3641話
「うっぷ……じゃあ……またな……」
よろよろと、足取りも不確かな状態でハルエスはレイと別れ、自分の家に向かう。
レイはそんなハルエスを、大丈夫か? と見送っていたが……
「グルゥ」
レイに向かって、まだ帰らないの? とセトが喉を鳴らす。
「ああ、そうだったな。お土産もあるし、ジャニスも多分喜んでくれるだろ」
レイとセトが食べて美味いと思った料理の幾つかは、ジャニス用にお土産として、出来たてのままミスティリングに収納されている。
ジャニスはメイドだが、だからといってお土産を購入しないというのもどうかと思ったのだ。
セトを可愛がって貰っているというのも、お土産を購入した理由だろう。
「たこ焼きとか……まぁ、無理か。そもそもたこ焼きってどうやって作るんだろうな? たこ焼き器とかがあれば作れるかもしれないけど」
レイにとって、たこ焼きというのは店で購入するもので、自分で作って食べるものではなかった。
お好み焼きなら、自分の昼食やおやつとして作ることもあったが。
「あ、お好み焼きなら作れるか? けど……どうやって作るんだろうな」
レイが作ったお好み焼きというのは、結局のところスーパーで売っているお好み焼き粉を使って作るというものだ。
小麦粉だけしかないこの場所では、どうやって作ればいいのか分からない。
「出汁……出汁? 鰹節か昆布か? そもそもそういうのはないし、干し肉の出汁とかなら何とかなるか? 具材は……キャベツっぽいのはあるし、肉もある。そうなると、後は魚介類か。何年か前に海に行った時に獲った魚介類がかなりあるし……あー……卵がないな。いや、探せばどうにかなるか?」
レイはセトと共に歩きながら、何故かお好み焼きを作る方法を考えていく。
隣を歩くセトは、そんなレイの言葉にいつか自分もお好み焼きを食べられるのではないかと、嬉しそうにしていた。
「具は取りあえず混ぜるから……肉を薄切りにする必要はないか。最悪ぶつ切りでもいいし」
普通なら、お好み焼きに使う豚バラ肉はお好み焼きの上に乗せ、それをひっくり返して焼く。
レイもそれが普通だというのは分かっているのだが、そのような焼き方をすると、どうしても肉が固くなってしまい、それがあまり好みではない。
そこまで固くならない程度に熱の入った肉の方がこのみのレイとしては、肉をキャベツやイカと一緒に生地に混ぜ込んで食べるのを好む。
ある意味で邪道だというのは、レイにも分かっている。
分かっているが、どうせなら自分の好みで美味く食べたいという思いがそこにはあった。
「グルルゥ?」
「……出来ればお好み焼きを作りたいところだけど、それがいつになるのか分からないな。ともあれ、ジャニスに対するお土産の件はこれでいいとして、今はまずダンジョンの攻略を重視していくか。お好み焼きについては、そのうち時間に余裕があったらだな」
「グルゥ……」
すぐにお好み焼きを食べられないと聞いたセトが、残念そうに喉を鳴らす。
だが、何もない状況からお好み焼きを作るとなると、相応に時間が必要となるのは間違いない。
「今は我慢だ、我慢。卵とキャベツ……後はソース、マヨネーズ、青海苔とかは……マヨネーズは卵と油と酢があれば出来るんだっけ? ソースは……」
ソースと一口に言っても色々なソースがある。
お好み焼きを食べようとしている以上、出来ればお好み焼き用のソースがいいが、どう作るのか、レイには分からない。
ただ、ソースというだけならこの世界にも色々なソースがあるのも事実なので、それをどうにかすればいい。
(ん? っていうか、以前エモシオンに行った時、海鮮お好み焼きを作ったような……ただ、うどんとかと違って、そこまで広まってるようには思えないんだよな)
レイがこの世界に来てから教えた……いや、実際には大雑把な作り方しか教えられなかったのを、料理人が頑張って再現したという方が正しいのだが、とにかくそのうどんはギルムを発祥の地としながら、かなり広まっている。
それこそギルムからかなり離れた場所であっても、普通に売ってるのを見たことがある。
しかし、お好み焼きは違う。
(お好み焼きとうどんなら、多分うどんの方が作るのは難しいと思う。なのに、なんで……まぁ、その辺は、それこそ人の好みとかもあるか)
先程の果実水の屋台の時のことを思い出し、それはそれで仕方がないと諦めるレイ。
すると、ちょうどそのタイミングで自分の家――貸家だが――が見えてきた。
「さて、セト。取りあえず次にダンジョンに行くのはいつになるのかは分からない。それまでは窮屈な思いをさせてしまうかもしれないけど、許してくれ」
借りている家の庭はそれなりの広さを持つ。
しかし、ギルムにあるマリーナの家と比べると、どうしても狭い。
セトが思う存分動き回れるかとなると、微妙なところだろう。
それでも宿の厩舎にいるよりは、自由に外に出て動けるというのは大きな意味を持つのだが。
勿論、普通の動物ではそのようなことは出来ない。
……いや、出来ない訳ではないだろうが、その場合は庭だけではなく家の敷地の外にも出て行ったりするだろう。
しかし、セトは頭が良い。
高ランクモンスターだからというのもあるが、やはりそれ以上に魔獣術で生み出された存在だからというのも大きいのだろう。
その為、庭から出るなと言っておけばそれを破ることは……何か余程のことでもない限り、心配しなくてもいい。
「グルゥ」
今もまた、レイの言っていることを理解した上で心配しないでと喉を鳴らすセト。
レイとしっかりと意思疎通が出来るセトだからこその態度だった。
レイとセトは家に戻ると、セトはそのまま庭に向かう。
レイは扉を開き、家の中に入る。
「お帰りなさい、レイさん。ダンジョンはどうでしたか?」
レイが家の中に入ると、すぐにジャニスが姿を現し、そう言ってくる。
レイの心配をしていないのは、レイの強さを十分に知っているからか。
ジャニスがこの家でメイドをすることになった時、当然ながらこの家を使うのはどのような人物なのかの説明を受けている筈だ。
だからこそ、レイが無事に戻ってくるのは間違いないと思っていたのだろう。ましてや……
「今日はダンジョンがどういう場所なのかを見てきただけだしな。浅い階層で、しかもセトがいる状況で苦戦するなんてことになれば……それこそ、異名持ちのランクA冒険者の名折れだよ」
「そうですか。ですが、ダンジョンというのは何が起こるのか分からない場所であるとも聞いています。レイさんなら大丈夫だとは思いますけど、くれぐれも注意して下さい」
「ああ。分かっている」
ジャニスが言うように、ダンジョンの中でイレギュラーが起きるというのは、そう珍しいことではない。
事実、レイはイレギュラーとも認識していなかったが、泥のゴーレムの大量発生もまた、十分にイレギュラーと呼んでもいい出来事だ。
結局そのイレギュラーは、特に何もレイに被害を与えることもなく、鎮圧されてしまったが。
セトのアイスアローの威力があってこその、速やかな殲滅だった。
「そうそう、これは土産だ」
レイはそう言うと、ダンジョンの一階で入手した――正確には購入した――果実をジャニスに渡す。
レイにとっては、水分補給をする為ならともかく、純粋な果実として食べたいとはあまり思わない、そんな果実。
(あ、もしかしたら、あの果実水の屋台って、これを使ってたのか? いや、違うな。あの薄さは店主の好みだって言ってたし。この果実で濃い果実水を作るとなると、それこそ大量に果汁を搾って、煮詰めるとかしないと無理なような気がする)
そんな風に思うレイだったが、ジャニスはそんなレイの考えを理解している筈もなく、素直にその果実を受け取る。
「あら、この果実……」
「ダンジョンの一階になる果実らしい。ガンダルシアではそれなりに出回ってるって聞いたが?」
「そうですね。ダンジョン産として考えると、それなりに安く売ってます。もっとも、物珍しさから購入する人が多いですけど」
「だろうな」
ジャニスのその意見には、レイも納得する。
食べてみれば、そこまで美味いとは思えなかったからだ。
勿論、それはレイだから……この世界でも美味い料理を食べることの多いレイだからこそ、特にそのように思うのだろう。
例えばこれが、スラム街の住人のように、食べることにすら困っているような者達にしてみれば、このような果実も甘味としてご馳走のような扱いになってもおかしくはない。
……もっとも、街中で売られている果実の値段を考えると、とてもではないがスラム街の住人が購入出来るとは思えないが。
「後は、商人の方が買っていくことが多いと聞いています」
「こういうのでもダンジョン産だし、売る相手によってはそれなりの値段で売れるのかもしれないな」
「ダンジョンに夢を見る人は多いですしね」
しみじみとそう言うジャニスの表情には、微かに苦いものがあるようにレイには思えた。
ダンジョンに関係して何かがあったのかもしれない。
そう思ったレイだったが、その件について聞くのは最悪地雷を踏むようなものだと考え、止めておく。
これでレイがジャニスと付き合うとかそういうのを望むのなら、そこまで踏み込んでもいいのかもしれないが、生憎と今のレイにはそのようなつもりはない。
そんな訳で、その辺は特に気にせずミスティリングの中から次の土産を取り出す。
「他にもこういうのはどうだ? このサンドイッチは煮込んだ肉と野菜が挟まっていて、特に美味いと思った奴なんだが」
そんな説明をしたサンドイッチ以外にも、串焼きや焼いた掌サイズのカボチャの中に挽肉を炒めて詰め込んだ料理であったり、酸味のある果実を練り込んだパン、他にも幾つかの料理を取り出す。
皿がないと食べられない料理の類は、本来なら料理を食べ終わったら皿を返すのだが、お土産用という事で、レイのミスティリングに入っている皿に入れて貰ってきた。
「これは……凄い量ですね。これ、全部を私に?」
「今日の夕食代わりにどうかと思ってな。ハルエスに案内して貰った屋台街で買ってきた」
「ああ、あの子……」
レイがこの家に来た日にいきなりやって来たハルエスのことは、ジャニスも覚えていたらしい。
レイにとって……いや、ハルエスにとって幸いだったのは、多少ハルエスと揉めたジャニスが、あまりマイナスの感情を持っていなかったことか。
最初はかなり強引に家に上がろうとしたのでジャニスも不満に思っていたのだが、何故ハルエスが来たのかを知れば、一生懸命で少し暴走していただけだと、そう思ったのだろう。
「あいつ、もしかしたら化けるかもしれないな」
「……そうなんですか?」
「ああ。今は弓を使っているんだが、かなりの才能がある。本人にその気があるのなら、ポーターじゃなくて、弓術士として行動しても問題はないと思う」
「そうなんですか? なら、そうなるんでしょうか?」
「どうだろうな。普通ならポーターを辞めると思うけど、ハルエスは何だか妙にポーターに対する執着というか、プライドを持ってるように思えたから、難しいかもしれない。……まぁ、その辺は俺がどうこう考えるようなことじゃない。ハルエスが決めることだ」
ハルエスが何か理由があってポーターに対する拘りがあるのなら、もし弓を使えるようになってもポーターのままでいるだろう。
しかし、あくまでも稼ぐのが目的なら、レイが言ったようにポーターではなく弓術士になる可能性は十分にある。
ハルエスがどのように判断するのかはレイにも分からなかったし、どのような判断をしてもそういうものだろうと受け入れるつもりだった。
ハルエスがレイのパーティメンバーなら、また話は違っただろう。
だが、結局のところレイはあくまでも教官でしかない。
弓を使えるようにしてみたらどうかといったようにアドバイスはするが、それを受け入れるかどうかは、あくまでもハルエス次第なのだ。
「それにしても……この料理の量は、ちょっと食べきれないですね」
「そうか? ジャニスが食べきれなかった分は俺が食べてもいいけどな」
お土産として購入してきた料理は、どれもレイが食べて美味いと思った料理だ。
それだけに、レイがその料理を食べるのは全く問題がない……どころか、喜んで食べる。
また、屋台街から家まで戻ってくるまでの間に、それなりに時間が経っているので、腹の余裕もそれなりにあるので、そういう意味でも問題はなかった
「分かりました。じゃあ……これで夕食にしましょう。ただ、もう少し時間が経ってからですね」
まだ時間は夕方になるかどうかといったところだ。
また、レイが屋台街で食べてきたことを思えば、もう少し時間を置いた方がいいだろうとジャニスは考え、そう言うのだった。