3632話
「うーん……本当に草原がどこまでも広がっているだけだな。てっきり、こう……もう少し何かあると思ったんだが」
レイは隣のセトを撫でながら、つまらなさそうに言う。
だが、ハルエスはそんなレイに呆れの視線を向ける。
「ダンジョンの……しかも一階に何を求めてるんだよ」
「そうだな。例えば、本来ならここに出ないような高ランクモンスターが現れるとか?」
「おい、もしそうなったら、ここで活動してる冒険者にとって致命的だぞ」
「だろうな。ただ……うん。まぁ……」
言葉を濁すレイ。
レイは自分がトラブル誘引体質だというのを知っている。
そうである以上、自分が特に何もしていないのに、気が付いたら高ランクモンスターがこの草原に現れている……といったようなことがあっても、おかしくはないと思えてしまう。
ただ、それを自分でハルエスに言うのはどうかと思い、口にすることはなかったが。
「ダンジョンでは何があってもおかしくないしな。そういうこともある。……そう思わないか?」
レイの言葉に、ハルエスは何と答えればいいのか迷う。
実際、ダンジョンでは何が起きてもおかしくはないというレイの言葉は、決して間違ってはいない。
それは冒険者育成校では最初に教えられることなのだから。
とはいえ……実際にそのような事態を経験したことがないハルエスにしてみれば、素直に納得出来るかどうかはまた別の話だろう。
「そういうこともあるかもしれないけど、実際にそういうのが起きたりすることは滅多にないんじゃないか?」
ハルエスのその言葉に、レイの表情は厳しくなる。
「そういう心構えだと……死ぬぞ」
「え? あ、いや……何もそんなに怒らなくても……」
ハルエスにしてみれば、軽い冗談のつもりの言葉だったのだろう。
まさか、レイがこんなにも怒るとは思っていなかったらしい。
「ハルエスがポーターとして他のパーティに入れて貰えないのは、純粋なポーターという理由以外に、その辺も理由にあるのかもしれないな」
幾ら何でも大袈裟な。
そう思うハルエスだったが、レイの様子を見れば迂闊に何かを言ったりは出来ない。
もしここでそのようなことを口にすれば、一体レイにどのように思われるのかということを察したからだ。
「それが、ダンジョンを甘く見てるってことなのか?」
ハルエスも、それなりに頭は回る。
今のレイとの会話のどこが原因でこのようなことを言われたのかは、容易に想像出来た。
もっとも、実際にそのような経験がない為に、そこまでレイが言う理由というのは……理解はしつつも、実感というものがなかったが。
(これは俺が悪いか)
ハルエスの様子から、注意された理由については納得しているものの、完全に理解はしていない。
そう判断したレイだったが、ハルエスはまだダンジョンのそこまで深い階層に潜っている訳ではないということを思い出す。
ハルエスが具体的にどのくらいの階層まで潜っているのかは、レイにも分からない。
だが、元々が冒険者育成校の生徒……それも上位のクラスではないことから、その能力は決して突出したものでないのは事実だ。
そうである以上、そこまで深い階層までは潜っていないのはそうおかしな話ではなかった。
だからこそ、レイの言うダンジョンを甘く見るなというのを、言葉では理解しつつも、実感としてはまだ足りないのだろう。
「いずれ……そう、ハルエスがもっと深い階層まで潜れるようになれば、俺の言いたいことも分かるというか、実感するだろうな」
「そういうものなのか。……いや、レイは俺よりもダンジョンについて詳しいんだろうから、それはそれで間違ってないんだろうけど」
「ともあれ、ダンジョンというのは何があるのか分からない場所だ。……そもそも、まだダンジョンが具体的にどういう場所なのかというのも、完全に解明された訳じゃない。そうなると、そんな不明の状態である以上、何が起きてもおかしくはない。……そう思わないか?」
「うーん、でもそういうのだって分かっていればどうにかなるんじゃないのか?」
「まぁ、それは否定しない。実際、俺もそういうのが分かっている訳じゃないのに、普通にダンジョンを攻略したりしてるしな。とはいえ、それでもそういう場所だと認識はしておいた方がいい」
そう説明しつつ、レイはふと日本にいた時に見ていたTVを思い出す。
TVはどうやって使えばいいのか、容易に分かる。
だが、具体的に何がどうなってそのように動くのかを説明しろと言われても、説明は出来なかった。
それと同じ……とまではいかないが、似たようなものだろうと思っておく。
どのように使えばいいのかは分かっているが、その仕組みそのものは知らなくても、別に構わないのだろうと。
「グルルゥ」
「おっと、悪い。そうだな。いつまでもここで見ているのはどうかと思うし、この草原の他の場所にも色々と移動してみるか。……ハルエス、他にどこか面白そうな場所はないか?」
「面白そうなって……ああ、そう言えば果実がなってる場所があるな。ただ、それなりに人気だから、行ってみても既に誰かに採られている可能性もあるけど」
「果実か。……ちょうど小腹も空いてきたし、ちょっとそれを見に行ってみてもいいかもしれないな」
「グルゥ!」
果実という言葉に、セトも喉を鳴らす。
ダンジョンの中の果実はセトの興味を引くには十分だったのだろう。
しかし、果実という言葉を口にした途端にやる気満々といった様子を見せるレイとセトに、ハルエスは戸惑う。
適当に口にした言葉だったのだが、まさかここまでやる気になるとは思ってもみなかったのだろう。
「えっと、さっきも言ったけど、多分果実のある場所に行っても食べることは出来ないぞ? ここはダンジョンだから、ある程度時間が経てばまた果実は実るけど、それを待ってその果実を採ろうとする者もいるのも事実だし。それに、ゴブリンを始めとしたモンスターもその果実を欲して襲ってきたりするし」
「そこまで争いが熾烈ということは、それだけ美味い果実なのか?」
「え? うーん……どうだろうな、以前偶然パーティで採取出来た時に食べたけど、普通よりは少し美味いって程度だったぞ。まぁ、ダンジョンで採れる果実というだけで、それなりに希少性は高いのかもしれないけど」
「なるほど。……他の場所に植えて育てたらどうなるかとか、あるいはダンジョンの中特有で何らかの特別な効果があったりとか、そういう可能性もあるしな」
「……いや、希少性云々って言った俺が言うのもなんだけど、本当にそんなことがあると思うのか?」
「さっきも言ったように、ダンジョンというのは何があるのか分からないんだ。もしかしたら、その果実にも何かがあるかもしれないと思うのは、そうおかしな話じゃないと思うが? ……勿論、その可能性が低いのは俺も理解出来るけど」
レイにしてみれば、それはもしかしたら……万が一といった程度の可能性でしかない。
とはいえ、ダンジョンである以上はそのような可能性も否定しきれないのは事実。
だからこそ、今こうして行ってみようという気になったのだろう。
これが、例えば真剣にダンジョンを攻略している時であれば、その果実のある場所には寄らないでダンジョンに潜ろうとしたかもしれない。
だが、今日は違う。
今日はあくまでもこのダンジョンがどのようなダンジョンなのか見てみる為にここにいるのだ。
そうである以上、ダンジョンの様子を見るという意味でも、その果実のある場所に行ってみるのも悪くはない。
そう説明するレイに、ハルエスは仕方がないといった様子で頷く。
「分かった。じゃあ、行ってみるか。ただ、何度も言うようだけど、あの果実は一階の中でもかなり人気の場所だ。もし誰か先客がいて、その果実を採っていても怒るなよ」
「ああ、勿論だ。そうなったら諦める」
「グルゥ」
ハルエスにはセトが何を思って喉を鳴らしたのかは分からなかったが、レイの様子から同じように思っての言葉なのだろうと判断する。
「分かった。じゃあ、行くか」
レイとセトの様子から、恐らくこれで問題はないだろうと判断し、ハルエスはレイとセトを引き連れるようにして歩く。
レイとセトもそんなハルエスと共に移動していたのだが……
「グルゥ」
「セト? ……ああ」
歩いている途中で不意にセトが喉を鳴らしたことで、レイはそんなセトの視線を追う。
そんなレイの視線の先では、冒険者が……それも恐らくは冒険者育成校の生徒だろう者達が、ゴブリンと戦っているのが見えた。
それ自体は、そこまで珍しいことではない。
実際にこの草原を歩き回っている中で、何度か同じ光景を目にしたのだから。
だが……それでもセトが注意したのは、相応の理由があってのことなのは間違いない。
それが何かとレイが戦闘をしているパーティを見ると……
「ああ、なるほど」
戦闘をしているパーティの背後から、数匹のゴブリンが襲おうとしているのが見えた。
冒険者達は、ゴブリンとの戦闘に夢中で背後から回り込んできたゴブリン達に気が付いていない。
これがもっと熟練したパーティなら、戦闘の途中でも背後に敵がいないか注意しているのだが、この草原で戦っているということは、まだ冒険者としては未熟な者達で、戦闘だけに集中して背後に意識を向けていないのはおかしな話ではなかった。
「レイ、どうしたんだ?」
「あそこで戦っているパーティを見てみろ。後ろからゴブリンが回り込もうとしてる」
「え? ……うげ」
嫌そうな声を出すハルエスに、レイは疑問の視線を向ける。
ハルエスの口から出た声は、戦闘を行っているパーティの後ろに回り込んだゴブリン達を見てのものではなく、パーティそのものを見てのもののように思えたからだ。
そんなハルエスの様子を見て疑問を抱いたレイだったが、すぐに納得する。
(そう言えば、ハルエスは幾つものパーティに入れてくれるように頼んで、その全てで断られたって話だったな。もしかして、あのパーティもそのうちの一つか?)
もしそうだとすれば、ハルエスがあのパーティを見て先程のような声を出したのも理解は出来る。
だからといって、あのパーティはあのままだと背後からの奇襲を受けることになり、大きな被害となるのは間違いない。
「こういう場合、どうすればいいんだ?」
「え? えーっと……どうすればって?」
「俺が知ってる限りだと、ダンジョンの中だけに限らないけど、他のパーティが戦闘をしているところに乱入するのは、横殴りといって嫌われる。最悪、乱入したパーティとされたパーティで戦闘になったりしてもおかしくはない」
「それはここでも同じだけど……だからって、あの連中に注意だけをしてどうにかなるとは思えないんだが」
実際、パーティと戦っているゴブリンも決して一方的に負けているといった様子ではない。
押されてはいるが、それでもしぶとく戦い続けていた。
そんな中で、突然背後からの奇襲となれば……どうなるのかは、容易に想像出来てしまう。
「なら、助けた方がいいじゃないか? あのままだと……全滅ということにはならないかもしれないけど、重傷を負ったり、最悪連れ去られたりしかねないぞ?」
パーティの中には女がいるのもレイの視力なら確認出来る。
そして女がゴブリンに負ければどうなるのかは、容易に想像出来た。
「……助ける。連中に恨みがある訳じゃない……いや、ちょっとはあるか? けど、パーティに入るのを断られたからって、この状況で見捨てるのは後味が悪すぎる」
やっぱりパーティに入るのを断られた相手なのかと、ハルエスの言葉に納得したレイは頷く。
「好きにすればいい。幸い……と言っていいのかどうかは分からないが、背後に回り込んだゴブリンはまだパーティとの間にそれなりに距離がある。なら、矢を射っても味方に当たることはないだろうし。……ないよな?」
「ないって!」
念の為といった様子で尋ねたレイに、ハルエスはそこまで侮られるのは面白くないといった様子で叫ぶ。
「分かった。なら、ハルエスの弓の実力を見せてきたらどうだ?」
そう言うレイの言葉に、ハルエスは自分の弓を見る。
以前あのパーティに加入したいと言って断られた時は、純粋なポーターだった。
だが、今は違う。
今日から練習を始めたのだが、それでも弓を使うのにそれなりに手応えを感じていたのは事実。
それなら……と、ハルエスはレイの言葉に頷き、弓を持って戦場となっている場所に向かって走り始める。
レイはそれを見送り、もし万が一のことがあった場合にフォロー出来るように、セトと共にゆっくりと進むのだった。