3620話
結局レイは、女に押し負けるように……そして、マティソンの後押しもあり、女との模擬戦を行うことになる。
二組の生徒の中には、まだレイを外見で侮るような者もいたので、レイもこの模擬戦で実力を見せる必要があるだろうとは思っていたが。
相手の女は二組の中で最も強く、そう遠くないうちに一組に上がるのも間違いないとマティソンが断言するだけの人材だ。
そのような相手の強さを見てみたいという思いがあったのも事実。
そんな訳で、レイと女は訓練場の中央で向き合う。
「レイピアか、珍しいな」
女が構えた武器を見て、レイの口からそのような言葉が漏れる。
驚きもあるが、そこには呆れもあった。
レイピア……あるいはエストックもそうだが、突きを主体とする武器だ。
ましてや、レイピアはエストックよりも細く、敵の防御の隙間を縫うように攻撃するといった攻撃をしなければ、ろくにダメージを与えられない。
勿論、そのような武器だからこその利点もあるのだが。
その中で最も大きいのは、やはり重量だろう。
細くしなるかのような刀身は、それだけに非常に軽いので速度を重要視する者にしてみれば魅力的だろう。
また、これはレイピアの素材にもよるが、その細さから刀身をしならせるように……それこそ、ちょっとした鞭のように使ったり出来る種類もある。
しかし、それらを加味しても、レイにとっては騎士のような者であるならともかく、冒険者がわざわざ選ぶ武器ではないと思える。
あるいはマジックアイテム……魔剣の類であれば、レイピアでもモンスターとの戦闘で使えるかもしれないが、女が今その手に持っているのは模擬戦用の刃を潰したレイピアだ。
「一応聞いておくが、その武器でいいんだな?」
槍を手に尋ねるレイに、女は真剣な表情で……それこそ、一切の油断もないままに頷く。
「ええ、構いません。これは私の全力ですから」
そう言う女の緑の長い髪が風に靡く。
顔立ちが整っているだけに、真剣な表情でレイピアを構えているその姿は非常に美しい。
事実、周囲で模擬戦を見ていた他の生徒達も女の姿に目を奪われている者が多かった。
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったな」
「そう言われれば……私はイステル・アフィレスと申します」
レイピアを構えたままで、そう自己紹介をする女……いや、イステル。
(名字持ちってことは貴族か。いやまぁ、何となく予想はしていたけど)
イステルの立ち振る舞いから、その辺については予想が出来た。
これが貴族の特権を振りかざす者……アルカイデのような者なら、レイにとっても好ましいとは思わなかっただろう。
だが、レイピアを構えているイステルは、そのような傲慢な態度を持っているようには思えなかった。
「イステルか。分かった。なら……来い」
そうレイが言った瞬間、イステルは動く。
セグリットの踏み込みもかなり素早かったが、イステルの踏み込みは間違いなくそれ以上だ。
そこには、やはり武器の重量も影響しているのだろう。
だが……そんな素早い動きであっても、レイにとって見切るのは難しくない。
横に少し動き、その一撃を回避する。
ただ、イステルも自分の一撃がレイに命中するとは思っていなかったのだろう。
最初の一撃をレイに回避されても、特に動揺した様子はなく続けて突きを放つ。
レイピアという武器の軽さを最大限に利用した、突き。
この二組の生徒であっても、その一撃を回避するのは極めて難しいだろう連続突き。
しかし、レイはその連続突きを次々と回避し続けていた。
最初のうちは、イステルの表情にも驚きがあったのだが……次第にその表情には焦燥の色が強くなる。
レイピアを使った連続突きには、それだけ自信があったのだろう。
レイを尊敬し、好意を抱いているのは間違いない。
しかし、それでまさか自分の連続突きをここまで徹底的に回避されるとは思っていなかったらしい。
「なかなかの速度だ」
そう言い、レイは持っていた槍を下から上に向かって振るう。
キン、と。レイの槍の穂先とレイピアの刀身がぶつかった金属音が周囲に響く。
「あ」
連続突きを放っていたイステルは、レイの槍によってそれが中断したことに思わず声を上げる。
しかし、声を上げるという行為そのものが今は余計なことだった。
気が付けば、イステルの顔にはレイの持つ槍の穂先が突きつけられている。
やったことは簡単だ。
下から上に槍を振るってレイピアの刀身を弾いた後、手首の動きで槍の動きを止めて、一歩前に出て穂先をイステルに突きつけただけだ。
「……参りました」
この状況からではどうやっても逆転出来ないと判断したイステルは、降参の言葉を口にする。
それを聞いたレイも、素直に槍の穂先を引っ込める。
「レイピアの連続突きは強力だった。それは間違いない。普通の相手なら、あの連続突きで一方的に倒せるだろう。けど、その連続突きだけに意識を集中しすぎだ。何かあった時、すぐ対処出来るようにしておいた方がいい」
「ありがとうございます」
レイの言葉にイステルはそう頭を下げる。
実際、イステルの連続突きはかなりの速度があり、それを武器に二組のトップにまで上がってきたし、一組に上がるのも遠くないと言われているのだ。
そんな連続突きだったが、レイに対しては全く効果がなかった。
それどころか、槍によってあっさりと弾かれている。
勿論、誰にでも簡単にそのようなことは出来ない。
しかし、レイはそれをあっさりと……それこそ、無造作にやってみせた。
(凄い……ですね)
レイとの模擬戦で、軽くだが息を切らせながらイステルは思う。
普通なら、この程度の行動で息を切らせたりはしない。
それでも今こうして息を切らせているのは、やはりレイという憧れを抱く相手との模擬戦だったからだろう。
「嘘だろ……イステルさんがあんなに簡単に……」
「さすが深紅と言うべきだろうか」
「あれが異名持ちの実力って訳ね」
「お姉様……」
模擬戦が終わったところで、それを見ていた二組の生徒達がざわめく。
イステルは、二組の中では最強……絶対的な王者、いや、女帝としての地位を築いていた。
それこそ一組に上がっても、すぐに上位の強さを持つ……いや、そのままトップになってもおかしくはないと思われるくらいには。
だというのに、そんなイステルがレイにはあっさりと負けたのだから、それに驚くなという方が無理だった。
「さて」
そんなざわめきを遮るように、マティソンが口を開く。
レイの強さに驚いていた二組の生徒達だったが、そんなマティソンの言葉でざわめきは急激に収まっていく。
「これが異名持ちの高ランク冒険者の実力だ。イステルは二組……いや、冒険者育成校の中で考えても、間違いなく強者。けど、そんな強者であっても、レイさんのような存在を敵にした場合、とてもではないが勝利することは出来ない。君達には今はまだ無理でも、将来……それが具体的にどのくらい将来なのかは分からないけど、いずれあのような強さを持って欲しい」
マティソンの言葉を聞いた生徒達は、やる気に満ちている者が半分程、絶対に自分では無理だろうと諦めの表情を浮かべているのが半分程。
(やる気のない奴は、今はいいけど、冒険者として活動するようになったら下の奴に追い抜かれていきそうだな)
向上心というのは、重要だ。
例えそれが、自分の手の届かない相手に対してであっても、いつかは……そう思って努力をしている者と、自分には手が届かないのだからそこまで頑張る必要はないだろうと考えている者。
そのどちらの方が大成するのかは、考えるまでもなく明らかだろう。
教官としてはレイよりも先輩のマティソンだけに、レイよりも早くそれは感じていた筈だ。
だが、マティソンはそれを口に出さない。
本人の才能の問題もあるが、何よりもこの手の向上心というのは、人から言われたからといって、すぐに抱いたりは出来ないのだと知っているのだろう。
自分できちんと決意し、それで向上心を抱かなければ意味がない。
それどころか、下手に向上心を抱けと言っても、それは生徒達のやる気を削ぐだけだ。
マティソンの様子を見ていたレイは、何となく……本当に何となく日本にいた時のことを思い出していた。
学校の宿題をやろうとしたところで、母親から宿題を早くやれと言われると、宿題をやるという意欲ががくんと減るのだ。
それと生徒達の向上心が同じかどうかは、生憎とレイにも分からない。
しかし、それでも何となくレイはそれを思い出したのだ。
「さて、では模擬戦を本格的に始めようか。レイさんの模擬戦を見たのだから、やる気に満ちているとは思うけど、張り切りすぎて相手を傷つけないように」
マティソンの指示に従い、それぞれ模擬戦を始める。
「レイさん、今回はありがとうございました。噂通り……いえ、それ以上の実力を間近で見せて貰いました。さすが深紅の異名を持つだけのことはあると、強く納得しました」
イステルは、レイに向かってそう言う。
その目には、先程よりも強い好意の視線があった。
「そう言って貰えると、俺も模擬戦の相手をした甲斐があった。それにしても、何でレイピアなんだ? 速度のある突きを放つにはいいけど、かなり不利な点も大きいだろう?」
「はい、それは間違いありません。ですが、普段私が使っているレイピアは魔剣なのです。なので、レイピアの弱点は……完全に消えたとは言いませんが、普通に長剣と渡り合うことが出来ます」
「ああ、なるほど」
何故レイピアのような武器を使っているのかと疑問に思ったレイだったが、実際には魔剣を使うという単純な理由があったと知り、納得する。
とはいえ……それでも、本当に安心出来るかと言われれば、それは微妙なところだが。
魔剣であれば、その辺のモンスターを相手にするのは問題ないだろう。
アンデッドの類に対しても、魔剣である以上は対処出来る筈だ。
だが……もっと地下深い場所、具体的には高ランクモンスターの出てくる場所で、その魔剣がどこまで通用するのか。
もっとも、それは魔剣に限らずどのような武器であっても同じことだったが。
「魔剣を使うのはいいけど、いざという時の予備の武器も持っておいた方がいい」
「そう、ですね。ただ……私は小さい頃からずっとレイピアを使いこなす為に鍛えてきたので」
あまり他の武器については自信がありません。
そう告げるイステルだったが、レイはそれに対して首を横に振る。
「イステルも、冒険者になる為にこの学校にいるんだろう? なら、折角の機会なんだ。冒険者として活動する上で必要な技術はしっかりと学んだ方がいい。そうすれば、この先それが冒険者として活動していく上で、大きな意味を持つことになる」
「……レイさん……分かりました、すぐにとは言いませんが、少しどのような武器がいいのか、考えてみます。ちなみにレイさんはどのような武器がお勧めでしょう?」
「分かりやすいところだと、短剣だろうな。場所も取らないし」
短剣はその名の通り小さいので、取り回しがしやすい。
また、モンスターの解体といった用途にも使える。
勿論、解体用に作られた専門のナイフの類と比べれば、使いにくいだろう。
だがそれでも、何もない……それこそ長剣を使って解体するよりは、短剣の方が圧倒的に解体しやすいのは間違いなかった。
他にも短剣はあれば色々と便利なのは間違いない。
冒険者として活動する上で、短剣の類はあって損というわけではなかった。
「短剣……ですか。そうですね。今まではレイピアがあればどうとでも出来たので問題はなかったのですが、模擬戦でレイさんに負けた時のことを考えるとあった方がいいのは間違いないかもしれませんね」
レイの言葉に、そう断言するイステル。
もしこれが、レイ以外の誰か別の者……それもイステルに模擬戦で負けたような相手に言われたのなら、その言葉を素直に聞いたりはしなかっただろう。
イステルにしてみれば、自分に負けた者の言葉を素直に聞くつもりにはなれないのだから。
そういう意味では、ここでレイに負けたというのはイステルにとって幸運だったのだろう。
「その、レイさん。それなら短剣の使い方を少し教えて貰えませんか?」
「そう言われても、俺は短剣はそこまで使い慣れていないしな。それこそ長剣を使っているマティソンに教えて貰った方がいいんじゃないか? それに今日は初の授業だし、出来るだけ多くの者達と模擬戦をしておきたいし」
そう言い、レイは周囲にいる者達に視線を向ける。
二組の絶対的な女王であるイステルがレイと話しているので、それを邪魔する者はいなかったが……ただ、自分もレイと模擬戦をやりたいと思っている者は結構な人数がいた。
それを見て、イステルは残念そうにしながらも引き下がるのだった。