3659話
レイを攻撃しようとした、二人の男。
そんな男達が隠れていた茂み。
その茂みから飛び出てきたのは、大剣を持った黒い肌のオークだった。
レイが捜していた、オークの希少種に間違いない。
そのオークの希少種は、目の前にいる二人の男に向かって大剣を振るう。
二人の男はレイの存在だけに意識を奪われていた為に、背後から姿を現したオークの希少種の存在に気が付かなかった。
あるいは気が付いても、明らかにオークの希少種の方が動きは素早かったので、対処出来たのかどうかは分からない。
結果として、二人の男のうち弓と短剣を武器にしている男は真っ先に胴体を切断され、長剣を持っていた男も胴体の半ばまで切断され、そのまま地面に崩れ落ちる。
この二人も、五階まで来ることが出来るだけの実力を持つ……つまり、ガンダルシアにいる冒険者の中でもそこそこの実力の持ち主なのは間違いない。
現在久遠の牙が攻略している十八階や、マティソン達が攻略している十五階といったような深い階層まで行く実力はないが、それでもガンダルシア全体でみればそれなりの実力があるのは間違いなかった。
しかし、オークの希少種はそんな二人の冒険者を、背後からの不意打ちであっても瞬く間に殺したのだ。
そういう意味では、オークの希少種というだけのことはあるだろう。
(そもそもあの大剣はどこで手に入れたんだ? 普通に考えるのなら、やっぱりあのオークの希少種が倒した冒険者が持っていた大剣とかなんだろうけど)
レイは血や体液に濡れた大剣を手に自分を見ているオークの希少種を眺めつつ、そんな風に思う。
オークの希少種も、最初に倒した二人とは違い、レイはそう簡単に倒せる相手ではないと判断したのだろう。
すぐに襲い掛かってくるようなことはなく、様子を見ている。
「さて」
ピクリ、と。
レイの言葉を聞いたオークの希少種は即座に反応する。
レイの言葉の意味を理解している訳ではないのだろうが、レイが何かを言ったというのは理解出来たのだろう。
それだけを見ても、希少種だけあって普通のオークよりも賢いことは分かる。
(希少種……なんだよな? 実はオークの上位種とか、そういうことはないよな?)
これが黒い肌をしていなければ、普通のオークと認識出来る。
だが、希少種とはいえ普通のオークと外見が違いすぎるのも事実。
そうなると、もしかしたらオークの上位種ではないかと一瞬だけそんな風に思うレイだったが、すぐにその意見を否定する。
……いや、正確にはオークの希少種であろうが上位種であろうが、倒すのは変わらないと判断しただけだ。
「行くぞ」
自分の言葉を理解出来るとは思っていないが、それでも何も言わずいきなり攻撃をするのはどうかと思い、そう一声呟いてから、一歩を踏み出す。
そんなレイの行動に反応し、オークの希少種は大剣の切っ先をレイに向け、地面を蹴ってレイとの間合いを詰める。
大剣を振るうのではなく、大剣による突き。
周囲に木々がある中でレイを攻撃するのは、これが最適だと判断したのだろう。
あるいは頭で考えてそうしたのではなく、モンスターとしての本能に動かされての行動かもしれないが。
大剣の切っ先でレイの身体を貫こうとしての行動だったが……
「ペネトレイト」
手首を回転させ、デスサイズの石突きをオークの希少種に向け、スキルを発動。
放たれた石突きによる突きは、大剣に触れたかと思うと、次の瞬間にはその大剣をあっさりと砕き、それでも威力が弱まるようなことはなく、石突きの先端がオークの希少種の頭部に命中し……
「おっと!」
石突きがオークの希少種の頭部を砕いたところで、レイは慌ててデスサイズを手元に戻す。
現在のペネトレイトはレベル七だが、レベル五になった時から螺旋状に周囲を削る追加効果が付与された。
いわゆる、ドリルによる一撃とレイは認識している。
そんな一撃だけに、頭部を破壊した後でまだデスサイズをオークの身体に触れさせたままにしておくと、その身体には余計なダメージが与えられてしまう。
オークはただでさえ、そのランク以上に美味い肉を持つが、この黒い肌のオークは希少種だ。
そうなると、普通のオークよりも肉の味は上の可能性が高い。
レイはだからこそ、その身体の肉が少しでも傷つかないように、ペネトレイトで頭部を砕いた瞬間にはデスサイズを引き戻したのだ。
頭部を失ったオークの希少種は、そのまま地面に倒れ込み……
「うげ」
それを見たレイの口から、そんな声が上がる。
当然だろう。頭部を失ったオークの希少種の死体が倒れ込んだ先には、レイを襲った二人の男の死体があったのだから。
例えばこれが、首の骨を折られて死んだ死体であれば、特に問題はなかっただろう。
しかし、オークの希少種が持つ大剣によって胴体を切断され、あるいは半ばまで切断された……つまり、二人の男の内臓や体液といったものが地面に撒き散らかされていたのだ。
オークの希少種の死体がそんな場所に倒れ込んだのだから、レイの口から嫌そうな声が上がるのは仕方がなかった。
とはいえ、やってしまったのは仕方がない。
レイは大きく、深く、心の底から息を吐き、デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納すると、オークの希少種の死体の足首を持ち、その場から移動する。
(死体の臭いから、モンスターが集まってくるかもしれないな。もっと離れておくか)
出来れば内臓や血、体液まみれの死体に長く触れていたいとは思わなかったが、ここでモンスターがやって来ると面倒なことになる。
そう判断したレイは、ある程度の距離を取るべきだろうと判断して離れる。
不幸中の幸いか、足を持って引っ張る……つまり、オークの希少種の身体が地面に触れることによって、多少ながらもその身体に付着していた内臓や血、体液がなくなる。
そうして五分程移動すると、次に流水の短剣を取り出し、その水でオークの希少種の死体を洗う。
一度でもレイが流水の短剣から出した水を飲んだことがある者がこの光景を見れば、一体何をしているのかと激高してもおかしくはない。
レイの魔力によって流水の短剣から生み出された水は、天上の甘露と表現するのが相応しい味だ。
それだけに、そんな極上の水でオークの身体を洗うとは何事かと、そのように思ってもおかしくはない。
レイはそれを予想出来たものの、そうなったら、それはそれで仕方がないと思うだけだ。
この場に他に何か身体を洗う水があれば話は別だが、他には何もない。
レイは流水の短剣があるので、それを使えばいつでも水を……それも極上の水を出せる為に、他に水の入った樽といった物はミスティリングに収納されていない。
果実水の類はあるが、さすがにそれで死体を洗うのは駄目だろうとレイは判断する。
後は、自分で飲むのではなく、贈り物であったり、食事の時に自分以外飲むのであったり、あるいは料理に使う為の酒もあるが、それで洗うのもどうかと思う。
(あ、でも酒で洗うというのは何かの料理漫画で見たことがあるような……いや、それは違うな。あれは死体を洗うんじゃなくて、切り身になった食事を酒で洗うとか、そんな感じだった筈だ)
結局のところ、レイの魔力があれば幾らでも出てくる流水の短剣こそが一番使い勝手がいいのだ。
そうして死体を洗っていたレイだったが……
「ん?」
首の部分……肉片と化した頭部のあった場所を見ると、そんな声が出る。
流水の短剣の水でよくその傷口部分を洗うが、そこからは未だに血が流れ続けている。
ここまで引きずってくる間に首からの血が流れ出た筈だが、それでもまだ身体の中に血は残っているのか、血が流れ続けていた。
それでも水で洗って血に勢いが多少なりとも弱くなったところ見えた肉が……黒かったのだ。
このオークは、黒い体色をしている。
だが、今までにも身体の色が赤や青、緑といったモンスターと戦ってきたが、それらも皮膚はそういう色だが、肉は普通の色だった。
しかし、このオークの希少種は肉までもが黒いのだ。
「えっと……何だったか……ああ、烏骨鶏か」
レイが日本にいる時、父親が鶏を飼っていた。
基本的には闘鶏用の軍鶏だったが、それ以外にも比内地鶏であったり、烏骨鶏といったような肉の美味い鶏も飼っていたのだ。
そして鶏を絞めて肉にする時、レイも手伝うことがあった。
そんな手伝いの中で、烏骨鶏の肉が真っ黒だったのを見たことがある。
それこそ比内地鶏や軍鶏は普通の……ピンク色や白い部分が多いのに対し、烏骨鶏は本当にその肉が黒いのだ。
鍋にした時も、味は美味いのだが、肉が黒いので料理の外見的にはかなり微妙だった思いがある。
(そう考えると、この肉も普通のオークの肉よりも美味いのか? だとしたら、当たりだな。……問題は、烏骨鶏と同じく外見をどうするかだけど……まぁ、俺とセトが食う分には問題ないか。そして誰かに食べさせる場合は、その誰かに料理をして貰えば……多分、本当に多分だけど肉の色もどうにかなると思う)
半ば自分に言い聞かせる。
見た目は悪いが、そういう肉だと認識すれば悪くないだろう。
「血は……まぁ、ドワイトナイフを使うのなら、その辺は気にしなくてもいいか」
取りあえず死体の表面に付着していた、内臓や血、体液を洗い流したのを確認すると、レイは流水の短剣と入れ替えるようにドワイトナイフを取り出す。
魔力を込めて、その切っ先をオークの希少種の死体に突き刺し……すると眩く輝き、そして光が消えるとそこには大量の肉と皮、睾丸、爪……そして魔石があった。
なお、睾丸と爪は試験管に入れられている。
「やっぱり肉がメインか。……というか、睾丸はともかく、爪?」
オークの睾丸が精力剤の類として使えるのは、レイも知っている。
だが、爪というのはレイにとっても少し意外だった。
この爪をどのように使うのかはレイにも分からない。
分からないが、それでもドワイトナイフによってこうして残っているのを思えば、錬金術師のような専門家にとっては何らかの使い道はあるのだろう。
このまま出しておいても意味はないと判断し……それどころか、何らかのモンスターが襲撃してきた結果、使い物にならなくなる可能性もあるので、ミスティリングに収納しておく。
最後に残ったのは、大量の肉と魔石。
……ただし、それはあくまでも人にしてはの量だ。
レイやセトにしてみれば、結構な量があるが、そう遠くないうちに食べきってしまうだろう、百kg近い肉。
(自分で解体した場合、ミスとかで肉が綺麗に全部確保するのは難しい。そういう意味でも、ドワイトナイフはやっぱり便利だよな)
もし解体の技量が上がり、瞬く間に解体することが出来るようになっても、ドワイトナイフのように一瞬でとはいかない。
そういう意味では、解体についてはドワイトナイフがあれば十分だろうとレイは思う。
もっとも、このドワイトナイフも使い続けていればやがては壊れる。
もしくは、何らかの理由でドワイトナイフで解体出来ないモンスターがいる可能性もある以上、解体の技量はある程度磨いておく必要があるのだが。
もっとも、ある物は使えばいいというのがレイの考えだ。
このドワイトナイフも、折角ダスカーから貰ったのだ。
そうである以上、それを使わないという選択肢はレイの中にはなかった。
「もしこれが壊れたら、また作って貰えばいいし。魔導都市オゾスだったよな。……あれ? 何か、こう……」
魔導都市オゾス。
それを口にした瞬間、レイの中に何か……それこそ、一種の疑問が浮かび上がる。
だが、その疑問について考えたところで、すぐにそれよりも目の前にある黒い肉をいつ食べるかということに考えが向いてしまう。
レイの中では、自分の思考に特に疑問はない。
しかし、もしレイが客観的に今の光景を見ていれば、恐らく……いや、間違いなく何故そうなるのかと、疑問を口にするだろう。
レイ本人はそのようなことに全く違和感を覚えていなかったが。
「肉もそうだけど、魔石もな。セトに使うべきか、デスサイズに使うべきか。……迷う」
この黒い肌――肉もだが――のオークは、レイにとっても初めて遭遇する未知のモンスターだ。
恐らくはオークの希少種だとは思うものの、あるいはオークの上位種という可能性も捨てきれない。
もっとも、どちらにしたところでレイにしてみれば一匹程度は倒すのも難しい相手ではない。
実際、ペネトレイトを使ったところ、その一撃で黒い肌のオークは死んだのだから。
……少しだけ残念だったのは、黒い肌のオークが使っていた大剣もペネトレイトをつかった結果破壊されたということか。
そんな風に考えていたレイは、こちらに近付いてくるセトの気配を察知し、そちらに視線を向けるのだった。