3621話
「はぁ、はぁ……ありがとうございました」
二組の生徒の中で、レイとの模擬戦を望んだ最後の一人が激しく息を切らせながらそう言ってくる。
イステルからの許可を得た……いや、より正確には渋々イステルが他の者達にもレイとの模擬戦をやらせたというのが正しいのだが、とにかくイステル以外の者達ともきちんと模擬戦を行ったレイだったが……
「一体どういう……」
最初の方に模擬戦を行った生徒の一人が、理解出来ないといった様子でレイを見る。
イステルとの模擬戦以外にも、多くの者との模擬戦を行ったのに、汗も掻いていなければ、息すら切れていないのだ。
「私達の前に、四組とも模擬戦を行ったのよね? 途中で休憩があったけど、それでも……」
他の者達も、レイの底知れない体力に唖然とするしかない。
とはいえ、高ランク冒険者だからと言われれば納得するしかないのだが。
「では、今日の模擬戦はこれで終了です。模擬戦に勝利したにせよ、負けたにせよ、ただそれを喜ぶだけでなく、一体どうやって勝ったのか、そして負けたのかをしっかりと考えるように」
マティソンの言葉に生徒達が頷くが、真剣にその言葉の意味を理解している者はどれくらいいるんだろうな。
ここで何となくとか、流れでとか、勘とか。
そういう風に考えない者は、上にいけない。
ここでしっかりと自分の勝因や敗因を考えられる者こそが上に行けるのだ。
ちなみにこの場合の上というのは、一組という訳ではなく、冒険者としての上だ。
……勿論、世の中にはとんでもない才能の持ち主がいて、何となくとかそういう理由で上に行ける者もいるのだが。
実際、レイも分類上ではそちらの方に入る。
「分かりました。今日の模擬戦はとても有意義でした。ありがとうございます」
二組の女王たるイステルがそう言うと、それに合わせるように他の生徒達もレイとマティソンに向かって頭を下げる。
……そんな中、イステルのレイに向ける視線には好意があったが、レイはそれに気が付かなかった。
イステルに率いられ、二組の生徒達は訓練場から出ていく。
それの背を見送ったレイは、マティソンに声を掛ける。
「この調子で、他のクラスも全て模擬戦をやるのか?」
「そうですね。ただ、いつもなら他の教官も一緒に模擬戦をやっています。今日は、あくまでもレイさんについての紹介の意味が強いので、このような感じになってる訳で」
「ああ、そう言えばそんなことを言っていたな。……そういう特別扱いは、別に嬉しくはないけど」
レイにしてみれば、そこまで疲れはしないものの、やはり多くの者と模擬戦を……それも連続して行うのは、どうしても疲れる。
それは肉体的にではなく、精神的にだ。
特に、相手に怪我をさせないように……それでいて、痛みを与えるように手加減する必要がある。
それも全員一律同じ手加減という訳ではなく、人によってその手加減の割合を変える必要があった。
「ちなみに、こういうのは俺だから特別なのか? それとも他の教官が来ても同じようなことをやるのか?」
「レイさんだから特別ですね。何しろミレアーナ王国でも有名な深紅の異名を持つレイさんですし。特別扱いされるのもおかしくないのでは?」
「……それは、喜んでいいことなのか?」
レイにしてみれば、そういう意味での特別扱いというのはあまり好ましくはない。
とはいえ、自分が校長のフランシスに優遇されているのも事実である以上、仕方がないとも思う。
家を……それも冒険者育成校から、つまりはギルドやダンジョンからもそんなに離れていない場所に用意して貰ったのだから。
そのうえ、セトが動き回るのに十分な広さを持つ庭があり、ジャニスというメイドもいるような家を。
これで特別扱いされていないとは、レイも思わない。
「レイさん程の有名人ですから、私にとってはそのくらい当然だと思いますけどね」
マティソンはレイの待遇を特に大袈裟だとは思っていないらしい。
そんなやり取りをしながら時間を潰していると……
「さて、どうやら来たようですね。一組の生徒です」
マティソンの言葉に、レイは訓練場にやってきた者達に視線を向ける。
(なるほど)
入ってきた生徒達は、その多くが二組の生徒達よりも強いと分かる。
だが同時に、イステルと比べると格下だという思いがあるのも事実だった。
二組を率いるイステルがそう遠くないうちに一組に上がるというのはレイも聞いていたが、同時に一組に上がってすぐに他の生徒達を抜き去り、一組でも上位に位置するのではないかと、そのように思う。
「レイさん、彼が現在のこの冒険者育成校の生徒の中では最強の……アーヴァインです」
そう言い、マティソンが示した男は、レイから見ても生徒最強という表現が理解出来る相手だった。
「結構な強さだな。……というか、あのくらいの強さなのに、何故まだこの学校にいるんだ? ここは冒険者育成校なんだから、あれだけの強さがあるのならもう卒業して普通に冒険者としてやっていけるんじゃないか?」
「強さという点では問題はありません。ですが、冒険者としての知識の方でまだ問題があるのですよ。寧ろ知識だけなら、イステルの方がアーヴァインよりも上でしょう」
「ああ、そっちか」
冒険者として……ましてや、ダンジョンを攻略する冒険者として活動する以上、当然ながら単純な強さ以外に知識も必要となってくる。
そちら方面でまだ卒業のレベルに達していないのだろうと納得するレイ。
そしてアーヴァインは、訓練場にいるレイを見て動きを止める。
(俺との力の差を本能的に察したか)
アーヴァインの才能はかなりのものがある。
それはちょっとした動きであったり、一目見た印象で理解出来る。
それこそ、純粋な才能という点では四組のセグリットと同じくらいだろうと予想出来る。
だが……セグリットの場合は、才能はあるものの、その才能はまだ完全に開花していない。
それと比べると、アーヴァインは完全にではないものの、才能は開花しつつあるように思えた。
だからこそ、レイを見ただけでその強さを察知したのだろう。
……冒険者の中でも、レイを見てその強さを察知出来ない者が結構な人数がいると考えると、この時点でアーヴァインの強さはその辺の有象無象の冒険者よりも上ということになる。
(ランクD……いや、Cに手が届きつつあるくらいか? 知識の問題で卒業出来ていないというのなら、その問題をクリアしてしまえば、すぐにでもその辺りになってもおかしくはないか)
そんなことを考えていると、アーヴァインは止まっていた足を再び動かし、レイの前までやってくる。
「あんたが深紅のレイか?」
「そうだ。今日から模擬戦の教官をすることになった」
「……まだ授業が始まるまで少し時間があるけど、俺と模擬戦をして欲しい」
「俺は構わないが……どうする?」
そう聞きつつも、レイはアーヴァインに好感を持つ。
アーヴァインは、本能的にレイとの力の差を理解している。
それこそ、自分がどうやってもレイに勝つことは無理だろうと思えるくらいに、その強さを理解しているのだ。
だが、それでもレイに模擬戦を挑むのは、貪欲に強くなりたいと思っているからだろう。
レイのような強者と模擬戦を行えば、強くなれる。
そう理解しているからこその行動だった。
「構いませんよ」
マティソンもそんなアーヴァインの態度に好感を抱いているのか、あっさりと頷く。
そしてレイとアーヴァインは訓練場の真ん中で向かい合う。
「お前の武器は槍か。奇遇だな」
「俺が知ってる限りだと、深紅のレイは大鎌を武器にしていると聞いていたが」
「模擬戦用の大鎌はないからな。それにいつの時の噂を聞いてるのかは分からないが、今の俺は大鎌と槍を同時に使っている。そういう意味では、槍を武器にしてもおかしくない訳だ」
「……大鎌と槍を?」
アーヴァインは信じられないといった表情を浮かべる。
アーヴァインも槍を使っているだけに、その重量は理解出来る。
そんな槍を片手で持てるかと言われれば……まぁ、持つことは可能だろう。
だが、槍を持てるからといって片手で自由に扱えるかと言われれば、それは否だ。
アーヴァインは、それを理解出来る。
理解出来るからこそ、噂で聞いた以上のレイの戦闘スタイルに興味を持つ。
「あんたはアイテムボックスを持っていると聞いている。大鎌や槍はそのアイテムボックスの中に入っているのか?」
「え? ああ。そうなるな」
「なら、出来ればこの模擬戦はレイの本来の武器で行って欲しい。勿論その……寸止めをしてくれないと、困るが」
「なるほど。……マティソン」
「くれぐれもアーヴァインが言うように、寸止めでお願いします」
レイの言葉から、マティソンも止められないと判断したのだろう。
不承不承といった様子だったが、そう言ってくる。
「分かった。その辺はしっかりやるから、安心してくれ」
そう言い、レイは手にしていた模擬戦用の槍を離れた場所に投げる。
そして、ミスティリングから、デスサイズと黄昏の槍を取り出した。
ざわり、と。
それを見た生徒達がざわめく。
レイは特に何かをした訳ではない。
ただ、武器を構えただけだ。
しかし、それだけでレイの持つデスサイズと黄昏の槍の迫力を感じてしまう。
特にそれを強く受けたのが、レイと向かい会っているアーヴァインだ。
レイに本来の武器を持って欲しいと口にしたものの、まさかその武器を手にしただけでここまでの迫力……それこそ半ば物理的な圧力を受けるというのは、良い意味でも悪い意味でもアーヴァインにとって予想外だった。
良い意味というのは、異名持ちのランクA冒険者の本気――構えただけだが――を実感出来たこと。
悪い意味というのは、そんなレイを前にして全く動けないということだった。
この状況でもし下手に動いたりしたら、それこそすぐにでも負けてしまう。
本能的にそう察し……
「参った」
結局アーヴァインの口から出たのは、そのような言葉だった。
ざわり、と。
アーヴァインの降参の言葉を聞いた一組の生徒達は、再びざわめく。
一組の中においてもアーヴァインは絶対の強さを持っていた。
イステルが二組における絶対的な女王だとすれば、アーヴァインは一組における絶対的な王、あるいは皇帝と呼ぶに相応しい存在だった。
そんなアーヴァインが、一合も打ち合うことなく降伏したのだ。
その強さを知ってるだけに、理解出来ない、信じられない、そのように思う者が多かった。
「そうか」
何故降伏したのか分からないといった様子の生徒達とは違い、レイはお互いの実力差をきちんと理解出来たからこその降伏だと判断し、それがまたアーヴァインを気に入る理由になる。
「さすが深紅のレイだ。とてもじゃないが、俺では勝てない」
「こう見えても異名持ちのランクA冒険者なんだ。冒険者育成校の生徒に負けるようなことがあったら、それはそれで問題だろう」
「……その、よければその大鎌を見せて貰えないだろうか?」
「デスサイズを? まぁ、いいけど……お前だと持てないぞ? これは俺以外が持ったら、とんでもなく重くなるし」
「大鎌が重いのは分かるけど、そこまでか?」
アーヴァインの口から出た言葉には、強い実感があった。
それこそ、こうしてデスサイズを間近で見たからこその感想ではなく、実際に大鎌を持ったことがあるかのような、そんな実感が。
「もしかして、大鎌を持ったことがあるのか?」
「っ!?」
何気なく口に出されたレイの言葉に、アーヴァインの動きが止まる。
そんなアーヴァインを見たレイは、嬉しく思えばいいのか、照れればいいのか、微妙な気持ちになった。
深紅の異名が広がるにつれて、それを聞いた者達が大鎌を実際に使ってみることがあるというのは、レイも風の噂で知っている。
もっとも、実際にはその大半が大鎌という特殊な武器を使いこなせずに諦めるというのも知っていたが。
そして今の反応から、恐らくアーヴァインもまた深紅の噂を聞いて実際に大鎌を使ってみたことがあったのだろうと、そのように思ったのだ。
「まぁ……その……一応」
レイの反応から、隠しようがないと判断したのだろう。
少し照れ臭げにしながらも、アーヴァインはレイの言葉を認める。
レイもまた、実際に大鎌を使ってみたという者と直接会ったことは殆どない。
そんな希少な例が目の前にいるだけに、嬉しさと気恥ずかしさで何と言えばいいのか分からず……取りあえずということで、デスサイズをアーヴァインの目の前に差し出す。
「じゃあ、取りあえず持ってみるか?」
そう、尋ねるのだった。