3615話
「ぎゃあっ!」
男の腕が模擬戦用の刃のない長剣に打たれ、訓練場にそんな悲鳴が響く。
悲鳴を口にした男は、その衝撃で握っていた武器……こちらも同様の模擬戦用の長剣だったが、それを落としてしまう。
貴族の血筋が誇りだった男は、既にその表情に誇り高さはない。
今の腕に対する一撃で勝負は決まったが、これが初めての模擬戦ではない。
既に五度、男はマティソンの振るう長剣によって叩きのめされていた。
模擬戦用に刃がついていないのは、このような時はある意味で残酷ですらある。
勿論、マティソンもダンジョンに挑む腕利きの冒険者だ。
また冒険者になったばかりだという相手を前にしても、本気を出さずにこのような結果になるのは分かっていた。
「ふむ、どうやら君は冒険者としての才能は……まぁ、ない訳じゃないだろうけど、態度に見合う実力はないようだね」
長剣を手に、まだ息を切らす様子すらないマティソンは、柔らかな口調でそう言う。
もっとも、その口調は柔かであっても、言葉の内容は非常に手厳しいものだったが。
「ぐ……私にこのような真似をして、ただですむと……」
「この冒険者育成校に入学した以上、貴族としての特権は通用しないんだよ。勿論、何にでも例外はあるけどね。例えば爵位の高い家の血筋であったり、もしくは家を継ぐ立場にいる者であったりとか。もっとも、家を継ぐような人がこのような学校に入学するとは思えないけど」
「……」
憎々しげな目でマティソンを見る男だったが、それ以上は何も言えなくなる。
実際。男は、そして男の仲間の他の三人も、貴族とはいえ男爵や子爵といった爵位の家の者でしかない。
それも爵位を継ぐ長男ではなく、その予備の次男でもなく、三男、四男といった者達。
そのような者達だからこそ、家を出て冒険者になるしかなかったのだが。
男もそれを分かっているからこそ、マティソンの言葉に反論出来なかったのだろう。
「君はもう少し腕を上げよう。でなければ、三組に上がることは不可能だからね。……さて、それではそろそろ授業に入ろうか。……少し話すのは遅れたが、今日からこの人が模擬戦の教官をしてくれることになった。恐らく噂や、あるいは吟遊詩人の歌で聴いたことがあるだろうと思われるが……ミレアーナ王国の中でも冒険者の本場と呼ばれる辺境のギルムで普段は活動している、ランクA冒険者、深紅のレイさんだ」
そう紹介されたレイは、そこまで持ち上げなくてもと思いながらも、一歩前に出る。
マティソンの紹介を聞いた生徒達は、その話の大きさに衝撃を受けていた。
既にその頭の中には、マティソンに一方的にボコボコにされた男の件は残っていない。
ざわり、と。
それぞれが近くにいる者達と小声で言葉を交わす。
中にはレイの噂や吟遊詩人の歌で聴いた時にファンにでもなったのか、熱烈な視線を向けてくる者すらいた。
「レイさん、挨拶を」
「……この状況でか?」
レイにしてみれば、このような状況でどう挨拶をすればいいのか、戸惑う。
もしここで自分が何かを言っても、それが大袈裟に受け止められるのではないかと。
とはいえ、今の状況では挨拶から逃げる訳にもいかない。
マティソンに恨めしげな視線を向けてから、口を開く。
「レイだ。マティソンの言うように、普段はギルムで活動している。今日から、具体的にいつまでになるのかは分からないが、この冒険者育成校で模擬戦の教官をやることになった。色々思うところがある者はいるかもしれないが、よろしく頼む。……質問のある者はいるか?」
しまった。
レイは聞いておいて、そう思ってしまう。
気分としては、それこそ学校にやってきた教育実習生や、新しい教師といったものに近い。
だからこそ、自己紹介が終わった後で何か質問はあるのかと思わず聞いてしまったのだが……そう聞いたところ、多くの者が手を挙げたのだ。
この生徒達にしてみれば、異名持ちのランクA冒険者という時点で、既に普通ではない。
ましてや、それが吟遊詩人に歌われるような存在なのだ。
冒険者として、色々と聞きたいことがあってもおかしくはないだろう。
「あまり時間がないから、三人だけな。まずは、そこの男」
レイに指さされた男は、興奮に顔を赤くしながら口を開く。
「その、深紅のレイと言えば大鎌を武器にしていると聞きます。その大鎌を見せて貰うことは可能でしょうか?」
その言葉に、レイはマティソンに視線を向ける。
マティソンは、一瞬の躊躇いもなく頷く。
生徒からの要望ということもそうだが、それ以上にやはりマティソンも冒険者……それもこのガンダルシアにおいてはトップクラスの冒険者の一人だ。
セトとは違う、レイの象徴とも呼べるデスサイズを自分の目で見てみたいという思いがそこにはあったのだろう。
「わかった。……これだ」
マティソンの許可を貰ったので、レイはミスティリングからデスサイズを取り出す。
それを見た瞬間、多くの者が目を奪われ、言葉も発せずに黙り込む。
中には腰を抜かして地面に座り込んでいる者もいた。
そんな者達を見ながら、レイはデスサイズを軽く振るう。
それは力を込めた訳でもなく、本当に手首の動きだけで振るわれた一撃。
しかし、そんな軽い一撃であっても見た者にどれだけ凄まじい威力を持っているのかを理解させるには十分だった。
この四組の生徒達は、そこまで突出した実力を持つ者はいない。
才能という点なら、セグリットのように一級品の者もいるが、それはあくまでも才能でしかなく、そういう意味ではまだ未熟なのは間違いなかった。
だが、そのよう者達であっても、こうして目の前でレイがデスサイズを振るったのを見れば、それがただごとではないと、理解出来てしまう。
レイの振るった一撃は、それだけの圧倒的な迫力を持っていたのだ。
「さて、次は?」
デスサイズをミスティリングに収納すると、レイは再び尋ねる。
だが、デスサイズの一撃が大きな衝撃を与えたのか、まだ誰も何かを言える様子ではない。
「誰もいないのか? なら、これで質問は……」
「はい!」
質問はこれで終わる。
そう言おうとしたレイだったが、言い終わる前に何とか一人が無理をして手を挙げる。
「じゃあ、お前。質問は何だ?」
「はい。深紅のレイと言えば、先程の大鎌もそうですが、グリフォンを従魔にしているというのもあります。そのグリフォンはガンダルシアに連れてきていないのでしょうか?」
「いや、連れてきているぞ。俺も時間があったらダンジョンに潜るつもりだし、その時は俺の相棒のセト……グリフォンは一緒に行動するし。ただ、セトはかなりの大きさを持つ。それだけに、まだ来たばかりで自由に街中を歩いているのを見られると驚かれるだろうから、今は俺の借りている家の庭で遊んでいる」
「その……じゃあ、いつかグリフォン、セトでしたか。それを見せて貰うことも出来るのでしょうか?」
「ああ、そのつもりだ。この学校は冒険者育成校の名前通り、冒険者を育成する学校だ。人との戦い方ばかりじゃなくて、モンスターと戦うことも必要になってくる」
冒険者として活動する以上、人と戦うことは避けられないだろう。
だが同時に、モンスターとの戦いも避けられないものとなる。
そういう意味では、モンスターと戦う機会というのも重要になる。
勿論学校側もそれを理解しているので、浅い層ではあるが学生達がそこでモンスターと戦うといったことをさせている。
(とはいえ、それだと浅い層だから低ランクモンスターなんだよな。それこそゴブリンとか。そういう意味では、高ランクモンスターと向き合う必要がある)
ゴブリンのような弱いモンスターとの戦いだけしかしていなければ、モンスターはそういう存在だと侮るようなことになる。
自分ではそのようなつもりではないが、無意識のところで侮ってしまう可能性もあった。
「お前達が冒険者として活動する以上、いずれ高ランクモンスターと遭遇する機会もある。そういう意味では、俺が連れて来たセトをここに連れてきて模擬戦をするということも考えている」
その言葉に真っ先に反応したのは、生徒達……ではなく、マティソン。
マティソンもダンジョンに潜っている以上、いつ高ランクモンスターと遭遇するのか分からない。
そうである以上、今レイが口にしたようにランクAモンスターのセトと模擬戦を行えるというのは、学生だけではなくマティソンにとっても非常に大きな意味を持つ。
「その、レイさん。もしよければ生徒達だけではなく、私のパーティにもセトと模擬戦をさせて貰えませんか?」
「マティソンも?」
「はい。今のところ、ダンジョンではランクAモンスターとは遭遇していませんが、ダンジョンの攻略を進めるといずれ遭遇することになるでしょう。あるいは、まだ私達が到達していない階層で行動している冒険者は遭遇しているかもしれませんが」
「……なるほど」
「高ランクモンスターというのは、接触するだけで生か死かといったことになります。そういう意味で、レイさんの従魔であるセトなら、模擬戦である以上は死なないで経験を積めますから」
「それは……まぁ、そうだな。ただ、セトは高ランクモンスターだが、普通の高ランクモンスターと一緒にするのは問題だぞ?」
普通の高ランクモンスターも、勿論強い。
だがセトの場合、魔獣術で生み出されたというのも影響してるのか、普通以上に知能が高い。
また、魔獣術の影響で多種多様なスキルを使いこなす。
そういう意味では、それこそダンジョンに出現する高ランクモンスター対策として、それなりに力の入った模擬戦を行うという意味では、決して向いていない。
やろうと思えば出来るだろうが、レイにしてみればセトと互角に戦うのなら、一体どれだけこのガンダルシアのダンジョンの深い場所まで潜らないといけないのか。
少なくても、レイが現在聞いている地下十八階という階層では、セトのような存在と戦うことはないだろうと思える。
……もっとも、レイも実際に地下十八階までは降りていないので、そういう意味では恐らくそうだろうとしか思えないのだが。
「分かっています。ですが、レイさんが生徒達に経験させるのも、最初に強大な相手を見ていれば、後から他のモンスターと遭遇しても、セト程ではないと思うからでしょう?」
「それは間違いないが、格の違いというのがあるだろう?」
ダンジョンの攻略を積極的に行っているマティソンのパーティと、冒険者として未熟、あるいは冒険者になったばかりの者達では、どうしてもセトの対応は違ってくる。
「生徒達に悪影響があるかもしれないと?」
「それもある。……で、どうする? それなら止めるか?」
「いえ、それでも試してみたいと思います。それに……別に私達が模擬戦をする時は、生徒達がいなくてもいいでしょう?」
本気で模擬戦をやるのを見せるのが生徒達に悪影響があるのなら、それを見せなければいい。
そう思っての言葉だったが、同時に冒険者としてこれから活動していくのなら、自分達の模擬戦は見ておいた方がいいだろうとも思う。
実際、それが生徒達にとっての利益になるのかと言われれば、なるだろうと思えるのだから。
それを悟ったのか、セグリットが口を開く。
「教官、出来れば俺もその模擬戦を見たいです」
その表情は真剣なもので、本気で言ってるのは明らかだ。
だが同時に、幾ら才能のある冒険者であってもマティソンのパーティとセトの模擬戦を見ても問題ないかと言えば、それは否だろうとレイには思える。
「どうする? そっちで決めてくれ」
結局レイが選択したのは、マティソンに任せるというものだった。
レイはセグリットがそれなりに才能のある人物だろうとは思っているが、同時にそこまでセグリットについて詳しく知っている訳ではないのも事実。
そうなると、やはりセグリットについて詳しく知ってるマティソンに聞いてみた方がいいのも事実。
とはいえ、セグリットが冒険者育成校に入学したのは昨日だという話だ。
だとすれば、マティソンがレイよりもセグリットに詳しいとはいえ、それはあくまでも一日分でしかないのだが。
とはいえ、それでもマティソンがセグリットに詳しいのは事実。
実際にこうして一日で四組まで上がってきているのだから。
「分かりました。では……希望者で私が問題ないと判断した相手のみ、許可しましょう」
それはつまり、ただ希望するだけでは駄目だということだ。
希望した上でマティソンが希望者の実力を見て問題ないと判断して、それでようやく許可されるということになる。
そんなマティソンの言葉に、何人かが残念そうな表情を浮かべるのだった。