3672話
最下位のクラスの模擬戦。
その模擬戦をどうするのかという話し合いは、最初やる気のある生徒達がやる気のない生徒達を説得するといった流れになっていた。
だが、ここで説得されたからといって、すぐにやる気になるような者は、そもそもやる気のない状態を続けてはいない。
このままであれば、今までにも何度かあったように、やる気のある生徒達だけで模擬戦をするといった結果になっていただろう。
だが……そうして説得が行われている場所からそう離れていない場所で、レイがマティソンと話したり、そこにアルカイデが話に割り込んできたりといったことが起こった。
それだけであれば、正直なところやる気のない生徒達にも特になにも影響はなかっただろう。
寧ろ教官同士の口論によって、授業時間が潰れるのだからラッキー程度に思ってもおかしくはなかった。
だが……口論になっている内容が問題だったのだ。
レイとマティソンは、やる気のない生徒達はとっとと辞めさせる……退学にした方がいいという主張。
これを聞いた、やる気のない生徒達の顔色は一気に悪くなる。
当然だろう。この生徒達もいつまでも今の状況のままでどうにかなるとは思っていなかったものの、それでもこうして明確に退学にするといった話を出されたのだ。
冒険者としても未熟……あるいは才能のない者達。
そのような者達がこの冒険者育成校を退学になったら、どうするか。
手に職のある者や、最悪家で働けるといった者はいい。……それが具体的にどのくらいいるのかは微妙だが。
そもそも、手に職があるのなら、わざわざ危険な冒険者になったりはしないだろう。
家で何らかの商売をしているのなら、その手伝いをすれば安全に暮らせる。
……勿論、それでも平凡な暮らしに満足出来ず、成り上がろうとする者、スリルを求める者、一攫千金を目指す者といった理由で冒険者になる者はいるだろうが。
ただ、この最下位クラスでやる気のない者達にしてみれば、やる気がないからこそ、冒険者が無理なら何か別の方法で生きていく必要がある。
それが出来ない場合は、何とかして冒険者として活動する必要があるのだが、冒険者育成校を退学になったりしたら、それも難しくなる。
冒険者育成校を退学になったら冒険者として働けない訳ではない。
だが、退学になったような冒険者を雇いたいと、あるいはパーティを組みたいと思う者がいるかは、考えるまでもないだろう。
世の中には物好きがいるので、そういう相手と会えたら、また話は別だが。
そのような幸運がそう簡単に訪れることがないのは、やる気のない生徒達も理解出来ている。
だからこそ、このままレイやマティソンが話していたように自分達が退学になるというのは避けたかった。
なら、どうすればいいか。
やる気がないのが問題なのだから、そのやる気を出せばいい。
やれば出来る。
そう自分に言い聞かせていたやる気のない生徒達だったが、今はとにかくやる気を出して対処をする必要があるのだと理解し……その結果、模擬戦をやると宣言したのだ。
幸いなことに、やる気のない生徒達の全員が同じ気持ちになったらしく、少し前までのやる気のない様子は何だったのかといったような様子で、模擬戦をやる気になっていた。
「……おう?」
突然の模擬戦をやるという宣言に、レイはそんな声を出す。
マティソンやアルカイデと話していた中で、いきなりの展開だ。
しかも模擬戦をやると口にしたのは、やる気のない生徒達の一人。
それに驚くなという方が無理だろう。
「えっと、模擬戦をやるのか? お前達が? さっきまで全くやる気がなかったと思うけど」
「やります」
一瞬の躊躇もなく、レイの言葉に断言する生徒。
それが表面だけの態度ではなく、本気で言ってるのは生徒達を見れば明らかだ。
どうする? とレイはマティソンに視線で尋ねる。
現在この場にいる教官の中で、もっとも強い影響力を持っているのはマティソンだ。
数日前ならアルカイデもマティソンと張り合うだけの影響力を持っていたのだが、本人や取り巻きがレイと絡んだ結果、その影響力はかなり落ちている。
レイに絡んでレイが少し本気になると逃げたり、模擬戦では負けるのが怖くて逃げたり、あるいは模擬戦をしても圧倒的に負けたりといったことが重なった形だ。
そういう意味では、レイの方がマティソンよりも影響力は強いのかもしれないが、何しろレイは教官としてガンダルシアにやって来てから、まだ数日だ。
教官という立場でこれからどうするのかを考えれば、やはりここはマティソンに考えて貰う方がよかった。
「君達のこれまでの行いを考えると、本気で模擬戦を望んでいるようには思えません」
「いや、でも……こうして今は本気で模擬戦をやろうと思ってるんです! 信じて下さい!」
そう言うやる気のない生徒達を、マティソンは冷たい視線で見る。
普段は人当たりの良い性格のマティソンだったが、やる気のない生徒達はやはり好ましいと思っていなかったのだろう。
また、このように言った理由が実はレイやアルカイデと退学について話をしていたことだと考えれば、やはりこの生徒達の意欲を信じろと言う方が難しいだろう。
(俺、本当は教官として模擬戦をやるだけの筈だったんだけどな。……何でこんな、これからの冒険者育成校の方針とかそういうのに巻き込まれてるんだろ)
マティソンと生徒達のやり取りを眺めながら、レイはそう思う。
そして一度考えると、次第に面倒臭くなっていき……
「分かった」
そう、口に出す。
レイの言葉はそこまで大きなものではなかったが、それでも不思議と周囲に響く。
言い争いをしていたマティソンと生徒、そしていつの間にか言い争いに参加していたアルカイデもまた、そんなレイの言葉を聞いて、動きを止める。
そして、三人揃って……いや、周囲で様子を見ていた他の教官や生徒達も、揃ってレイに視線を向けてくる。
「このまま話を続けても面倒だから、まずは模擬戦をやる。やる気のない生徒達をどうするのかは、それこそここで決める訳にもいかないし、学園長のフランシスと相談して話を決めればいいだろう」
結局レイのその言葉により、まずは当初の予定通り模擬戦をすることになる。
自分達の立場が決して盤石ではないと判断したのか、やる気のない生徒達も模擬戦には参加していた。
「さて……じゃあ、模擬戦を始める。マティソン、合図を頼む」
「分かりました。……では、いいですか? 始め!」
その言葉と共に、模擬戦が始まる。
だが、レイは特に緊張した様子はない。
相手が一組の生徒だろうと圧倒したレイだけに、最下位のクラスを相手に負けることはないと考えているのだろう。
(一応注意しておくのは、ハルエスの弓か)
まだそこまで精度は高くないものの、それでもダンジョンで普通に戦力として数えることが出来る程度には弓の技術がある。
そんなレイの予想を裏付けるように……いや、単純に牽制としてだろうが、矢が飛んできた。
この矢は、射ったハルエスも命中するとは思っていないだろう。
少しでもレイの行動の妨げになれば、そして仲間の行動の援護になればという思いからの射撃。
レイはそんな矢に対し、模擬戦用の槍を振るう。
あっさりとへし折れる矢。
これがマリーナのような高い技量があれば、矢を二本連続で射ったりも出来る。
そうなると、前方の矢を槍で叩き落としても、そのすぐ後にまた矢が一本あるので、対処が難しい。
だが……弓を使い始めたばかりのハルエスに、そのような芸当が出来る筈もない。
それでも数人の生徒達がレイに近付くだけの隙を作ることは出来た。
真っ先にレイに向かって襲い掛かって来たのは……
(珍しいな)
手甲を装備した、女。
ただし、その手甲はヴィヘラの使っているマジックアイテムではなく、何らかのモンスターの革と金属を組み合わせた手甲だった。
格闘を使う者は多い。
それこそ、長剣や短剣、槍……それ以外にも様々な武器を使う者は、格闘をその戦闘スタイルに組み込む。
長剣の一撃を相手に盾や武器で防がせ、その隙を突いて蹴りを放つといったような。
そのように武器を使った戦闘に格闘を組み込むことは珍しくはないものの、格闘だけというのはそれなりに珍しい。
……もっとも、レイが使うデスサイズのような大鎌の方が余程珍しいのも事実だが。
「惜しい」
振るわれた拳の速度は、やはり最下位のクラスの生徒らしく、遅い。
これがヴィヘラであれば、この生徒が一発の拳を出す間に五発から六発くらいは攻撃を放っているだろう。
拳の一撃を回避し、そのまま槍の石突きを使って相手の足を払う。
「うわぁっ!」
バランスを崩したところに、レイの蹴りがヒットする。
これが模擬戦である以上、蹴りの一撃は十分に手加減されたものだ。
もし本気で蹴りを放っていれば、防具もそこまで高価な物ではない以上、相手の肋骨はへし折れていただろう。
そこまでの威力は出さず、だがそれでも痛みを感じて吹き飛ぶ程度に威力を殺した蹴り。
それによって吹き飛んだ女は、背後からやってきていた仲間にぶつかる。
「ぐがっ!」
悲鳴を上げながら、仲間の身体にぶつかって吹き飛ばされる男。
レイはそんな相手の様子を気にせず、左右に別れて攻撃してきた長剣の使い手二人に、タイミングを合わせて槍を振るい、同時に顔を動かす。
一瞬前までレイの顔があった空間を矢が貫く。
(弓を使ってるのはハルエスだけだけど、結構邪魔だな)
そんな風に思いつつ、振るわれた槍は左右から襲ってきた二人のうちの一人の身体に引っ掛けられ……そのまま回転したレイの一撃により、反対側にいた男の身体に、槍に引っ掛けられた男の身体がぶつかる。
そうしたところで、レイは後方に下がる。
するとこちらもまたレイのいた場所に上空から誰かが降ってきた。
周囲の様子を確認すると、少し離れた場所に両手を組んでいる者がいる。
それを見たレイは、恐らくその人物が組んだ手をジャンプ台にして跳んだのだろうと予想し……そのまま自分のいた場所に着地した相手の身体を突く。
向こうは当然ながらその一撃を防ごうとするのだが……遅い。
「ぐっ!」
鳩尾を突かれた男は、革鎧の上からでも気絶させるのに十分な威力があり、その一撃によって気絶し、地面に崩れ落ちる。
そうして最初にレイに攻撃された何人かが倒れると、そこからは一気に戦線が崩壊していく。
次々に放たれるレイの攻撃によって、やる気のある生徒も、やる気のなかった生徒も、区別なく倒されていくのだ。
それでもやる気のある生徒の方が、割合的には何とか持ち堪えていた。
一撃で倒されるか、二撃で倒されるかで、また変わってくるのだが。
ただ、結果としてやる気のある者達は幾ら手加減されているとはいえ、レイの攻撃を二度くらうのだ。
それによって受けるダメージは、当然ながら一度で倒れる者よりも多い。
「さて、それで……どうする?」
元々最下位のクラスだけに、このクラスの生徒は他のクラスよりも少ない。
また、実力も当然ながら低く……結果として、あっという間に他の者達はやられてしまい、最後に残ったのは後衛として弓を使っていたハルエスだけだった。
「……これで降伏をするのは、さすがにみっともないから、こうする!」
矢ではなく、弓をレイに向かって投擲し、腰の短剣――こちらも模擬戦用の物――を引き抜き、駆け出す。
勿論、ハルエスもこの状況で自分が勝てるとは思っていないだろう。
少しでもいいから……一撃でもいいから、レイに攻撃を命中させようとしての攻撃。
もしハルエスが主人公の物語であらば、ここで奇跡が起きるのだろう。
あるいは、ハルエスの中に眠っている何らかの力の覚醒といったようなことになってもおかしくはない。
だが……そのようなことが起こることもなく、ハルエスの一撃はレイがあっさりと回避し、その胴体を穂先で突かれ、吹き飛んでいく。
それも数mといった距離ではなく、十m近く。
ましてや、それだけで勢いが止まるようなことはなく、地面に落ちてからも数度のバウンドをしながら、最終的には地面を削るようにして漸くその動きが止まった。
「さて、これで終わりだな」
ハルエスが気絶したのを確認してレイは、念の為ということで周囲の様子を確認する。
そこではクラスの生徒全員……それこそ、やる気のある生徒、ない生徒関係なく、全員が地面に倒れていた。
元々気絶はしていなかったが、立ち上がれなかった者達。
あるいは気絶をしていたものの、気が付いた生徒達。
そのような生徒達もいるが……やはり、大半は気絶したままだった。