3643話
振るわれる長剣は、それなりの速度を鋭さを持っていた。
それこそ生徒達と比べても明らかに上の一撃。
だが……それは結局生徒達と比べての話でしかない。
レイが一度だけ模擬戦をしたマティソンと比べると明らかに劣る程度しかなく……
ギン、と。
そんな金属音が周囲に響き、次の瞬間にはアルカイデの持っていた長剣はその手を離れて上空に舞い上がっていた。
「え? ちょ……おい、今何をしたのか見えたか?」
教官の一人が、そんな風に言う。
それなりに実力に自信のある男だったが、それでもレイが何をしたのか全く分からなかったのだ。
「微かにだけど、見えたわよ。アルカイデの振るった長剣の刀身に穂先を合わせて、巻き上げるようにして槍を振るった……んだと思うわ」
完全に言い切れないのは、それだけレイの放った一撃が素早いものだったからだろう。
当然ながら、離れて見ている者達ですらこうなのだから、実際にレイと模擬戦をしていたアルカイデは、一体何が起きたのか理解出来ないといった様子で自分の手を……少し前までは間違いなく長剣を握っていた手を見ている。
何よりも恐ろしいのは、自分の手から長剣を奪ったにも関わらず、その手に衝撃が殆どなかったことだろう。
これが例えば、長剣を力ずくで強引に弾き飛ばしたのなら、その衝撃によって手に痛みがあり、その痛みによってまだ納得出来た。
しかし、アルカイデの手にはそんな衝撃がない……訳ではないものの、殆どなかった。
それこそ、地面に落ちた長剣を見て、初めて自分の手の中が空になっているのに気が付いたくらいだ。
何も握っていない手を見て、それから顔を上げると……レイの持つ槍の穂先が顔の前に突きつけられていた。
「どうする? まだやるか? それとも、もう終わるか」
「やるに決まっているだろう」
即座にそう言うアルカイデに、レイは少しだけ感心する。
今の一連の動きで、自分との実力差はこれ以上ないほどに理解出来た筈だ。
だというのに、再度模擬戦を行うとは思わなかった。
それこそ、貴族の血筋というのを何らかの――例えば肉体労働はしないとか――理由で模擬戦を終わらせるのだろうと思ったのだが。
元々はアルカイデやその取り巻き達がレイとの模擬戦から逃げたことから、今のような状況になっている。
だからこそ、一度でいいから模擬戦を行えばそれで十分だろうとアルカイデが考えてもおかしくはなかった。
しかし、アルカイデはレイとの模擬戦の再戦を希望し、地面に落ちている長剣を拾って構える。
その構えは先程と同じだったが、目にある光は明らかに違う。
先程も決して油断をしたりはしていなかったが、今は先程よりも注意深く……それこそ、レイの動きを少しでも見逃さないようにしている。
「じゃあ、もう一度だな」
アルカイデの様子を見て、レイもまた槍を構える。
そして先程とは違い、今度はレイから動き出す。
ただし、ゆっくりと……歩くと走るの中間くらいの速度でアルカイデとの間合いを詰めていく。
そんなレイから、距離を取るアルカイデ。
「いいのか? 元々間合いという意味では槍を持ってる俺の方が上だ」
間合いを詰めつつ、レイはそう言う。
アルカイデもそんなレイの言葉は理解している。
理解しているが、だからといってここで迂闊に前に出れば先程と同じように一瞬にして武器を奪われて負けてしまうだろう。
だからこそ、ここはレイの動きをよく観察し、それによって問題がないと確認してから動く必要があった。
……そのつもりだったのだが、レイは動きを変えずにアルカイデとの間合いを詰めていくだけだ。
「くっ!」
このまま下がり続ければ、訓練場の端まで移動して、それ以上は後ろに下がれなくなる。
そう考え、一瞬だけ後ろを見るアルカイデだったが……
「甘い」
後ろを確認して前を見た瞬間、既にレイはアルカイデのすぐ前にいて槍を振るっていた。
突くのではなく、アルカイデの足を払うような一撃。
いきなり目の前にレイがいたことで動揺し、それだけに把握出来ない攻撃にアルカイデは抵抗出来ず、あっさりと転ぶ。
それでも転びながら長剣を振るうことが出来たのは、アルカイデも相応の技量の持ち主だったからだろう。
その一撃も、レイは素早く後ろに下がることによって回避したが。
最後の一撃もあっさりと回避され、そして気が付けば再びアルカイデの顔の前にはレイの持つ槍の穂先が突きつけられていた。
「どうする? まだやるか?」
「……いや、勝ち目はないだろう。降伏する」
最終的に、勝ち目はもうないと判断したのだろう。
アルカイデはそう宣言する。
レイもこれ以上は模擬戦を続けるつもりはないので、素直に槍を下ろす。
「さて、アルカイデはこれでいいとして、次は誰が模擬戦をやる?」
「私にやらせてちょうだい」
真っ先にそう口にしたのは、模擬戦の相手にレイを選んでもいいかと聞いた女だった。
既にやる気満々で、その手には短剣を持っている。
それも一本ではなく、両手にそれぞれ一本ずつ。
「レイさん、続けてですが構いませんか?」
「問題ない。疲れてもいないしな」
そんなレイの言葉を聞き、立ち上がったアルカイデが一瞬悔しそうな表情を浮かべる。
自分との模擬戦では全く疲れなかったのだと、そう言われているのと同様だったからだ。
とはいえ、実際にレイとの模擬戦においてろくに食い下がることも出来ずに負けたのも事実。
また、八組の生徒全員を相手に模擬戦を行っても、特に疲れた様子を見せなかったのも事実だ。
そう考えれば、自分との模擬戦で疲れた様子を見せなかったというのもそんなにおかしな話ではないのだろう。
無理矢理そう自分を納得させ、アルカイデは取り巻き達のいる場所に戻る。
アルカイデを見た取り巻き達は、居心地の悪そうな様子だった
当然だろう。取り巻きの者達が揃ってレイとの模擬戦を避けた結果として、アルカイデが模擬戦をすることになってしまったのだから。
だからこそ、アルカイデに何と声を掛ければいいのか、迷ってしまう。
「その……アルカイデさん。お疲れ様でした」
最初にそう声を掛けたのは、取り巻きの中でもアルカイデと近い存在と見なされている女。
どのように声を掛ければいいのか分からず、だからこそ当たり障りのない言葉を掛けたのだが……
「すぐに終わったから、疲れるようなことはなかったがな」
そう言うアルカイデだったが、それは半ば強がりに近い。
実際にレイとの模擬戦そのものは非常に短い時間で終わっている。
しかし、その短い時間であってもレイのような……それこそ化け物と評するに相応しい相手と間近で接するのは、精神的に消耗してしまう。
今、アルカイデが特に疲れた様子を見せていないのは、半ば見栄によるものだ。
「異名持ちの高ランク冒険者かもしれませんけど、その力を見せつけるかのような態度は、ちょっと納得出来ませんね」
「そうそう。本当に高ランク冒険者なら、例えばアルカイデさんに花を持たせるとか、そのくらいは気を利かせてもいいと思うんですけど」
そう言う男の言葉に、他の取り巻き達も同意するように頷く。
そんな様子に、他の教官達の何人かは呆れの視線を向けていた。
とはいえ、その人数は少ない。
現在短剣を二本持つ女の教官とレイの模擬戦が行われていたからだ。
女は素早く動き回りながら、次々とレイに向かって攻撃をしていく。
元々短剣は長剣に比べて軽く、攻撃の威力は長剣に比べて低いが、攻撃の速度は長剣よりも明らかに上だ。
ましてや、両手にそれぞれ一本ずつ短剣を持っているので、単純な攻撃速度は倍となる。
だが……女の放つ無数の斬撃を、レイは槍で防ぎ、あるいは回避しと、まだ一発も攻撃を食らっていない。
そんな派手な……見応えのある模擬戦に、訓練場にいる多くの者が視線を集めていたので、それを見ていた者の多くはアルカイデやその取り巻き達の様子を気にしていない。
「お前達もあの模擬戦をしっかりと見ておけ。今日は模擬戦から逃れられたが、次も同じように出来るとは限らないのだからな」
そう言うアルカイデの口調は冷たい。
自分の取り巻きを一瞥し……そして仕事があると口にしていた数人を見ると、表情を変えずに口を開く。
「お前達は仕事が残っているんだったな。いつまでもここにいないで、仕事をしに戻った方がいいのではないか?」
冷たい口調で言うアルカイデに、仕事が残っていると口にした取り巻き達は言葉に詰まる。
当然ながら、仕事があるというのは嘘でしかない。
自分が模擬戦をしないようにする為の言い訳だった。
そうである以上、ここで訓練場から出ていく訳にはいかない。
もしそのようなことをした場合、このままアルカイデの取り巻きとして活動するのは不可能になるのは間違いないのだから。
「い、いえ。……その……気のせいでした」
一人が何とかそのような苦しい言い訳を口にすると、他の者達もそれに習うように同じような内容を口にしていく。
それを聞いたアルカイデは、しかし興味を失ったかのように模擬戦を行っているレイに視線を向けていた。
そんなアルカイデの姿を見た取り巻き達は、自分達が大きな失敗を……それこそ、取り返しがつかないような失敗をしてしまったことを理解する。
アルカイデは貴族の血筋であるということに誇りを持っている。
その誇りを汚すようなことをした者達は、アルカイデにとって軽蔑すべき対象……仲間であるとは認められない存在だったのだろう。
だからこそ、こうして取り巻き達には興味をなくし、自分を倒した……それも全力を出さず、かなり手加減した状態で自分に勝利したレイの模擬戦の方がアルカイデにとっては興味深かったのだろう。
(これで少しは大人しくなるといいんですけどね)
アルカイデやその取り巻きの様子を眺めつつ、マティソンはそんな風に思う。
アルカイデは何だかんだと、相応に影響力を持っている。
その為、マティソンには迂闊に手出し出来る相手ではなかったのだが……それがレイとなると、話は変わってくる。
レイは貴族だとかそういうのを全く関係なく、自分の思い通りにするのだから。
そんな風にマティソンが考えていると……
「きゃあっ!」
レイの振るった槍の横薙ぎの一撃によって、短剣を持っていた女は大きく吹き飛ばされる。
もしレイが本気で槍を振るっていれば、それこそ骨折や内臓破裂といった致命的な怪我を負うことになるので、槍の柄が女の胴体に命中しそうになったところで、力を弱めていた。
しかし、それでも女を吹き飛ばすには十分の一撃で、数m程も吹き飛んだ女は、地面に着地――背中からだが――した後も、そのまま地面の上を転がっていく。
「痛たた……レイに傷物にされちゃった」
「人聞きの悪いことは言わないで欲しいんだが」
女の言葉は、聞きようによってはレイが女とそういう関係になったという風に受け取られてもおかしくはない。
実際には怪我をさせたという意味での傷物なのだが。
……もっとも、それも聞きようによっては色々と不味いが。
そんな風に思いつつ、レイは手を伸ばす。
その手に掴まり、起き上がる女。
本来なら、その両手にはそれぞれ一本ずつ短剣を持っている筈だったのだが、持っていた短剣は吹き飛ばされた時、どこかに吹き飛んでいる。
「ありがと。……それにしても、レイって本当に強いわね。これが異名持ちの高ランク冒険者の実力という訳ね」
しみじみと呟く女。
生徒達やアルカイデとの模擬戦によって、レイの実力が高いのは理解していた。
しかし、実際にそれを自分で体験してみると、その実力は圧倒的なものを感じる。
女もこうして学校で教官をやっているのを見れば分かるように、間違いなく腕利きだ。
ガンダルシア全体で見た場合、間違いなく上澄みに所属する者の一人だろう。
そんな女が、一撃もレイに攻撃を当てる……どころか、掠らせることすら出来なかったのだ。
レイの実力をこれ以上ない形で理解してしまうのは、当然のことだろう。
「ガンダルシアは高ランク冒険者が多くないからというのもあると思うぞ。ギルムならそれなりにランクが高かったり、異名持ちだったりする冒険者はかなり多いし」
「羨ましいわね」
この大陸において二大大国の一つであるミレアーナ王国の中でも、冒険者の本場と呼ばれるギルム。
そんなギルムと比べると、ミレアーナ王国の保護国でしかないグワッシュ国の迷宮都市はどうしても集まってくる冒険者の質も量も劣ってしまう。
それを指摘されると、女の冒険者としてはどうしても羨ましいという思いや、悔しいという思いを抱いてしまい……
「そうか、そうだな。今度ギルムに戻る時、生徒の中から何人か優秀な人材を連れていってもいいかもしれないな」
そんなレイの呟きを聞き、鋭い表情を浮かべるのだった。