3669話
「助けてくれてありがとな」
ハルエスがレイに向かってそう言い、頭を下げる。
ハルエスと言い争いをした……いや、レイから見れば一方的に言い掛かりをつけていた男は、これ以上レイと言い争いをしても勝ち目がないと判断し、それ以外にも気が付けば周囲には見物人が多く集まっていたこともあり、そそくさとその場を去っていった。
……もっとも、その男の恋愛関係によってパーティが解散したというのを知った見物人の中には、それが理由で騒動になっている者もいたのだが。
「気にするな。お前に弓を使うのを勧めたのは俺だ。それが理由で騒動になっていたんだから、俺の方でも気にするのはそうおかしな話じゃないだろ」
「そうか? ……まぁ、レイがそう言うのなら、俺は構わないけど。なぁ?」
「グルゥ?」
自分に声を掛けてきたことに、不思議そうに喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、一体何があって話をしていたのか、それが分からなかったのだろう。
あるいは分かっていても、単純に気にしていないか。
「とにかく、今日はこれで何とかなった。だが、明日以降も同じように出来るとは限らないぞ? 俺がいつもハルエスと一緒にいるという訳にはいかないんだし」
今日は偶然ここを通っただけだ。
そうである以上、また明日同じようにさっきの男が見当違いの指摘をハルエスにしてきても、レイがそれをどうこう言ったりといったことは出来ない。
寧ろ冒険者育成校においては、誰とどういうパーティを組むのか、そのパーティが解散した後についてのやり取りについても、自己責任で行う必要がある。
ある意味、今回ここでレイがハルエスの味方をしたのは、問題行動と見られてもおかしくはない。
もっとも、行動の全てが自己責任である……つまり、冒険者育成校では特に何も関与したりしないので、そこにレイが関わるのも問題はないと判断されてもおかしくはないのだが。
「分かってる。次からは気を付ける。……俺がどこかのパーティに入れれば、それが一番いいんだろうけど」
「頑張れ」
気楽に言うレイだったが、それは何も無責任に言ってる訳ではない。
いや、そういう側面があるのも事実だが、弓を使うようになったハルエスであれば、上のクラスは無理でも、その下……中級クラスのパーティに入るくらいのことは出来てもいいのではないかという思いがそこにはあった
そんなレイの考えを全て理解した訳ではないのだろうが、ハルエスはレイの言葉に素直に頷く。
「ああ、多分だけど近いうちにクラスが上がる筈だし。そうなれば、もっと多くの活動が出来るようになると思う」
そう言うと、ハルエスはやる気満々といった様子でレイとセトから離れていく。
(もし他にハルエスよりも目に留まる生徒がいなかったら、俺の担当分はハルエスにした方がいいのかもしれないな)
ハルエスの背中を見ながら、レイはそう思う。
レイが思い浮かべていたのは、夏にギルムに行く件についてだ。
フランシスから、レイが一人を無条件に選ぶことが出来るという権利を貰っている。
……いや、それは貰っているのではなく押し付けられたという方が正確なのだが。
ともあれ、そんな訳でレイは誰か一人を選ぶことになっていた。
そんなレイが現在の最有力候補とみなしているのが、ハルエスだった。
実際にはハルエスよりも弓の腕前が高い者もいるだろうし、あるいはポーターでありながら冒険者としての活動が出来る者もいるだろう。
だが、それでもレイがハルエスを現在の最有力候補としているのは、ハルエスの運……あるいは行動力が影響している。
ハルエスはレイが来たという情報を知った時、半ば無理矢理レイが借りている家を聞き出し、その日のうちにやって来た。
普通に考えれば、それは大きなマイナス要因だろう。
実際、レイも当初はそう考えていた。
しかし、必死になってポーターとして成功する方法を相談するハルエスの態度に、レイも思うところがあった。
それが行動力。
運というのは、ハルエスの無作法をレイが認めたということだろう。
……例えばこれで、やって来たのがハルエスではなく別の人物、それこそセグリットと揉めていた貴族のような者達であれば、レイもハルエスとは別の行動を取っていた筈だ。
そういう意味で、ハルエスは運が良かったと言える。
ましてや、レイの場合は人の好き嫌いがそれなりに激しいし、一度嫌われればそれを挽回するのは……不可能ではないにしろ、難しいのも事実だ。
その点、ハルエスは上手くやったのだろう。
「グルルゥ?」
「ん? ああ、悪い。じゃあ行くか」
ギルムに連れていく人物のことを考えていたレイだったが、セトの声で我に返る。
既に夕方ではなく、薄暗くなっている時間。
セトが家に帰ろうとレイに向かって喉を鳴らし、レイはそれに頷くのだった。
「えっと、これ……その……私だけで食べるのはちょっと難しいと思うんですけど」
テーブルの上にある、肉屋特製のサンドイッチ。
それを見たジャニスは、少し困ったように言う。
そのサンドイッチは、レイがミスティリングから出したばかりなので、出来たてだ。
肉屋でお土産用に注文して、出されたそれを即座にミスティリングに収納したのだから、それは当然だった。
その出来たて……パンはしっかりとトーストされて香ばしい匂いを漂わせ、パンに挟まれた肉がそれぞれ違う調理法によって食欲を刺激する匂いを放つ。
目の前にあるサンドイッチは、間違いなく美味そうだった。
ジャニスもそれは分かるが、肉屋のサンドイッチは働く大人の男が食べて腹一杯になるような量だ。
メイドとして掃除や洗濯、料理と忙しく仕事をこなしているジャニスだったが、それでもこれだけの量を食べることは難しい。……いや、出来ない。
「なら、そうだな。残りは俺がミスティリングに保存しておくか? それとも、ジャニスが食べきれない分は俺とセトで食べるか?」
「その……後者でお願いします」
ジャニスにしてみれば、メイドの自分の食べ残しをレイに保存して貰うというのはとんでもない話だった。
それなら、自分の食べきれない分はレイとセトに食べて貰った方がいい。そう思ったのだが……
「その、レイさんは肉屋で食べてきたんですよね? それなのに、まだ食べられるんですか?」
「ん? ああ。その辺は問題ない。肉屋の料理も美味かったし、量もそれなりにあったけど、まだ余裕だ。腹八……いや、五分ってところか?」
レイの言い回しが理解出来なかったのか、ジャニスは不思議そうな表情を浮かべる。
それを見たレイは、自分の言葉が通じなかったことを照れ臭く思いながら言い直す。
「まだ大分余裕があるということだよ」
「肉屋の料理は量も多いと聞いてますけど。それに肉料理だけに腹に溜まると。……その、もしかしてこれから出す食事の量はもっと増やした方がいいでしょうか?」
これまでジャニスがレイに出してきた料理は、どれも美味く、それなりに量があった。
レイの趣味嗜好……美味い料理を食べるというのを知ったフランシスが用意したメイドなのだから、それも当然だろうが。
だが、味もそうだが料理の量も多いことで有名な肉屋で大金を使って料理を食べて、それでもまだ余裕があると言うのだ。
だとすれば、ジャニスがこの数日出してきた食事の量では足りなかったのではないかと不安に思ってもおかしくはない。
そんなジャニスにレイは首を横に振る。
「その辺はあまり気にしなくてもいい。基本的にはジャニスの食事で満足してるし。俺の場合は……そう、ちょっと特殊なんだよ」
具体的に何が特殊なのかは、レイも言わない。
そしてジャニスも、前もってレイのことを追求しないようにとフランシスに言われている為か、その辺の追求をしたりはしなかった。
「じゃあ、食事の量は今まで通りでいいんですか?」
「それで構わない。俺としては、ジャニスの食事には十分に満足してるしな」
「……ありがとうございます」
まさか、こうして堂々と満足していると言われるとは思わなかったのか、ジャニスは少し沈黙してから、そう答える。
レイにしてみれば、特に何か特別な気持ちを抱いて言った訳ではなかったのだが。
だからこそ、ジャニスの様子に不思議そうな表情を浮かべる。
そんなレイの表情に気が付いたジャニスは、少し慌てたように口を開く。
「その、じゃあ半分くらい食べさせて貰いますね」
「ん? ああ、分かった。選んでくれ」
レイの言葉に、ジャニスはサンドイッチを選んでいく。
その中でも特にジャニスが美味そうだと思ったサンドイッチを選んでいくのは、さすがと言うべきか。
手早くサンドイッチを選ぶと、残りはレイが引き受ける。
「じゃあ、俺はセトと一緒にこれを食べてくるけど、ジャニスはどうする? どうせなら、俺達と一緒に食べるか?」
「そうですね。……はい、そうします。セトちゃんと一緒だと嬉しいですし」
レイの誘いを受けたジャニス。
二人はそのまま庭に出る。
すると、庭で寝転がっていたセトはすぐにレイとジャニスの存在に気が付き、嬉しそうに喉を鳴らしながら、円らな瞳を二人に向けて、立ち上がった。
「セト、肉屋のお土産のサンドイッチだけど、ジャニスにはちょっと食べきれない量だったらしい。だから半分くらいは俺とセトで食べようと思うけど、構わないか?」
「グルゥ、グルルルルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。
セトもレイと同様、肉屋の前ではニラシスの仲間の女二人によって、色々な料理を食べさせて貰っている。
とはいえ、レイであっても肉屋で食べてきてまだ大分余裕があるのだから、レイよりも圧倒的に身体の大きなセトなら、まだ幾らでも食べられるだろう。
「ふふっ、セトちゃんって大きいのに、子供みたいね。……これって、レイさんがこういう風に育てたからですか?」
食事の時の世間話で、レイはジャニスにセトについての話をしてある。
とはいえ、それは魔獣術という真実についてではなく、レイが師匠と一緒に暮らしている時にセトと一緒に育ったというカバーストーリーだったが。
何も知らない者にしてみれば、真実よりもカバーストーリーの方が信じやすい。
……だからこそ、カバーストーリーとして使っているのも事実なのだが。
「そうだな。セトは昔から甘えん坊だったのは間違いない」
これは嘘ではない。
魔獣術で生まれたセトだったが、その時から甘えん坊……いや、より正確にはレイに懐いていたのは間違いなかった。
身体は今よりも小さかったが、それでも十分に大きなセト。
とはいえ、魔獣術で生み出された日から考えると、まだ数年だ。
つまり、まだ年齢的には子供だろう。
(あ、でも犬とか猫は人間換算とかしてるのをTVで見たことがあるし、そう考えればセトも実は……ないか)
セトの甘えん坊ぶりを考え、レイはすぐに自分の考えを否定する。
「グルゥ?」
そんなレイに、セトがどうしたの? と喉を鳴らす。
レイはそれに何でもないと言い、ミスティリングから肉屋のサンドイッチを取り出す。
「ほら、これが俺とセトのサンドイッチだ。セトはどれから食べる?」
「グルゥ……グルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは真っ先に煮込んだ肉の挟まっているサンドイッチをクチバシで咥える。
レイはその隣にある、こちらも煮込んだ肉のサンドイッチを手に取った。
煮込んだという意味では双方共に同じなのだが、レイが手に取ったサンドイッチは辛味の強い野菜が茹でて、パンと肉の間に挟まっていた。
何となく……本当に何となくだが、豚の角煮に茹でたチンゲン菜がトッピングされているのを思い浮かべた。
チンゲン菜は辛味などはないのだが。
「わぁ……これ、美味しいですね。もっと脂っこいかと思ったら、全然そんなことがなくて」
こちらは蒸した肉を甘酸っぱいソースで和えたサンドイッチを食べたジャニスの感想。
ベリー系のソースを使っているのだが、その酸味が蒸した肉に合っており、ジャニスの舌を楽しませる。
そうして三人、既に暗くなった庭でサンドイッチを楽しむ。
「ちょっと暗いですけど、こういうのもいいですね」
「……明かりを出すか?」
レイやセトは夜目が利くので、このくらいの暗さは全く影響がない。
だが、ジャニスはただのメイドでしかない。
メイドとして有能なのは間違いないが、だからといって夜目が利くといった訳でもなかった。
だからこそ、レイはそう聞いたのだが……
「いえ、問題ありません。たまにはこういう暗い中で夕食を楽しむのも悪くないですから。……あくまでも、たまにはですからね」
そう言うジャニスに、レイはサンドイッチを食べつつ、セトを撫でながら頷くのだった。