3668話
「さて、そろそろいいか。……けど、結局あの二人がこっちに戻ってくることはなかったな」
肉屋の中で、ニラシスがそう言う。
既にこの店で食べ始めてから、二時間近くが経っている。
レイ達が最初に店に来た時は夕方までまだ少し時間があったので、店の中にいる客も少なかった。
しかし、今となってはもう多くの客が肉屋にやってきて、食事をしていた。
特にレイ達は扉のすぐ側の席なので、店の中に入ってきた者達が非常に分かりやすい。
……ただ、レイをレイだと認識出来る者が結構いたのだけは少し意外だったが。
もっとも、それはドラゴンローブの隠蔽の効果が見破られた訳ではない。
店の前にはセトがいて、それをニラシスのパーティメンバーの二人がずっと可愛がっているのだ。
そして店の中ではニラシスのいる席に、ドラゴンローブの効果で一見するとレイには見えない人物。
ニラシスのパーティを知っている者達にしてみれば、幾らそうとは思えなくても、それがレイであると予想するのは難しくない。
ただ、ニラシス達のパーティもガンダルシアにおいてはそれなりに有名なパーティだ。
そんなパーティと一緒にいる以上、レイに迂闊に声を掛けられる者は少ない。
……それでも何人かそのような者はいたのだが、そのような者達はレイに視線を向けられると何かを感じたのか、それ以上何も言わなかった。
結果として、レイは特に何も問題はなく食事を楽しむことが出来たのだ。
ニラシスが口にしたように、女二人はずっとセトの場所にいたので、男四人での食事となったが。
「それだけセトを可愛がってくれているってことだろう? なら、俺としては不満はないな」
「……セトを可愛がりすぎて、嫌がられてないといいけど」
「ギルムでの生活を思えば、そのくらいは別にどうということはないと思うぞ。幸い、ギルドの前の時とは違ってセトを狙ってくるような奴は誰もいなかったようだし」
レイ達の席は扉のすぐ側である以上、もし表で何らかの騒動が起きていれば、すぐに分かった筈だ。
だが、特にそのようなことはなかったので、騒動は起きなかったか……あるいは起きても、あっさり終わるような小規模なものだと思っていたのだろう。
「あいつらよりも可愛がってる奴がいるのか……信じられねえ」
ニラシスの言葉に、他の二人の男も同意するように頷く。
ニラシス達にしてみれば、自分達の仲間があそこまでセトを可愛がっているのに、ギルムではそれ以上だと言われれば、驚くなという方が無理だった。
「ギルムは色々な意味で普通の場所じゃないしな。……辺境と呼ばれているのは伊達じゃないんだよ」
そんなレイの言葉をギルムにいる冒険者が聞けば、それは違うと多くの者が声を揃えて言うだろう。
ギルムは辺境というのは間違いないものの、それとセトの件は別だと。
「ギルムって凄いんだな」
とはいえ、そのように言う者はここにはいない。
結果として、ニラシスはレイの言葉を直に信じることになるのだった。
「セトちゃん……また、会える時を楽しみにしてるわね」
「また一緒に遊びましょうね」
ニラシスの仲間の女二人は、心の底からセトと別れるのを寂しがっていた。
それは一見すると恋人と別れるように……あるいはそれ以上に辛そうなようにすら思える。
(あの二人、そのうちギルムに来たりしないよな?)
ギルムでもセト好きとして有名なミレイヌやヨハンナと比べると、今はまだそこまでではない。
だが、ニラシス達に引っ張られていく様子を見ると、もしかしたら……とも思う。
セト好きが高じて、セトを可愛がりたいが為だけにギルムに来てもおかしくはないだろうと。
セトに乗って移動するといった特殊な移動方法でなく、普通に地上を移動するのであれば、ガンダルシアからギルムまで移動するのはかなりの時間が掛かる。
だが、セトに対する執着を思えば、そのくらいのことはしてもおかしくはなかった。
「グルルルルゥ」
離れていく……より正確には連れ去られていく二人の女に向けて、セトがばいばいと喉を鳴らす。
そんなセトを見ていたレイだったが、やがてニラシス達の姿が雑踏に消えたのを確認すると、セトを撫でながら声を掛ける。
「じゃあ、俺達もそろそろ帰るか。ジャニスにもお土産があるしな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
ちなみにこのお土産は、肉屋で売っているサンドイッチだ。
挟んでいる具は、肉屋の名前通り肉、肉、肉となる。
勿論、全てが別の肉だし、味付けや肉以外の一緒に挟んでいる野菜もそれぞれ違うので、肉を使ったサンドイッチではあるが、飽きずに最後まで食べられる。
……結構なボリュームがあるので、冒険者のように身体を動かす者ならともかく、そうでない者にしてみれば、食べきれるかどうかは微妙なところだが。
そうなったらそうなったで、レイが預かってミスティリングに入れておき、また明日食べるといった選択もある。
なお、冒険者狩りの件の報酬は今日の食事で半分以上……いや、七割程が吹き飛んでしまった。
これを、報酬が思ったより少なかったと思うか、肉屋の料理が高い、あるいは食べすぎたと思うのかは、人それぞれだろう。
その料金については、レイも特に気にしてはいない。
元々金に拘るような性格ではないというのもあるし、ミスティリングに使い切れない金が入っているというのもある。
あるいは、何らかの理由で金が足りなくなったら、ニラシスに言ったように盗賊狩りをしてもいい。
そんな訳で、レイは特に金に拘っていないし、何より冒険者狩りについては半ば偶然だ。
そうである以上、それによって得た報酬はここで使い切っても全く問題がなかった。
(あ、でも明日はニラシスにマジックアイテム屋に連れていって貰う約束をしていたな。それなら少しは残しておいた方がいいのか?)
そう思うも、別にガンダルシアで稼いだ金でなければ使えない訳ではないのだからと、思い直す。
「それにしても、夕食は……まぁ、食べられないこともないけど、無理に食べるのもな。セトはどうだ?」
「グルゥ!」
大通りを歩きながら、レイはセトに尋ねる。
打ち上げ……という表現が正しいのかどうか、この場合は分からないが、とにかく肉屋で色々と食べた後だ。
家ではメイドのジャニスが夕食を作っているかもしれないが、それを食べられないのは悪いと思う。
(対のオーブとまではいかないけど、携帯とかそういうのがあればいいんだけどな)
道を歩きながらそんなことを考えていると、少し離れた場所から怒声が聞こえてくる。
「何だ?」
特に理由があった訳ではない。
ただ、何となく……それこそ気分によって、声の聞こえてきた方に行ってみただけだ。
すると……
「ふざけるなよ、ハルエス! 何でお前が弓なんか使ってるんだよ!」
ある程度近付いたところで、聞き覚えのある名前が聞こえてくる。
それによって、より興味を持ったレイは、その声の聞こえてきた方に向かうのだが……
「別にポーターだからって、弓を使っても構わない筈だ。というか、実際に他のポーターは弓とかを使ってる奴もいるんだから。……というか、そもそもの話、俺はもうお前とパーティを組んでいない。ソロで動いてるんだ。お前にどうこう言われる必要はないと思うが?」
「そ……それでも、元仲間なんだ。お前が最初に言っていたのと別の方向に進んでいるのを知ったら、それを注意するのは当然だろう!?」
「その心遣いはありがたいが、どうせならその心遣いを別の方向に使って、恋愛沙汰でパーティを解散させないで欲しかったんだが」
「ぐ……それとこれとは話が別だろう! 好きになったものは、仕方がない!」
そんなやり取りで、レイも何となく事情を理解出来た。
ハルエスが話している相手は、以前ハルエスが所属していたパーティリーダーだった男で、恋愛沙汰によってパーティを解散させたという人物なのだろう。
周囲でそんな二人のやり取りを見ていた者達は、そんな二人に……いや、男に対してヤジを飛ばす。
「いよ、モテるね兄ちゃん。でも、それでパーティを解散させるのは駄目だろう」
「いやいや、人を好きになる気持ちというのは止められない。いつの間にか、自分でも気が付かないうちに好きになってるんだ」
「へぇ……それがこの前私の友達とデートをしていた理由な訳?」
「っ!? い、いや、違う。俺が好きなのはお前だけだって」
「全く、金もないのに……多くの女を手に入れたいのなら、あんたも冒険者になって稼ぎなさいよね」
「あいつらみたいにか?」
「……いや、あれはちょっと」
男に対するヤジの他に、何か妙なドラマもあったが。
寧ろレイは、そのドラマの方が気になっていたのだが……その間にも、ハルエス達の言い争いは続いている。
「だから、純粋なポーターってのは、もっと深い階層ならともかく、浅い階層では役に立たないんだよ。冒険者育成校にいるポーターも、純粋なポーターだけじゃなくて、それ以外にも色々な仕事をしてるだろ? だから俺もそれに習っただけだ」
「けど、昔からの夢をそんなに簡単に捨てていいのか!?」
そんなやり取りを聞いていたレイは、最初どうするべきか迷っていたものの……ハルエスが弓を使うようになったのは、レイのアドバイスによるものだ。
そうである以上、ここで関係ない振りをするのもどうかと思い、セトと共に人混みを割るようにして移動する。
当然ながら、そうして割り込まれた周囲の見物人は不満そうな様子を見せるが、相手がレイ……より正確にはセトであると知ると、それ以上は何も言わない。
セトを引き連れている以上、それがレイだと分かる者もいれば、ただセトの存在に気圧される者もいる。
そんなやり取りの中でレイが見物人達の間を抜けると、そこにはハルエスと、十代半ばといった年齢の男の姿があった。
言い争い……いや、ハルエスに純粋なポーターになれと言っている男は、それに夢中になっている為か、レイの存在にも気が付かない。
ハルエスの方はそこまで熱くなってはいなかったのか、すぐにレイの存在に気が付き、助かったといった表情を浮かべる。
ハルエスも、目の前の男……元自分のパーティメンバーをどうしたらいいのか、困っていたのだろう。
「そこまでにしておけ」
「え? 何だよ、部外者が……」
しゃしゃり出てくるな。
そう言おうとした男だったが、声を掛けたのがレイであると知ると、それ以上は何も言えなくなる。
男も冒険者育成校の生徒だ。
当然ながら、レイが教官として働いてるのは知っている。
今はまだ男のクラスの模擬戦は行われていないが、それでも数日中にはレイは全てのクラスの模擬戦に参加する筈だった。
そういう意味では、男もレイとの模擬戦を楽しみにしていたのだろう。
そんな憧れの相手を前にして、男は何を言えばいいのか分からなくなる。
動きの止まった男に、レイは言い聞かせるように口を開く。
「ハルエスに弓を使ってみたらどうかと言ったのは俺だ。そして実際、ハルエスには弓の才能があった。……それこそ、場合によってはそっちを専門にしてもいいくらいにはな」
男はレイの言葉に咄嗟に反論出来ない。
まさかハルエスに弓を使わせるようにアドバイスをしたのがレイで、そのレイがこの場で出てくるとは思いもしなかったのだろう。
「なんで……そんなことを?」
数秒の沈黙の後、ようやく出た言葉がそれだった。
男にしてみれば、レイが何故そのようなことを口にしたのか、本気で理解出来なかったのだろう。
「何でと言われてもな。それがハルエスにとって成長に繋がると思ったからだ。……実際、俺が予想していたよりもかなり成長してるし」
これはハルエスに対するお世辞でも何でもなく、正真正銘の事実だ。
弓を使うように言って、その次の日にはもうある程度弓を使いこなせていたのだ。
レイも以前マリーナから弓の使い方を何度か教えて貰ったことがあるが、それなりに難しかった覚えがある。
勿論、レイの身体能力からすれば実際に練習をすれば相応に使えるようになるだろうとはマリーナも言っていたが。
ただ、レイは弓があまりしっくりこなかったというのも、この場合は大きいのだろう。
「それは……けど、ハルエスは最初は純粋なポーターになりたいと言っていたんだ。それなら。そちらの方で伸ばすべきじゃないんですか!?」
「希望と現実は違う。それはお前が分かってるんじゃないのか?」
「ぐ……」
レイの言葉に、男は反論出来なかった。
実際、恋愛沙汰でパーティが解散することになったのは間違いないのだから。
……もっとも、客観的に見た場合、ハーレムを築いているレイからそのように言われるのは、男としても納得は出来なかっただろうが。
せめてもの救いは、男はその辺りの事情を知らなかったことだろう。