3618話
「参りました」
マティソンは、自分の目の前に突きつけられた槍の穂先を見て、そう告げる。
その表情に浮かぶのは、悔しさ……ではない。
いや、正確には悔しさもその表情の中にあるのだが、それ以上に何がどうなってそうなったのか分からないという疑問があった。
「一応、それなりに強さには自信があったんですが……レイさんを相手にしては、無駄だったようですね」
このガンダルシアにおいて……それはつまりグワッシュ国全体で見ても、間違いなくトップ層に位置する実力を持つ冒険者のマティソンだったが、レイを相手に何も出来ずに負けてしまった。
実際には何も出来ずではなく、レイの攻撃を二度防いでいるのだが。
とにかく、そのような状況だけに、世界の広さを実感したらしい。
「動きは悪くなかったぞ。けど、もう少し踏み込みを素早くした方がいい。踏み込みそのものの素早さもそうだし、実際に踏み込もうと考えてからそれを実行するまでの時間についてもだが」
「一応、それなりに自信はあったのですが」
レイの駄目出しに、マティソンが困ったように言う。
この辺が、国全体の冒険者の数によるものだろう。
(そう言えば、日本にいる時もTVで見たか何かしたサッカーの解説でそういうのがあったな)
日本とサッカー強豪国……例えばブラジルの場合、そもそもサッカーをやっている子供達の数が大きく違う。
その競技人口の差によって、日本ではトップクラスの上手さであってもブラジルでは中堅に届くかどうかといったような、そんな話。
それと同じ現象が、ミレアーナ王国とグワッシュ国でも起きているのだろう。
もっとも、実際には似ているようで違う。
サッカーの場合は国民の数というよりは、単純に子供の遊びがサッカー以外にも複数あるので、小さい時からサッカーに触れる機会そのものが少ない日本に対して、グワッシュ国の場合は単純に人口の差が冒険者の数に大きく関係していた。
「一度……本当に機会があったらだが、マティソンもギルムに行ってみるといい。ギルムには多くの冒険者がいるから、このガンダルシアとはちょっと違う自分を発見出来るかもしれないぞ」
「冒険者の本場、ギルムですか。一度行ってみたいとは思っているのですけど……なかなか」
もしこれが、例えば数日程度の距離ならマティソンもギルムに行っていただろう。
だが、セトに乗ったレイであっても、ギルムからガンダルシアまで移動するのにはそれなりの日数が必要になる。
馬車にしろ、馬に乗ってにしろ……あるいは徒歩にしろ、地上を移動してガンダルシアからギルムまで移動するとなると、下手をすれば年単位の時間が必要になる可能性があった。
だからこそ、マティソンも噂で聞いたことがあるギルムにはそれなりに……いや、それなり以上に興味はあるが、それでもそう簡単に行くことは出来ない。
ましてや、現在マティソンのパーティはダンジョンの攻略を行っているのだから、尚更だろう。
(あ、でもそうだな。俺はある程度時間が経ったらギルムに戻る予定だし、あるいはその時に連れていってもいいかもしれないな。……それでもそれなりの日数は掛かるから、その間はダンジョンの攻略が止まることになるだろうけど)
その辺は後で聞こう。
そう思い、取りあえず今この場でそれを口にするのはやめておく。
もしこの場でそのようなことを口にすれば、それこそマティソンだけではなく生徒達もがギルムに行きたいと言い出す可能性もあったのだから。
何しろ、冒険者育成校に通っている者達だ。
冒険者の本場に行けるかもしれないとなれば、それを希望する者が一体どれだけ多くいるのか分からないのだから。
(うん、この話は後でだな)
そう判断すると、レイは周囲を見る。
レイとマティソンの模擬戦を見ていた生徒達は、唖然としている者が多い。
冒険者育成校に通う生徒達にとって、マティソンは圧倒的な強者だった。
これまでの学生生活で、それこそこの四組だけではなく、より上位の三組、二組、一組の生徒達ですら、誰も模擬戦でマティソンに勝利出来た者はいない。
「さて、そろそろ時間ですね。模擬戦の授業はこの辺にします。皆、教室に戻って下さい」
マティソンが、生徒達に向かってそう言う。
そこには自分が負けたという悔しさはどこにもない。
マティソンにしてみれば、模擬戦で……しかもレイのような、自分よりも格上を相手に負けたからといって、悔しさを露骨に表すつもりはないのだろう。
もっとも、本当に悔しくない訳ではないのだろうが。
これでレイがもう少し弱い……それこそ、マティソンと比べて少しだけ格上であれば、模擬戦ということもあって勝利出来た可能性はある。
しかし、レイは少しどころではない程、圧倒的なまでに格上だった。
そうである以上、負けても悔しさを覚えるより、寧ろ納得する……あるいは高い壁があるので、それをどうやって乗り越えるかといったように考えてもおかしくはない。
「凄かったな」
「うん。教官達の模擬戦があんな風になるなんて」
生徒達が話しながら訓練場を出て行く。
レイがそんな生徒達の会話を聞くともなしに聞いていると、マティソンが近付いてくる。
「レイさん、今回は私の我が儘に付き合ってくれてありがとうございました」
「別にそこまで気にすることはないと思うけどな。それに実際、あの模擬戦が生徒達にとって大きな刺激になったのは間違いないし」
高ランク冒険者の戦いを間近で見た生徒達にしてみれば、今は弱い自分達でも、やがて……将来的にはあのような戦いが出来るようになると、そう思ってもおかしくはない。
勿論、そのように思ったからといって、本当にそうなるとは限らないが。
レイの認識では、恐らく数年後にまだ冒険者として活動しているのは半分くらい……どんなに運が良くても、半分と少しといったところだろうと思っていた。
冒険者を辞める理由は様々だ。
手足を失う怪我をして辞める者。もっと才能のある者を見て心が折れた者。死の危険を怖くなった者といったような、マイナスの理由。
あるいは、誰かと結婚をすることになったり、商人の専属の護衛として引き抜かれたりといったようにプラスの理由。
冒険者を辞める理由は様々だが、だからこそ数年後にはここにいる者達の多くが冒険者を辞めているんだろうと、そのように思えるのだ。
「大きな刺激ですか。それは喜ぶべきことなのでしょうね。……特に今のガンダルシアの状況を考えると、余計に」
「この冒険者育成校が出来た経緯を考えれば、そうだろうな」
レイの言葉に、マティソンは素直に頷く。
元々この冒険者育成校はダンジョンの攻略がなかなか進まない為に、このガンダルシアの領主が作ったのだ。
勿論、そこには純粋に冒険者という戦力を増やしたいという思いもあるのだろうが。
そんな訳で、学校の方針を考えればレイとマティソンの模擬戦というのは決して悪いものではない。
……マティソンが、殆どいいところなしで一方的にやられたような結末だったとしても。
「それで、これからどうするんだ? 俺は今日はマティソンと一緒に行動するって話だったから、四組の模擬戦が終わった後は他に何かやることがあるのか?」
「ええ、他のクラスの模擬戦を見て貰います。レイさんにしてみれば、相手は未熟極まりないと思いますが……」
「その辺は仕方がないだろう。ここはそういう場所なんだから。……寧ろ俺が問題ないと思うだけの強さを持っていれば、それこそわざわざこういう学校に通わなくてもいいだろうし」
レイがこの冒険者育成校の意味を理解していることに、マティソンは安堵する。
レイのような圧倒的な強者にしてみれば、生徒達では未熟にすぎる。
実際、十五人を相手にしても、息を切らせたり汗を掻いたりといったことすらなかったのだから、レイがどれだけ余裕を持っていたのかが分かるだろう。
だからこそ、生徒達が弱くてレイのやる気がなくなるかもしれないと懸念していたのだが、幸いなことにそのようなことはない。
「そうですね。レイさんにそう言って貰えると助かります」
それはお世辞でも何でもなく、本当に心の底からそのように思っているのだろうと思える、マティソンの言葉だった。
そんなマティソンの様子に、教官としてもそれなりにきちんとやっているのだろうとレイには思える。
もっとも、教官としてしっかり仕事をしているのは間違いないが、それ以上に冒険者として活動することの方が重要なので、ダンジョンに潜るのを優先したりするのだろうが。
「それで……うん?」
マティソンとの会話を続けようとしたところで、誰かが……それも一人ではなく複数の者達がここに近付いてくる気配を感じ、そちらに視線を向ける。
四組の生徒か?
そう思ったものの、わざわざ生徒達がこうして戻ってくるというのはレイにとっても疑問だった。
それが一人なら、もしかしたら何か聞きたいことがあって、それで戻ってきたのではないかとも思うのだが、それが五人ともなれば話は違ってくる。
「レイさん? どうしました?」
「あー……あれか」
訓練場に姿を現したのは、生徒……ではなく、教官。
それも冒険者としての活動を重視し、ダンジョンに潜る為には教官の仕事をサボるというマティソンと対立している、アルカイデだった。
アルカイデ一人だけではなく、取り巻きと思しき者達が四人いるが。
「うわ」
マティソンがレイの示した方向……アルカイデが自分達の方に近付いてくるのを見て、そんな声を上げる。
マティソンにしてみれば、面倒なことになると思ったのだろう。
そんなマティソンの様子を見たアルカイデは、一瞬不愉快そうな表情を浮かべる。
自分を見て、一瞬ではあるが間違えようがないような、嫌そうな表情を浮かべたのだ。
それを見て愉快になれという方が無理だろう。
「さて、マティソン教官。何故私がここに来たのか分かるかね?」
「いえ、全く」
まさか即座にそう返されるとは思っていなかったのか、アルカイデの表情が一瞬だけ意表を突かれたようになる。
だが、すぐにその表情は厳しいものに変わる。
「そうですか。ですが、私が聞いたところによるとガーウィン家の生徒を皆の前で叩きのめして恥を掻かせたという話ですが?」
ガーウィン家?
その言葉を不思議に思ったレイだったが、その後に続いた言葉で、誰のことを言っているのかすぐに分かった。
教室でセグリットと揉めていた生徒だろうと。
マティソンはレイより早くガーウィン家の生徒というのが誰なのか理解したらしく、アルカイデが自分に声を掛けてきた理由がすぐに理解出来たらしい。
「元々、あちらが望んだ戦いです。それを負けたからどうこう言うとは……貴族の誇りというのは、そういうものなのでしょうか?」
マティソンの口から出た、意外な毒舌。
それを隣で聞いていたレイは驚く。
マティソンがまさかこのようなことを言うとは、思っていなかったのだ。
それはアルカイデも同様だったのか、驚きで言葉に詰まる。
しかし、そんなアルカイデの代わりという訳ではないだろうが、取り巻きが口を開く。
「何という言葉……尊い血を持つ貴族を、ここまで馬鹿にするとは!」
「全くだ。所詮は貴族に生まれた者ではないのだから、貴族に対する理解が浅いのでしょうな」
取り巻き達の言葉を聞いても、マティソンは特に気にした様子はない。
実際に自分が貴族の血筋ではない、庶民の出なのは間違いないのだから。
「この冒険者育成校においては、貴族の地位を振りかざすことは禁止されているのを忘れたのですか?」
「それは表向きのことで、実際は違う!」
「馬鹿者!」
マティソンの言葉に取り巻きの一人が反論するが、その内容が不味かった。
実際、それを聞いたアルカイデが即座に取り巻きに向かって鋭く言い放っていた。
取り巻きは、まさかマティソンではなくアルカイデからそのように言われるとは思っていなかったのか、驚きの表情を浮かべる。
「では、この件については校長に報告をしてもよろしいですか? まさか、この冒険者育成校の教官が今のように言うとは……そのままにしておくことは出来ないでしょう」
「……あ」
マティソンの言葉に、口を滑らせた取り巻きの一人はようやく自分がしてはいけないミスをしたことを理解する。
「その、何だ。今回の件はお互いに行き違いがあったようだ。双方共に気にしないということにしてはどうだろう?」
「……アルカイデさんがそう言うのなら、それはそれで構いません。ですが、この冒険者育成校において貴族の力を使うようなことをすれば、どのようなことになるか。……それについては理解しておいた方がいいでしょう」
そう告げるマティソンにアルカイデは憎々しげな表情を浮かべるが、それでも反論することなく取り巻き達と共に訓練場を立ち去るのだった。