3629話
レイがセトと共に街中を歩いていると、どうしても注目を集める。
とはいえ、レイの家があるのは冒険者育成校からそう遠く離れていない場所で、冒険者育成校はギルドの近くにあり、そしてギルドとダンジョンは隣接している。
そう考えると、レイがセトと共に注意を集めるのはそう長い時間ではない。
そうしてギルドの近くにまでやって来たところで、レイは見覚えのある者の姿を見つける。
弓を手にしたハルエスは、レイを見るとその表情を明るくする。
レイから一緒にダンジョンに行こうと言われはしたものの、ハルエスにしてみればレイは格上……それもちょっとやそっとではなく、圧倒的なまでに格上の存在だ。
そんなレイにダンジョンに誘われたのだ。
嬉しいが、もしかしたら何かの間違い……もしくは忙しくなってレイが一緒に行けなくなると言われるのではないかと、そう思っていたのだ。
「待たせたか?」
「い、いや。……けど……」
ハルエスの視線は、レイ……ではなく、その隣にいるセトに向けられていた。
そんなハルエスの視線に気が付いたレイは、不思議そうに口を開く。
「セトを連れてくるって言ったよな?」
「それは……まぁ、言ったけど。それでもこうして間近で見ると……うん。何だかもの凄い迫力があるな。その、大丈夫なんだよな?」
「何がだ?」
「人を襲わないとか。そういう意味だよ」
「心配するな。セトは人懐っこい性格をしているから、そういうことはない。もっとも、敵を前にした場合は違うけど。だから、ハルエスも妙なことをするなよ」
「えっと、具体的には……?」
「そうだな。セトに危害を加えるようなことをしなければ、取りあえず問題ない」
「危害か。……うん。分かった。何かあってもセトを攻撃したりはしないから、安心してくれ」
真剣な表情で言うハルエス。
ポーターで、まだようやく弓の練習を始めたばかりのハルエスだ。
もしセトに攻撃をされれば、とてもではないが生き残ることは出来ないと判断したのだろう。
「わ、分かった。……その、よろしくな?」
「グルゥ」
「っ!?」
ハルエスがよろしくと声を掛けると、セトもまたよろしくと喉を鳴らす。
そんなセトの様子に、思わずといった様子でハルエスは後ろに下がる。
セトにとっては友好的な喉の鳴らし方でも、初めてセトを見たハルエスにしてみれば、とてもではないがそのようには思えなかったのだろう。
「安心しろ。何度も言うけど、セトに危害を加えようとしないなら問題ない。実際、セトもお前を気に入ったみたいだしな」
元々、セトは人懐っこい性格をしている。
レイと敵対的な相手に対してはセトも敵対的な態度をとるものの、基本的にそうではない相手にはセトも余程のことがない限り、友好的に接する。
「そ、そうなのか? ……えっと……」
レイの言葉を信じたのか、ハルエスは恐る恐るといった様子でセトに手を伸ばす。
セトはそんなハルエスの手を見ても特に驚くようなことはなく、ただじっとしていた。
少しずつ、少しずつ、本当に少しずつハルエスの手がセトに向かって伸びていき……
「おお……」
やがてセトの身体に触れたことで、ハルエスの口からそんな声が漏れる。
自分がセトに……グリフォンの身体に触れたというのも驚きだったし、セトの体毛の滑らかな感触も驚くべき対象だったのだろう。
「な? セトは怖くないだろう?」
レイはハルエスに向かって……いや、より正確には周囲で様子を見ている者達に向かってそう言う。
こうして多くの者達が見ている前でハルエスにセトを触らせたりしたのは、周囲にいる者達にセトは怖くないと……敵対しない相手であれば問題はないと、そう示す為だった。
レイにしてみれば、少しでもセトは怖くないというのを知って貰おうと思ったのだ。
従魔の首飾りを付けている以上、セトが何もされていないのに襲うということはまずない。
だが、それでも……このガンダルシアにいるテイマーが少ないのか、あるいは従魔であってもセトの三m半ばという巨体が影響してるのか、とにかくセトを見てもすぐに近付いてくる者達の姿はない。
もしギルムにいるセト好きの者達がこの光景を見たら、一体どう思うのか。
そんな風に考えながら、レイはセトを撫でているハルエスを見る。
「どうだ? もうセトは怖くなくなっただろう?」
「ああ。……この手触り……凄いな」
しみじみとそう呟くハルエスの言葉は、心の底から話していると理解出来るだけに、周囲で聞いている者達にも響く。
「あの……その……深紅のレイさんですよね? もしよければ、その……私にもその子を撫でさせて貰えませんか?」
近くで様子を見ていた、十代半ば……それこそ冒険者育成校の生徒とそう年齢は違わない女が、そうレイに声を掛けてくる。
ハルエスに黙って撫でられているセトを見て、自分も撫でてみたいと思ったのだろう。
「ああ、構わない。ただ、セトが嫌がるようなことはしないでくれよ。さっきハルエスにも言ったが、セトは基本的に人懐っこいが、危害を加える相手に対しては反撃したりするからな」
レイの言葉に、声を掛けてきた女は真剣な表情で頷く。
それからそっと手を伸ばし……
「わぁ……」
セトの毛の手触りに、感嘆の声を上げる。
その声が切っ掛けとなって、周囲で様子を見ていた他の者達もそれぞれ近付いてくる。
「その……僕も触ってもいいですか?」
「あたしもお願い。触ってみたい」
「俺も頼めるか?」
そんな風に何人もが声を掛けてきて、レイはそれに次々と頷いていく。
「え? ちょ……レイ?」
自分だけがセトに触っていたハルエスだったが、レイの行動に……そして次から次にセトに集まってくる者達に、戸惑いの声を上げる。
「悪いな、ハルエス。セトがこのガンダルシアに慣れる為だ。ダンジョンに挑むのはもう少し待ってくれ」
「それは……まぁ、しょうがないか」
少しだけ不満そうな様子を見せたハルエスだったが、セトを見ればそんな様子に否とは言えない。
もし今ここでそのようなことを口にした場合、恐らく……いや、間違いなくセトの周囲にいる者達から責められるのだろうから。
これでハルエスが実は高ランク冒険者であったり、そこまでいかなくても何らかの理由で有名な……名前や顔が知られている冒険者なら、仕方がないと思う者もいるだろう。
だが、生憎とハルエスはそういう意味では凡人でしかない。
いや、凡人どころかパーティが恋愛沙汰で解散し、ポーター専門のハルエスはどこのパーティにも入れて貰えないという……言ってみれば、現在は冒険者として落ちこぼれに等しい。
それでも、どこから聞いたのかレイの家にまでやってきてパーティに入れて欲しいと言ったり、それが無理ならアドバイスを貰ったりと、現在の自分に諦めるようなことはなく、前を向いているからこそ、こうしてレイと一緒にダンジョンに潜るというチャンスを得たのだろうが。
「分かったよ。じゃあ、それまでどうしている?」
「そうだな。ダンジョンに潜る上での注意があったら教えてくれ。俺は今まで色々なダンジョンに潜ってきたけど、このガンダルシアのダンジョンは今日が初めてだし」
「そうだな。……このダンジョンの中には転移出来る仕掛けがあるのは知ってるか?」
「ああ、それは聞いている。以前にも同じようなダンジョンがあったしな」
「そうか。それなら詳しい説明はいらないな。ただ、ダンジョンに潜る前に入り口近くにある転移水晶に触れて行く必要がある」
「……ちなみにだけど、それはセトもか?」
「そうだな。ダンジョンに入る生き物なら絶対に触れる必要がある。もっとも、転移水晶に触れなくてもダンジョンに入ることは出来るが、ダンジョンの中で転移することが出来なくなる」
「それは、また……面倒だな」
ダンジョンに大量に冒険者が入る時……例えば朝が分かりやすいだろうが、そういう時には転移水晶に触れることで中に入るのに普通よりも時間が掛かることになるだろう。
「しょうがない。そうしないと転移出来ないんだから。それに……確かに朝が一番混むのは間違いないけど、ダンジョンだからどうしても朝に行かないといけないって訳でもないし」
「……ああ、そう言えばそうか」
ついレイはギルムの常識で考えてしまうが、以前行った迷宮都市のエグジルにおいても、ダンジョンだからということで朝以外に活動をしている者がそれなりに多かった。
勿論、それはあくまでも割合の話で、エグジルにおいてもやはり一番ダンジョンに挑む冒険者が多かったのは朝だったのだが。
「ダンジョンってのは、普通とは違うんだよな」
「俺はこのガンダルシアの生まれだから、ガンダルシアしか知らないけどな。他の場所については……教官や教師からそれらしい話を聞くだけで、実際にどういう感じなのかは分からないし」
「冒険者育成校を卒業すれば、既定の年数はガンダルシアにいないといけないんだろう? そういう意味では大変そうだよな」
「そうだけど、ガンダルシアで生まれ育った俺にしてみれば、それくらいは普通のことなんだよな。それに、別にガンダルシアから出られないって訳じゃないし。護衛の依頼とかがあれば、普通にそれを受けることも出来る」
そうして話をしている間にも、セトの周囲に集まってくる者達は次第に多くなっていく。
最初の数人を見て、更に追加で数人が。そしてそれを見て更に……といった具合に。
そうして数が増えていくのを見ていたレイだったが、さすがにずっとこのままという訳にはいかない。
「おい、悪いがその辺にしてくれ。俺もそろそろダンジョンに潜りたいんでな。いつまでもここにいる訳にはいかない」
そうレイが声を掛けると、多くの者が残念そうに、名残惜しそうにしながらも、セトから離れていく。
だが、そうして大半の者達がセトから離れたのだが、それでもセトから離れない者がいる。
「え……ええええ……その、もうちょっと、本当にもうちょっとだけ。ね? お願い」
「馬鹿。困ってるだろ。ほら、行くぞ」
「ああああ……セトちゃん……」
そう言い、まだ若い女……二十代程の女はパーティメンバーと思しき者達に引きずられていく。
「嘘だろ……あれって、久遠の牙のエミリーさん……」
引っ張っていかれた女を見て、ハルエスが信じられないといった様子で言う。
そんなハルエスの様子を見れば、レイにも今の女……エミリーと呼ばれた女が有名人なのだろうというのは、理解出来た。
「ハルエス、誰だ?」
「知らないのかよ! ……あ、いや。そうか、レイはガンダルシアに来たばかりだったな。ダンジョンの中でも現在最深層に潜ってるパーティの人だよ」
「最深層ってことは、マティソン達よりも上なのか?」
「そうなる。マティソン教官もかなり深い場所まで行ってるらしいけど、それでも最深層には届いていないって話だし。……勿論、それでも十分に凄いことなんだけど」
そう言うハルエスに、だろうなと納得する。
このダンジョンがどのようなダンジョンなのかは、レイにも分からない。
だが、ここと同じような迷宮都市のエグジルにあったダンジョンに潜った時は、一層ずつがかなりの広さだったのを覚えている。
それこそ、砂漠といったような地形もあったのだ。
そう考えると、このガンダルシアのダンジョンもレイが予想している以上の過酷な環境があってもおかしくはない。
そんなダンジョンで現在の最深層を潜っている一つが、先程の久遠の牙というパーティだった。
ハルエスがそう説明すると、レイは納得した様子で先程のエミリーという女やその仲間が消えていった方に視線を向ける。
(それだけ優秀なパーティなら、俺がダンジョンを攻略していれば、どこかで会うことになるだろうな)
自分が現在このガンダルシアにおけるダンジョンの最前線に行けることを疑いもしないで、レイはそう確信する。
これは別に久遠の牙というパーティを侮っている訳ではない。
だが、それと同時にレイは今まで自分が活動してきた経験に自信を持っている。
それ以外にも自分だけではなく、相棒のセトもいる。
ダンジョンに挑む上で決して万全の状態ではないが、それでも自分とセトならかなり深い場所まで行けるだろうと、そう確信していた。
「とにかく、いつまでもここにいるとまたセト目当ての連中が集まってくるかもしれない。そうならないように、さっさとダンジョンに潜るぞ。……ハルエスは準備はいいんだよな?」
「ああ、今日は弓と矢筒だけを持ってきた。……ポーターとしては、ちょっとどうかと自分でも思うけど」
そう言い、ハルエスは困ったように笑みを浮かべるのだった。