3631話
ゴブリンはある程度の距離まで近付いてきたところで、レイ達の姿を発見する。
レイ達が自分達を見ている以上、本来なら自分達を待ち構えていると認識し、何らかの罠であったり、もしくは実力差からどうとでも対処出来る相手だと認識していると考えてもおかしくはない。
あるいはそこまで考えが及ばなくても、何かがあると疑問に思ってもおかしくはなかった。
しかし……ゴブリンの知能でそのような判断は出来ない。
上位種や希少種でもいれば、もしかしたら何かがおかしいと思ったかもしれないが、ゴブリン達の中にそのような相手はいなかった。
結果として、ゴブリンの群れという獲物がいたと判断し、棍棒や錆びた短剣を手にレイ達に向かって走り出した。
「ゴブリンだなぁ……」
しみじみと呟くレイの口調に、焦燥感はない。
レイにしてみれば、あの程度のゴブリンなど容易に倒すことが出来る。
もしくは、レイの隣にいるセトであっても同様だろう。
寧ろ本来のモンスターなら、セトの存在を察知して逃げ出す。
しかしゴブリン達はセトの存在には全く気が付いた様子もない。
「ハルエス」
「あ、ああ」
レイの言葉に、ハルエスは弓に矢を番える。
ハルエスも今まで何度もこのダンジョンには潜ってきたし、数え切れない程にゴブリンも見ていた。
だが、それはあくまでもポーターとして……つまり、自分が直接戦うのではなく、パーティの仲間が戦うのを後ろや横で見ていただけだ。
だからこそ、今回自分がゴブリンを倒すということで緊張してしまう。
(レイやセトがいる分だけ、緊張はあまりしてないんだけどな)
ハルエスは近付いてくるゴブリンを見つつ、一瞬だけレイに視線を向ける。
ゴブリンには慣れたつもりのハルエスだったが、自分が直接ゴブリンと戦うとなると、一人だけだった場合はここまで落ち着けなかっただろう。
(そう、レイやセトのような化け物がいるんだ。そうである以上……)
ゴブリン程度何を恐れる。
そう思った瞬間、自然とハルエスは矢を射っていた。
飛んでいく矢は、そこまで速度がある訳ではない。
元々ハルエスは弓の練習を始めたばかりだ。
そんなハルエスの射る矢を、例えばマリーナの射る矢と一緒にするというのがそもそもの間違いだろう。
しかし、それでもゴブリンにとってその矢は強力な一撃なのは間違いない。
これがもっと高ランクのモンスターなら、矢を回避するなり、持っている武器で叩き落とすなり出来るだろう。
しかし、ゴブリンは低ランクモンスターの代表格とも呼ぶべき存在だ。
自分達に向かって飛んでくる矢を見ても、そもそもそれを危険な存在と認識することが出来なかった。
もしくは単純に獲物となるレイ達だけに集中しており、矢の存在に気が付いてなかっただけかもしれないが。
そして……弓はあっさりとゴブリンの一匹の右肩に突き刺さる。
「ギャギャ!?」
悲鳴を上げながら地面に倒れ込むゴブリン。
そんな仲間の様子を見たゴブリンは、先頭を走っていた二匹はそのままレイ達に向かって走り続けていたが、残りの三匹は矢に身体を射られて転んだゴブリンを見て、面白そうに笑っていた。
目の前で仲間が矢に射られても、それを心配する様子は一切ない。
それどころか、それを面白い見世物のように喜んですらいた。
突然目の前に現れた見世物に、まだそれに気が付いていない二匹のゴブリン以外は嬉しそうに笑い転げる。
その様子は、つい数秒前まではレイ達に向かって走っていたのを、すっかり忘れたかのようだった。
右肩を射られたゴブリンは、痛みに怒りの声を上げているが、それがまた他の三匹にとっては笑いを誘うらしい。
「ゴブリンだなぁ……」
少し前に呟いたのと同じ言葉を口にするレイ。
だが、実際に目の前でそんなゴブリンらしい行動をしているのを見れば、思わず言いたくなる。
「ちょっ、レイ! このまま弓を使ってもいいんだよな!?」
ゴブリンらしさに呆れる……あるいは納得した様子を見せるレイの隣で、ハルエスが必死になって叫ぶ。
ハルエスにしてみれば、これが弓を使った初めての実戦だ。
それだけに、このまま再度矢を射ってもいいのかどうか、咄嗟に判断出来ないのだろう。
一応、以前ハルエスがいたパーティには弓を使う者がいたし、その挙動はハルエスも見ている。
だが、その時はまさか恋愛沙汰でパーティが解散するとは思わなかったし、そもそもポーターの自分が弓を使うようになるとは思わなかった。
だからこそ、弓を使う時にどのように動けばいいのかが、あまり分からなかったのだろう。
「どんどん弓を使え。実戦での経験は普通に練習をするよりも密度が高い。今のうちに、少しでも弓を使うことに慣れておけ」
「分かった!」
そう言い、矢筒から矢を取り出して弓を番えるハルエス。
(さて、どのゴブリンを狙う?)
もしレイがハルエスの立場なら、まずは未だに走り続けている二匹のゴブリンを狙うだろう。
最初に射られたのを合わせた四匹は、現在動きを止めている。
しかし、残り二匹はまだレイ達に攻撃しようとしているのだ。
であれば、まずは攻撃をしようとする二匹を優先的に倒すというのは当然の結果だった。
そして……ハルエスが射った矢は、走って近付いてくる二匹のうちの一匹を射貫く。
それも最初のように右肩ではなく、頭部だ。
当然ながら、ゴブリンがそのような一撃を受けて生きていられる筈もない。
即死し、地面に崩れ落ちた。
「へぇ」
一撃で頭を射貫いたハルエスの腕に感心したように呟くレイだったが、ハルエスはまさか自分の矢がゴブリンの頭部を射抜けるとは思っていなかったのか、驚きの表情を浮かべて動きを止めていた。
「ハルエス」
「っ!?」
レイの言葉に、ハルエスは再び矢を番え……射る。
だが、今度の矢はゴブリンの頭部どころか身体にも命中することなく、地面に突き刺さるだけだ。
今までは良い意味でどこを狙うといったことは考えていなかったのだが、頭部を射貫いたことでそれをもう一度と考え、変に力が入ってしまったのだろう。
「あっ、畜生!」
悔しがりながら再び矢筒から矢を取り出そうとするハルエスだったが……
「あ……」
二度連続でゴブリンを射貫いただけに、まさか外すとは思わなかったのだろう。
その動揺で、矢筒に伸ばした手は矢ではなく矢筒にぶつかり、それによって矢筒から矢が地面に落ちてしまう。
(これまでか)
既にゴブリンとの距離は十mを切っている。
ゴブリンは小さいが、それでも走る速度はそれなりに速い。
こうなると、もうハルエスが矢を射る時間はないと判断し、腰にあるネブラの瞳を起動し、手の中に鏃を生み出し……手の動きだけで鏃を投擲すると、その鏃は真っ直ぐゴブリンに向かって飛び、その頭部を爆散させるのだった。
「あ……」
目の前で行われた行動は、ハルエスにとって驚きだった。
勿論、ハルエスはレイが強いというのは知っている。
それこそ、今日の学校ではその話題で持ちきりだったのだから。
だが……それでも、今こうして実際に目の前で行われた行為は、実際にレイの強さを初めて見たハルエスにしてみれば、大きな衝撃だったのだろう。
レイにしてみれば、ネブラの瞳を使った攻撃というのはそんなに珍しいことではない。
それどころか、寧ろ使い慣れた攻撃だった。
また、何よりも倒したのは高ランクモンスターではなく、低ランクモンスターの代表格たるゴブリンだ。
それでまさかハルエスがそこまで衝撃を受けるとは、思ってもいなかったのだろう。
「ハルエス、取りあえず遠くで動きを止めている他のゴブリンも……ハルエス?」
「え? あ、ああ。分かった。ゴブリンの解体だな」
「違う」
そもそも、レイにとってゴブリンは解体する旨みのないモンスターだ。
レイやセトがその気になれば、高ランクモンスターを倒すのも難しくはないのだから。
それにもし解体をするにしても、レイにはドワイトナイフという解体用のマジックアイテムがあるのだから、わざわざ自分で解体をする必要はない。
「向こうだ。あそこに残っている四匹……一匹は最初の矢でダメージを受けているから、そこまで気にする必要はないと思うけど、とにかく向こうにいるゴブリンを倒せ」
「……あ!」
頭部を射貫いたり、矢が外れたり、矢筒に入っていた矢を落としてしまったりで、ハルエスは残りのゴブリンについてすっかり忘れていたのだろう。
慌てて地面に落ちた矢を拾い、離れた場所で笑い転げている、もしくは矢で射貫かれて転んだ仲間を馬鹿にしているゴブリン達に向かって構え……矢を放つ。
一度失態を見せたことで、ある程度は落ち着いたのだろう。
射られた矢はあっさりと笑い転げていたゴブリンの背中に突き刺さる。
もしゴブリンがハルエスに背中側を向けていなければ、もしかしたら矢の存在に気が付いて回避することも出来たかもしれないが、残念ながらゴブリンにそんなことは出来ず……そこから何度も射られる矢によって、ゴブリン達は全員が死ぬのだった。
「はぁ……」
ゴブリンが全滅したのを見たハルエスの口から、そんな呟きが漏れる。
ハルエスにしてみれば、初めて弓を使ってゴブリンを殺したのだ。
ポーターとして活動している時は、自分が直接モンスターを殺すようなことはなかった。
もっとも、パーティメンバーの倒したモンスターを解体したりすることはあったので、モンスターの死体に触ったこともない……という訳ではない。
それでも自分がゴブリンを倒したことに色々と思うところもあったのだろう。
「どうだ? やっていけそうか?」
「あー……うん。どうだろうな。こうして実際にゴブリンを倒せたんだから、多分大丈夫だとは思う。それより、今のを見て俺にはまだ弓の才能があると思うか?」
自分にある弓の才能は目であると言われたことを思い出したのだろう。
今のゴブリンとの戦いを見て、目以外に自分に弓の才能があるのかと、気になったらしい。
「そうだな。弓の才能は間違いなくあると思うぞ。実際、いきなりゴブリンの頭部を射貫いたりしていたし」
それはお世辞でも何でもなく、素直にレイが感じたことだ。
実際、レイから見ても一発目でいきなりゴブリンに当てたのは十分に弓の才能があるだろうと考えるのは当然の流れだった。
「とはいえ、才能はあくまでも才能だ。実際に弓の訓練を続けないと、しっかりと力にはならないと思う」
「……分かっている」
ハルエスはそう返しながら、自分が持つ弓に視線を向ける。
ソロで行動するしかない今の状況において、弓という武器があるのは非常に大きな意味を持つ。
……それどころか、レイに才能があると言われたのだ。
今まで何故もっとしっかりと弓の訓練をしておかなかったのかと、後悔すらしていた。
もし弓を自由に使えるのなら、それこそポーターとして他のパーティに入れて貰えただろうにと、そのように思いながら。
「ゴブリンとの戦いは終わったし、次はこの一階を見て回るぞ。今はまず、このダンジョンをある程度見回っておく必要がある」
「あ、ああ。そうだな。そう言えばそうだった。レイはこのダンジョンを見る為にやって来たんだったな」
ハルエスはそう言い、周囲の様子を確認する。
特に何かがある訳でもなく、そこには草原が広がっているだけだ。
しかし、そのような光景を目にしたハルエスは、ある程度落ち着いたのだろう。
ハルエスは顔を上げ、レイに向かって頷く。
「分かった。じゃあ、行くか。……ただ、一階を見て回るだけでいいんだよな?」
「そうだな。かなり広がっているし、そんな様子を色々と見て回りたい。後は、二階に続く階段のある場所も確認しておきたいし」
この階層は草原がどこまでも広がっているが、その草原についてもレイは色々と見て回りたいと思っていた。
(もしかしたら……可能性はかなり低いが、薬草とかそういう素材とかがある可能性もあるしな。もっとも、こんな浅い階層にある以上、そこまで効能は高くないだろうけど)
草原にはレイが見ただけでも結構な数の冒険者がいる。
そんな冒険者達の中には、もし薬草の類があった場合は、それらの採取をして金を稼いだりしてもおかしくはない。
「なぁ、レイ。取りあえずどこかに移動しないか? このままだと、どうしても目立ってしまうし」
「そうか? ……まぁ、ハルエスがそう言うのなら俺もそれで構わないけど」
レイにしてみれば、視線を集めるのはそう珍しいことではない。
セトの件もあって、既にこの手の視線を向けられるのには慣れている。
だからこそレイは周囲の視線を気にしなかったが、ハルエスは違ったらしい。
こうして、レイ達は取りあえず別の場所に移動するのだった。