけど、レイは作れるのか?」
「無理」
即座に断言する。
元々、料理については漫画の知識しかないレイだ。
家でもすき焼きを食べる時はすき焼きの素を使っていたので、ベースとなる出し汁をどうやって作るのかも分からない。
精々が醤油と砂糖を使っているというのが分かるくらいか。
そしてこの世界において、魚醤はあるが醤油は見たことがない。
その時点で、すき焼きを作るのは難しいだろう。
「そうなのか?」
「ああ。俺が世話になっていた師匠が作ってくれた料理だし。作ってるところを見たりはしていない」
困った時の師匠頼み。
そう思いつつ説明するが、ニラシスは納得出来ていない様子だった。
ニラシスの様子を見ながら、レイは何故納得していないのかを理解する。
ギルムにおいては、レイの師匠のことを知ってる者はそれなりにいる。
これはレイが師匠について隠していないからだ。
……カバーストーリーとして師匠の存在が必要である以上、それを隠すというのは意味がないのだから、当然だろうが。
だが、このガンダルシアにおいてはレイの師匠についての話というのは大半が……あるいはほぼ全ての者が知らない。
あるいは……もしかしたら本当にあるいはの話だが、レイの師匠についての噂が流れてきていて、それを聞いたことがある者でもいればともかく、見たところでは特にそのような様子はない。
レイはこれからガンダルシアで活動する際に役立つだろうと、店の扉を開けながら言う。
「食事をしながらだけど、俺の師匠について教えてやるよ」
「そうか? レイの師匠か。……凄いんだろうな」
「ああ、凄い」
何しろアンデッドだし。
そう心の中で思うレイ。
師匠はカバーストーリー用の架空の存在だったが、色々な条件が重なった結果、グリムがいつの間にかレイの師匠の役割を担うようになっていた。
グリムにとっても、尊敬するゼパイルの後継者ということもあってか、レイを可愛がっているので、その辺は問題ない。
問題なのは、アンデッドのグリムを紹介するのは不可能……とまではいかないが、かなり難しいということだろう。
レイにとってグリムは頼れる相手だが、何も知らない者にとってアンデッドというのは危険なモンスターでしかないのだから。
「いらっしゃい。ん? ニラシスか。そっちは初めて見る顔だな」
店の中に入ると、店員がそう聞いてくる。
普通、こういうところの店員というのは女……つまりウェイトレスが多いのだが、この店にはそのような存在はいないらしい。
「ああ、こっちはレイだ。聞いたことがないか? 深紅のレイがガンダルシアに来てるって」
そんなニラシスの声が聞こえたのだろう。店の中にいた客のうち、入り口近くにいた者達が驚きの視線をレイに向ける。
……驚きの視線を向ける者以外にも、本当にこの小柄な人物が深紅のレイなのか? といった疑問の視線を向ける者も混ざっていたが。
「へぇ、レイか。あの噂の……まぁ、いい。うちに来てくれたのなら、客の一人だ。空いてる席に座ってくれ」
ニラシスに声を掛けたのは、どうやら店員ではなく店主だったらしい。
その態度に小気味いいものを感じながら、レイはニラシスと共に空いている席に座る。
昼時とあって店の中には結構な客がいたが、それでも時間的にもうピークはすぎているのだろう。
店の中にはそれなりに空いている席があった。
「それで、この店のお勧めはなんだ?」
「煮込み料理だな。とくにシチューはこの店に来たら食わなきゃ損だぞ」
絶賛するニラシスの言葉に、レイは周囲の様子を見る。
するとたしかに、多くの者がシチューを食べていた。
基本的にはシチューとパン、それと一品か二品追加で何かを注文するといった者が多い。
「なら、シチューとパンと……他に何か適当に料理を頼んでくれないか? 多ければ俺が食うから」
そんなレイの言葉に、昨日の肉屋でのレイの食いっぷりを思い出したニラシスは、安心して店主に注文する。
満腹亭という名前通り、料理の量は多いのだが、それでも十品程の料理を注文する。
店主は呆れつつも、残したら許さないと釘を刺した上で、注文した料理を持ってくる。
その料理はどれも美味い。
絶品や極上といった程ではないが、普通に美味い料理の数々で……レイはそれを食べながら、ニラシスと会話を続ける。
次々と料理が消えていく光景に、周囲の客達は驚いていたが。
レイやニラシスにしてみれば、それは別に驚くべきことではなかった。