3594話
ギルムを出立したレイは、セトに乗って上空から地上の景色を眺めていた。
既に何度となく……それこそ、数えるのも馬鹿らしくなるくらいに見てきた光景だったが、これから迷宮都市に行くとなると、その景色はいつもと少し違って見える。
「それにしても……人が多いな」
そうレイが改めて呟いたのは、ギルムに続く街道に多くの者達がいたからだ。
何をしにギルムに行くのかは、考えるまでもないだろう。
大半の者は現在ギルムで行われている増築工事で仕事を求めてきたのは間違いない。
他にも冬の間はギルムにいなかった商人が商品を仕入れに来たり、それ以外にも様々な理由で来たのは間違いなかった。
(だから、面倒が多くなったんだけどな)
レイにしてみれば、冬の間にギルムにいなかった者達が多くなった為に、ダスカーの布告を無視してクリスタルドラゴンの素材や情報の交渉を求める者が多くなったというのが、こうして早めに迷宮都市ガンダルシアに向かおうとした理由なのだが。
「俺と交渉しようとした連中も、俺がいないとなると諦めるだろ。で、少し時間が経てば落ち着いて、ダスカー様の布告を無視するのは自殺行為だと認識する……と思う」
数ヶ月くらいしたら一度ギルムに戻るつもりだったレイは、その時には交渉してくる相手がいないといいと、そう思っていた。
もっとも、人の欲望を考えれば、それは甘い考えでしかなかったが。
今ギルムにいる者達に対してなら、そんなレイの予想も合っているだろう。
しかし、地上を見れば分かるように多くの者達がギルムに向かっている。
今いる者達はレイが戻ってきたら落ち着いているかもしれないが、ちょうどそのタイミングでギルムにやってきた者達が素直にダスカーの布告を聞いて、レイとの交渉を諦めるかというのは微妙なところだろう。
もっとも、そうなったらそうなったで交渉をしにきた相手を問答無用で拒絶したり、警備兵に引き渡したり、それでも強引に交渉してくる場合は叩きのめしてもいい。
そんな風に考えている間にもセトは翼を羽ばたかせ、かなりの距離を飛ぶ。
それでも街道には多くの人がいた。
「グルゥ」
そうして飛んでいると、不意にセトが喉を鳴らす。
何だ? とセトの視線を辿ると、地上では商隊と思しき一団が盗賊に襲われているところだった。
既にセトは辺境から出て、ギルムの一番近くにあるアブエロも通りすぎ、サブルスタの近くまでやってきている。
そしてサブルスタの近くには盗賊団が多数いることでも有名だった。
冬の間は活動していなかった盗賊達も、春になって街道を通る者が多くなってくると、活動を再開したのだろう。
(そう言えば、エッグ達がいたのもこの辺だったな)
そんな風に思いながら、レイは地上に向かって降下するようにセトに言おうとする。
ガンダルシアに向かう際の景気づけとして、盗賊狩りでもしようかと思ったのだが……
実際にレイが口を開くよりも前に、護衛が反撃に出たのだ。
それでも護衛達が不利なら、レイも助けに行こうかと思っていたのだが、商隊の護衛達は盗賊達を歯牙にも掛けない強さを持っていた。
「これはまた……ここまで強いとなると、その辺の商隊じゃないのか?」
地上に向かうように言おうとしたレイだったが、護衛達の強さを見てそれを止める。
代わりに、空を飛ぶセトにこの場で待機しているように言う。
そうして改めて地上を見ると、既に襲ってきた盗賊達の多くは倒されており、残っていた盗賊達も逃げようとしたところを後ろから攻撃されて、次々とその数を減らしていた。
とはいえ、逃げ出した者達は殺されている訳ではない。
腕や足を攻撃したり、あるいは頭部を攻撃するのでも手加減をして殺さずに意識を奪ったりといったことをしている。
何故そんな面倒なことを……とは、レイは思わない。
何しろレイも、盗賊の生き残りは奴隷として売り払うことが多かったのだから。
ましてや、ここはサブルスタからそう離れてはいない。
奴隷……それも使い捨てに出来る犯罪奴隷として売り払うにも、遠くまで連れていく手間は掛からない。
(もっとも、サブルスタの領主は決して有能じゃなかった筈だ。盗賊から賄賂とかそういうのを貰っていてもおかしくはない。となると、場合によっては捕らえた盗賊達は犯罪奴隷どころか、即座に解放といったことになる可能性もあるんだよな)
そうは思うものの、この件についてレイが介入するつもりはない。
その辺については、それこそ当事者の話になるのだから。
もし護衛が弱く、レイが戦いに介入した場合は、異名持ちのランクA冒険者ということで盗賊に賄賂を貰っていても迂闊なことは出来ないだろう。
レイは敵と認識すれば貴族であろうと躊躇なく力を振るうというのは広く知れ渡っているし、何よりレイはギルムの領主たるダスカーの懐刀としても有名だ。
……もっとも、後者はダスカーが意図的に広めた噂で、決して事実という訳ではないのだが。
勿論、レイとダスカーが良好な関係を築いているのは間違いなく、もしギルムやダスカーに何らかの危機があれば躊躇なく力を貸すだろう。
冬に起きたスノウオークのスタンピードはその良い例だ。
とはいえ、現在迷宮都市ガンダルシアに向かっているのを見れば分かるように、レイは決してダスカーの部下という訳ではない。
ダスカーもそれを承知の上で、そのような噂を広げているのだ。
「取りあえず下はもうこれでいいとして。……セト、待たせたな。進むぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは喉を鳴らして翼を羽ばたかせる。
なお、そんなセトの鳴き声が聞こえたのか、盗賊達を捕らえていた者達は上空を見たが……既にそこにセトの姿はなかった。
「うん、美味い。やっぱりマリーナの作ってくれたサンドイッチは格別だな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らす。
現在、レイとセトは昼ということで地上に見えた林の中で食事をしていた。
春の暖かな日差しが木々の葉に降り注ぎ、木漏れ日という表現が相応しい場所。
周囲には名前も知らないが多くの花が咲いている。
そんな野生の花を見ながら、レイとセトは昼食の時間を楽しんでいたのだ。
(桜はないんだよな。春の花見といったら桜、あるいは梅とかもか? そういう印象があるけど)
日本にいる時、レイの家が建っていたのは山のすぐ近くだ。
そこには桜や梅といった花もあり、レイにとってはそのような花々を見るのは春の日課ですらあった。
……もっとも、梅にしろ桜にしろ、離れた場所で見るのは楽しいのだが、近くに寄れば毛虫がかなり多くいるので、レイはあまり近付くことはなかったが。
「やっぱり春になると虫が増えるな」
毛虫のことを思い出したレイだったが、ちょうどそのタイミングでプーンという虫の飛ぶ音が聞こえて、嫌そうに言う。
春である以上、虫の活動が活発になるのは仕方ないことだ。
それは分かっているが、小さな虫が飛んでいると気になるのも事実。
「虫除けのマジックアイテムとか……ガンダルシアで売ってればいいんだけど。防御用のゴーレムで障壁を張るもいいとは思うけど、それはそれで面倒だしな」
なお、この防御用のゴーレム……廃墟の時にニールセンが座って飛んでいたのだが、それを気に入ったらしく、ニールセンはレイにちょうだいと何度も言ってきたことがある。
最終的には長のお仕置きによって、ニールセンも諦めることになったが。
「グルゥ? グルルルゥ、グルゥ」
使いたいのなら、使えばいいのに。
そう喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトを撫でながらも、結局ゴーレムを取り出すことはなかった。
「さて、サンドイッチも食べ終わったし、もう少し休んだら出発するぞ。俺はちょっと昼寝をするけど、セトはどうする?」
「グルゥ? ……グルルゥ」
ちょっと散歩に行ってくる。
そうセトは喉を鳴らし、その場を後にする。
普通なら気を付けろよと言ったりするところなのだが、この辺りにはセトに危害を加えられるような者はいない。
それでもセトを襲った者がいれば、セトを相手に攻撃したことを後悔するだけろう。
レイにしてみれば、そのような者がどうなろうとも知ったことではない。
今はセトが戻ってくるまで……一時間くらい、ゆっくりと休もうと考え、そのまま睡魔に身を委ねるのだった。
「グルルゥ、グルゥ」
そんなレイをその場に残し、セトは散歩をしに出る。
特に何か理由があった訳ではない。
レイが春の林を気に入っていたように、セトもまたこの中で歩いていると気分がよかった。
そんな訳で、特に何か目的がある訳でもなく林の中を歩く。
……ただ、セトの身体はこの冬で更に大きくなっている。
以前までは全長三m程……正確には三mを少し超えたくらいだったのだが、今は三m半ば程になっている。
そんなセトだけに、木々の隙間を縫うように移動することも出来ない場所があった。
セトにしてみれば、それが面白くなかったのだろう。
不安そうな様子でスキルを発動する。
「グルルルゥ」
サイズ変更のスキルを使い、セトの体長は三m半ばから五十cm程にまで縮まった。
見る者が見れば、その光景に驚くだろう。
幻影でも何でもなく、実際にその大きさが変わったのだから。
特にセト好きの面々……ミレイヌやヨハンナといった者達なら、それこそ黄色い悲鳴を上げてセトを愛でるだろうことは間違いない。
セトが大きくても、ミレイヌもヨハンナもセトのことが大好きだ。
しかし、こうして小さく――それでも五十cm程なのだが――なったセトは、大きなセトを見慣れている分だけ、どうしても愛らしいと思ってしまうのだろう。
そうである以上、ミレイヌやヨハンナはいつも以上にセトを可愛がる筈だ。
「グルルゥ」
木々の間を自由に通り抜けられるようになったセトは、嬉しそうに喉を鳴らしつつ林の探索を続ける。
「グルゥ?」
探索を続けていると、やがてセトは赤い実のなっている木を見つける。
漂ってくる香りは、甘酸っぱいものだ。
ただ、その実はセトも初めて見るもので、本当にそれを食べてもいいのかどうか、迷ってしまう。
レイがいれば、これを食べてもいいかどうかすぐに判断するだろう。
それこそ、怪しいものは食べないといった感じで。
セトもそんなレイの判断は信じている。
だが……目の前にある実から漂う甘酸っぱい香りは、食べてもいいのではないかと思えてしまうのも事実。
「グルゥ、グルルゥ、グルルゥ……」
赤い実を見て、迷うセト。
どうしようか。美味しそうだけど、食べてもいいかな? でも、食べて不味かったら嫌だし。
そのように悩みながら赤い実を見るセト。
やがて赤い実を見ていたセトは、クチバシを開き……食べる。
そのまま数秒……
「グルゥ!」
セトの口の中に強烈な渋みが生まれ、赤い実を吐き捨てる。
甘酸っぱい香りとは裏腹の、強烈な渋み。
それこそ口の中が麻痺したのではないかと思える程の渋みは、下手な戦いよりもセトにダメージを与えていた。
「グルゥ、グルゥ、グルゥ」
咳払いするかのように、何度も口の中にある渋みを吐き出そうとする。
そのまま数秒、何とか落ち着いたのか、セトは嫌そうな表情で目の前の赤い実を見る。
セトが食べたのは一個だけだが、そこにはまだ複数の赤い実があった。
せめて、毒ではなかったことが幸いだったのだろう。
「グルルルゥ……」
不満そうに目の前にある複数の赤い実を睨み付けるセト。
その赤い実に向かって前足の一撃を振るおうとしたセトだったが……
「グルゥ?」
少し離れた場所で、恐る恐る自分のいる方を見ている狐の姿に気が付く。
本来なら、動物ならセトの気配を察知した場合、すぐに逃げる。
それでも逃げずにそこに留まっているのは、何らかの理由があってのことなのだろう。
あるいはセトが五十cmにまで縮んだから、それによって普段程の気配を発していないかもしれない。
その辺はセトにも分からなかったものの、何となく……そう、本当に何となくこの赤い実を欲しているように思え、セトは前足を振るうのを止める。
「グルゥ……」
そんな狐の様子を見ていたセトは、この甘酸っぱい香りの赤い実を欲してるのだろうと予想する。
もしかしたら自分と同じように匂いに騙されているのか。
そうも思ったが、ここで自分が何かをするよりは、狐が自分でどうにかした方がいいだろうと判断し……セトは大人しくその場を立ち去るのだった。
赤い実に向かう狐の気配を感じながらも、セトは大人しくレイのいる場所に向かう。
するとレイはぐっすりと眠っており……セトもそんなレイを見ていて、昼寝をしたくなって横になるのだった。
……結局レイもセトも寝すごし、レイが起きた時はもう午後三時近かったのだが、そこまで急ぐ旅でもないので問題ないということにするのだった。