3603話
「失礼します、レイさんをお連れしました」
マティソンが扉をノックし、そう声を掛ける。
するとすぐに扉の向こう側から中に入るように言われ、マティソンが扉を開けて、レイ共々中に入った。
校長室の中を見たレイは、特に驚くようなことはない。
それこそ執務室といったような、そんな部屋だったのだから当然だろう。
ただ、少しだけ驚いたのは校長室にある机で書類を見ていたのが、若い女……正確には女のエルフだったことだろう。
勿論、エルフというのはそう珍しい存在ではない。
レイの仲間にも、ダークエルフのマリーナがいる。
また、冬にはマリーナの里からトラペラ対策ということでダークエルフを何人かギルムに連れてきた程だ。
そのような諸々について考えれば、レイにとってエルフは珍しくはない。
……もっとも、それはあくまでもレイだからこその話で、実際にはギルムにおいてもエルフやダークエルフはかなり珍しい存在なのだが。
「ようこそ……? えっと、あら。貴方がレイよね?」
エルフに相応しい美貌を困惑させながら、女はレイを見る。
何かを確認するように見ているその光景が珍しかったのだろう。
レイをここまで連れてきたマティソンが戸惑った様子で口を開く。
「校長? 一体どうしたのですか? 彼はレイさんで間違いありませんよ。グリフォンを連れてましたし」
「そう……なんでしょうけど。噂で聞く限りだと、強力な魔法使いという話だったわよね? それこそ、ベスティア帝国軍全てを焼いたとか何とか」
いや、それは大袈裟だ。
そう言いたいレイだったが、校長の様子を見る限り、取りあえず今は黙っていた方がいいだろうと判断し、二人のやり取りを眺める。
「そうですね。そう聞いています」
「けど……私の目には、レイがそこまでの大規模な魔法を使えるような魔力を持ってるようには思えないのよ」
エルフの口から出たその言葉に、レイは事情を理解する。
「なるほど。あんたは何らかの手段で相手の魔力を察知出来る訳だ」
「ええ、そうよ。そんな私の目から見て、貴方は噂にあるような強力な魔法使いとは思えないのだけれど……何故かしら?」
エルフがレイを見る目には厳しい色がある。
もしかして、レイの名前を騙った何者かなのかもしれないと思ったのだろう。
「けど、校長。レイさんは……いえ、彼はグリフォンをテイムしていました」
「何らかの偶然でグリフォンをテイム出来たから、深紅のレイの名前を使うようにしたのかしら?」
「外れだ」
そう言いつつ、レイは自分の指に嵌まっている指輪を見せる。
「これは新月の指輪というマジックアイテムでな。装備してる者の魔力を一般的な魔法使い程度の魔力のように偽装する効果がある」
「何よそれ……そんなマジックアイテム、かなり貴重でしょう?」
「そうだろうな」
何しろこの新月の指輪は、ベスティア帝国の内乱で報酬として貰った物だ。
それだけに、非常に希少なマジックアイテムなのは間違いない。
「で、どうする? どうしても魔力を確認したいのなら、この指輪を外してもいいが。それとも、ギルドカードを見るだけで満足するか?」
「……では、外して欲しい」
少し考えた後で、校長はそう呟く。
校長にしてみれば、レイがそこまで言うのならその魔力を見てやろうという思いがあったのだろう。
レイも別にどうしても自分の魔力を見せたくない訳ではないので、その言葉に頷いて指輪に手を伸ばす。
「一応言っておくけど、以前俺の魔力を直に見たり感じたりした奴は、腰を抜かしたり、混乱して泣き叫んだりした。そうならないように、くれぐれも気を付けろよ」
校長はレイの言葉に無言で頷く。
それを見たレイは、指輪を指から抜き……
「っ!?」
その瞬間、ガタンという音を立てて校長の座っていた椅子が倒れる。
レイの持つ莫大な魔力をその目で見た校長が、我知らず後ろに下がろうとして、その椅子諸共に後ろに倒れたのだ。
それを見たレイは、これ以上はいいだろうとそっと再び指輪を嵌める。
「えっと……」
急激に動いた状況の中、魔力を感じる能力がないマティソンは、一体何があったのかといった様子で床に倒れた校長を見ている。
マティソンが知っている校長は、普段から余裕のある態度だった。
とてもではないが、このような姿を人前で見せるようなことはない。
エルフらしい美貌の持ち主だけに、大股を開いている状態は普通ではなかった。
……校長にとって唯一の幸運だったのは、執務机を挟んだ位置にレイとマティソンがいたことだろう。
そのお陰で、大股を開いてはいるものの、下着を……それも微かに漏らしてしまった為に少しだけだが濡れている下着を見られずにすんだのだから。
もっとも、とうの本人はそんな自分の状況にも全く気が付いた様子がないまま、ただレイから発せられている魔力が消えた……正確には新月の指輪の効果で普通の魔法使い並になったのだが、それでもレイの本来の魔力を見た直後だけに、消えたという風に認識してもおかしくはなかった。
「さて、それで……俺の魔力については理解出来たか?」
そうレイが尋ねると、床に大股開きで尻餅を着いていた校長は、ようやく我に返ったのだろう。
慌てたように立ち上がり、その顔を真っ赤にして頷く。
それは大股開きか、あるいは微かにだが漏らしてしまったからか。
「ええ。その……ちょっと予想外だったけど、理解は出来たわ。けど、正直なところ何でそんなに莫大な魔力を持ってるのか、聞いてもいいかしら? 何か妙な儀式とか、そういうのをやった訳じゃないわよね?」
「生憎と、そういうのじゃなくて普通に生まれた時からのものだ」
この莫大な魔力があったからこそ、レイは日本で死んだ時、ゼパイルによって魔獣術を継ぐ者としてスカウトされたのだ。
もしレイにこれだけの魔力がなかった場合、恐らく……いや、ほぼ間違いなくゼパイルのスカウトはなく、普通に死んでいただろう。
死んでどうなるのか……輪廻転生というのが本当にあるのか、あるいはそのまま魂が消滅するのか。
その辺はレイにも分からなかったが、とにかくレイはこの莫大な魔力を持っていたが故に、ここにこうしているのだ。
「そんな魔力を、生まれた時から……? 一体、どんな化け物よ。それとも、何か特殊な血筋とか?」
「どうだろうな」
このエルジィンとは違う世界で生まれ育ったという意味で、レイが特殊な出生なのは間違いない。
だが、日本においては東北の田舎に住んでいるだけの高校生でしかなかった。
普通と違うところといえば、アニメや漫画、ゲームを好んだということだろうが、それは趣味と言い切れる程度でしかない。
実家についても、特に隠された血筋という訳でもない普通の農家だった。
……もっとも、もし本当に隠された血筋といったものだとすれば、隠されている以上はレイにも分からなかっただろうが。
「取りあえず、俺は教官として合格ということでいいのか?」
「ええ、そうね。……ただ、それだけの魔力があるとなると、別の意味で心配になるけど。一応言っておくけど、この学校に通う冒険者は未熟だからこそ通うの。異名持ちの高ランク冒険者……それもあれだけの魔力の持ち主が本気で戦ったりは決してしないようにしてね」
「分かってる。一応、これでも訓練をしたことはあるんだ」
貴族の子供の指導をしたこともあれば、優秀な軍人達に訓練をしたこともある。
他にも模擬戦は、それこそヴィヘラと数え切れない程に行っている。
……もっとも、ヴィヘラとの模擬戦となると普通ならとてもではないが考えられない苛烈さで行われるので、そういう意味ではヴィヘラとの模擬戦を基準に考えるのは冒険者育成校にとっては相応しくないのだろうが。
「そう。じゃあ、任せるわね。他に何か聞きたいことはある?」
その言葉にレイが真っ先に聞いたのは、当然ながらダンジョンのことだった。
「俺が今回の件を受けたのは、ダンジョンに潜れると聞いたからだ。それは間違いないな?」
「ええ、冒険者育成校での仕事を疎かにしないのなら、好きにダンジョンに潜ってもいいわ。……というより、ダンジョンを攻略する為の人材を育てる為のこの学校だもの。ダンジョンの攻略が進むのなら、こちらとしては大歓迎よ」
「……それなら、別に冒険者育成校とかを作るんじゃなくて、高ランク冒険者を呼び寄せるとかした方が手っ取り早いんじゃないか?」
純粋にダンジョンを攻略するのなら、その方が効率的だろう。
そうレイは思ったのだが、校長はそんなレイの言葉に首を横に振る。
「ミレアーナ王国から来た、それも冒険者の本場と呼ばれる辺境のギルムから来たレイにはあまり実感がないかもしれないけど、その国が擁している冒険者というのは大きな意味を持つわ。特にこのガンダルシアは迷宮都市だけに、いざとなった時に冒険者の質と数が大きな意味を持つの」
「それは分かるけど、それなら別に冒険者を多く集めればいいだけだろう? 例えば宿や買い物の料金をある程度安くするとか」
「そういう案もあったわ。けど、やはりこのガンダルシアという迷宮都市そのものに愛着を持っている者の方が、いざという時には頼れるのよ」
「それは……まぁ、そうかもしれないけど」
例えば、レイのようにダンジョン目当てにガンダルシアに来ただけの者であれば、何かあったら……それこそレイでも手に負えない何かがあった場合、最悪ガンダルシアを脱出するという考えが頭のどこかにあるだろう。
だが、このガンダルシアで生まれ育った者。あるいはそこまでいかなくても、冒険者育成校に数年通い、ガンダルシアに愛着を持った者ならどうか。
何かあっても、最後の最後まで逃げず、ガンダルシアを守る為に頑張るだろう。
校長が言っているのは、そういう者達が多く欲しいということだ。
「でしょう? ……もっとも、極端にどちらかを選ぶということはないけどね。レイもそうだし、マティソンも同じようにダンジョンの攻略と冒険者育成校の教官として呼んだ人物だし」
その言葉に、レイはやっぱりと頷く。
まだマティソンと会ってそう時間は経っていないが、恐らく自分と同じように他の国、あるいは他の街から呼ばれた人物なのだろうと。
最初は、普通にこのガンダルシアで行動している冒険者が教官をやるようになっただけだと、そう思っていたのだが。
「色々と大変なのは分かった」
「そうなのよ。教官同士の対立とかもあるし……」
ふぅ、と息を吐く校長の姿に、レイはふと先程の件について思い出す。
「俺がここにやってきた時、丁度マティソンが他の教官……アルカイデだったか? そいつと言い争いをしていたけど、それももしかしたらその件に関係あったりするのか?」
「アルカイデが……?」
レイの言葉に、校長はマティソンに視線を向ける。
その視線だけで、何を聞かれているのかを理解したマティソンは頷く。
「はい。実はレイさんに使って貰う家の件で、それを辞退しろと」
「……それは、また面倒なことを……」
椅子に座った校長は、大きく息を吐く。
校長にしてみれば、アルカイデの行動は決して好ましいものではなかったのだろう。
「やっぱりあの件も含めて問題があるのか。……俺としては、セトを厩舎に入れておかなくても、ある程度自由にしておけるという意味で助かるんだが。その件がなしになることとか、あるのか?」
「いえ、それはないわ。家の件についてはレイが来るということを聞いてから、準備をしていたものだし」
校長の言葉に、レイは少し驚く。
まさか冬から家の用意をしていたとは、思わなかったのだ。
(というか、そもそもどうやって連絡を取り合っていたんだ? 冬ってことは、冒険者が手紙を持ってとかは無理だし。というか、冬じゃなくてもギルムからガンダルシアまでは地面を進めば数ヶ月単位で時間が掛かるだろうし。となると、ギルド経由で対のオーブとか、あるいは召喚した鳥とかに手紙を運ばせたとか?)
予想しながらも、レイが口にしたのはそれとは全く別のことだ。
「それで、そのアルカイデだが、どういう風に有名なんだ? 俺が知らないと言ったら、信じられないといった様子だったけど」
「グワッシュ国ではそこそこ大きな貴族の次男よ。それと魔法使いの技量もそれなりに有名ね」
「……それはつまり、貴族云々はともかくとして、それなりに有能な人物だということなのか?」
それは少し……いや、かなり意外だった。
レイの知ってる限り、あの手の人物が有能ということはないだろうというのが経験則だったのだから。
それが実は有能な人物だと知り、それによってこれから面倒なことにならないといいんだけどと思うのだった。