0367話
「んー? ……んん……」
夏らしい眩しい朝陽が部屋の中へと降り注ぐ中、レイはベッドで身を起こす。
前日の昇格祝いのパーティでは夜遅くまで騒いでおり、宿に戻ってきたのも日が変わる頃だった。
それを思えば、まだ朝のうちに目が覚めたのは僥倖と言うべきなのだろう。
脱ぎ散らかしていた服を洗濯用の籠に放り込んでから、ミスティリングから新しいシャツを取り出して身支度を済ませていく。
そのまま部屋から出て1階の食堂に向かうと、さすがに朝とは言ってもすでにそれなりの時間なのか朝食を食べている者の姿は殆ど見られなかった。
だが、その数少ない夕暮れの小麦亭の宿泊客達はレイの姿を見ると仲間内で話し始める。
「おい、あのローブを着ているのが昨日ランクBになった?」
「ああ、間違い無い。俺が懇意にしている冒険者から今朝聞いた話だからな」
「ランクBか。出来れば護衛を頼みたいところなんだが」
「確かにな。辺境であるこの近辺だとどんなモンスターが襲ってくるか分からないし。それに、辺境以外でもランクB冒険者を護衛として連れていれば盗賊のように悪質な相手に襲われても安心出来るし、商隊の格にも影響してくる」
「……けど、あの顔付きだとランクBだって言ってもギルドカードを見せられるまでは信じない奴の方が多いんじゃないか?」
「確かにな。実際この街に来た当初は見た目で侮られて相当絡まれているって話だし。もっとも、そんな奴等は殆どが酷い目に遭って後悔しているらしいけど」
商隊の商人や、あるいは個人で行商を行っている者の話し声が聞こえてくるが、レイはそれを右から左へと聞き流しながら席へと着く。
するとそれを待っていたかのように、宿の女将でもあるラナが笑みを浮かべながら近付いてくる。
「おはようございます。昨夜は色々と大変だったようですね」
そう挨拶をしてきながら、テーブルの上に冷たい果実水を置く。
「ああ、おはよう。早速だが朝食を頼む」
「昨日は随分遅くまで食べたり飲んだりしてたようですが、朝食は軽い物の方がいいですか? それとも普通の?」
「普通の食事で頼む」
「はい、分かりました。……レイさん、ランクBへの昇格おめでとうございます」
最後に笑みを浮かべながら祝いの言葉を告げ、厨房へと戻っていくラナ。
その後ろ姿を見送り、テーブルの上に置かれていた果実水を飲み料理が出されるのを待つ。
だが、その待っている間にも10人程食堂の中にいる者達がレイへと頻繁に視線を向けており、やがてその中の1人が意を決したかのように立ち上がってレイの方へと進んで行く。
「あの、昨日ランクBになった冒険者のレイさんですよね?」
さすがにランクBともなればレイの見た目が10代半ばの少年であると言っても侮ることはないのか、20代後半程の男は丁寧な口調で声を掛ける。
「ああ、そうだが?」
果実水を飲みながら男に話を促しつつ、その様子を観察する。
(年齢はまだかなり若いな。ギルムでこの夕暮れの小麦亭にいる以上はそれなりに金持ちなんだろうが……行商人か?)
自分もまたかなり若いというのを棚に置いたかのようなレイの言葉だったが、男はそれを気にした様子も無く頭を下げる。
「実はちょっと依頼を受けて頂けないかと思いまして」
「依頼?」
「はい。私はプリゾンと申します。こう見えても行商人をしているのですが、ランクB冒険者になったレイさんに護衛をお願いしたいと思ったんですけど……どうでしょう?」
プリゾンという男がそう告げた瞬間、食堂の中にいた他の商人達が鋭い視線をプリゾンへと向ける。
その目は、抜け駆けをした商人に向ける目であり、また同時に自分達を出し抜いたその行動力を褒めているようでもあった。
「護衛、か。具体的には?」
「え? いえ、その、出来れば暫く……2ヶ月程はお願いしたいと思います」
その、2ヶ月という期間を聞いた途端、レイは首を横に振る。
「悪いがその依頼は受けられない」
「何故でしょう? まだ詳しい条件も話していませんが……何か私がお気に召さないことでも?」
「いや、そうじゃない。まぁ、元々護衛の依頼を受けるのに乗り気ではないというのも事実なんだが、実は少ししたら用事があってな。暫くこの街を留守にするんだ」
そう、春に約束したエレーナと共に迷宮都市に出向くという約束の時はもう1月もしないうちに訪れる。
そうなれば自分はセトと共に街を出る必要がある以上、依頼を受けるにしても数ヶ月単位で時間を取られるものはまず不可能だった。
「……そうですか、残念です」
プリゾンが溜息を吐きながら呟き、どこか力無い足取りで自らのテーブルに戻っていく。
それを見ていた商人達も、プリゾンに断った時の言葉を聞いていたのかそれ以上は依頼に誘ってくるようなことは無かった。
もっとも商人達にしてみれば、依頼はともかくランクB冒険者とは顔見知りになっておきたかったのだが、レイの持つ雰囲気が人に話し掛けづらくしていた。
その後は、運ばれてきた木の実が混ぜ込まれているパンとベーコンと野菜のスープ、オムレツといった簡単な朝食を食べながら今日の予定を考える。
(まず最優先にやるべきことは、何と言ってもバイコーンの魔石の吸収だろうな。バイコーンの素材の売買に関しては……まぁ、急ぐ必要も無いから後回しでいいか。となると、どこで魔石の吸収を……いや、ギルムで魔石を吸収するのなら場所は決まっているな)
レイの脳裏を過ぎったのは、これまでにも幾度となく魔石を吸収してきた周囲が木で覆われている空き地のような場所。ある程度の広さがあり、もし万が一に誰かが近くを通りかかったとしても周囲に生えている木のおかげで魔石を吸収している場面を見られる心配も無い。まさに格好の場所だった。
今日の予定を立て終わるのと同時に朝食を全て食べ終え、朝食と共に出された冷たく冷えたお茶で喉を潤す。
夕暮れの小麦亭では普通に出て来ている冷えたお茶だが、これは夕暮れの小麦亭が高級な宿であるからこそ可能なことだ。普通の冒険者が泊まるような宿ではこの類のマジックアイテムは高額すぎて手が出ず、出て来ても生温いお茶だろう。
あるいは、水系統の魔法が使える者がいれば話は別かもしれないが。
「ごちそうさん。今日も美味かったから夕食も期待してるよ」
「ありがとうございます」
レイの言葉にラナが頭を下げ、名残惜しそうに視線を向けている商人達を無視してそのまま厩舎へと向かうのだった。
「うーん、久しぶりに来たけど……やっぱり夏だけあって暑いよな」
「グルルルゥ?」
レイの言葉に、そう? とでも言うように喉を鳴らしながら小首を傾げるセト。
その様子に、レイはグリフォンだからしょうがないかと判断して、周囲を見回す。
周囲には木々が生えており、空き地のようになっている場所。そこに現在レイとセトはいた。
暑いと口では言うものの、まだ午前中ということもありそれ程ではない。そもそも、ある程度温度を管理することの出来るドラゴンローブを着ている以上、暑いや寒いというのは枕詞でしかないのだが。
「ま、ともあれ折角ここまで来たんだ。無意味に時間を過ごすよりはさっさと用件を済ませるか」
呟き、ミスティリングの中から取り出されたのは言うまでも無くバイコーンの魔石。ランクDモンスターということもあり、数cm程度の大きさしかなく、レムレースの魔石とは比べるべくもない。
「セト」
呼びかけと共に放り投げられたその魔石を、セトはクチバシで見事に咥え、そのまま飲み込んでいく。
そして……
【セトは『毒の爪 Lv.3』のスキルを習得した】
脳裏にいつものようにアナウンスが流れるのだった。
「毒の爪か。まぁ、バイコーンの角を思えば妥当なんだろうが」
その2本の角は猛毒で、実際にレイが見た時にもその角によって傷を付けられたゴブリンは瞬く間に動きが鈍くなり、バイコーンの群れに貪り食われていた。それを思えば、毒の爪のスキルレベルが上がるのは当然なのだろうと。
「にしても、毒の爪か。さすがにこれは木とかに使って試す訳にもいかないしな。となると、後でその辺にいるモンスターを探し出してからだな」
「グルゥ」
レイの言葉に喉を鳴らしながら同意するように頷くセト。
その様子を見ながら、ふと笑みを浮かべる。
「グルルルゥ?」
どうしたの? とでもいうように小首を傾げるセトに、レイはその背を撫でながら口を開く。
「いや、今までセトのスキルの中で一番強かったのはファイアブレスだったが、これで毒の爪も同じLv.3になったんだなと思ってな。毒の爪は補助的な期待しかしてなかったけど、ここまで強くなれば十分以上にメインの攻撃手段となるだろ。……もっとも、スキルのLvが最大どのくらいなのかは全く分からないんだが」
溜息を吐きながら、次は自分の番だとばかりにミスティリングからバイコーンの魔石を取り出す。
「さて、セトがスキルを習得出来たってことはデスサイズも期待出来る筈なんだが……どうか、な!」
空中へと放り投げ、デスサイズを一閃。その刃により切断された魔石は、消え失せ……
【デスサイズは『腐食 Lv.2』のスキルを習得した】
そうアナウンスが流れるのだった。
「いやまぁ、確かに俺の持っているスキルの中だと腐食と毒は似ているかもしれないけど……正直、外れっぽい感じだな」
呟き、溜息を吐くレイ。
冒険者であり魔石の収集を目的としている以上、レイの戦う相手は当然の如くモンスターが多くなる。そして、腐食というのは敵が金属製の装備を持っていないと意味が無いのだ。
勿論以前戦ったオークのように、人型の場合は金属製の装備を持っているモンスターもいる。だが、圧倒的に多いのは己の身体を武器としているモンスターである。
それを思えば、レイの嘆きもある意味では当然だろう。
もっとも、これから迷宮都市に向かう以上はレイのことを知らないような相手がその見かけから、あるいは共に行動しているエレーナの美貌目当てに絡んでくることもあるだろう。そのような相手と戦う時には随分と有用なスキルになると自分を励まし、意識を切り替える。
「さて。取りあえず俺の腐食に関しては能力を調べることが出来ないから、まずは毒の爪の威力確認だな」
「グルルゥ」
レイの言葉に頷き、背中をレイへと向けてしゃがみ込むセト。
その背に跨がり、数歩の助走の後でセトは翼を羽ばたかせて空を駆け上がって行く。
この辺りのお互いの呼吸は、まさに阿吽の呼吸と表現するのが相応しいだろう。
「でも、毒の爪の効果を確かめると言ってもな……以前に使ったのは、エレーナと一緒にダンジョンに行った時だったか。よく考えれば、毒の爪とかは他の奴に見つかりにくいんだから普通に使っても大丈夫なんだよな。勿論、毒で苦しむような場面を何も知らない相手に見せる訳にはいけないけど」
現在セトが普通のグリフォンとは違う、特殊な個体と知っているのは、エレーナとアーラの2人、そして灼熱の風の3人。そして人外としてはリッチのグリムのみである。それ以外の者の前では、あからさまにセトの特殊性を見せつける訳にもいかないのは事実であった。
「グルルルルゥッ!」
そんな風にレイが考えていると、やがてセトが鳴いて注意を引く。
眼下に広がっている草原を眺めているセトの視線を追うと、そこにいたのは10匹程のゴブリン。
「ゴブリンか。……ま、バイコーンの毒で倒されるのを見たし、ある程度の指標にはなるか。出来ればもう少しランクの高いモンスターが良かったんだが」
「グルゥ」
贅沢言わないの、とでも言うように喉を鳴らすセト。
その様子に、レイもまたしょうがないとばかりに頷く。
「じゃ、行くか。まずは王の威圧でゴブリンの動きを止めてくれ。散らばって逃げられたりされたら、試すにしても色々と面倒になるからな」
レイの言葉に任せて、とセトは喉を鳴らして草原を歩いているゴブリンへと向かって急降下していく。
「グルルルルルルルルゥッ!」
王の威圧が発動し、その声を聞いた瞬間、その場にいた全てのゴブリンが動きを止める。
……中には、あまりの衝撃に生命活動そのものを止めたゴブリンもいたが。
そして動きの止まったゴブリンへと向かい、毒の爪を発動させたセトが前足を振るい……
「グルゥ」
ただでさえゴブリンとグリフォンでは膂力が圧倒的だというのに、基本的な力を上げる剛力の腕輪の効果もあり、振るわれたセトの前足はゴブリンの胴体を砕き、その内臓や血、肉、骨を草原へとバラ撒くのだった。
その様子を見て、思わず肩を落とすセト。
だが、このままでは意味が無いと思ったのか、再び毒の爪を発動させて身動きの取れないゴブリンへと前足を向ける。
ただし、今度は一撃で殺さないようにそっとだが。
ゴブリンにしてみれば針で刺されたかのような、そんな攻撃とも言えない攻撃。
だが……5分も経たないうちに苦しみだし、更にそこから3分も経たないうちに口から血を吐き倒れ伏す。
他のゴブリンにも試してみたセトだったが、殆どのゴブリンが多少の差異はあれども毒を受けて10分以内には事切れるのだった。
その場に転がるゴブリンの死体を眺め、小さく溜息を吐くレイ。
「毒の威力は確実に上がっている。上がってはいるが……ゴブリン相手だけだとちょっと正確な威力までは分からないよな」
出来れば他のモンスター相手にも試してみたいと考えるレイだった。
【セト】
『水球 Lv.2』『ファイアブレス Lv.3』『ウィンドアロー Lv.1』『王の威圧 Lv.1』『毒の爪 Lv.3』new『サイズ変更 Lv.1』『トルネード Lv.1』『アイスアロー Lv.1』『光学迷彩 Lv.1』
【デスサイズ】
『腐食 Lv.2』new『飛斬 Lv.2』『マジックシールド Lv.1』『パワースラッシュ Lv.2』『風の手 Lv.2』『地形操作 Lv.1』
毒の爪:爪から毒を分泌し、爪を使って傷つけた相手に毒を与える。毒の強さはLvによって変わる。
腐食:対象の金属製の装備を複数回斬り付けることにより腐食させる。Lvが上がればより少ない回数で腐食させることが可能。