3607話
玄関の前でジャニスを前に不満を口にしているのは、筋骨隆々といった感じの男だった。
ただ……筋骨隆々なのは間違いないが、その姿を見ても全く強そうには思えない。
まるで見かけだけの筋肉といった様子の男。
とはいえ、それはレイだからこそ理解出来ることだ。
強さという点ではただのメイドでしかないジャニスにしてみれば、自分よりも圧倒的に大きな男は恐怖でしかないだろう。
しかし、メイドとしてのプライドからジャニスは男を家の中に入れないように立ち塞がっていた。
……あるいは、強さについてはただの一般人でしかないジャニスだが、そんなジャニスも実は自分でも知らないところで目の前の男は身体が大きいだけの男だと理解していたのかもしれないが。
「あまり俺を怒らせるなよ? 俺を怒らせたら、どうなるか分かっているのか?」
そう言い、拳を握り締める男。
見掛けだけの筋肉だとはいえ、それでも筋肉は筋肉。
男の迫力は、戦いの心得がない者には十分に通じただろう。だが……
「へぇ、怒らせるとどうなるんだ?」
「っ!?」
男は突然聞こえてきた声に、驚きの表情を浮かべる。
気配を察知するといったことは出来ない男だが、それでもこの場に誰かが姿を現せば、それに気が付かないことはないと、そう思っていたのだ。
だが実際には、レイが近付いてくることに全く気が付けなかった。
それだけに、男は驚きに目を見開いたのだ。
(素人だな。もしくは、冒険者になったばかりか)
そんな男を見て、レイは即座に判断する。
「だ……誰だ!?」
男のその言葉に、レイは呆れと共に口を開く。
「誰って……お前は俺に会いに来たんじゃないのか?」
「何? お前が深紅のレイ……?」
「そうだ。で? 俺に何の用だ?」
「いや、ちょっと待て。ちょっと待ってくれ。本当にお前が深紅のレイなのか?」
慌てたように言う男。
その男の様子に、レイは疑問を抱く。
最初は何らかの理由――アルカイデ関係しか覚えがないが――によって、自分に絡みに来た相手ではないかと思ったのだ。
だが、こうして見ると明確な敵意の類はない。
レイをレイと認識出来ずに驚いているだけなのか、それとも何かもっと別の理由があってこの家に来たのか。
それは分からなかったが、とにかく敵意の類を抱いている訳ではないのは明らかだ。
もっとも、実は敵意の類を完全に隠すことが出来るような相手ということも十分に有り得るのだが……
(いや、ないな)
一瞬心の中に浮かんだ疑問を、レイは即座に否定する。
抱いている敵意を隠すのは、言うのは簡単だが実際にやるのは難しい。
ましてや、ちょっとした身体の動きを見ても男は到底鍛えているようには思えなかった。
だとすれば、この男は本当にレイに対して敵意の類を抱いていないということになる。
「そうだ。俺がレイだ。……庭にセトがいなかったのか?」
レイといえば、グリフォンを従魔にしているということでも有名だ。
そしてこの建物の庭では、セトがいる筈だった。
あるいは厩舎にいるのかもしれないが、セトの性格を考えれば、厩舎よりも外でのびのびとしたいだろう。
それなら、やはりセトは庭にいる可能性が高く、その庭はこの家の玄関から見える場所にある。
であれば、玄関にやって来るまでにセトを見ている可能性は十分にあったのだが……
「いや、その……深紅のレイと話をするのだけに集中していて、庭には気が付かなかった」
「気が付かなかったって……」
体長三m半ばのセトは、強い存在感がある。
それこそ気配を察知する能力がなくても、近くにいれば気が付いてしまう程に。
(あ、けどセトが通したってことは、こいつはやっぱり何か企んでいるとか、こっちに悪意や敵意を持ってるってわけじゃないのか? その割にはジャニスに対する言葉遣いはちょっとあれだったが)
セトはあるいは庭では動き回っていたのではなく、レイと同じように昼寝をしていたのかもしれない。
ただし、レイもそうだがセトも寝ていても悪意や敵意を抱いている相手が来れば、それを察知して自動的に目を覚ます。
そのようなことがなく、セトに止められず――その手段はどうあれ――にここまでやってきたのを考えれば、やはり目の前の男はレイの敵という訳でもないのだろう。
「まぁ、それはいい。……ジャニス、取りあえず入れてくれ。こいつは別に俺の敵じゃない」
「……え?」
レイの言葉に、理解出来ないといった声を上げたのは男。
何故自分がレイの敵と認識されていたのか、全く理解出来ないといった様子だ。
「あのなぁ……お前、自分の体格を理解しているか? ましてや、ジャニス……そこのメイドを脅すようにして拳を握り締めたりしただろ。自分の行為だけを考えれば、敵だと認識されてもおかしくはない筈だ」
「それは……すまない。そんなつもりじゃなかったんだが」
「謝るのなら、俺じゃなくてそっちだろ」
「……すまない」
素直にレイの言葉に従い、男はジャニスに向かって頭を下げた。
それを見たレイは、ジャニスに視線を向ける。
ジャニスにしてみれば、まさかこの状況で自分が謝られるとは思っていなかったのか、戸惑った表情を浮かべ、レイに助けを求めるような視線をむけてきた。
「こうして見る限り、本人に悪意はなかったようだし……ジャニスが気にしてないのなら、許してもいいんじゃないか?」
「……分かりました」
まだ完全に納得した様子ではなかったが、それでもジャニスはレイの言葉にそう返す。
「取りあえずこの件はこれでいいとして……それで俺にどんな用件が? いや、やっぱりこうして玄関にいさせたままだとちょっと問題あるか。中に入れ。いいよな?」
「レイさんがそう仰るのなら」
ジャニスにしてみれば、最初の態度から目の前の男はレイの敵……そこまでいかずとも、悪意を抱いてる者だろうと思えた。
そんな人物がまだレイも来ていないのに家の中に入れろと言ったのだ。
それを断るのは、そうおかしな話ではない。
ただ、今の話から取りあえずレイの敵ではないと判断出来たし、何よりレイが家に上がれと言ったのだ。
メイドであるジャニスにしてみれば、その言葉に従うのは当然だった。
そうして男はようやく家の中に入る。
レイが案内したのは、居間。
適当にソファに座るように言い、ジャニスにはお茶を用意するように頼む。
「さて、それで? 俺に一体何の用だ? ……というか、そもそも誰から聞いてここにやってきたのだ?」
「え? ああ、マティソン教官だ」
「……そうか」
レイが既にガンダルシアにいて、この家にいるのを知っている者は決して多くはない。
マティソンはそんな中の一人である以上、レイも男がここに来たのを納得するしか出来なかった。
とはいえ、一体何の為に来たのかという疑問はそのままそこにあったのは間違いないが。
「それで? 一体何をしにここに来たんだ?」
「その前に、一応聞かせてくれ。……あんたは本当に深紅のレイなのか?」
「ほら」
外見で侮られたり、信じられないのはレイも既に慣れている。
……慣れているからといって、それで不愉快に思わない訳でもないのだが。
ともあれ、レイはミスティリングから取りだしたギルドカードを男に見せる。
それを見れば、レイがレイであると認識出来るだろう。
ギルドカードの偽造は、不可能ではないのだろうが……それでもそう簡単に出来ることではないのだから。
「おお、本当に……すまない、レイ。本当にあんたが深紅のレイだと認識した」
「なら、いい」
返されたギルドカードをミスティリングに収納すると、レイは改めて目の前の男に尋ねる。
「それで? お前は一体何の為にここに来たんだ? いや、そう言えばまだ名前も聞いてなかったな」
「ハルエスっていうんだ。よろしく頼む」
「そうか。ハルエスか。で、ハルエスは何をしにここに来たんだ?」
「その……レイは冒険者育成校の教官だけじゃなくて、ダンジョンにも潜るんだよな?」
「その予定だな」
レイが教官をするだけではなく、ダンジョンに潜るというのを知ってるのは別におかしな話ではない
ハルエスはマティソンから聞いてこの家にやってきたのだから。
「じゃあ……その、俺をポーターとしてでいいから連れていってくれないか? 頼む!」
そう言い、頭を下げるハルエス。
レイはその言葉で何故ハルエスがここに来たのかを理解した。
理解したのだが……
「俺、ポーターは必要ないんだよな」
ポーターの仕事というのは、その名の通り荷物の持ち運びだ。
例えば倒したモンスターの素材や魔石、討伐証明部位、肉といった物を運んだり、あるいは冒険者の食料や飲み物、予備の武器……それ以外にも様々な物を運んだりする。
特にダンジョンにおいては、長期間潜る時にそれらは必要となる。
レイが聞いた限りでは、ミレアーナ王国の迷宮都市であるエグジルのダンジョンと同じように転移が出来ると聞いているが、それについてはまだ確認してないので分からない。
それでも全ての階層で転移出来る訳ではない為、それなりの物資が必要になる。
だからこそ、ポーターは相応に需要があるのだが……レイの場合、ミスティリングがあるので、ポーターは全く必要ないのだ。
それどころか、ポーターと一緒に行動すると、守らなければならないという点もマイナスだ。
もっとも、今はそういう時の為に防御用のゴーレムもいるので、守ろうと思えば守れるのだが……それでも、わざわざポーターを連れていく理由がなかった。
「そんな……」
「落ち込むな。別にポーターだけじゃなくて、俺……正確には俺とセト以外には基本的に邪魔になる」
基本的にはとつけたのは、それこそエレーナを始めとしたレイの仲間のように、戦力として十分に期待出来る者の場合は話が違う為だ。
しかし、ハルエスは見ただけで強くないのが理解出来てしまう。
身体は鍛えているのだろうが、それが表面的なものとしかレイには見えない。
単刀直入に言えば、足手纏いなのだ。
「もし、お前がランクA……とまではいかずとも、ランクB冒険者並の実力があるのなら、あるいは盗賊のように罠を発見したり、それを解除する技能があるのなら、俺も連れて行ってもいいと思う。けど……お前にそういう強さや技術はないだろう?」
「それは……」
図星だったからだろう。
レイの言葉に、ハルエスは何も反論出来ない。
実際、ハルエスは冒険者として見た場合、BどころかCやDにも達していない。
また、罠を見つけたり解除したりといった技術もない。
あるのは、あくまでもポーターとしての技術だけだ。
ポーターとしての技術……例えば荷物の詰め込み方とか、それを運ぶ方法とかならそれなりに自信はあるが、レイからはポーターとしてはいらないとはっきりと言われているのだ。
そうである以上、幾らポーターについての技術があっても、それは意味がない。
……もっとも、レイが知らない何らかのポーターの技術があったりすれば、また話は違ってくるだろうが。
しかし、ハルエスはポーターではあるが、そのような技術はない。
レイの言葉を聞いてがっくりとしたハルエスに向け、レイはふと気になったことを尋ねる。
「マティソンから聞いてきたってことは、お前も冒険者育成校の生徒なんだよな?」
「ああ、そうだ」
「なら、別に俺に頼らなくても他の連中と一緒にダンジョンに潜ればいいんじゃないか?」
「う……そ、それは……」
レイの言葉がショックだったのか、ハルエスは何も言えなくなる。
(あれ? これ、何か不味いことを言ってしまったか?)
ハルエスの様子から、もしかしたら自分は何か、言ってはいけないことを言ってしまったのかと思ったレイだったが、その件について謝るよりも前にハルエスは口を開く。
「確かに、学校に通っている生徒達でパーティを組んでダンジョンに潜ることはある。けど……そのパーティは、やっぱり人それぞれなんだよ」
「人それぞれって……具体的には?」
「俺が以前いたパーティが、色々とあって解散した」
「その、色々というのは?」
「男女間の問題だな。パーティリーダーをしていた奴がパーティメンバー以外の相手とくっついて」
「あー……それはまた……」
レイはハルエスの言葉にどう反応していいのか迷う。
パーティ内の恋愛関係というのは、プラスに働くこともあればマイナスに働くこともある。
ただし、マイナスに働くと今回のハルエスの言うように、パーティが解散ということにもなりかねない。
……いや、刃傷沙汰になっていないので、本当の意味で最悪ということではないのかもしれないが。
パーティの中には、そういうのを嫌って男だけ、女だけというパーティもあるくらい、ありふれた……それでいて、大きな問題が恋愛関係なのだ。
何しろ、仲間の命を預けることも珍しくないのだ。
そこに男女がいれば、ちょっとした切っ掛けでそのような関係になってもおかしくはないのだから。