3648話
「さて、これからどうするか。……やっぱりダンジョンに行くか?」
そうレイが呟いたのは、学校の前でだ。
ギルムに関する諸々については、大雑把に説明してきた。
詳細については学園長のフランシスに聞くようにと言い、そうして学校を出て来たのだが……今日何をするべきか、まだ決まっていない。
こうして毎日午後が暇なのだから、やはりダンジョンに行くべきでは?
そうも思ったが……
「あ、しまった。マティソンから地図まだ貰ってないな」
セトとの模擬戦であったり、何かあったら力を貸すという代価と引き換えに貰うことになっていたダンジョンの地図だったが、まだ受け取っていないことに気が付く。
「まぁ、そこまで急ぐことはないか」
少しでも急いで地図を入手した方がいいのかもしれない。
そうは思うが、今からまた職員室まで戻るのが面倒なのも事実。
……それこそ、ギルムに行く件について色々と聞かれるのも面倒だと思う。
そんなわけで、レイはそのまま家に戻る。
レイに用意された家は、学校からそう遠くはない。
そういう意味では、場合によってはハルエスと同じく直接家にやって来る者もいるのかもしれないが、その時はその時だと思っておく。
そうして家に戻ると……
「お帰りなさい、レイさん」
メイドのジャニスが笑みを浮かべてレイを出迎える
「ただいま。何か問題はあったか?」
「特に何もありませんけど……何かあるのですか?」
「いや、アルカイデの一件があったからな。あのまま大人しく引き下がってくれるかどうかは微妙なところだし」
アルカイデがレイと敵対するようになった理由は、元々この家を自分が使いたいからというものだった。
しかし、その家はレイが使うことになっており、それを知ったアルカイデはレイにこの家を使うのを辞退するように言ってきたのだ。
当然ながらレイがそのようなことを受け入れる訳がなく、それがアルカイデの対立の理由となった。
……もっとも、レイとアルカイデの相性が悪いのは明らかであった以上、もしこの家の件がなくても、同じ教官ということでいずれ対立はしていただろうが。
そういう意味では、レイとアルカイデが対立するのは止められないことであって、もしこの家の件がなくても結果は変わらなかったのだろう。
「それに、実は夏になったら一度ギルムに戻ることになったんだが、その時に生徒達を連れて戻ることになった。その件について話を聞きたい……というか、何とかして自分を連れていって欲しいと思う奴がこの家に来かねない。幸か不幸か、学校からそう遠くない場所にあるし」
「なるほど、そういうことですか。それなら納得です。ですが、幸いにも今のところはそのような方は来ていませんし、もし来てもセトちゃんがいるから大丈夫じゃないでしょうか?」
「そう言われるとそうなんだけどな」
セトの鋭い五感や第六感、魔力を感じる能力……そんな諸々を考えれば、普通ならこの家に悪意を持った者がやってきたら、即座に対応する筈だった。
だが、ハルエスの件もある。
……もっとも、ハルエスは実際には悪意を持ってこの家にやって来た訳ではなかったので、そういう意味では問題がないとセトが判断したのかもしれないが。
「取りあえず、この家は今は俺の家なんだ。何かあったら危険だしな」
これが例えば、ギルムにあるマリーナの家なら、レイもここまで心配することはない。
マリーナの家にはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった史上稀に見る美女が暮らしているし。アーラもそんな三人には劣るものの客観的に見れば美人だし、ビューネはまだ幼いが、将来的には美人になるだろう。
そんな女達が住んでいるマリーナの家だけに、普通なら妙な考えを起こした者がやって来てもおかしくはない。
だが、そもそもマリーナの家は精霊魔法によって守られているし、住んでいる者達も全員が相応の実力を持つ。
一番幼いビューネですら、冒険者として活動しているだけあり、何よりヴィヘラに鍛えて貰っていることもあって、その辺の男は容易に倒せるだけの実力を持つ。
そんな……ある意味で鉄壁と評してもおかしくないマリーナの家と比べると、現在ガンダルシアでレイが使っているこの家は、決して防御に優れている訳ではない。
精霊魔法に守られてもいなければ、この家でメイドをしているジャニスは戦いの心得などない。
唯一の防御方法がセトだったが、そのセトもレイがダンジョンに行く時は一緒に行動するので、この家からはいなくなる。
そういう意味では、この家のセキュリティは非常に脆弱だった。
もっとも、それはあくまでもレイの認識だったが。
この家のセキュリティは、一般的な感覚では特におかしなことはない。
普通だ。
……いや、何かあればギルドや冒険者育成校が近いということを考えると、寧ろ普通の家と比べるとセキュリティは高いだろう。
「大丈夫ですよ。ギルドが近い関係もあって、警備兵の巡回もそれなりに多いですし」
「それは……何と言えばいいんだろうな」
警備兵の巡回が多いのは、冒険者同士がトラブルを起こした時、即座に止める為だ。
冒険者というのは、血の気の多い者が多数いる。
中には人格破綻者と評しても間違いではないような者すらいる。
そんな者達が武器を持って集まる場所が、ダンジョンでありギルドだ。
また、そのような者達を育成しているのが冒険者育成校。
警備兵にしてみれば、何かあった時の為に見回りをするのは当然なのだろう。
そういう意味で、普通の……本当に一般人の家と比べると、この家はかなり安全なのは間違いない。
「セトがいなくても、それなりに安全か?」
「そうですね。勿論セトちゃんがいればそれが一番いいのは間違いないでしょうが。ただ、警備兵の人達も色々と気を遣ってくれますから」
「そうなのか?」
「ええ。ギルムから来たレイさんに余計な手間を掛けさせたくはないのでしょう」
そう言うジャニスだったが、実際にはレイに暴れられるようなことがあったら困ると、警備兵達が考えての行動であるというのを、何となく予想は出来ていた。
それを実際にレイに言うようなことはなかったが。
「じゃあ、そうだな。ちょっとセトと一緒にダンジョンに行ってきてもいいか? 昨日はあくまでもハルエスに案内されて一階と二階だけにしかいかなかったから、三階……もし出来れば四階までは行きたいと思う」
「それは構いませんけど、そう簡単にそこまで行けるんですか? もっとも深い場所まで潜っているパーティですら、二十階に届かないと聞いていますが」
ジャニスにしてみれば、まだ二十階にも届いていないのに、三階や四階にそうあっさりと行けるのかと、そのようにも思う。
ガンダルシアにいるだけあって、冒険者という訳ではなくても、ある程度ダンジョンに対する知識はあるらしい。
そんなジャニスに、レイは笑みを浮かべて口を開く。
「三階や四階なら、まだ多くの冒険者が普通に活動している場所だしな。そのくらいの階層なら俺とセトならそんなに問題なく活動出来る」
これは嘘でも、そこまで大袈裟な話でもない。
実際、冒険者育成校の生徒であっても、五階程度までは普通に潜っているのだから。
誰もがその五階まで潜れる訳ではないが、上位のクラスであればそれくらいは可能だ。
それにレイが模擬戦をしてみた感じでは、もう少し深くまで潜っても問題なく対応出来るような者達もいる。
……もっとも、ダンジョンというのは何が起きるのか分からない。
それこそ昨日レイが経験したように、大量のモンスターが暴れるということがあってもおかしくはないのだ。
だからこそ、本来ならもっと深い場所まで潜れるにせよ、ある程度の安全マージンを取っておくことは重要だった。
「とにかくそんな訳で、俺とセトなら簡単にある程度深い場所まで潜れる訳だ」
「……分かりました。では、気を付けて下さいね」
レイの言葉に嘘はないと判断したのか、ジャニスはレイに向かってそう言う。
実際にはレイがダンジョンに潜るのにジャニスの許可が必要な訳ではないのだが。
それでもレイがダンジョンに潜っている間、ジャニスが心配し続けるといったことにならないようにする為には、問題はないとジャニスに教えておいた方がいいのも事実。
こうしてしっかりと理解した状態で送り出されるのは、レイにとっても悪くない気分だった。
「特に問題がなければ、夕方……何かあっても、夜には戻ってくるからそのつもりでいてくれ」
「夕食はどうしましょう?」
「一応用意しておいてくれ。もしどこかで食べてくるようなら、俺のミスティリングに収納しておくから」
冷蔵庫の類が一般的ではない――マジックアイテムにそういうのはあるが――この世界において、レイの場合はミスティリングに収納しておけば、悪くなるといったことはない。
そういう意味では非常に便利なのは間違いなかった。
ジャニスもレイの持つミスティリングについては既に理解しているので、特に驚くようなこともなく素直に頷く。
「分かりました。では、頑張って下さい」
そう言うジャニスにレイは頷き、家を出る。
「グルゥ!」
するとそんなレイを待っていたかのように、庭の中でも扉に近い場所までやってきたセトが、嬉しそうに……そして期待するように喉を鳴らす。
昨日のことを考えれば、午後になってからこうしてレイが家に戻ってきたことで、ダンジョンに行くのだというのを理解したのだろう。
実際には、毎日ダンジョンに行くとは限らないのだが……幸い、今日はそんなセトの予想は当たっている。
レイはそんなセトに近付いて撫でながら、声を掛ける。
「さすがセトだ。ダンジョンに行こうとしていたのがすぐに分かったみたいだな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、得意げに喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトを撫でながら、セトを庭から連れ出す。
そうしてダンジョンに向かうのだが……まだ、初めてセトを見る者もいる為か、道を歩いているとセトを見て驚く者も多い。
そんな中……
「レイ教官!」
不意に掛けられた声に視線を向けると、そこにはセグリットの姿があった。
セグリットだけではない。
以前、ガンダルシアに来る途中に見た時に一緒にいた女達の姿もある。
その三人はレイの姿を見ると、それぞれ頭を下げてくる。
レイが以前自分達を助けてくれた相手だと理解しての行動なのは間違いない。
もっとも、冒険者育成校の校舎に初めてレイが行った時にも会っているのだから。
そんな三人の女達に気にするなといった様子で首を横に振ると、レイは改めてセグリットに声を掛ける。
「セグリット、どうしたんだ?」
「どうしたって、ここにいるんですから、ダンジョンに行くに決まってるじゃないですか」
「そう言われればそうだな」
「レイ教官こそ、どうしたんです?」
「俺も同じだよ。本格的にダンジョンの攻略をするにはまだ早いが、ある程度慣れておこうと思ってな」
レイが本格的にダンジョンを攻略する時は、マティソンからダンジョンの地図を貰ってからの話だ。
それまでは、あくまでもダンジョンに慣れるという意味での行動だった。
「あ、じゃあ一緒ですね」
「そうだな。……ちなみにセグリットは何階まで行ってるんだ?」
「何階って言われても、まだ俺もガンダルシアには来たばかりなんですから。二階を攻略中です」
「俺と同じか。……ん? じゃあ、もしかして昨日の泥のゴーレムが大量に出た騒動に巻き込まれたりしたのか?」
「いえ、その騒動があった時は二階の別の場所にいたので。それが起きたのは二階の中でも一階に続く階段の側ですよね?」
「そうか。ならいい」
「いや、よくないですよ。もし俺がその騒動が起きた時に近くにいたら、泥のゴーレムの魔石を入手出来たんですけど。信じられますか? 泥のゴーレムを倒した人は、魔石とか素材とかそういうのを取らずに、そのままいなくなったんですよ」
「あー……うん」
どうやら泥のゴーレムの一件については知ってるようだったが、誰がそれを解決したのかは知らなかったらしい。
(迂闊だな)
それがセグリットを見て、レイが思ったことだった。
泥のゴーレムの大量出現……スタンピードには及ばないが、それでも結構な数のモンスターが現れたのだから、冒険者としてそれなりに情報収集をする必要がある。
そしてしっかりと情報収集をすれば、泥のゴーレムを倒したのがグリフォンを連れた人物……レイだと、分かった筈だ。
(けどまぁ、仕方がないか。セグリット達は実力の足りない冒険者として冒険者育成校に入ったんじゃなくて、冒険者育成校に入って冒険者になったんだし。その辺のノウハウはこれからなんだろうな)
そんな風に思いながら、レイはセグリットや他の三人の女と会話をしつつ、ダンジョンに向かうのだった。