3665話
レイの言葉に、最初アニタは何を言われたのか分からなかった。
「えっと、希少種の目撃情報ですか?」
「そうだ。俺は希少種を倒すのを趣味にしている……というのは少し違うが、それでも希少種を倒したいという思いがある。それだけに、ダンジョンで希少種と遭遇した者がいて、その情報を知らせてくれたら報酬を支払うといったような依頼は出来ないか?」
「それは……うーん、難しいですね。そういう依頼が出来るかどうかと言われれば、出来ます。ですが、そのような依頼を出すと、それこそ楽をして金を稼ぎたいと思う人が嘘の情報を教えるということになりますよ?」
「だろうな。希少種というのは、その魔石や素材も高く売れる。もし希少種と遭遇した冒険者がいても、自分達で倒しておいてからその情報をレイに知らせる……もっと酷いのになると、見てもいない希少種の情報を持ってくる可能性もある」
レイと受付嬢の話を聞いていたニラシスは、そう助言をする。
ニラシスがそのようなことをしようとは思わないが、冒険者の中には質の悪い者もいる。
ましてや、普通ならレイを……深紅の異名を持つ者を騙すといったようなことはしないだろうが、希少種の情報となれば話は別だ。
いない希少種の情報をレイに知らせ、それを聞いたレイが情報で聞いた場所に行っても希少種と遭遇しないのは、希少種という存在故に誰か他の者に殺されたから。
そう言われれば、レイも嘘の可能性が高いと思いつつも、否定は出来ないだろう。
事実、ニラシスが言ったように希少種の魔石や素材というのは高額で取引されているのだから。
「そうか。……いい方法だとは思ったんだけどな。なら……希少種の情報を聞いて、俺がその希少種を倒した場合だけ報酬を支払うとかには出来ないか? それなら嘘の情報が来ても問題ないだろう」
「そうですが、その場合は毎回レイさんが確認に行く必要がありますよ?」
アニタの言葉に、それも面倒かという思いをレイは抱く。
ただの見間違いでそのような情報を知らせるのならともかく、レイの存在が気に食わないという理由で、嘘の情報を報告する者もいるかもしれないのだ。
「なら、難しいか?」
「そうですね。難しいと思います。レイさんがそういう労力を使ってもいいのなら、構いませんが」
「そこまで暇じゃない」
「ですよね」
「だよな」
レイの言葉に、アニタとニラシスの両方が揃ってそう言う。
実際、レイは冒険者育成校の教官としての仕事だったり、ダンジョンに潜ったりと、やるべきことは多い。
それ以外もマジックアイテムを売っている店を見て回ったり、セトと一緒に遊んだりといった具合にやるべきことはあった。
だからこそ、あまり労力を使わないで希少種の情報を集められたらと思っての提案だったのだが、その提案によってよりやるべきことが増えるのは、レイにとって決して望ましいことではない。
「諦めるか」
「そうした方がいいかと。ただ……そうですね。私も何かいい方法がないか少し考えてみます」
アニタにしてみれば、レイとの関係は友好的にしておくに越したことはない。
以前の約束でギルドが何らかの危機に陥った時、具体的にはダンジョンからモンスターが溢れてきた時を想定してのものだったが、その時はレイの力を借りられるという約束は取り付けてある。
しかし、そのような何かがあった時でも、レイと友好的かどうかで大きく結果は変わるだろう。
かなり極端な例ではあったが、例えば敵対している相手……今のガンダルシアだと、アルカイデやその取り巻き達が危険に陥ったから助けて欲しいとレイに頼んでも、レイがそれを積極的に引き受ける筈もない。
あるいは前もって何らかの約束をしており、どうしても助けなくてはならないとしても、その際にやる気かどうかは微妙なところだろう。
そんな訳で、助ける側と助けられる側の感情というのは、表には出ないものの、かなり重要なことなのは間違いなかった。
だからこその、アニタの提案だった。
そんなやり取りを側で見ていたニラシスは、何かを言いたそうにしていたものの、実際に何かを口にするよりも前に、アニタに鋭い視線を向けられ、それ以上は何も言うことが出来ない。
この件については、自分が関わるようなことではないと判断したのだろう。
寧ろここで自分が下手に口を出した結果、それが理由で面倒なことになったらパーティメンバーに文句を言われるといった思いもあったのだろう。
そんな訳で、結果としてこれ以上何かを言うようなことはなかった。
「とにかく希少種の件については色々と考えておきますね。……ちなみにですが、希少種の死体をレイさんが買い取るとか、そういうのは駄目なんですか?」
「駄目だな」
アニタの言葉を、レイは即座に否定する。
「理由はちょっと言えないが、あくまでも俺が希少種を倒す必要があるんだ」
魔獣術の条件の一つが、どんなに少しでもいいので、レイやセトが戦闘に参加するというのがある。
魔力的な意味で繋がりを作る必要があるのだ。
だからこそ、レイやセトが倒したり、戦いに参加していない場合……レイやセト以外の誰かだけで希少種を倒した場合、その死体を持ってきても魔石を取り出して魔獣術に使うことは出来ない。
とはいえ、魔獣術について説明することが出来ない以上、ある程度は誤魔化す必要があるのも事実。
「そうですか。分かりました。一応聞いてみただけですので」
アニタは特にその辺りの事情に突っ込むようなことはしなかった
アニタにしてみれば、冒険者というのは何らかの秘密を抱えている者も多い。
レイもまた、その一人だという判断しただけなのだろう。
ここで迂闊にレイの事情に首を突っ込んだりすれば、それによってレイの機嫌を損ねてしまうかもしれない。
いざという時のことを考えれば、受付嬢のアニタにそのようなことが出来る筈もない。
そんなアニタの態度は、レイにとっても正解だったらしい。
「分かった。じゃあ、そういうことで頼む」
アニタの言葉に、特に機嫌を悪くしたりはしていない様子のレイがそう言う。
ニラシスもそんなやり取りを見ていて、お互いに何を考えているのかは大体分かるものの、下手に口出しをしたりはしない。
「話は終わったか? こっちの用事も終わったし、レイの用事ももう終わったのなら、仲間も待たせてるし、そろそろ戻ろうと思うんだけど。報酬を頼む」
「あ、はい。ニラシスさん、今日の依頼はありがとうございました。こちらが報酬となります」
アニタがニラシスに報酬の入った袋を渡す。
報酬そのものは、そこまで高い訳ではない。
何しろ今回の一件はあくまでも五階での出来事なのだから。
その報酬を受け取ったニラシスは、それをそのままレイに渡す。
「これはレイが貰ってくれ。俺達は今回本当に何もしてないし」
「そう言われても……いいのか?」
「構わない。こんな状況で俺達が報酬を貰ったら、それこそみっともないと周囲に思われるし、自分達でもそんな風に思ってしまう。そうならないようにする為には、この報酬はレイが貰って欲しい」
「……まぁ、そう言うのなら俺としては構わないけど」
レイは別に金に困っている訳ではないが、それでも金をくれると言うのなら、それを貰うのに躊躇はしない。
とはいえ、それでもこのままというのもどうかと思うので……
「今日、俺とセトが五階まで到着した祝いをこれでやらないか? どうせなら、この金は使い切ってしまおう」
「それは……いや、こちらとしては嬉しいけど、本当にいいのか?」
まさかレイからこのような提案をされるとは思ってもいなかったのだろう。
ニラシスは驚きの声を上げる。
だが、レイにしてみればこの程度の金額はどうしても欲しい訳ではない。
どうせなら、ここで全て使ってしまった方が後腐れがなくていい。
「いいんだよ。ただ、条件としてセトが一緒に食べられる……店の中に入れなくても、きちんとセトにも料理を出してくれる店を紹介して欲しい」
昨日ハルエスとダンジョンに来た時も打ち上げをしたが、その時は店ではなく屋台でだった。
まだ学生……それも専門のポーターで、パーティが解散してソロのハルエスにしてみれば、しっかりとした店というのは資金的に厳しかったのだろう。
しかし、ニラシスは教官として冒険者育成校に雇われているという時点で優秀な冒険者なのは間違いない。
であれば、ハルエスが行ったことがないような……それこそ従魔が一緒でも歓迎してくれるような店の心当たりがあっても、おかしくはない。
そう予想したレイだったが、ニラシスは笑みを浮かべて頷く。
「分かった。じゃあ、御言葉に甘えさせて貰うよ。それに……それを断ったら、うちの女達に何を言われるのか、分かったものじゃないし」
「あー……うん。そうだな」
ニラシスの仲間の女二人は、この短時間でセトをもの凄く可愛がっている。
まさにゾッコンという表現が相応しいくらいだ。
もしレイがセトも一緒に食事を出来るような店で食事をしないかと誘ったのに、それを断ったと知られたら……
そう思うだけで、ニラシスの顔色は青くなる。
レイもセトの可愛がりようから、何となくそういう風になるのだろうというのは分かっていたので、ニラシスの様子を見ても特に責めたりといったようなことはしない。
寧ろ納得するだけだ。
「分かって貰えたようで嬉しいよ。それで、セトはどういう料理が好きなんだ?」
「どういう料理というか、肉は好きだな。勿論野菜や魚とかそういうのも嫌いって訳じゃないけど、それでもやっぱり一番好きなのは肉だ」
「肉か。それなら色々と美味い料理を出す店はあるな」
冒険者に限らず、大抵の者は肉を好む。
中には肉がどうしても好きでないという者もいるので、全ての者が確実に肉を好きという訳でないのは、レイも分かっている。
しかし、レイもセトも肉が好きなのは間違いない。
「じゃあ、そういう美味い肉料理を出す店で、セトも食べられる店を選んでくれ」
「そうなると……肉屋だな」
「……おい? 俺が食いたいのは肉料理であって、食材としての肉を欲してる訳じゃないぞ?」
肉屋と口にしたニラシスに、レイは半ば反射的にそう告げる。
「あはは、違いますよ、レイさん。肉屋というのは通称で、正確には……肉料理自慢の店、でしたっけ?」
レイの疑問に答えたのは、ニラシスではなくアニタだった。
カウンターの近くで話をしていたので、その会話はアニタにも筒抜けだったのだろう。
「そうそう、それで通称肉屋と呼ばれているんだ。肉料理に拘りのある店だから、ダンジョンで倒されたモンスターの肉を使った料理が美味いんだよ。その店でいいか?」
「分かった、そこでいい。話を聞く限りだと、外れではなさそうだが」
「……店主の作った料理の中にも外れはあるけどな」
「あるのか?」
「あるんだよ。何でその肉を使うのかってような料理が。まぁ、そういう試作品は安いし、美味い料理の可能性もあるから、金に余裕がないけど美味い料理を食べたいと思う奴が注文したりするんだけどな。その店で普通に食えるだけの収入がある奴なら、余程の変わり者じゃない限り、そういうのは注文しない」
「注文しなければ不味い料理が出て来ないのなら、俺としては問題ない。じゃあ、その肉屋に案内してくれ」
そう言うレイの言葉にニラシスは頷き、アニタに短く挨拶をしてからレイを先導するようにしてギルドを出る。
レイはそんなニラシスの後を追い……
「うん。まぁ、こうなるのは何となく予想していた」
ギルドを出たレイの目に入ってきたのは、何人かに愛でられているセト。
そしてセトから少し離れた場所では、こちらも何人か気絶して地面に倒れている者がいる。
(問題なのは、あれをセトがやったのか、それともセトを可愛がっている奴がやったのか。……セトがやったのなら、場合によっては俺が警備兵とかに事情を説明したりする必要があるが。そうなると、肉屋に行けなくなるかもしれないな)
そう残念に思っていると、パーティメンバーから話を聞いたニラシスが戻ってくる。
その表情には残念そうな色はなく、寧ろ呆れの色が強い。
これなら、もしかしたらセトの問題ではないのか?
そう思いつつ、レイはニラシスに声を掛ける。
「あの倒れている連中は?」
「セトがここにいるのに不満で、自分達が倒してやると言ったらしい。それをセトと遊んでいる連中に防がれ、気絶したとか」
「それは、また……」
セトが手を出していないことを喜ぶべきか、それともセト愛好家の過激さに驚くべきか、
レイはどう反応すればいいのか迷うのだった。