3639話
「へぇ、こういう場所があるのか」
レイは周囲に並んでいる複数の屋台を見て、感心したような、驚いたような、そんな声を漏らす。
レイがガンダルシアに来てから、まだそんなに時間は経っていない。
その為、ガンダルシアをそれなりに見て回ってはいるものの、その全てを理解している訳ではなかった。
「ふふん、どうだ。驚いたか? ここは屋台街とも呼ばれている場所なんだ。……もっとも、中には大外れの屋台があったりもするから、注意が必要だけど」
「そういうものか」
屋台が多数あるというだけなら、ここのようにとまではいかないが、ギルムにも結構な数の屋台が並んでいる通りがある。
だが、その屋台は基本的に外れはない。
勿論人には好みというものがあるので、口に合わないようなものはあるだろう。
例えば、レイにとって酒は飲んでも美味いとは思わないように。
しかし、誰が食べても不味いと思うような、そんな大外れの屋台は存在しなかった。
何しろギルムにおける屋台というのは、競争率が非常に高い。
大外れのような料理を出すようなことになれば、それこそ即座に売り上げに影響して、他の屋台に場所を譲ることになるだろう。
屋台の中には専門の料理人ではなく、趣味でやっている冒険者もいるが、その味は専門の料理人に決して負けるものではない。
好きこそものの上手なれという言葉があるが、それを証明している形だ。
もっとも、冒険者が趣味でやっているのは技術的に専門の料理人には負けるので、それを補う為に冒険者ならではの行動として、自分で食材を手に入れるというのがある。
料理人なら食材を手に入れるには購入するなり、場合によっては冒険者に依頼をする必要があるが、冒険者なら自分で採りに、あるいは獲りにいけるのだから。
(そういう意味では、大外れの屋台とかが普通にあるらしいこの辺は、そこまで競争は激しくないのか? まぁ、ギルムと違ってダンジョンしかないしな。……ギルムにはダンジョンがないけど)
漂ってくる食欲を刺激する香りを楽しみながら、レイはギルムとガンダルシアの違いを改めて実感する。
ギルムの周辺には、様々なモンスターがいて、中には高ランクモンスターも普通にギルムの周辺に出てくる。
多少の例外はあれど、モンスターの肉というのは高ランクモンスターになればなる程、美味くなる。
そういう意味では、腕の経つ冒険者にしてみれば、高級食材を獲るのはそう難しい話ではない。
……あくまでも、そのモンスターに勝利出来るのが前提の話だが。
そのようなギルムと比べると、ガンダルシアは上の階層には弱いモンスターしかおらず、高ランクモンスターを倒すには下の階層に行く必要がある。
幸いなことに、階層の移動に転移水晶を使えばそこまで大変ではないが、そもそもガンダルシアにいる冒険者はギルムと比べると量でも質でも劣る。
それを示すように、まだこのガンダルシアのダンジョンで最も深い場所まで潜っている冒険者でも、十八階なのだから。
そういう意味では、ガンダルシアの屋台が玉石混淆といった状態なのは、レイにも理解出来る話だった。
「出来れば、そんな大外れには当たりたくないな。……ハルエス、ここはお前が頼りだ」
「いや、そこで俺を頼りにしても……まぁ、知っている屋台は幾つかあるから、そういう場所なら外れはないと思うけど」
「なら、まずはそれからだな。……まずは何から食う?」
「グルゥ!」
レイの言葉に即座に反応するセト。
そんなセトを見たハルエスは、レイに視線を向ける。
「セトは何て?」
何となく……本当に何となく、今のセトの様子を見れば何を言いたいのかは予想出来る。
だが、それでももしかしたら違うかもしれないと思い、そうレイに尋ねる。
「肉」
端的な一言だったが、レイの口から出た言葉はハルエスの予想と全く同じだった。
「肉……肉か。そうなると、やっぱり串焼きとか?」
他にも肉料理は幾つかあるが、やはりダイレクトに肉を味わいたいのなら、肉をそのまま食べる串焼きだろう。
レイにとっても、串焼きはよく食べる料理だ。
もっとも、よく食べる料理だからといって、飽きるということはあまりない。
シンプルな料理だけに飽きにくいというのもあるし、またシンプルな料理だけに素材の味や調理技術によって味が大きく変わる。
この屋台が複数ある場所で食べる串焼き……それもハルエスがお勧めする串焼きは、レイにとっても楽しみだった。
「ああ、串焼きでいい。……ちなみに串焼きの肉は何の肉だ? ギルムだとオークの肉が多いけど」
「え? オークの肉? そんな高級な肉を普通に食べてるのか?」
「その辺は、辺境だからだな。ギルムの周辺はオークがそれなりに多いから、基本的にオークの肉を食べることが多い。勿論、それでもある程度の値段はするけど」
レイはオークの肉を食べることが多かったが、それでもやはり一般的な……冒険者でも何でもない一般人が食べる肉と比べると、オークの肉は若干高価だ。
それでも辺境であるからこそ、それ以外の場所……オークとかが出て来ないような街で出す肉と比べると、かなり安い。
「ギルムって羨ましいな。……まぁ、ダンジョンでもオークが出る階層があるから、ガンダルシアでのオークの肉もグワッシュ国にある他の街と比べると、それなりに安いけど」
「なら、オークの肉を食べるか?」
「うーん、でも安いことは安いけど、それはあくまでも他の街と比べたらだぞ? ダンジョンで稼いでいる連中ならともかく……」
ハルエスにしてみれば、出来ればもう少し安い肉を食べたかった。
何しろ、今日のハルエスはあくまでもレイをダンジョンに案内しただけなのだ。
……いや、寧ろダンジョンで試す為に、矢をそれなりに購入したので、赤字に近いだろう。
弓は学校で使っている物を借りられたが、さすがに矢は自分で用意しないといけなかった。
勿論、その矢を入れる矢筒も自分で購入している。
なのに、今日は倒したのが精々がゴブリン程度だ。
ハルエスにしてみれば、二階で遭遇した泥のゴーレムの魔石や素材は出来れば欲しかった。
ただ、泥のゴーレムを倒したのがレイとセトである以上、それを欲しがるというのは冒険者として不味い。
あるいはその後、レイがあの場にいた者達に、泥のゴーレムの魔石を自由にしてもいいと言った時、ハルエスも確保しておけばよかったのかもしれないが、それはそれで難しい。
ハルエスがレイと一緒に行動しているのは、多くの者が見ている。
それだけに、ハルエスが泥のゴーレムの魔石や素材を手に入れようとしていれば、何だこいつは? といった視線を向ける者もいるだろう。
そんな訳で、ハルエスとしては打ち上げにレイを誘ったものの、出来れば高い料理は遠慮したかった。
そんなハルエスの考えを理解したのか、それとも単純に早く食べたいと思ったのか、レイは近くにあった、オークの肉の串焼きを売ってる屋台に向かう。
「取りあえず、今日は俺の奢りだ、ハルエスのお陰でダンジョンについても色々と分かったしな。その報酬だとでも思ってくれ」
「え? その……いいのか?」
ハルエスにしてみれば、今日ダンジョンの案内をしたのは別に依頼を受けたというつもりではなかった。
それにハルエスも弓を実戦で試している。
そう考えると、やはり依頼ではなく普通に同行しているだけといった認識だったのだろう。
しかし、それはあくまでもハルエスにとってだ。
レイにとっては、ダンジョンについて色々と説明をして貰ったし、ダンジョンで果実を食べさせても貰った。……その果実は決して美味いとは言えなかったが。
だが、その果実を食べてみたいと言ったのはレイ――正確にはセト――だし、そういう意味で手間も取らせた。
果実を採るつもりで待機していた者達との交渉を任せたりもしている。
そう考えれば、打ち上げで奢るくらいは特に問題はない。
そもそも、レイはランクA冒険者なのだ。
そんなレイが、ランクは分からないが低ランク冒険者のハルエスに奢らないというのは、外聞的に微妙なところでもある。
……セトを見ず、レイだけを見て高ランク冒険者だと認識する者がどれだけいるのかは微妙だが。
ともあれ、レイは串焼きを十本購入する。
「え? おい、レイ。それはちょっと買いすぎじゃないか? 三本でも……」
「気にするな。美味かったらもっと食べたくなるかもしれないし。それにセトがいる以上、余るということはないし」
「それは……そうだな」
言葉の途中でハルエスはセトを見て、納得する。
屋台街のある場所だけに、周囲には腹を空かせた者達が多く、様々な料理の香りが漂っている。
腹を空かせた者達は、どの屋台に行くかと考えていたりするのだが、そんな者達の側をセトが通れば、一瞬動きを止めて、二度見、三度見といった具合でセトを見る。
そんな注目を集める巨体だけに、セトなら串焼きの十本や二十本は容易に食べられるのは間違いない。
「ほら、これがハルエスの分だ。これは俺。……こっちはセトな」
「悪い、ありがとう」
「グルゥ」
レイに串焼きを渡されたハルエスとセトは、それぞれ感謝の言葉を口にして、串焼きを食べる。
レイもまた、そんな一人と一匹に負けないようにと、串焼きを口に運び……
「うん、悪くないな。美味い」
驚く程に美味いわけではなかったが、それでも普通に美味いと断言出来る程度には美味かった。
一口目は香ばしく焼かれた香りが口の中に広がり、肉を囓ることで生まれる程よい食感と、肉汁を楽しみ……それを飲み込む。
(残念なのは、香辛料か。……まぁ、ギルムと比べるのが間違いなんだろうけど)
緑人の存在によって、ギルムでは香辛料がそれなりに安価で出回っている。
屋台の中にはいち早く香辛料を料理に取り入れた者もおり、そのような料理はどれもレイの好みに合っていた。
そのような香辛料を使った料理と比べると、塩味だけの串焼きは美味いことは美味いが、少し物足りない。
「レイ、ほら。向こうのスープも美味いぞ。魚の身が入ったスープで、柔らかい食感が美味いらしい」
串焼きを食べ終わると、ハルエスが次に勧めてきたのは、スープを売っている屋台だ。
魚を具にしたスープという言葉に興味を惹かれ、その屋台の前に向かう。
……ちなみに、串焼きの残りはセトが全部食べたので、既にどこにもない。
「いらっしゃい。……ハルエス、いい客を連れて来てくれたな」
屋台の店主はどうやらハルエスと顔見知りらしく、レイとセトを連れてきたハルエスに感謝の言葉を口にする。
レイが先程屋台で結構な量の串焼きを購入したのは、この屋台の店主もみていたのだろう。
「だろう? だから少しくらいはおまけしてくれよ」
「分かったよ。それで、三杯でいいか?」
店主がハルエスの言葉に頷き、レイに尋ねる。
先程もレイが串焼きの代金を払ったのを見ていたのだろう。
「ああ、それでいい。大盛りで頼む」
「あいよ」
レイの言葉に、店主は素早く鍋の中に入っているスープを器に盛り、そのスープの上に赤い何かを仕上げとして振り掛ける。
すると、周囲に香ばしい香りが漂い始めた。
「へぇ……」
その香りに興味深そうな様子のレイ。
料金を支払い、早速スープを飲む。
香ばしい香りを漂わせる、何らかの粉末。
それが何なのか。
好奇心に刺激されてスープを一口飲むが、口の中には香ばしさが広がるものの、それだけだ。
特に何か味らしい味はしない。
純粋に香ばしさを際立たせる粉だ。
「この粉は?」
「秘密だよ。この香ばしさは、うちの料理の大事な要素だからな」
「……一応聞くけど、何か妙な材料を使ったり、危ない代物だったりしないよな?」
「あのなぁ……そんなのを簡単に出す訳がないだろう?」
「そうだな。悪い」
もし何か違法な薬物の類を使っているのなら、それこそ警備兵に捕まってしまうだろう。
レイもそれが分かっているので、素直に謝ったのだ。
(けど、この香ばしさ……どこかで……? ん? カニか?)
レイが思い浮かべたのは、カニ。
夏休みに、親戚や友人の家と一緒に、レイの家でも海に行くことがあった。
何しろレイが住んでいるのは山の近くなので、海までは結構な距離があり、自転車で行くのは難しく、車が必須だったのだ。
そうして海に行くが、レイの家でいくのは基本的に砂浜ではなく岩の海。
そこで海に潜って魚を獲ったりして、バーベキューをやるのだ。
その時、スルメを使って小さなカニを釣り、それも焼いて食べたりするのだが、その時の香ばしさが、何となくこの粉の香ばしさに似ているように思えた。
そんな風に考えつつ、レイはスープを楽しむのだった。