3645話
フランシスが姿を現したことにより、食堂で話をするといったことが難しくなる。
なので食事を素早く終わらせると、レイ達は学園長室に場所を移した。
レイと一緒にいたということで、イステルもここまで一緒に移動してきた。
「それで、レイ。何でいきなりギルムに生徒達を連れていくなんてことを言い出したの?」
「別にきちんとそう決めた訳じゃない。そういうことをしてもいいかもしれないと、そう思って口にしただけだ。それが気が付いたら、かなり広まっていた感じだ。どうやら俺とマティソン達の話を聞いていた八組の生徒達が情報源のようだな」
「……そう。まぁ、その件で八組の生徒達を責めるようなことは出来ないわね。寧ろこの場合責めるのなら、八組の生徒の前で迂闊にそのようなことを口にしたレイでしょうし」
そう言われると、レイも反論は出来ない。
実際、ギルムに帰る時に生徒を連れていってもいいかもと話した時、そこに八組の生徒がいるということをすっかり忘れていたのだから。
「悪かったな。ただ、正直なところここまで話が大きくなるとは思っていなかったんだ」
「あのねぇ……」
レイの言葉に、フランシスが呆れたように息を吐く。
イステルもまた、そんなレイの言葉に微妙に責める視線を向けていた。
「知ってると思うけど、このグワッシュ国はミレアーナ王国の保護国よ。それがどういう意味を持つのかは置いておくとして……」
名前こそ保護国だが、実質的には従属国なのは間違いない。
フランシスはそれについては口に出さず、説明を続ける。
「ミレアーナ王国というのはグワッシュ国の住人にとって憧れてる人も多いの。そしてレイがいたギルムはミレアーナ王国の中でも冒険者の本場と呼ぶべき場所よ。そしてここにいるのは冒険者達。……そうなれば、冒険者の本場に行ってみたいと思うのは分かるでしょう?」
そう言われると、レイも納得するしかない。
もっとも、実質従属国である保護国の者達がミレアーナ王国に恨みを抱くのならともかく、憧れを抱くというのは素直に納得出来なかったが。
「ましてや、普通にギルムに行くとなるとかなりの時間が掛かるし、それこそ途中で盗賊やモンスター、それ以外にも事故や災害に遭遇して死ぬ可能性もあるでしょう?」
「それは否定しない」
実際、空を飛ぶセトに乗って移動してきたレイでも、何度か盗賊を見た。
もっとも、空を飛んでいるセトに乗って地上にいる盗賊を見つけたのなら、普通ならそのまま離れるだろうが、盗賊狩りを趣味にしているレイの場合は、寧ろ嬉々として盗賊を襲っていたが。
ともあれ、空を飛んでギルムからガンダルシアまで数日で移動したレイですら、そうなのだ。
それが年単位で時間を掛けて旅をした場合、どのくらいの騒動に巻き込まれるのかは容易に想像出来る。
そういう意味では、空を移動出来るというのは非常に有利な移動方法なのだ。
「ましてや、レイと一緒に移動するということは、もし何かがあってもレイが守ってくれるということでもあるのよ。……ああ、それとレイと一緒に行動するということは、レイに訓練を付けて貰えるということでもあるわね。これらのことを考えれば、レイと一緒にギルムに行きたいと思う者達が増えてもおかしくはないでしょう?」
こうして要点を並べられると、レイも即座に否定することは出来ない。
実際にイステルのように、その件について話を聞きに来たような者もいるのだから。
「そうなると、どうすればいい? ここで俺が実はそういうことはないと言ったりすればいいのか?」
「いえ、それは難しいでしょう」
レイの言葉を否定したのは、フランシスではなくイステルだった。
その言葉を発したイステルに視線を向けるレイ。
イステルはレイに視線を向けられると、冷静に言葉を返す。
……その様子には、レイとの食事の時に見せていた乙女らしい様子は一切ない。
二組の女王としての立場からの言葉。
「既にここまで話が広まっている以上、もしここで実は嘘でした、あるいはギルムに連れていくのを止めますと言ったところで、生徒達は納得しないでしょう。あるいはそういうものだと無理矢理納得させても、士気が下がるのは間違いないかと」
最初からそういう話がなかったのなら、そこまで問題にはならなかっただろう。
だが、一度ギルムに行けるかもしれないと知った上で、やっぱり止めたといったようなことを知った場合、希望を見せられた後にその希望がなくなるのだから、どうしても士気が下がるのは間違いなかった。
「レイ教官がそこまで気にしないというのなら、私からも何とも言えませんが」
イステルがそう言葉を締めくくると、話を聞いていたフランシスはレイに意味ありげな視線を向ける。
「仮にも教官ともあろう人が、生徒達の士気を下げたりとかはしないわよね?」
「そう言われてもな。……正直なところ、何人かを連れていくのはいい。俺にとってはついでだし。けど、今のギルムはかなり特殊な状況になっている。もし連れていった場合、もしかしたら何か面倒に巻き込まれたりする可能性は十分にあるけど、それでもいいのか?」
「あら、特殊な状況というのは?」
「……うん? フランシスは知らないのか? ダスカー様とやり取りをしていたし、知ってると思ってたけど」
「生憎と知らないわね。一体何があるの?」
その言葉から、レイはどうやらフランシスがギルムの増築工事について知らないのだと理解する。
ダスカーとやり取りをして自分を派遣するということになっている以上、増築工事については知っていてもいいのでは?
そう思ったが、ダスカーにしてみればガンダルシアの生徒達がギルムに来るといった予定はない以上、その件について話していなくてもいいのだろうと思い直す。
(あるいは、知っていて知らない振りをしているだけかもしれないが)
そんな風にも思ったが、フランシスがわざわざそのようなことをする必要があるのかと言われれば、その必要性はレイにも分からなかった。
「現在……というか、数年前からギルムでは増築工事を行っている。以前は街……正確には準都市という感じだったが、正式に都市という扱いになるらしくて、それに合わせた増築工事だな。そして大規模な増築工事となると、仕事は幾らでもある。それを求めて多くの者達がやって来ているんだよ。それこそ、宿も足りないくらいの人数が」
レイの言葉に、なるほどと納得した様子を見せるフランシス。
イステルはその話については初耳だったのか、驚きの視線をレイに向けていた。
「そんな訳で、もし本当に生徒達を連れていくとすれば……まず、どこで寝泊まりをするかだな」
「宿も足りないくらいと言っていたけど、本当にそのくらい人が?」
フランシスの問いに、レイはギルムを思い浮かべながら頷く。
「そうだ。宿は勿論のこと、普通の住人の家にも金を払って寝泊まりをさせるようにして、それでもまだ足りなくて、工事現場の近くに大勢で雑魚寝が出来るような簡易的な宿泊所を作ったりもされていたな」
「それはまた……本当に多くの人が集まっているのね。でも、ギルムは辺境でしょう? そういう普通の人が集まるのは難しかったんじゃない?」
「そうだな。実際、ギルムに移動する途中で死んだって奴もそれなりにいる。けど、冒険者達が街道付近のモンスターを定期的に討伐することで、何とかなった……いや、何とかしたというのが正しいか」
もっとも、辺境のギルムだ。
時には街道付近に高ランクモンスターが現れることも珍しくはない。
そういう意味では、街道のモンスター討伐だからといって安心は出来ない。
時にはギルムにやって来る者達の護衛がそのようなモンスターと遭遇することもあるのだが、その時は高ランク冒険者であったり、異名持ちであったり……そんな冒険者がいなければ、大きな被害を受ける。
ただし、そういう時に何らかの覚醒をしたと思われるような活躍をし、一躍名を知られることになったりもするのだが。
そんな話をレイがすると、フランシスとイステルは揃って興味深そうな様子を見せる。
「なるほど。……ギルムの現状については分かったわ。そうなると、もし生徒達が行った場合は泊まる場所もないのかしら?」
「いつになるかにもよるな。例えば冬の間は増築工事は行われていないから、秋の終わりから冬には宿も普通に空いてる」
「そんな時に行って、何をするのよ?」
フランシスが呆れたように言う。
イステルもそんなフランシスの言葉に同意しているのだろう。無言で頷いていた。
「そう言ってもな。宿が開いている季節となるとそうなる。それに、冬は冬で何もないって訳じゃない。例えば、冬特有のモンスターがギルム周辺に現れたりするし」
「……そういうのは、うちの生徒達にはまだ早いと思うわよ」
フランシスも、特定の季節だけ現れるモンスターというのは、基本的に強いと理解しているのだろう。
だからこそ、レイの提案に頷くことは出来ない。
事情を知ったイステルは、多少不満そうな様子を見せてはいたが。
イステルにしてみれば、冬にギルムに行っても特に何もすることがないから、冬に行くことには賛成出来なかったのだろう。
だが、冬特有のモンスターが現れるというのなら、行ってみたいという思いがあったらしい。
もっとも、これについてはフランシスの方が正しかった。
実際、冬特有のモンスターというのは強力なモンスターが多く、何よりも足場が雪なのだ。
新雪であれば柔らかくて足が取られるし、踏み固められて固くなっていれば滑り、シャーベット状になっていても移動はしにくい。
どのような状態であっても足場は決して好ましいものではない以上、戦う以前にそちらをどうにかする必要があった。
そのような足場に慣れるなり、何らかの方法で足場を変えるなり。
レイのようにセトに乗るという手段もあったりするが、そのようなことが出来るのは少数だろう。
「レイ、春から秋に掛けては本当に泊まれる場所はないの?」
「うーん……取りあえず普通の宿は無理だ。そうなると、それ以外……ああ、何とかなるかもしれないな。俺の知り合いにそれなりに大きな屋敷を借りて複数人で暮らしている奴がいる。そいつは俺……というか、セトが頼めばまず間違いなく聞いてくれる筈だ」
レイが思い浮かべたのは、ミレイヌと並ぶセト好きの一人、ヨハンナだ。
実家がベスティア帝国でそれなりに大きな商会をしており、その資金もあって、ベスティア帝国の内乱が終わった後、間違ってもレイと敵対したくないと思った者達と共にギルムにやって来た人物。
そのような者達の中で金に困っている者に住居を用意するべく、ギルムにおいてもそれなりに大きな屋敷を買い取ったのだ。
屋敷の部屋は全て埋まっている訳ではなく、何らかの理由で屋敷を出て行ったりする者もいるので、生徒達が泊まるくらいの部屋は何とか用意出来る筈だった。
「えっと、確認させてちょうだい。レイじゃなくてセトが頼むの? 一応聞いておくけど、セトというのはレイの従魔のグリフォンよね?」
フランシスには、レイの言ってる意味が理解出来なかったらしい。
どういうことなのかと、聞いてくる。
「セトはギルムではマスコット的な存在というか……多くの者達に可愛がられている。部屋を貸しているヨハンナというのは、ギルムにいるセト好きの中でもリーダー格の存在の一人だ。……まぁ、他にも同じようなリーダー格はいたりするんだが」
「そういうものなのね」
レイの言葉の全てを理解した訳ではないのだろうが、取りあえず納得しておくことにするフランシス。
イステルの方は、まだ完全に納得してはいない様子だったが。
「ああ、そう言えば……ダンジョンの前でセトに多くの人が集まっていたという報告があったわね。そんな感じ?」
「そういう報告も入るのか? ……まぁ、そうだ。間違っていない。そんな感じだ」
ダンジョンの前で、最初はセトの存在に怖がっている者も多かったが、次第にセトが怖い存在ではない……それどころか、愛らしい存在であるというのを知った多くの者達は、セトを可愛がっていた。
それは事実だが、レイとしてはまさかその件がフランシスに報告されているというのは、少し驚きだった。
もっとも、レイは知らないがこれは当然のことでもある。
このガンダルシアにおいて、深紅の異名を持ち、ランクA冒険者であるレイは、色々な意味で刺激が強い。
そんなレイを教官として勧誘したのはフランシスなので、もし何かあったらその情報はすぐに伝わるようになっていた。
フランシスが上手いのは、特別に監視要員を使うのではなく、それを知った者が連絡をするようにしたことだ。
もし監視されているのなら、レイは……もしくはセトはすぐにそれに気が付いたのだろうから。