3654話
「これは、また……」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトもまた素直に驚きの鳴き声を上げる。
男から受け取った果実は、一階で採れた果実とは別物かと思うくらいに甘かったのだ。
……果実の形も色も違うので、別物かと思うくらいという表現は間違っている。
実際に別の果実なのは間違いない。
それでも一階の果実とは比べものにならない程に甘い。
もっとも、それでも普通の……それこそレイが日本で食べ慣れていた果実と比べると、まだ甘みは劣る。
劣るのだが、それでもやはり一階の果実とは比べものにならない程、甘かったのだ。
「どうです? 甘いでしょう?」
レイとセトの果実を渡した男が、自慢げに言う。
最初こそ、レイとセトの存在に気圧され、怖がっていた男だったが、自分の渡した果実を食べて驚き、美味そうにしているのを見ると、レイやセトに感じていた恐れも大分気にならなくなったらしい。
「ああ、一階の果実を食べたけど、甘みがないって訳じゃなかったが、かなり薄かった。どちらかと言えば、甘い……か? というのが正直なところだったが、この果実ははっきりと甘いな」
「そうでしょうね。そのお陰で、地上でもそれなりの高値で買い取って貰えるんですよ」
「一階の果実もそれなりの値段で買い取って貰えると聞いたが?」
「それなりの価値が違います。一階の果実は、あくまでも小遣い稼ぎ的な意味でのそれなりですが、この三階の果実は、最低限の生活が出来る程度の値段という意味でのそれなりですから」
その説明に、レイはなるほどと納得する。
納得するが……そのような稼ぎで生活している者を冒険者と呼んでいいのかとも思う。
もっとも、冒険者の定義というのが正式にある訳ではない以上、この男達も冒険者で間違いないのかもしれないと思うが。
(一応ダンジョンに潜って、そこにある木から果実を採取して、それを売った金で生活している……と表現すれば、冒険者っぽく思えないことがないでもないか?)
自分の中で半ば強引にそう結論づける。
冒険者だからといって、必ずしもモンスターと戦わなければいけない訳でもない。
ギルムにおいても、街中だけで出来る依頼だけを受けるという冒険者もいない訳でもないのだから。
そういう意味では、目の前の果実の採取で生活している者達もきちんと冒険者なのだろうと思っておく。
「さて、じゃあ果実も美味かったし、俺達は行くよ」
「そうですか。深紅のレイさんなら問題はないと思いますが、モンスターには気を付けて下さい」
「この三階のモンスターはそれなりに興味深い奴もいたしな。……ああ、そうだ。四階に続く階段の場所って分かるか?」
「え? ええ。なんでしたらお教えしますけど」
「頼む」
男にしてみれば、四階に続く階段はそこまで価値のある情報ではない。
それこそ、その辺にいる者達に聞いても、人によっては教えてくれるだろう。
だからこそ、男はレイに階段の場所を教えようかと言ったのだ。
……そう言った理由の中には、果実が美味かったのでここに残ると言われるとちょっと困るという思いもあったが。
「はい。えっと、大雑把に説明すると……向こうの方ですね」
そう言い、男はとある方向を指さす。
レイ達が来たのとは……ウィードアニマルを最初に倒してからここに来るまで走っていたのとは、全く違う方向を。
もしここの存在にセトが気が付かなかったら、恐らくレイ達は全く見当違いの方向に進んでいただろう。
とはいえ、ダンジョンの中も無限に広がっている訳ではない。
きちんと行動出来る範囲は決まっているので、延々と迷い続けるといったことはなかったと思うが。
「ただ、途中にはモンスターが出たり……いえ、レイさん達なら問題はないですね」
「そうだな。自分で言うのもなんだが、この階層の敵くらいなら問題ない」
寧ろ、レイとしては未知のモンスターなら幾らでも出て来て欲しいとすら思う。
そうなれば、魔獣術によってセトやデスサイズが成長するのだから。
「そうですか。とにかく向こうの方なので、頑張って下さい」
そうして男や他の冒険者達に見送られ、レイとセトは男の示した方に向かって走り出す。
当然ながら、レイはセトの背の上に乗ってだ。
(いっそ、この草原くらいの大きさなら空を飛んでもいいとは思うんだけどな。そうなれば、他の冒険者にぶつかったりとか、そういう心配はしなくてもいいし)
一階や二階よりも大分少なくなってきたとはいえ、それでも三階にはそれなりに冒険者がいる。
ウィードアニマルに襲われていた学生達のように、冒険者育成校の学生ですら三階に来ることは出来るのだ。
それも上位クラスの生徒ではなくても。
「グルゥ」
走っていたセトが、不意に喉を鳴らす。
すると前方に三人組の冒険者と、四人組の冒険者がいた。
合計七人の冒険者、
それだけであれば、特にレイも気にするようなことはなかっただろう。
だが、その冒険者達がお互いに向き合い、武器を構えているとなれば話は別だった。
(無視したいけど……それは不味いか)
レイの立場……異名持ちの高ランク冒険者という立場もそうだし、何より四人組はレイと同じくらいの年齢だったのが大きい。
つまり、冒険者育成校の生徒の可能性が高いのだ。
(取りあえず、ウィードアニマルに襲われていた連中じゃないのは間違いないな)
そんな風に考え、レイはセトの首の後ろを軽く叩く。
それだけでセトはレイが何を言いたいのかを理解し、速度を緩める。
すると、ある程度近付いたところでやがて冒険者達が言い争っている声がレイの耳に聞こえてきた。
「だから、こいつは俺達が倒したんだ! なら、所有権は俺達にあるのは間違いないだろ!」
「あのなぁ……そいつはどうみても瀕死の状態だっただろう? 俺達がそこまで弱らせたんだ。それなら、そのモンスターの所有権はこっちにあるに決まってるだろ」
そんなやり取りに、レイは面倒臭いところに……と思う。
三人組の、二十代くらいの冒険者達がモンスターと戦っていたが、大きなダメージを与えたところで逃げられた。
そのモンスターを四人組の冒険者達が倒したので、そのモンスターの所有権は自分達にあると、そう言ってるのだろう。
(こういうのは、どっちが正しいとかは、ちょっと微妙なところなんだよな)
どちらも正しく、どちらも間違っている訳ではない。
「グルゥ?」
どうするの? とセトがレイに向かって喉を鳴らす。
レイはそんなセトに向かい、冒険者達の前で止まるように言う。
セトはそんなレイの言葉に素直に従い、七人の冒険者達の側で止まる。
そうなると、当然ながら七人の冒険者達もレイの存在に気が付く。
「あ、レイ教官!」
四人組の冒険者のうちの一人が、レイを見てそう叫ぶ。
やっぱりなと思いつつ、四人の顔に見覚えがあったことに気が付く。
(三組の生徒だったか?)
一応模擬戦をした相手なので、ウィードアニマルと戦っていた三人とは違い、顔に見覚えがあった。
もっとも、多くのクラスと模擬戦をやっている以上、全員の顔を完全に覚えている訳ではないのだが。
そんな言葉に、三人組の冒険者達は露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
当然だろう。四人組が呼んだレイという名前。そして何より、グリフォンのセトに乗っているのを見れば、それが誰なのかは容易に想像出来る。
それこそ、少しでも真面目に情報を集めていれば、それが誰なのか分からない筈もない。
「深紅のレイ」
三人組のうちの一人が、小さく……だが周囲には聞こえるように呟く。
それを聞いた四人組は、自信に満ちた様子で口を開く。
「そうだ。この人は学校で教官をやってる深紅のレイだ。これでどっちが正しいのかは、すぐに分かっただろう?」
レイのことを強力な援軍と判断した男がそう言うが、それに対して三人組が何かを言うよりも前に、レイが口を開く。
「ちょっと待て。お前が俺の生徒だからって、別に無条件で味方をする訳じゃないぞ」
生徒だからという理由で無条件に味方をしたりしていたら、それこそレイがどのような面倒に巻き込まれるか分かったものではない。
そんなレイの言葉に喜びの表情を浮かべたのは、三人組の冒険者。
それに対して、四人組の冒険者はまさかこの状況でレイが知り合いの自分達の味方をしてくれないとは思わなかったらしく、驚きの表情を浮かべていた。
「まず聞きたいんだが、口論になっているのはそこにいるモンスターの死体の件だな?」
そう言い、レイは大きなウサギのモンスターの死体を見る。
大きなウサギのモンスターということで、レイが真っ先に思い浮かべるのはギルムにおいて秋から冬に掛けての名物でもあるガメリオンだ。
だが、このウサギのモンスターの死体は、大きいとはいえ、到底ガメリオン程の大きさはない。
平均的な犬と同じくらいの大きさだ。
額から生えている角の長さを考えると、実際にはもっと大きいだろうが。
人以上の大きさを持つガメリオンとは、同じウサギ型のモンスターでも格の違いは歴然としていた。
「そうです。俺達が倒したモンスターなのに、この連中が……」
「いや、だからこいつはもう致命傷を受けた状態だったんだよ。ほら、見ろ」
三人組の冒険者の一人が、倒れていたウサギのモンスターの死体を引っ繰り返す。
すると、そこには喉に斬り傷があり、そこから血が流れ出ている。
「なるほど」
喉の斬り傷を見れば、それが致命傷だというのはレイにも十分に納得出来た。
(恐らく、この喉の傷で勝ち目がないと知って逃げ出したところを、その先にいた四人組と遭遇して倒された……とか、そんな感じか?)
そう考えると、レイもどちらの味方をすればいいのか少し迷う。
冒険者育成校の生徒達が攻撃をしなくても、ウサギのモンスターはいずれ出血によって動けなくなり、死んでいた可能性もある。
しかし、同時に出血をしても逃げ延びていた可能性もあるのだ。
だとすれば、やはり逃げたウサギのモンスターを倒したというのは、一定の価値があるのは事実。
「そうだな。単純にこのウサギのモンスターの素材やら魔石やら諸々を売って、それで手に入れた金を半分ずつにするなり、人数で分けるなりすればいいんじゃないか?」
結局レイが口にしたのは、折衷案とでも呼ぶべきもの。
あるいは妥協の産物と呼ぶべきか。
それでもお互いに決定的に相手を恨むということはないと思う提案なので、レイとしてはそんなに悪くないと自分では思う。
実際にそれを提案された方が、それをどう思うのかはともかくとして。
「レイ教官がそう言うのなら……」
冒険者育成校の生徒は、レイの意見にそう言う。
言葉ではレイの言うことならと言っているものの、実際にはレイの提案については全く納得していないのが分かる。
だが、レイがこうして意見を出した以上、ここでそのレイの意見に従わないといったことをすれば、色々と不味い。
そう思って、レイの言葉に不承不承ではあるが、そう言ったのだろう。
「そっちはどうだ?」
生徒達が納得したのを見たレイは、次に三人組に視線を向ける。
するとこちらも、レイの言葉に素直に頷く。
「分かった。深紅のレイがわざわざ提案してくれたんだ。俺達には不満はない」
そう言う男が、本心から納得しているのかどうかはレイにも分からなかった。
ただ、生徒達のように不満を表情や態度に出すようなことはしていない。
この辺は年齢の差なのだろう。
「じゃあ、話は決まったな。……ちなみにだが、こうして話が決まった以上、俺がいなくなってからどっちか力ずくで……なんてことになったら、その時はこっちも相応の対処をさせて貰うから、そのつもりでいてくれ。まぁ、大丈夫だとは思うけど」
そう言いつつも、レイは念押しをするようにそう告げる。
一度話が決まったのに、それが不服としてレイがいなくなった後、力でどうにかする。
そのようなことをされると、レイの面子が潰れるというのもあるし、後々それが理由で面倒なことになるだろうと思ったからだ。
だからこその、念押し。
そんなレイの言葉の裏にある意味を読み取ったのは、三人組の方だった。
経験が長いだけに、その辺りについては十分に理解出来たのだろう。
四人組の生徒の方は、レイが何を言っているのか分からないといった表情を浮かべている。
この辺についてのやり取りについても、教えた方がいいのか?
そうも思ったが、その辺については模擬戦の教官である自分ではなく、座学の教師達が教えることだろうと判断する。
取りあえず後でマティソンにでも話しておけばいいだろう。
そう思いつつ、レイは話を続けるのだった。