3649話
「ん? ダンジョンに行くんじゃないのか?」
ダンジョンの前までやってきたレイ達だったが、ここまで一緒にやって来たセグリット達は、そのままダンジョンに向かわずギルドに向かおうとしていた。
それを疑問に思って尋ねると、セグリットは少し困った様子で笑う。
「その……資金的な余裕があまりないので。採取とか討伐とかの依頼があったら、それを受けようと思って」
セグリットのその言葉に、レイは納得する。
レイは盗賊狩りであったり、それ以外にも報酬の高い依頼を受けられるので、金に困るということは基本的にない。
だが、それはあくまでもレイだからだ。
冒険者になったばかりのセグリット達は、少しでも金を稼ぐ必要があるのは間違いなかった。
「村を出る時に、親から餞別として貰った金もありますけど、それは出来るだけ手を付けたくないですし」
「冒険者としては間違っていないな」
冒険者という仕事をしている以上、いつ何が起きるか分からない。
それこそ大怪我をして治療をする代金であったり、装備品を急に買わなければいけなくなったりしたり……それ以外にも、様々な理由から緊急に金が必要になることはあった。
そういう時の為に金を用意しておくというのは、冒険者として決して悪くはない。
……世の中には、冒険者としての活動で手に入れた金をその日のうちに全部使い切り、いざという時に金がなくて怪我を治せずに指の一本や二本、あるいは腕や足を失って冒険者としての活動が難しくなったり、武器を壊しても新しい武器を購入出来ず、本来の実力を発揮出来ないまま低ランクで燻る……といった者もいる。
そのような者達と比べれば、セグリットの判断は決して間違ってはいない。
「レイ教官にそう言って貰えると、嬉しいです。じゃあ、俺達はこれで。……って、いつまでそうしてるんだよ。ほら、早くギルドに行くぞ」
セグリットの言葉の後半は、レイではなくセトを愛でてた仲間の女達三人に向かってのものだ。
最初はセトを怖がっていた女達だったが、レイがセグリット達と会ってからのここまでの短い時間に、すっかりセトの愛らしさにやられてしまったらしい。
(これは三人がチョロいと考えるべきか、それともセトの愛らしさがそれだけのものであると考えるべきか。……ちょっと分からないな)
そんな疑問を抱くレイだったが、それを表情に出したりはしない。
もしそのようなことをすれば、それはそれで面倒なことになるだろうと思っていたからだ。
「セグリット、もう少し……もう少しだけお願い」
女の一人が、セトを撫でつつセグリットに頼む。
他の二人もセグリットに頼んだ女と意見は一緒なのか、懇願するような視線をセグリットに向ける。
だが……セグリットはそんな視線を向けられても、躊躇することなく首を横に振った。
「お前達がセトと遊んでいると、レイ教官がダンジョンに挑めないだろ」
その言葉が切っ掛けになったのか、三人の女達は渋々……本当に渋々といった様子でセトから離れる。
「あー、ほら。今すぐには無理だけど、近いうちに学校にセトを連れていくから、その時はセトと一緒に遊んでやってくれ」
そう言うレイだったが、レイがセトを学校に連れていくのは、模擬戦でセトと生徒達を戦わせる為だ。
今はこうして愛玩動物のような扱いを受けているセトだったが、その本質はあくまでもグリフォン……それもただのグリフォンではなく、多種多様なスキルを自由自在に使いこなす高ランクモンスターだ。
普通のグリフォンがランクAモンスターという扱いなのに対し、セトは多種多様なスキルを使いこなすということもあって、希少という扱いでランクS相当ということになっている。
そんなモンスターと模擬戦を行う以上、当然ながら生徒達に勝ち目はない。
ダンジョンの中でイレギュラー的に強力なモンスターと遭遇した時、あるいは何らかの理由で絶望している時に、以前セトのような圧倒的な強者と戦っていれば、その戦いに比べたら強力なモンスターも絶望も、どうということはないと、そのように思えるようにする為だ。
そのような目的でセトを連れていく以上、三人の女達が模擬戦をした後でセトを愛でられるかは……微妙なところだろう。
もっとも、そのようなことがあってもミレイヌやヨハンナのような本当の意味でのセト好きなら、模擬戦をした後でもセトを愛でられるだろうが。
そんなことを考えている間に、三人の女がセトから離れる。
「じゃあ、レイ教官。その……うちの仲間がすみませんでした」
「気にするな。セトを愛でたいと思う者は多いしな」
レイの言葉に、話を聞いていた女達はほら見ろといった視線をセグリットに向ける。
しかし、そんな視線を向けられてもセグリットは怯むことなく口を開く。
「あのなぁ……セトを愛でたいからといって、レイ教官の邪魔をするようなことをしたら、それこそセトに嫌われるんじゃないか?」
そう言われると、女達は不満そうにしながらもそれ以上は何も言わない。
仲間の女三人を見たセグリットは、大きく息を吐いてからレイに向かって頭を下げる。
「すいません、レイ教官。面倒をお掛けして」
「気にするな。セトが愛らしい存在なのは間違いないしな。それこそギルムにいる時から、セトは皆に愛されている。そんな連中にしてみれば、お前の仲間はまだまだだ」
「あ、あははは。……って、ちょっ、おい。何で残念そうなんだよ!?」
まだまだとレイに言われた仲間達が残念そうにしているのを見て、セグリットは思わず叫ぶ。
セグリットにしてみれば、別にそこは落ち込むところではないだろうという思いがあったのだろう。
「だって……」
女の一人が、不満そうに、そして残念そうに言う。
そんなやり取りを見ていたレイだったが、周囲に結構な人が集まってきたのに気が付く。
セトがいる時点で目立つのは避けられない。
それはレイにも分かっていたが、それでもこのまま多くの者達が集まってくるのは不味いか?
そう思い、レイはセグリットに声を掛ける。
「悪いな、セグリット。俺はそろそろ行く」
「あ、はい。分かりました」
まだ仲間の女三人と何かを話していたセグリットだったが、レイの言葉にそう返す。
三人の女達も、レイに向かって頭を下げる。
そしてレイはセトと共にダンジョンに入る。
「さて、二階までは真っ直ぐに行くぞ。階段の場所は覚えてるよな?」
ダンジョンに入ると、レイはセトの背に跨がりながらそう尋ねる。
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは勿論と喉を鳴らす。
それを聞いたレイがセトの首の後ろを軽く叩くと、セトはすぐに走り出す。
ただし、ダンジョンの一階……それも階段を降りてすぐの場所だ。
それなりに人は多いので、ある程度速度を抑えてだが。
また、セトも十分に注意して、他の冒険者達からある程度の距離を取って走る。
セトにとっては少し面倒なことではあったが、セトの身体の大きさを考えると、セトが走っている時に迂闊に触ってしまっただけで、相手を吹き飛ばす……それこそ、場合によっては体当たりといったように思われても仕方ない。
そうなると、その冒険者は怪我をしてしまう。
結果として、ガンダルシアにおけるレイやセトの評判が悪くなってしまう。
何だかんだと、セト好きを順調に増やしている今、わざわざそのようなことをしたいとはレイも思わない。
だからこそ、こうして人の多い場所を移動するには注意が必要だった。
(今はいいけど、セトが大人しい……基本的には大人しいと多くの者が知ったら、中にはこういう時に自分からぶつかってきて、慰謝料とかを要求する奴とかも出てくるんだろうな)
レイの認識では、一種の当たり屋とでも呼ぶべき行動。
何しろレイは異名持ちの高ランク冒険者だ。
上手く言いくるめられれば、大金を入手出来ると考える者がいてもおかしくはない。
普通ならレイを相手にそのようなことをするのは自殺行為だし、ギルムの住人であればまずしないだろう。
また、レイの噂について詳しく知っている者も、それは同様だ。
だが……レイの噂を全く知らない者、あるいは噂を知っていても小柄なレイを見てどうにでもなると考える者は少数ではあるが、出てくる可能性が高かった。
(そういう連中を黙らせる為にも、ある程度深い場所まで潜って、転移水晶を使って移動出来るようにならないとな)
問題なのは、こうして一階や二階といった浅い場所……つまり、多数の冒険者がいる場所にいるから、面倒な相手もいる可能性が出てくるのだ。
であれば、転移水晶を使ってそのような者がいない場所まで転移してしまえば手っ取り早い。
深い階層まで来ることが出来るような者達なら、わざわざ当たり屋のようなことをしなくても、普通にモンスターを倒すなり、素材を採取するなりして稼げるのだから。
そもそも、当たり屋のようなことをするのは人が多くいてこそだ。
深い階層にいる冒険者の数が減れば、そのようなことも出来なくなる。
……もっとも、そうなればそうなったで、他の冒険者を殺すような者が出てくるかもしれなかったが。
ただ、そのような者達が相手なら、レイも力を振るうのに躊躇するようなことはない。
反撃して殺すなり、あるいは生け捕りにして犯罪奴隷として売るなり、色々な手段がある。
(まぁ、そうならないのが一番いいんだが)
レイがそんなことを考えている間にも、セトはダンジョンの中を走り続けていた。
階段から離れると、冒険者の群れは少なくなる。
もっとも、レイ達がダンジョンに潜ったのは午後になってからだ。
それまでにダンジョンに潜った者達はそれなりに多くいて、そのような者達がある程度ダンジョンの中に散らばっている。
もっとも、それはあくまでも散らばっているといった程度で、セトがぶつかるかもしれないといった心配はないのだが。
だからこそ、セトは地上に続く階段から離れるに連れて走る速度を上げていき……
「グルゥ!」
二階に続く階段を見つけたセトが、嬉しそうに喉を鳴らす。
昨日一度来た場所である以上、ここに階段があるというのは当然ながらセトも理解していた。
また、ダンジョンの中に入った冒険者達のうち、一階で活動する訳ではない者達の多くが二階に続く階段に向かっていたのだから、その流れに乗れば普通に階段に到着することは出来るだろう。
それでも、やはりセトにとっては昨日ハルエスと一緒に行動したのではなく、自分とレイだけで行動して二階に続く階段を見つけることが出来たのは嬉しかったのだろう。
「よくやった、セト。大丈夫だとは思うけど、少し速度を落としてくれ」
一階に入ったばかりの場所に冒険者の数は多かったが、二階に続く階段に向かう途中ではその冒険者達も色々な場所に散っていったので、少なくなっていた。
だが、こうして二階に続く階段の近くになると、レイと同じく二階に向かおうとする者達が集まっているということもあり、再び冒険者達の姿が多くなってくる。
それでも一階に下りたばかりの時と比べると、その数はそれなりに減ってはいたが。
レイは念の為、セトに速度を落とすように言う。
セトはレイの指示をすぐに聞き、走る速度を落とす。
周囲でレイとセトの姿に驚いていた冒険者達は、速度を落としたセトを見て安堵する。
……中には何人か残念そうな表情を浮かべている者もいたが。
レイが先程考えていたような、当たり屋紛いな行動でも考えていたのか、それとももっと別の何かを狙っていたのか。
ともあれ、周囲に人が多いということもあり、レイがセトに速度を落とすように言ったのも影響してか、何も起きることはなかったが。
結局レイとセトは特に誰かにぶつかったりする様子もなく、二階に降りることに成功する。
「さて、ここが二階か。……まぁ、昨日も来たから今のような台詞はちょっと違うんだろうけど」
「グルゥ」
レイの言葉に同意するように、セトが喉を鳴らす。
そんなセトの首の後を撫でながら、レイは周囲を見る。
「取りあえず階段のある方に向かうか。人の進んでいる方に向かえば、恐らく階段だろうし」
まだここが二階で浅い……どころか、地上のすぐ近くである以上、一階に比べると数は少なくなっているが、それでも冒険者の数はそれなりに多い。
そうである以上、レイやセトは特に迷ったりせず人の流れに乗れば三階に続く階段を見つけられる筈だった。
(二階にも、多分一階と同じように……あるいはそれ以上の何かがあるんだろうけど、今日は寄り道をする必要はないしな)
昨日は、ダンジョンがどのような場所なのかを知る為に、ハルエスに一階を案内して貰った。
だが、今日はハルエスもいないし、わざわざそのようなことをする必要もないだろうと判断し、レイはセトと共に三階に続く階段があると思しき方向に向かうのだった。