3605話
「では、校長。私はレイさんを家に案内してきますので」
マティソンの言葉に、フランシスは少し疲れた様子で頷く。
……エルフの少し疲れた様子というのは、どこか色気を感じさせる。
実際、マティソンの意識もフランシスに向けられていた。
「ええ、お願い。それと……明日、もしくは出来れば今日のうちにレイはギルドに顔を出しておいてちょうだい。こっちから話は通っているから問題はないと思うけど、それでもギルドに到着したというのは知らせておいた方がいいでしょうし」
「分かった。俺もそのつもりだったから、特に問題はない」
「何かあったらマティソンに……いえ、学校の事務室に話をしてくれれば、対処してくれるからよろしく。それと明後日は午前中……正確には授業が始まる前には学校に来て貰える? 詳しい話はメイドにしてあるから、学校について分からなかったらそっちに聞いてちょうだい」
「……メイド?」
ここでその単語が出てくるのは、レイにとっても予想外だった。
その為に驚くが……それでも、メイドそのものは珍しいものではない。
それこそ日本にいる時にTVで見たような日本特有の特殊で特徴的なメイドではなく、本物のメイドという意味で。
何しろギルムにある領主の館には結構な数のメイドがいて、レイはそれなりに領主の館に行く機会が多い。
そういう意味では、本物のメイドについてはそこまで珍しいものではないのだが、しかし自分がメイドの世話になるかのような表現は、レイにとっても驚きだった。
しかし、フランシスはそんなレイの驚きに気が付いているのかいないのか、レイの口から出たメイドという言葉に特に何かを感じた様子もなく、頷く。
「ええ、メイドよ。レイはまだ見てないでしょうけど、レイがガンダルシアにいる間に使う家はそれなりに大きいから、管理する人が必要でしょう? それとも、まさかレイが管理をする?」
「それは……」
そう言われると、レイも即座に反論は出来ない。
私物については、ミスティリングがあるからそれで散らかるようなことはないだろう。
だが、管理となると掃除や庭の手入れといったことも必要になる。
レイが以前泊まっていた――今も一応部屋は取ってあるのだが――夕暮れの小麦亭においては、従業員が部屋の掃除をしてくれた。
そしてマリーナの家では、精霊が掃除をしてくれていた。
妖精郷においては、そもそも野営なので特に掃除の必要はない。
そう考えると、掃除……後は食事の用意をしてくれるメイドというのは、このガンダルシアでレイが一人暮らしをする上で、必須の存在なのだろう。
実際にはセトもいるので、一人と一匹暮らしなのだが。
「そうだな。掃除とかそういうのをやってくれる奴がいるのは助かる」
「言っておくけど、手は出さないようにね」
フランシスの言葉からすると、そのメイドは美人なのだろう。
あるいは手を出すなとは言ってるが、実際には手を出させる為に用意したのかもしれない。
しかし、レイはそんなフランシスの考えに気が付いているのか、いないのか、その言葉に素直に頷く。
「そういうつもりはないけど、気を付けよう」
「あら、そうなの。……男の人はメイドを好むって聞いたんだけど」
後半は小声で呟いたフランシスだったが、五感の鋭いレイにはその言葉も聞こえていた。
とはいえ、それについて突っ込めば面倒なことになりそうだったので、取りあえずそこには触れず、マティソンに声を掛ける。
「じゃあ、マティソン。取りあえず俺の家まで案内を頼む。ああ、その前にセトを連れていかないといけないな」
「わかりました。では校長。私はこの辺で失礼します」
「ええ、よろしくね」
そうしてレイはマティソンと部屋を出ようとし……ふと、その足を止める。
「俺が住む家だけど、無料でいいのか?」
レイが気になったのはそれだった。
話を聞く限り、それなりの広さを持つ家らしい。
迷宮都市として、ダンジョンからモンスターが出て来た時の為にガンダルシアは壁で囲まれている。
そうなると、当然ながら使える場所は限られているのだ。
そのようなガンダルシアで、相応の広さを持つ家となれば、当然ながらかなりの高級物件となる。
ましてや、メイドもいるというおまけ付きだ。
そのような場所を無料で使ってもいいのか。
あるいは、幾らか家賃を支払う必要があるのか。
そうレイが疑問に思っても、おかしくはない。
だが、レイの質問にフランシスはあっさりと頷く。
「ええ、無料でいいわ。それだけ私達はレイに期待してるということよ。……もっとも、生活費の支給は出来ないけど。もしくは、教官としての給料を使って貰う必要があるわね」
教官として働く以上、当然ながら給料が支払われる。
ただし、レイは冒険者育成校において大きな仕事をする訳ではなく、あくまでも戦闘訓練の教官をやる程度だし、暇な時間はダンジョンに潜る気満々だ。
そうである以上、どうしても冒険者育成校で働く時間は少なくなり、他の……例えば専任で教師をしている者達に比べると、どうしても給料は低くなる。
とはいえ、この冒険者育成校はあくまでもダンジョンを攻略する為の冒険者を育てる為の学校だ。
そうである以上、戦闘訓練が大きな意味を持つのは明らかであり……そういう意味では、一定の給料は貰えるのだが。
特にレイの場合、異名持ちのランクA冒険者だ。
それもミレアーナ王国でも有名な。
そんなレイとの戦闘訓練であれば、それこそ幾ら支払ってでもやりたいと思う者もいるだろう。
「分かった。じゃあそういうことで」
気になっていた部分についても分かったので、レイはマティソンに視線を向ける。
「じゃあ、家に案内を頼む」
「分かりました。では、行きましょう」
こうしてレイはマティソンと共に校長室を出るのだった。
「へぇ、これが。……学校のすぐ近くなんだな」
校長室を出たレイは、途中で預けていたセトを受け取り、マティソンに案内されるまま、その家に到着する。
レイが口にしたように、その家は学校からそんなに離れてはいない。
歩いて十分も掛からず、学校に到着するだろう。
「ええ。ですからアルカイデさんもこの家をレイさん達に使わせるのではなく、自分達で使いたかったのでしょう」
「それはそれでどうかと思うが」
そう言い、レイは目の前の家を見る。
そこにあるのは、屋敷と呼ぶには小さく、かといって普通の家と呼ぶには少し大きい……そう、ギルムの貴族街にあるマリーナの家と同じくらいの大きさの家だった。
セトがある程度自由に動き回れるということを考えれば、最低限の広さは持ってるだろう。
「では、入りましょう。メイドのジャニスさんは既に来ている筈ですので」
そう言い、マティソンは正門――と呼ぶには少し大袈裟だが――を通って家の敷地内に入っていく。
レイとセトも、珍しげに周囲の様子を見ながら進む。
そしてすぐに家の玄関に到着する。
木の扉には金属の輪がついており、マティソンはそれを軽く扉に叩き付ける。
キン、という金属音。
そのことを不思議に思ったレイが扉を確認してみると、金属の輪がぶつかる場所にはそれに対応するように金属の輪が掛けられていた。
(それもそうか。誰かが来る度に金属の輪で木の扉を叩いていたら、木の扉はすぐに壊れてしまうだろうし)
扉が壊れたら交換すればいいという意見もあるだろう。
実際、同じようなノック用の金属を使っていても扉にはそれ用の金属を使っていないというのは珍しくないのだから。
寧ろ、この扉のようにノッカーを受ける金属が用意されている方が珍しい。
金属音が周囲に響くと、すぐに家の中から誰かが近付いてくる気配をレイは察知する。
扉が開き、そこにいたのは……
「マティソンさん、こんにちは。するとそちらがご主人様でしょうか?」
二十代程の、メイド服を着た女がそこにはいた。
フランシスが手を出すなと言った理由は、そのメイド……ジャニスの姿を見ればすぐに分かる。
柔らかな印象の美人がそこにはいたのだから。
「レイだ。それからこっちがセト。これから暫く世話になる。それと……ご主人様というのは、止めてくれないか? 名前で呼んでくれ」
「では、レイ様と?」
「そこまで仰々しくなくてもいい。さんづけ程度で構わない」
「あら、そうですか。分かりました。では、レイさん。これからよろしくお願いします」
そう言い、温かな笑みを浮かべるジャニス。
「では、レイさんの案内も終わりましたし、私はそろそろ失礼します。ダンジョンに潜る準備をしないといけませんので」
レイとジャニスの短いやり取りでも、それなりに上手くやっていけると判断したのだろう。
マティソンはそう言うと、レイに一礼して敷地内から出ていく。
「グルゥ」
そんなマティソンの後ろ姿に、セトが喉を鳴らす。
ご苦労さんとでも言いたげな様子で。
……実際、レイの案内役をするようにフランシスに言われたマティソンだったが、レイと会う前にアルカイデとの一件があったりと、それなりに大変だったのは間違いない。
セトもそれが分かっているから、今のような対応をしたのだろう。
「あら、可愛い」
マティソンに向けて喉を鳴らしたセトを見て、ジャニスが小さく呟く。
三m半ばの大きさを持つセトを見て、怖がるのではなく可愛いと表現するのは、ジャニスがそれなり以上の度胸の持ち主であることを示していた。
「グルルゥ? グルゥ」
可愛いと言われたセトは、嬉しかったのだろう。
よろしくとジャニスに向けて喉を鳴らす。
ギルムにいた時はともかく、ギルムを旅立ってから……特にグワッシュ国に入ってから、セトは多くの者に怖がられてきた。
それだけに、ジャニスに可愛いと言われたのは嬉しかったのだろう。
「えっと、これは……喜んでいるのでしょうか?」
円らな瞳で自分を見て喉を鳴らすセト。
そんなセトを見たジャニスが、少し戸惑った様子でレイに尋ねる。
セトが怒っていないのは間違いない。
間違いないが、だからといってそれでも相手がモンスター……それもランクAモンスターのグリフォンである以上、自分だけの判断でどうこうしてもいいとは思わなかったのだろう。
「そうだな。セトは喜んでいるぞ。……撫でてみるか?」
「え? いいんですか?」
もしかしたら怖がるかも?
そう思いながら尋ねたレイだったが、予想外のことにジャニスは嬉しそうな様子でそうレイに尋ねてくる。
「あ、ああ。いいよな、セト?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは問題ないと喉を鳴らす。
セトにとっても、自分を怖がらないで可愛がってくれるジャニスは好ましい相手なのだろう。
「いいそうだ。話は聞いてると思うけど、セトはこの屋敷の厩舎と庭で自由に動き回ることになるから、ジャニスもセトと仲良くやってくれ」
「グルゥ」
レイの言葉に返事をしたのは、何故かジャニスではなくセト。
そんな様子を見ていたジャニスは、笑みを浮かべてそっと手を伸ばし……
「わぁ、もふもふ……」
セトの体毛の柔らかさに、思わず頬を緩ませる。
セトも撫でられ、嬉しく喉を鳴らす。
もふもふ、もふもふ、と嬉しそうに呟きながら、ジャニスはセトを撫でる。
(ふふん)
そんなジャニスの様子に、何故か自慢げな様子を見せるレイ。
レイにしてみれば、自分の相棒のセトが撫でられている……それも撫でている方がここまで嬉しそうにしているのは、嬉しいことだった。
セトを撫でていたジャニスは、そんなレイの視線に気が付いたのか、少しだけ恥ずかしそうな様子を見せる。
ここまで無心にセトを撫でている光景を見られたのが恥ずかしかったのだろう。
「その、すいません。つい夢中になってしまって」
「いや、セト好きの者ならそうなるから気にするな。俺の拠点のギルムには、大勢のセト好きがいるから」
「ああ、やっぱり。……この子、こんなに大きいですけど、ちっとも怖くないですし」
「グルゥ!」
ジャニスの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
グワッシュ国に来てからは怖がられることが多かっただけに、こうして可愛がってくれる相手がいて嬉しいのだろう。
(この様子だと、セトとジャニスも上手くやっていけそうだな)
レイがいつまでこの家にいることになるのかは、分からない。
だが、この家でメイドとして働くジャニスだけに、セトと一緒の時間も多くなるだろう。
そうなると、ジャニスがもしセトを怖がっていた場合、色々と面倒なことになるのは間違いない。
だが、こうして見る限りではそのようなことになる様子もなく、レイにとってそれはかなり嬉しい出来事なのは間違いなく、心の底から安堵するのだった。