3613話
レイとマティソンの取引が無事結ばれたところで、ちょうど二人は校長室の前に到着する。
マティソンは取引を成功させた……何かあった時、レイの協力を得られるということを喜びながらも、それを表に出すことなく校長室の扉をノックする。
「校長、レイさんをお連れしました」
『入ってちょうだい』
中から聞こえてきた声に、マティソンは扉を開ける。
そうしてレイとマティソンは校長室の中に入るが、そこには校長のフランシス以外にもう一人いた。
初老の……それでいながら、年齢による衰えは殆ど感じさせず、それこそ老いてなお盛んといった表現が相応しい、そんな老人が。
「君がレイか。……確かに強い。ここまで強い者を見るのは、長い時間を生きていたが初めてだよ」
初老の男は、レイを見て驚きながらそう言う。
レイにしてみれば、自分の強さを見抜ける相手ということや、何よりもここにいるということに何らかの理由があるのだろうと判断し、口を開く。
「そう言って貰えると嬉しいな。どうやら俺のことはもう知ってるようだが、レイだ」
「おお、これは失礼。儂はこの冒険者育成校の教官を纏める立場にいる、ラトキンという。これから、レイの仕事にも関わってくると思うが、よろしく頼む」
ラトキンと名乗った老人の言葉に、レイはなるほどと納得する。
教師ではなく教官を纏めると口にしたということは、教師を纏める者は別にいるということなのだろう。
(学年主任的な感じ……というのもちょっと違うが、まぁ、そんな感じか?)
取りあえずラトキンについては、そのように半ば無理矢理自分を納得させておく。
自分の上司であると、そう覚えておけば問題はないのだろうと。
(とはいえ、上司だけど……いや、上司だから? マティソンのように教官であっても。その仕事を放り出してダンジョンに潜るのをどう思っているのか分からないんだよな。アルカイデのように、それが許せないと思う奴もいる訳だし。ただ、マティソンの様子を見る限りではそういう感じじゃないのか?)
マティソンの様子を窺ったレイは、アルカイデの時とは違って落ち着いた様子を見せているのを確認し、そう判断する。
これでアルカイデ側の人物なら、ラトキンに対して苦手意識を出すくらいのことはしてもいいのだから。
「自己紹介は終わったようね。ラトキンはレイの直属の上司になるから、分からないことがあったらラトキンに聞いてちょうだい。それとダンジョンに潜る時も出来るだけラトキンに言ってちょうだいね」
絶対にではなく出来るだけとしている辺り、フランシスも冒険者についてはしっかりと理解しているのだろう。
何かあった時、それこそ連絡をする暇もないくらいに急がなければならない時、杓子定規に絶対にラトキンに話を通してからでないと駄目だと、そのようにしなくてすむのはレイにとってもありがたかった。
「そうするよ。もっとも、俺がダンジョンに潜るのはいつになるのか分からないけど」
「あら、そうなの? それこそ今日すぐにでも行くとか言うと思ってたんだけど」
「俺を一体何だと思ってるんだ」
「異名持ちの高ランク冒険者でしょう?」
「……まぁ、それは間違っていないが」
「私が知ってる限り、異名持ちや高ランク冒険者は色々と……そう、ちょっと常識では考えられない考え方をしている人達が多いから」
それはフランシスが単刀直入に変人や異常者と呼ぶべき者達というのをオブラートに包んだ言い方をしたものだった。
レイはそれに気が付いたのか、気が付いていないのか。
あるいは気が付いていても、自分はそういう者達ではないと思っているのか。
ともあれ、フランシスの言葉に不満そうに言い返す。
「幾ら何でも、教官として働く初日にダンジョンに行こうとは思ってないよ」
「だといいんだけどね。……ラトキン、この後についてはお願いね」
「分かりました。……では、レイ。行こうか。まずは教官や教師の待機部屋に案内しよう」
「この前、マティソンに案内された時にそこについても一応聞いてはいるんだけどな。……まぁ、案内してくれるのなら、それはそれで構わないけど」
「では、校長。私達は失礼します」
マティソンが最後にそう言い、レイ達は校長室から出る。
「レイ、この学校における、教師と教官、あるいは教官であっても冒険者主体のマティソンのような教官と、教官として仕事をしている以上はそちらに集中すべきという……一種の派閥の違いについては知ってるかね?」
「あー……マティソンがアルカイデと言い争っているところは見た」
「ああ、彼か。彼も能力的には決して悪い訳ではないのだが」
ふぅ、と息を吐くラトキン。
その言葉に、レイはアルカイデは能力的に悪い訳ではないのか? と疑問を抱く。
レイが見たアルカイデという男は、自分の血筋に大きな意味を持つという風に認識はしていたが、それだけの小物のように思えた。
それこそ、その血筋の力を使ってこの冒険者育成校で教官として務めているのだろうとすら思っていたのだ。
「その様子を見ると、どうやらアルカイデは無能と思っているようだが……彼は決して無能ではない。勿論、その性格から生徒や同僚に好かれるかというのは、別の話だが」
「そういうものか? ……俺の使っている家を自分が使いたいからと遠慮するようにとか言ってきた相手だが」
「そのようなところが、好かれない理由であるのは否定しない。だが、それでもこの冒険者育成校において一定の影響力を持ってるのは事実。あまり騒動を起こさないでくれると助かるのだが」
「俺から何かをするつもりはない。ただ、向こうがこっちに絡んできたら、相応の対処をする必要があるとは思うけど」
「……注意しておこう」
ラトキンはレイの言葉にそう返す。
ラトキンにしてみれば、もし騒動が起これば最終的にはアルカイデ達が負けるだろうと思っている。
だが同時に、ここがアルカイデにとって地元なのも事実。
つまり、レイには思いも寄らない何かが起きる可能性が十分にあった。
そしてレイが本気でアルカイデに対処しようと考えた場合、レイが使うという炎の竜巻を使われる可能性は十分にある。
このガンダルシアにおいて炎の竜巻など使われようものなら、一体周囲にどれだけの被害が出るか。
それこそ考えるのも怖くなる程だ。
(いざという時は……)
ラトキンは、いざとなったらアルカイデを切り捨てる覚悟をする。
アルカイデは確かにこのグワッシュ国においては貴族に連なる者だ。
本人も相応に優秀で、冒険者育成校にも一定の影響力を持つ。
具体的には、アルカイデと同じように貴族の血筋の派閥とでも呼ぶべき者達の集団がいる。
しかし、そのような者達とレイのどちらを取るかとなると、やはりレイだ。
レイ個人としてもそうだが、レイを送り込んできたミレアーナ王国は、実質的にグワッシュ国の宗主とでも呼ぶべき上位の存在だ。
グワッシュ国は一応保護国という名称ではあるが、実際には従属国に等しい。
もっとも、ベスティア帝国の従属国と比べると待遇はかなり良いのは間違いないのだが。
ともあれ、そんな宗主国からやってきたレイだ。
ましてや、ミレアーナ王国の中でも決して数は多くない、異名持ちにしてランクA冒険者。
そのような人物に、グワッシュ国の人間が……例え貴族の血を引いていようとも、危害を加えることは出来ない。
勿論、ダンジョンの中でモンスターに怪我をさせられるといったようなことになった場合は、また別の話だが。
ラトキンはそのように考えながらも、レイに向かって色々と説明しつつ廊下を歩き……やがて、待機部屋に到着する。
「ここが職員室か」
「レイ? 職員室とは?」
待機部屋の前に到着したところでレイの呟く声が聞こえ、ラトキンは不思議そうに尋ねる。
マティソンも、職員室という言葉に聞き覚えがなかったのか、レイに視線をむけていた。
「ん? ここだとそういう風に言わないのか? 教官や教師が集まっている部屋の呼び名だよ。待機部屋でも別にいいとは思うけど」
「いや……それだと少し味気ない。そうだな。教官や教師というこの冒険者育成校の職員が集まる部屋である以上、職員室という名称は悪くないと思う。儂の一存だけでは決められないが、後でそうできないか相談してみよう」
ラトキンはあくまでも教官の纏め役であり、そんなラトキンとは別に、教師の纏め役もいる。
職員室という名前を公式的に使うのなら、そちらときちんと相談する必要があった。
(そこまで大袈裟にするものなのか? ……というか、職員室って普通に使われてなかったか? 以前、士官学校に行ったことがあったけど、どの時はどうだったか)
以前国王派の関係で行ったことのある士官学校について思い出そうとしたレイだったが、残念ながらそのことについては思い出せなかった。
もし士官学校で職員室という名称が使われていたのだとしたら……この冒険者育成校で使われていなかったのは、グワッシュ国が保護国でミレアーナ王国とは違う国だからというのも影響しているのだろう。
「まぁ、その辺は好きにしてくれ。職員室というのが使われるのなら、それでもいいし」
「うむ。……もっとも、その辺は恐らく問題はないだろうが」
そう言い、ラトキンは扉に手を伸ばして開ける。
部屋の中には、既に結構な人数の教官や教師の姿があった。
その数は、レイがざっと見たところ五十人くらい。
(結構多いな)
そう思うレイだったが、冒険者育成校の生徒の数を考えれば、恐らくこれで丁度いいくらいなのだろう。
……マティソンのように、教官の仕事よりも冒険者としての行動を重視し、ダンジョンに潜るのを優先する者もいるのだから。
「レイはあそこの席に座ってくれ。あちら側を教官が使っている」
ラトキンに言われ、レイはその席に向かう。
近くにはマティソンの席もあり、レイにとっては話しやすい相手が近くにいる場所だ。
また、マティソンと同じく冒険者としての行動を重視している者が周囲には多いのか、レイに向かって好意的な視線をむけてくる者が多い。
……ただ、少し離れた場所にいるアルカイデやその仲間と思しき者達からは、憎悪……とまではいかないが、敵意に近い視線が向けられていたが。
とはいえ、そのような視線を向けてくるだけで、実際にちょっかいを出してこないのなら、レイにとって問題はない。
(普通、職員室の机とかって色々な書類とか筆記用具とか、そういうのが置かれているんだけどな)
レイがそう思ったのは、日本で高校にいる時に何らかの用件で職員室に行った時に見たからだ。
そんな日本の学校の職員室にある机と違い、レイの机の上には特に何もない。
レイは今日が自分の初日だからなのか? と思って周囲を見たが、他の教官達も特に何も机に置かれていない者も多い。
しっかりと筆記用具や何らかの書類が置かれている机もあるが。
……なお、少し離れた場所にある教師達の机を見てみると、そこにはレイが思っているような……いや、あるいはそれ以上の多くの物が置かれている机があったが。
「さて、今日から一人教官が増えることになった。既に前々から話はしていたので知ってると思うが、レイだ。深紅の異名を持つランクA冒険者だ。……レイ、挨拶を」
ラトキンの言葉に、レイは座っていた椅子から立ち上がる。
「紹介にあった、レイだ。具体的にどのくらいの間この学校で教官をやるのかは分からない。ただ、俺も他の教官と同じようにダンジョンの攻略をしたいと思っているので、教官として落ち着いたらそっちにも手を出すことになると思う。その時は色々とあるだろうが、よろしく頼む」
短くそう言うと、再び椅子に座る。
ダンジョンを攻略したいという言葉に、アルカイデのレイを睨む視線は一段と強くなる。
アルカイデにしてみれば、こうして堂々とダンジョンに挑む……つまり、教官の仕事を放り出すと言ってるのが不満だったのだろう。
それを抜きにしても、レイが喋っているという時点で面白くなかったのだろうが。
「うむ。ありがたい。……さて、先程も言ったようにレイは教官ではあるがランクA冒険者でもある。つまり、ここにいる中で最もランクの高い存在となる。それだけに、自分が生徒ではないからとはいえ、それでも聞きたいことがあったら聞いて欲しい。……レイも、それは構わないか?」
「構わないけど、俺のやり方はあくまでもミレアーナ王国……その中でも冒険者の本場と言われる、辺境のギルムのやり方だ。このガンダルシアにおいてもそれが通用するかどうかは分からない。それでもいいのなら聞いてくれ」
そう言うレイの言葉に、マティソンを含めた何人かの教官が目を輝かせるのだった。