3642話
レイが初めてガンダルシアのダンジョンに行った翌日、レイはダンジョンに向かうようなことはせず、学校にやって来ていた。
「さて、これで終わりだな」
そう言うレイの言葉に、何らかの反応を返す者はいない。
八組の生徒達は、全員が地面に倒れている為だ。
これが模擬戦である以上、当然ながら死んでいる者はいないし、重傷を負った者もいない。
ただ、レイの持つ模擬戦用の槍で叩かれたり突かれたりした結果、打撲になった者は多い……いや、八組の生徒の殆ど全てがそうだろう。
「いやぁ……これだと、俺達がやる仕事が何もないな」
「本当にね。まぁ、楽が出来るからいいのかもしれないけど」
そんな模擬戦の結果を見て、何人かの教官達がそう告げる。
昨日はマティソンがレイの担当ということで、レイと一緒に行動したが、今日からは違う。
勿論、見ている教官の中にはマティソンもいるが、他の教官達も今日はいる。
……教官の中には、アルカイデやその取り巻きもいて、レイの活躍を苦々しい表情で見ていたが。
アルカイデ達も教官だが、八組の生徒とはいえ、全員を相手にして勝利するのは無理だ。
なのに、レイはそのようなことをしたというのに、特に息を切らせたりもしておらず、それどころか汗も掻いていない。
貴族の血筋に拘るだけではなく、相応に優秀な能力を持っているアルカイデだったが、それでもレイの模擬戦を見れば、自分達との実力の違いは明らかだった。
ましてや、アルカイデの取り巻きは昨日アルカイデがいない時、レイに喧嘩を売っている。
それを聞いたアルカイデは、頭を抱えた。
そんな中、こうしてレイの実力を目の当たりにしたのだから、それがアルカイデにとって決して好ましいことでないのは明らかだった。
(ましてや、明らかに全力は出していないでこれなのだから……)
そもそもレイが持ってる武器は、模擬戦用の槍だ。
セトとは違った意味でレイの代名詞である大鎌のデスサイズではない。
また、こちらもまたレイの代名詞である炎の竜巻も出していない。
その上で、八組の生徒相手とはいえ、こうして楽に圧勝……いや、完勝するだけの実力を見せたのだ。
とてもではないが、力で勝てる相手とは思えなかった。
レイが八組の生徒達に対し、一方的にここが悪かった、ここが良かったといった説明をしているのを聞きながら、アルカイデは横目で自分の取り巻きを見る。
そこでは、顔色を青くしたり、赤くしたり、土気色にしたり……といった具合の者達が多い。
中には表情を変えずにいる者もいるが、それは二人だけだ。
「さて、まぁ……こんなところだな。連携を上手くやるのなら、三組を参考にしてみるといい。ソロで活動している俺が言うのもなんだけど、冒険者として活動していれば連携は非常に大きな意味を持つ。それにソロで活動していても、臨時のパーティを組む……もしくは組まされるということもあるしな」
ふん、と。
アルカイデはレイの言葉に不愉快そうに鼻を鳴らす。
レイの言ってることは間違いではない。
だからこそ、余計に腹立たしい思いがアルカイデの中にはあった。
これで間違ったことを言っていれば、それを訂正する為に口を出したりも出来るのだが。
「さて、じゃあまずは俺はこんなところか。……マティソン、まだ結構時間があるけど、どうする?」
八組の生徒だけに、昨日の四組から一組の生徒達とは違い、模擬戦が予想よりも早く終わってしまった。
もっと下位のクラスの場合、今以上に手加減をした方がいいか?
そう思うレイに、マティソンは少し考えたところで口を開く。
「そうですね。生徒達は……今はまだ、とてもではないが次の模擬戦が出来るくらいに体力が回復してませんし、これ以上は難しいですか」
「でも、マティソンさん。せっかく体力が限界近い状態ですし、その状況での訓練というのも重要なのでは?」
マティソンの言葉に女の教官がそう言う。
実際、その言葉は間違ってはいない。
冒険者として活動する以上、常に万全の状態でモンスターと戦えるという訳ではないのだから。
ある程度体力が減った状態であったり、それこそ今のように限界近い状況での訓練というのも必須だろう。
どうせ体力が限界に近いのなら、今のうちにそのような訓練をやったらどうか。
そう女の教官は言いたかったらしい。
しかし、マティソンはその提案に八組の生徒達を見て、首を横に振る。
「いえ、この状況だとそれは少し難しいでしょう。それこそ、場合によっては生徒達が大怪我をする可能性はあります」
「それは分かりますけど、ここは冒険者育成校ですよ? 生徒達が怪我をするくらいは、そうおかしなことではないと思いますが」
「これが一組や二組ならともかく、八組ですしね」
マティソンのその言葉に、倒れて身動き出来ない状態の生徒達のうち、何人かの指が微かに動く。
今の言葉は、自分達を気遣っているように思える。
……いや、実際に気遣っているのは間違いないのだが、それ以上に自分達ではそのような訓練をしても無駄だと、そのように言っているのも間違いではないのだ。
それを悔しいと思うだけのプライドは、生徒達の中にもあった。
そして、一人、二人、三人……と、最終的に五人程が、倒れた状態から起き上がる。
もっともその足は震えており、とても模擬戦が出来るとは思えなかったが。
「で……出来ます。まだ訓練は出来ます」
一人がそう言い、他の四人もそれに同意するように頷く。
他の四人は、言葉を発するのも難しいのだろう。
「気持ちは分かるけど、その状況で訓練をしても……怪我をするだけですよ」
マティソンの言葉に、しかし五人は素直に従わない。
そんな五人の生徒達を見て、マティソンは困った様子を見せるが……その内心は、嬉しく思う。
ここで無理をしてでも立ち上がるような者でなければ、上のクラスに行くのは難しい。
勿論、それだけが絶対の理由ではないが、マティソンの中ではこの五人が上に行く可能性が高い者達だと、そう認識する。
それはマティソンだけではなく、他の教官達にとっても同様だ。
特にマティソンとマティソンと同じく冒険者としての活動に重きを置いている者達にしてみれば、冒険者として活動する上で、どうしようもないことを前にするのは頻繁にある……とまではいかないが、冒険者として活動していく上でそういう経験をすることは珍しくない。
寧ろそのような経験をしないままで成長していくのは、それはそれで危険だ。
……そういう意味では、レイもまた穢れの一件で自分の限界以上の力を発揮しても即座に倒すことが出来ない相手を前に、諦めるということはなかったくらいなのだから。
だからこそ、厳しい現実を前に起き上がる力を持つ五人は、教官達の目から見て好ましい。
「さて、まだ時間がありますし……だからといって、早く終わるのもどうか思います。そんな訳で、教官同士の模擬戦を見て稽古するというのはどうでしょう?」
マティソンの口から出た言葉に、レイとマティソン以外の全ての教官の視線がレイに向けられる。
そこにある視線の色は様々だ。
期待、好奇心、恐怖、嫌悪といった具合に。
好意的な視線なのは、自分がレイと模擬戦をしてどこまで戦えるのか試してみたいと思ってのものだろう。
そして恐怖や嫌悪といった視線は、生徒達の前で模擬戦をして、自分が負けるところを見られたくないといったものや、レイの存在を受け入れがたいと思っている者達だろう。
大雑把に分けて、前者がマティソン達のような冒険者としての行動に重点を置いている者達。
後者が、アルカイデやその取り巻き達といったところか。
もっとも、それはあくまでも大雑把でしかない。
マティソン側でありながらレイと模擬戦をやりたくないと思っている者もいるし、アルカイデの取り巻きの中でも好意……とまではいかないが、敵意の類を向けてこないような者もいる。
「その……マティソン、教官同士の模擬戦ということだけど、それはレイも入っていると思っていいのよね?」
女の教官が、そうマティソンに尋ねる。
その言葉には、もしそうなら出来れば自分がレイと模擬戦をやりたいという思いが込められている。
そんな女の教官に、先を越されたと悔しがる者や、自分の代わりによく聞いてくれたと嬉しく思う者といったように、様々な思いを抱いた者がいた。
「それは……どうします?」
マティソンがレイに向かってそう尋ねる。
マティソンにしてみれば、出来るのなら他の教官にもレイと戦って欲しいとは思う。
しかし、八組の生徒全員と模擬戦を行った上でそのようなことを頼んでもいいのか? という思いもそこにはある。
結局マティソンが選んだのは、レイに直接決めさせるということだった。
「俺は構わないぞ。昨日、俺と模擬戦をやりたいと言っていた連中もいるし、丁度いいんじゃないか?」
レイはマティソンに頷きつつ、とある者達に視線を向ける。
それはアルカイデと、その周辺にいる取り巻き達。
昨日、職員室でレイに向かって堂々と嫌味を言ってきた者達だ。
レイが少しその気になると、すぐに声は低くなったが、これがいい機会だと思い、視線を向けたのだ。
そんなレイの視線にアルカイデは苦々しい表情を浮かべ、その取り巻き達……特に昨日レイに絡んできた者達は真っ青になる。
教官という立場である以上、生徒達の前で圧倒的な負けとなるのは絶対に避けたい。
……いや、それはいいが、本当に最悪の場合、模擬戦中の事故を装って殺される可能性も否定出来なかった。
だからこそ、アルカイデの取り巻き達は何とかしてレイとの模擬戦をやるのを避けたいと思う。
「そ、その……少し、仕事が残っていたのを思い出した。申し訳ないが、私は模擬戦には参加出来ない。深紅の異名を持つ相手との模擬戦が出来ないのは残念だが、仕事を放り出す訳にはいかない以上、仕方がない」
「そう言えば私も仕事が残っていたわね」
「そろそろ人と会う時間だ」
「ちょっと体調が……」
一人が仕事があると言えば、それを皮切りに他の者達もそれに続く。
マティソン派の教官達は、そんなアルカイデの取り巻き達に呆れの視線を向ける。
それどころか、生徒達の中でもある程度動けるようになった者達もまた、呆れの視線を向けている者がいる。
「私がやろう」
そんな中、自分がレイと模擬戦をやると口にして前に出たのは、アルカイデ。
これはレイにとっても少し……いや、かなり意外だった。
てっきり他の取り巻き達と同じように、自分との模擬戦から逃げるのだろうと思っていたからだ。
(それだけ自分の実力に自信があるのか? ……いや、ないな)
身体の動かし方から、アルカイデがそれなりの強さを持っているのはレイにも分かる。
だが、それはあくまでもそれなりの強さでしかない。
生徒達になら、それこそ一組を相手にしても一対一なら勝利出来るだろうが、自分に勝てるとは到底思えなかった。
いや、それこそ自分だけではなくマティソンを相手にしても勝利出来るとは思えない。
それでもこうして自分が模擬戦をやると出て来たのは……
(このままだと、自分の派閥が逃げたというだけになるからか)
レイは模擬戦用の長剣を手に、自分の前に出て来たアルカイデを見て少しだけ……本当に少しだけ見直す。
自分の派閥の者達が情けない姿を見せた。
その上で、派閥を率いるアルカイデまでもが模擬戦から逃げるようなことをしては、それこそこれからこの学校において肩身が狭くなる。
八組の生徒達から噂が広がり、それこそ他のクラスでも馬鹿にされるだろう。
仮にも教官という立場である以上、露骨に口には出さないかもしれない。
だが、裏でそのように言われる可能性は十分にあったし、口には出さずとも態度には出るかもしれない。
そんなことは、貴族の血を引く者としてけっして許容出来なかった。
だからこそ、せめて自分が正面からレイと戦おうと、そう思って模擬戦を行うべく前に出たのだろう。
実際、そんなアルカイデの姿を見た八組の生徒達の何人かは、尊敬の視線を向けている。
八組の生徒達は、実際に自分がレイと戦っただけにその実力をよく分かっていた。
……それどころか、レイが全く本気を出していないというのすら、理解していたのだ。
そんな相手に一人で模擬戦を挑むというのだから、取り巻き達の情けなさを目の当たりにした直後だけに、それが余計にアルカイデに対する好感度の上昇に繋がったのだろう。
アルカイデにとっては全く望んでいない好感度の上昇だったが、それでも生徒達の好感度が多少なりとも上がったのは、せめてもの不幸中の幸いだったのだろう。