3634話
「ほら、あそこに何本か木が生えてるだろ? あの木に果実が……あー、もう人がいるな」
レイとセトを引き連れて果実が採れる場所までやって来たハルエスだったが、その果実のなる木の前に数人がいるのを見て、残念そうに呟く。
「ちなみに、こういう場合はどうなるんだ? やっぱり早い者勝ちなのか?」
「そうなるな。実際にはその辺の判断は人によって違うから、何とも言えないけど……普通なら、わざわざ揉めてまで果実を採ろうとは思わない。結局小遣い稼ぎ程度の金額でしか売れないし」
その小遣いというのが、具体的にどのくらいのものなのかはレイには分からない。
日本にいた時の感覚からすると、果実の値段は一個五百円くらいだろうか。
そう予想するも、それが正しいのかどうかは微妙なところだ。
「小遣い程度なら、少し色を付けて俺達が買い取るというのもあるな。あそこにいる連中にとっても、わざわざダンジョンから出て売りに行くよりも、ここで売ってしまった方が手っ取り早いだろうし。……もっとも、俺達と同じで食べるのが目的ならそれも難しいけど」
「どうだろうな。なんなら交渉してくるか? レイにとっては、買い取るくらいは楽に出来るだろうし」
「そうだな。……じゃあ、頼めるか? セトの様子を見ると、ここで果実を食べないという選択肢はないだろうし」
セトはいつ果実を食べられるのかと、期待した様子だ。
今更、果実を食べることは出来ないと言ったら……どうなるのかは、レイも見たくはない。
それなら、多少多く支払ってでも果実を買い取って食べた方がいいだろうと判断する。
「というか……果実は具体的にどのくらいなるんだ? 木は……十本くらいあるけど」
「その時々によって違う。それこそ全ての木に果実がなることもあれば、一つしかならないこともある。……その辺は完全に運だな」
「運か。……となると、やっぱり話をしておいた方がいいか」
木の周囲にいる人数はそう多くはない。
もしハルエスが言うように、木々の全てに果実がなるといったようなことがあれば、レイ達も果実を採ることが出来るだろう。
だが、果実の数が少ない場合、レイ達が果実を採れる可能性は低くなる。
そんな訳で、ハルエスは木の周囲にいる者達と交渉しに向かう。
当然ながら、木の周囲にいる者達もレイ達の存在には気が付いていた。
レイとハルエスはともかく、セトという大きなモンスターが一緒にいるのだから、その存在に気が付くのは当然の話だろう。
最初、レイ達の姿を見つけた時は、一体どうすればいいのか迷っていた。
もしセトだけなら、ここがダンジョンの中であるということもあって、何らかのイレギュラーによって高ランクモンスターが出て来たと混乱していたかもしれない。
ただ、レイやハルエスがセトと一緒にいたので、そこまで問題になるようなことはなかったのだが。
ただ、そんな中でハルエスが近付いてくるのを見れば、どうしたらいいのか迷う。
「お、おい。向こうの連中……来るぞ。どうにかした方がいいんじゃないか?」
「どうって、具体的にはどうするんだよ?」
「それは……何をしに来たのか、話を聞きに行くとか?」
「ちょっと待って。向こうはグリフォンを連れてるのよ? それはつまり、ガンダルシアに来たっていう、深紅のレイでしょ? そんな相手にここから出て行けとか言われたら、どうするつもりなのよ?」
「そう言われたら、それは場所を譲るしかないだろ。ただ、レイの噂を聞く限りだとそういう理不尽なことはしないと思うけど」
「所詮は噂でしょ。一体何をするのか、分かったものじゃないわ」
そんなやり取りをしている間に、ハルエスが近くまでやって来た。
「すまないが、ちょっといいか?」
「えっと、何でしょう?」
ここにいた者達のうち、リーダー格の男がハルエスに向かってそう言う。
その表情には緊張が表れていないが、実際にその内心においてはかなり緊張していた。
出来ればハルエスが横暴なことを言わないようにと。
自分がそのように思われているとは分からないハルエスは、素直に自分がここに来た理由を口にする。
「向こうにいるのは深紅のレイっていう異名持ちの冒険者なんだが、知ってるか?」
「ああ、知ってるよ。彼の噂を聞いたことがない者はガンダルシアにはいないんじゃないかと思うくらいには有名だし」
それは少し大袈裟では?
少しだけそう思ったハルエスだったが、自分がレイの家に行った時のことを思い出せば、その言葉も決して大袈裟なものではないだろうと思い直す。
「そうだな。有名なのは間違いない。それで、レイが……より正確には、レイの従魔のグリフォンが、この木になる果実を食べてみたいらしい」
「つまり、この場を譲れと?」
男のその言葉に、ハルエスは自分達がどのように思われているのかを理解し、慌てて首を横に振る。
「いや、別にこの場所からいなくなれとか、そういう風にはレイも思っていない。ただ、もし果実を入手出来たら、それを売って欲しいというのがレイからの提案だ」
その言葉に、男は……そして他の者達も安堵する。
果実を奪おうとするのではなく、買おうとしているのだとはっきりした為だ。
……もしこの場から消えろと言われたら、男達は素直に従っていただろうが。
果実は売るにしても、小遣い程度の値段でしかない。
そんな値段で売れる果実を手に入れる為に、どうしてもここからいなくなれという要望に逆らいたくはなかったからだ。
ここはダンジョンの一階で、もしここでレイが男達を害するようなことがあったら、それはそれで問題となる。
小遣い程度の金額の果実の為に、そこまでやるとは思えない。……いや、思いたくないというのが正しいのか
ともあれ、向こうから買いたいという要望があったのだから、男達がそれに否とは言わない。
……あるいは、もしこの果実を売る目的で入手する訳ではなく、自分達で食べたい、もしくは食べる以外に何らかの使用方法があるのなら、もしかしたら譲るという選択肢は選べなかったかもしれないが、幸いなことに男達はあくまでも売る為に果実を採りにきただけだ。
「ちなみにだが、ギルドや街中で売るよりも少しだけ高く買い取ってくれるらしいぞ」
「売ります」
少しでも高く買い取ってくれるという言葉に、男は即座にそう返す。
おい、と。
男の様子を見ていた仲間達はそう突っ込みたくなったが、実際にこの果実を売る為に採取しようとしていた以上、それを高く買い取ってくれるのなら、それに不満がある筈がない。
そうして交渉はすぐに纏まり、結果として地上で売る時の二割増しの値段で果実を売ることになった。
……ただし、それはあくまでも果実が少ししか採取出来なかった時の場合だ。
運によっては、周囲に生えている木々に大量の果実がなる可能性もある。
そうなれば、男達も全ての果実を自分達だけで採るといったことは出来ない以上、そのあまった果実をレイ達が採っても問題はない。
男達にしてみれば、自分達の利益的に残念になるが。
「じゃあ、そういうことで。……果実はいつくらいに出そうだ?」
「さぁ? 俺達も具体的にいつ果実がなるのかは分からないし。ただ、何となくもうそろそろじゃないかとは思ってる」
男達はこれまで何度も果実を採っている。
そうである以上、あくまでもこれまでの経験からだが、大体どのくらいの割合で果実がなるのかは予想出来る。
そして果実がなるのは、そろそろだろうと男は予想していた。
「そうか。なら、俺達はもう少し待つ。出来るだけ早く果実がなって欲しいな」
「そうだな。……それで、あんたは深紅のレイと一体どういう関係なんだ? あのグリフォンを従えているのを見ると、ちょっと迂闊に接触出来ないようにも見えるけど」
「セト……グリフォンを見てそういう風に思えるのは理解出来るけど、実際に接してみればそう怖い相手じゃないぞ、俺はレイと会えたことに感謝してるし」
これはハルエスの正直な気持ちだ。
何しろ、レイからの助言のお陰で、弓を使おうと思ったのだから。
もしレイと会えなかったら……それこそレイが教官としてやってこなかったら、もしくは教官であっても会いに行った時に面会を断られたら、ハルエスは未だに弓を使うといったことはせず、純粋なポーターとして活動していただろう。
そして、他のパーティに入れて欲しいと頼んでは、断られていただろう。
そういう意味では、レイはハルエスにとって恩人と言ってもいい。
……それを正面から言うようなことは、まずないが。
「そう……なのか? 噂だともの凄い怖い奴だってことだけど」
「強いけど、怖いというのとはちょっと違うと思う」
そう言うハルエスだったが、これについては間違っている。
レイにとっては、敵であると認識すれば、それが貴族であろうとなんだろうと、容赦なくその力を……異名持ちのランクA冒険者としての力を振るう。
そんなレイの一面をハルエスはまだ見ていないので、今のような言葉が出たのだろう。
もしレイがその力を発揮し……怖さを見せつけるようなことをした時、ハルエスがどう反応するのかは、分からない。
ただ、幸いなことにハルエスはその辺りについての情報を知らない。
あるいは噂で知っていても、結局は噂であると判断している。
その為、ハルエスと話している男もレイは怖くないというのを素直に信じる。
「分かった。じゃあ、取引についてはそういうことで。……こっちにとっても、高く買ってくれるのなら、願ってもないことだしな」
そうして取引についての話は終わり、ハルエスはレイとセトのいる場所に向かう。
「無事に取引が出来るようになった。後は、いつ果実がなるかだけど……うん?」
まるでハルエスがそう言うのを待っていたかのように、突然木々に果実がなる。
ただ、レイが期待していたように、木々に鈴なりに果実がなるといったことはない。
果実の数が少ない……とまではいかないが、大量という程ではなかった。
「残念だったな。いやまぁ、連中にしてみれば悪くない結果なんだろうけど」
「出来ればもっと果実がなって欲しかったけどな。……仕方がない。じゃあ、買い取りに行くか」
値段に少し色を付けるのは、木になっている果実を採るという作業を代わって貰っていると思えば、レイにとってもそこまで気にするようなことではない。
……そもそも、金は使い切れない程にあるのだから。
万が一……本当に万が一だが金が足りなくなったら、それこそダンジョンで稼ぐなり、あるいは盗賊狩りにでもいけばいい。
ガンダルシアは迷宮都市である以上、当然ながら多くの商人が素材やマジックアイテム、それ以外にも様々な物を購入するべく集まってくる。
そのような者達がいれば、当然ながらそれを狙う盗賊も集まる訳で……レイにしてみれば、盗賊狩りをする対象に困ることはなかった。
(冒険者育成校の模擬戦では、盗賊と戦わせてみるのも……いや、ランクアップ試験のことを考えるとまずいのか?)
レイがまだそこまでランクが高くなかった時に経験したランクアップ試験には、盗賊を殺すというのがあった。
それはモンスターではなく人を殺せるかを試す試験だったのだが……レイは躊躇なく殺してしまったが、普通ならそれなりに悩み、苦しんでもおかしくはない。
現在冒険者育成校に通う生徒の中には、既にランクアップ試験で人を殺すという壁を乗り越えた者もいるだろう。
だが同時に、冒険者になったばかりの者もいる。
そのような者達に人を殺させるという経験をさせてもいいのかどうかは、生憎とレイには分からなかった。
(マティソンが……あるいは、校長のフランシスに聞いてみて、それで許可が出たらギルドで盗賊の討伐の依頼を受けてみてもいいかもしれないな)
そんな風に思いつつ、レイはハルエスに果実を購入する分の金を渡す。
「じゃあ、頼む」
「任せろ。交渉についてはもう終わってるしな。後は金を払って果実を受け取ってくればいいだけだ」
ハルエスはそう言うと、果実を採っている者達に向かって歩き出す。
「グルゥ」
セトは、早く食べたいといったように喉を鳴らす。
レイはそんなセトの頭を撫でて落ち着かせる。
「ほら、そこまで焦るなって。もうすぐ食べられるんだから。……それにしても、この草原になる果実はどういう味なんだろうな」
セトを落ち着かせようとするレイだったが、話しているレイの方が果実に興味津々といった様子だった。
このダンジョンで食べられる果実に興味を抱くのは、一種の食べ道楽とも呼べるレイとセトなら当然のことだったかもしれない。