3644話
レイの口から出た、ギルムに冒険者育成校の生徒を何人か連れていくといった呟きは、当然ながら模擬戦をしたばかりの女だけではなく、他の教官達の耳にも聞こえる。
「レイさん、今の話は本気ですか? もし本気なら、生徒だけではなく教官も連れていく必要があります。そうなると、やはりここはレイさんと一番親しい私が……」
「ちょっ、マティソンさん、それはずるい! 俺だってギルムには行ってみたいんだから!」
マティソンの言葉を遮るように、教官の一人が叫ぶ。
するとその一人を始めとして、他の者達も自分が行きたいと口にする。
冒険者として活動しているのだから、ミレアーナ王国の中でも冒険者の本場と呼ぶべきギルムには、一度でいいから行ってみたいと思う者は多い。
だが、普通に考えればミレアーナ王国のギルムまで旅をするだけで、下手をすれば年単位の時間が掛かってもおかしくはない。
そんな遠くに行くという判断は、そう簡単に出来るものではない。
だが、レイなら……正確には、レイの従魔のセトならどうか。
実際、レイがギルムからガンダルシアに来るまでは、年単位どころか、月単位も掛かっておらず、数日程度の道のりだ。
その辺についての情報は、レイがマティソンとの世間話で話しているので、マティソンは当然のようにそれを知っている。
同時にマティソンの仲の良い者達には、レイとそういう話をしたと、こちらも世間話でしていてもおかしくはない。
とはいえ、セト籠についての話はしていない以上、もしレイがギルムに帰るにしろ、どうやって一緒に行けるかというのはまだ分かっていないだろうが。
もっとも生徒達を何人か連れて行くといったことを言った以上、何らかの手段でどうにかして複数の者達を運べると予想するのは難しい事ではない。
そんな中、羨ましそうな……妬ましそうな視線をマティソンやその仲間に向けているのはアルカイデの取り巻き達だ。
何しろギルムに行くという話は、あくまでもレイのプライベートでのことである以上、親しくないどころか、レイに絡むようなことをしたアルカイデの取り巻き達がギルムに連れて行って欲しいと口にしても、それが聞いて貰えるとは到底思えなかったのだから。
これが、例えば冒険者育成校の授業で必須の出来事だというのなら、自分達も教官である以上、一緒に行く必要があると主張することも出来るだろう。
しかし、今の状況でそのようなことが出来る筈もない。
「落ち着け。あくまでも、そういう風にするかもしれないという話だ。そもそも、まだ具体的に何も話は決まっていない。もしそういう風に話が決まったら、学園長のフランシスに話を通す必要もある。その辺については……そうだな、もっと俺がこの学校に慣れてからの話にする」
このままでは埒が明かない。
そう判断したレイは、マティソンやその仲間達にそう宣言する。
レイも確定事項として口にした訳ではなく、あくまでもそういう案の一つとして口にしたにすぎない。
実際にどうするのかは、それこそフランシスと相談して決める必要があった。
「ともあれ、この話はこれで終わりだ。それで、まだ模擬戦を続けるか?」
「え? ああ、そうですね。……もう一人くらいなら模擬戦を行える時間はあると思いますが」
「じゃあ、そっちで決めてくれ。その相手と模擬戦をするから」
そう言い、レイは訓練場の中央で待つ。
待つのだが……この時、レイはこの授業が八組の模擬戦の授業であるというのをすっかりと忘れていた。
それはつまり、先程の話……何人かの生徒をギルムに連れていくという話を生徒達に聞かれていたということを意味しており……
「レイ教官、その……少し時間を貰ってもいいでしょうか?」
八組の模擬戦が終わり、他にも幾つかのクラスの模擬戦を終え、今日の授業も終わったので職員室にいたレイに、そう声が掛けられる。
声の聞こえた方に視線を向けると、そこには二組のトップであるイステルの姿があった。
「イステル? どうしたんだ? 何か分からないことでも……まぁ、そういうのがあっても、俺より他の教官に聞いた方がいいと思うけど」
「いえ、そういうことではなく……その、二つ程レイ教官にお聞きしたいことがありまして」
「二つか。……時間が掛かりそうか? 時間が掛かるようなら食堂で食事でもしながら聞きたいんだが」
「え? いえ、その……はい、分かりました。そのお誘い、お受けいたします」
レイの言葉に、何か勘違いしたのかイステルは薄らと頬を赤くしながらレイの言葉に頷く。
レイとしては、別にデート的な意味で食事に誘った訳でもない。
そもそもの話、食事をするのはレストランのような場所ではなく、あくまでも学校の食堂なのだ。
だからこそイステルが何故頬を薄らと赤く染めているのか分からず、太陽の光やイステルの体調のせいだろうと判断する。
「じゃあ、行くか」
「はい。……出来れば、しっかりとした服装で食事をしたかったのですが、残念ですね」
そう言うイステルの服装は、防具こそ装備していないものの、動きやすい服装だ。
学校の食堂で食事をするという意味では全く問題がないが、イステルにしてみれば少し話が違う。
ただ、レイは女ならそういうものかとだけ納得しておく。
ここで下手に服についての話をすると、藪蛇になるだろうと予想出来た為だ。
結局当たり障りのない話をしながら、食堂に向かう。
……その途中、廊下でレイとイステルの二人が歩いてるのを見た生徒達が驚き、中には動きを止めている者もいたが、レイはそれに気が付かない。
これはセトと一緒に歩くことで目立つのが珍しくないからこそ、周囲にそのような者達がいても驚いたりしないようになっていたのが大きいのだろう。
「ちょ、ちょっと、あれって二組の女王のイステル様でしょう? 何でレイ教官と?」
「俺が知るか。……それにしても、まさかレイ教官がイステルさんを射止めるとは思わなかったな」
「ちょっ、おい。賭けはどうなっている? レイ教官って対象に入ってたか?」
レイとイステルがいなくなったところで、生徒達がそのように言葉を交わす。
二組の女王イステルは、その美貌から人気が高い。
実際に今まで何人もがイステルに告白したのだが、その全員が断られている。
冒険者として活動している以上、パーティメンバーと打ち上げをするといったことはあったが、それはあくまでもパーティメンバー……つまり複数の男女と一緒にの話だ。
冒険者育成校の生徒達の誰もが、男と二人で出掛けているイステルを見たことはない。
あるいは……レイが教官ということもあり、単純に学校関連で何か用事があって一緒に行動しているのなら、そういうこともあるかと納得する者もいただろう。
だが、レイの隣を歩くイステルの表情は、頬を赤くし、目が潤み……それこそ恋する乙女と評しても間違いはない、そんな状態だった。
だからこそ、この冒険者育成校における高嶺の花と呼ぶべきイステルを誰が口説けるかという賭けで、レイの名前があったのかと思う者もいたのだろう。
自分達の通りすぎた廊下でそのようなことになっているとは知らないレイは、イステルと共に食堂に到着する。
料理を注文し、イステルと共に席に座ったのだが……何故か周囲にいる者達がレイ達の側から離れていく。
(何だ?)
そう疑問に思ったレイだったが、目の前に座るイステルがこの学校ではかなりの有名人であるというのは理解しているので、恐らくそちらの関係で何かがあるのだろうと、そう思っておく。
「イステルは見た感じ貴族の生まれだよな? 名字持ちだったし」
「え、ええ。ただ……貴族の生まれではあっても、長男という訳でもないので」
「それで冒険者に?」
「はい。……あのままだと、政略結婚に使われそうでしたので。それに、幸い私は身体を動かすのが好きで、レイピアの腕前はそれなりだと思っています」
その言葉には、レイも素直に頷く。
実際に模擬戦をした時のイステルのレイピアの技量は、今はまだそこまで高くはない――レイ基準で――ものの、才能は十分にあると思えた。
だからこそ、イステルが冒険者になろうと思うのはレイにも納得出来る。
細く切られた肉が入ったスープを味わいつつ、レイは話を続ける。
「お前なら、この調子で学校を卒業すれば、ダンジョンの攻略で活躍は出来ると思う」
「ありがとうございます」
そうしてある程度話をしたところで、イステルが本題に入る。
「それで、レイ教官に対する話ですが……」
「ああ、二つあるとか言っていた。具体的にはどういう話だ?」
「まずは簡単な方からですが、実は昨日レイ教官が生徒を一人連れてダンジョンに潜ったという話が聞こえてきたのですが、それは本当でしょうか?」
「ああ、本当だ」
あっさりと答えるレイに、イステルは少しショックを受けた様子を見せる。
だが、それでも何とか踏ん張って口を開く。
「その……聞いた話だと、レイ教官と一緒にダンジョンに潜ったのは、ポーターの生徒だと聞いています。そうなると、これからそのポーターとパーティを組むのでしょうか?」
ああ、なるほど。
イステルの質問に、レイは納得する。
レイとしてはそんなつもりはないし、そもそもハルエスからパーティを組んで欲しいと、ガンダルシアにやって来た初日に頼まれて断っている。
そのついでに多少アドバイスをして、そのアドバイスがハルエスの持つ才能の開花にも繋がったものの、言ってしまえばその程度でしかない。
レイにとって、その話についてはそこで終わっているのだ。
だが……それはあくまでもレイの認識であり、ハルエスの認識だ。
それを知らない者にしてみれば、レイがポーターを連れてダンジョンに潜ったという情報しか知らない。
そういう意味では、イステルのようにレイが生徒の一人とパーティを組むことになったと判断しても、おかしな話ではないのだ。
「違うぞ。昨日俺がダンジョンに行ったのは、この学校で教官をやる以上、ダンジョンについてきちんと知っておく必要があると思ったからだ。……単純に、攻略する対象としてダンジョンを知っておきたいというのもあったけど」
「……では、パーティを組んでいる訳ではないと?」
「そうなるな。あくまでも昨日はダンジョンの浅い階層……具体的には一階と二階だが、その案内役として連れて行っただけだ。まぁ、一緒に行動したのだからパーティを組んだと見られてもおかしくはないかもしれないけど」
「そうですか。……分かりました。その件については、こちらで情報を訂正しておきます」
「助かる。それで? これが話の一つだとすると、もう一つの話は? 話は二つあるんだったよな?」
「あ、はい。その……レイ教官が近々ミレアーナ王国のギルムに戻る時、選ばれた生徒達を連れていくというのは事実でしょうか?」
「……どこからその話を聞いた?」
イステルの話には、これ以上ない程に心当たりがあった。
だが、教官達がわざわざこの話を広めるのか? と言われれば、レイも素直には頷けないだろう。
(あるいはアルカイデやその取り巻きか?)
模擬戦の一件で、アルカイデとその取り巻き達の関係がギクシャクしているのは、レイにも分かっている。
職員室においても、その雰囲気の悪さを感じることは出来たのだから。
だからこそアルカイデの取り巻きが、レイに仕返しをするという意味でギルムに帰る時の一件を広めたのかと思ったのだが……
「どこと言われましても。八組の生徒達から、かなりの速度で噂は広まってますけど」
「……あー……うん」
ここで初めて、レイはあの場に八組の生徒達もいたことを思い出す。
レイとの模擬戦で疲れ切っており、気配の類も殆ど感じられなくなっていた、そんな生徒達。
だが、別に全員が気絶していた訳でもないのだから、レイと教官達がギルムに戻るという話を聞いていてもおかしくはない。
そうなると、当然ながら自分達が聞いた話を他のクラスの者達に話すだろう。
連れて行く生徒は少数……つまり、優秀な生徒を連れて行くということになると、当然ながら八組の生徒では無理でも上位のクラスの生徒ならと思い、そうなれば誰ならギルムに行けるかといったことが話題になるのはおかしな話ではない。
そしてギルムに行きたいと思う者にしてみれば、少しでも多く情報を欲しいと思うのは自然なことだ。
そしてイステルは、レイに直接話を聞きに来たのだろう。
「その件については……」
「その件については? 私にもきちんと話を聞かせて欲しいわね?」
レイの言葉を遮るように聞こえてきた声に視線を向けると、そこには学園長のフランシスの姿があった。