3592話
「そんな廃墟が本当にあると?」
「はい。妖精郷の妖精から教えて貰った廃墟です。トレントの森に移ってくる前、一晩……かどうかは分かりませんが、休憩場所として使ったとか」
「うーむ……だが、そこまで凶悪なアンデッドが多数いるとは……」
信じられん。
そう言いたげな様子で、ダスカーが呟く。
とはいえ、これまでのレイの経歴を思えば、そのようなことであっても普通に有り得るのかもしれないと、そう思ってしまうのも事実。
仕事も今日は少なかったのでそろそろ終わり、後はトラペラの件について考えつつ、ゆっくりとするか。
そのように思っていたダスカーだったが、予定になかったレイの来訪。
この時点で嫌な予感はしたのだから、それでもレイが来た以上、会わないという選択肢はない。
そうして会ったレイから聞いたのが、廃墟についてだった。
多数の強力なアンデッドのいる廃墟。
それだけを聞けば非常に嫌な予感しかしなかったが。
そして実際に聞いた話は決して好ましいものではない。
とはいえ、それでもギルムに直接の影響がないという点では助かったのも事実だが。
「ともあれ、そのような廃墟があるのなら、調べない訳にもいくまい」
「けど、地下にある部屋には何も……本当に何もありませんでしたよ? 探しても、特に手掛かりらしい手掛かりは見つからないと思いますけど」
「それでも、実際に調べてみなければ王都に詳細を報告も出来ん。……もっとも、その廃墟のある場所が誰の領地なのかにもよるがな。中立派、あるいはどこにも所属していない貴族の領地なら問題はないだろう。しかし、貴族派や国王派の場合は調べるよりも前に根回しが必要になる」
「それは……根回しをしている段階で証拠隠滅とばかりに廃墟を破壊するなり、燃やしてしまうなりするのでは?」
「可能性は否定出来ん」
誰があの廃墟で以前研究をしていたのかは、レイにも分からない。
だが、根回しをしているというのを知れば、万が一を考えて廃墟を処分するというのは十分に考えられた。
「そうなると、やっぱり調査をするのは無理なのでは?」
「……冬でなければな」
冬の今、大人数をギルムから出すのは難しい。
それこそ野営をするのも厳しいだろう。
レイもそれが分かっているので、ダスカーの言葉に頷き……口を開く。
「なんなら、セト籠で送りますけど」
セトの飛行速度なら、セト籠に入る人数を連れていくのは簡単だ。
しかし、レイのそんな言葉にダスカーは首を横に振る。
「いや、やはり調査は止めておこう。そもそも、その廃墟は既に何もないのだろう?」
「そうですね。廃墟にいたアンデッドは全て倒しましたし」
「その上で研究をしていた者の資料の類がある訳でもないのなら、誰がその廃墟を使っていたのかを調べるのは難しい。周辺に村でもあれば、多少は情報が入手出来たかもしれんが」
ダスカーの言葉に、レイは無言で首を横に振る。
近くに村や街があるのかどうか、上空を飛んでいる時に確認したが、何もなかった。
あるいはセトの飛んでいる高度から見えない場所に村や街がある可能性はあるが、そうなると廃墟から離れすぎていて、廃墟に出入りしていた者達についての情報が入手出来るとも思えない。
これで実はレイが廃墟にいたアンデッドを全て倒しておらず、何匹か残っているのなら話は別だ。
レイが廃墟で暴れたことで、残っているアンデッドがどのような反応をするのか分からない。
そうなるよりも前に、何とかアンデッドを倒してしまう必要があった。
しかし、その心配もない。
……これで信用のない者の報告であれば、廃墟のアンデッドは全て倒したと言っても、それを素直に信用することは出来ない。
だが、ダスカーのレイに対する信頼は厚い。
そのレイが言うのなら、間違いなく廃墟にいるアンデッドは全て倒されたと思ってもよかった。
そうダスカーが説明すると、レイは嬉しいような、少し困ったような、微妙な表情で口を開く。
「その、信頼して貰えるのは嬉しいですけど、俺が倒した後で何らかの理由によってアンデッドが復活する可能性もありますよ? 何しろ、アンデッドですから」
「そうなったら……まぁ、そうだな。春になったら人を送ろう。今、無理をしてでもその廃墟を調査する必要はない」
レイとしてはダスカーの言葉に素直に納得してもいいのかどうか微妙なところなのだが、それでもダスカーがこう言うのであれば、これ以上自分が何かを言う必要はないだろうと判断する。
もし何かあっても、ダスカーならその対応が出来るのだろうと。
「分かりました。じゃあ、この廃墟の件はダスカー様に任せます」
「そうしろ。幸い、冬の今はそこまで仕事は多くないから、その辺の処理は可能だ」
「お願いします」
「任せろ。後は……レイはこれからどうするんだ? 正確には冬の間は、だが」
「特に何かをする予定はないですね。トラペラやスノウオークのスタンピードのような件がなければ、後は春までゆっくりしていようと思います」
レイの口から出た言葉に、どこか安堵するダスカー。
そのようなダスカーにレイは疑問の視線を向ける。
しかし、ダスカーはそんなレイの視線に何でもないと首を横に振る。
「ともあれ、報告についてはこれで理解出来た。その件についてはもういいから、レイは家に戻ってもいいぞ」
ダスカーの言葉に頷き、レイはその場を後にするのだった。
「あら、お帰り」
エレーナの言葉に、レイは笑みを浮かべて頷く。
領主の館を出たレイは、セトに乗って一度上空に上がり、そこから貴族街にあるマリーナの家に直接降下したのだ。
既に空も暗くなっており、マリーナの家の庭ではいつものように食事が行われていた。
レイとセトは、ちょうどそのタイミングで降りてきた形だ。
「その様子を見ると、満足出来たようだな」
エレーナも笑みを浮かべてそう言ってくる。
他の面々も、レイとセトの様子を見て、それぞれ嬉しそうに笑みを浮かべている。
「ああ、大変だったけど悪くなかった」
レイはアーラが用意してくれた椅子に座りながら、廃墟についての説明を始めた。
その説明は特に隠すことはなく、ダスカーに説明したのと同じ内容だ。
……いや、ダスカーに説明したのよりも詳細な内容ですらある。
レイの説明を聞き終わると、話を聞いていた全員が難しい表情を浮かべていた。
強力なアンデッドを、辺境でも何でもない場所で生み出していたのだから、それを聞いて難しい表情を浮かべるなという方が無理だろう。
とはいえ、最終的にはレイ達の手によって廃墟の中にいたアンデッドは全て殺されたと聞かされ、安堵した様子だったが。
「一体誰がそのような場所でそのような研究を?」
エレーナの問いに、レイは分からないと首を横に振る。
その辺が分かっていれば、レイから廃墟の情報を聞いたダスカーももっと積極的に動けただろう。
「とはいえ、さっきも説明したように廃墟の中にいたアンデッドは全て倒した。それに地下にあった部屋にも手掛かりらしい手掛かりは何もなかったし、そう考えるとあの廃墟を調べても全くの無駄……とまでは言わないが、それでも何か見つけるのは難しいと思う」
レイやセト、ニールセンが見ても特に何も手掛かりらしい手掛かりはなかったのだ。
あるいは日本の警察のように指紋を調べる手段があり、その上で指紋をしっかりと管理していれば分かるかもしれないが……それをこの世界で実現するのは不可能だろう。
あるいは何十年、もしくは何百年先になれば、もしかしたらそのようなことも出来るようになるかもしれないが。
「レイがそう言うのであれば、やはり調べても無意味なのだろうな」
「あの廃墟なら、だけどな。もっと別の方向から探せば、何か手掛かりは得られるかもしれない」
「具体的には?」
レイの言葉にエレーナの視線が鋭くなる。
何しろ、レイ達が行った廃墟では誰が研究をしていたのか分からないのだ。
分からないということは、それはつまり貴族派の仕業である可能性も十分にあるということになる。
エレーナ本人に、実は貴族派に対する思い入れはそこまでない。
しかし尊敬する父親が率いている派閥だと考えれば、もし貴族派の誰か……それもエレーナの父親ではなく、下っ端の誰かがそのようなことをしていた場合、貴族派のダメージは大きくなってしまう。
そもそもエレーナがこうしてギルムに来ることになったのも、中立派を率いるダスカーが行うギルムの増築工事を面白く思わない貴族派の貴族が独断でそれを邪魔したのが原因だ。
……もっとも、エレーナにしてみれば愛するレイのいるギルムに行くことが出来て、しかも今は一つ屋根の下で暮らしているのだから、ある意味で感謝をしているのだが。
貴族派は国王派、中立派と違って自分達が貴族であるということの誇りが強い。
勿論、国王派や中立派の貴族もその辺りの認識がない訳ではないが、国王派の場合は国王という貴族より上の立場がいるし、中立派は貴族としての誇りはあるが、それでもダスカーに惹かれた者が多いだけに、民との触れあいを好む者も多い。
勿論、これらはあくまでもそういう者達が多いということで、全員が確実ではない。
国王派や中立派の中にも民から搾取しているプライドだけが高い者もいるし、貴族派の中にも民と触れ合うことを優先する貴族もいるのだから。
「とにかく、もうレイは特にやることはないのよね?」
マリーナの作ったサンドイッチを食べつつ、ヴィヘラがそう尋ねてくる。
レイはその問いに少し考えてから頷く。
「そうだな。トラペラの件で特に何かがあったり、穢れの関係者の残党が何らかの動きを見せていたり、スタンピードがあったりしたり……そういうのがない限り、特に俺が直接動く必要はないと思う。自分で言うのもなんだが、なんなんだろうなこれ」
諸々の中には、どうしてもレイが関わらなくてもいいといったこともある。
ギルムにはレイ以外にも腕の立つ冒険者は多数いるのだ。
そうである以上、緊急の事態……それこそ穢れの関係者の一件のように世界の危機といったようなことでもない限り、別に絶対にレイが出なければならないという訳でもない。
それはレイも分かっているのだが、何かあれば自分からトラブルに関わる、あるいはトラブルの方からレイに関わってくるというのは珍しい話ではない。
「レイ、少しゆっくりとした方がいいんじゃない?」
「正直なところ、俺もそのつもりだったよ。ただ、いつの間にかこんな感じになっていたけど」
ヴィヘラは、レイがこれから暇になるのなら模擬戦に付き合って貰いたいという思いがあった。
戦闘狂というのもあるが、愛する男と一緒の時間を楽しみたいという思いもそこにはある。
そのような思いを抱いていたヴィヘラだったが、レイの言葉を聞けばゆっくりと休んだ方がいいのでは? と思うのも事実。
「後は春になるまで、何かあってもこっちで処理をするからゆっくりとしなさい。ダスカーもレイが頼りになるのは分かるけど、頼りすぎなのはどうかと思うし。……もしダスカーが何か言ってきたら、余程の用事でもない限り、私のほうで対処してあげるわ」
マリーナのその言葉は、大袈裟でも何でもなく真実だ。
もしダスカーがレイ以外でも出来るようなことを言ってきた場合、それこそダスカーの黒歴史を使ってでも止めてやろうという思いがそこにはあった。
レイもマリーナの様子からそれが分かったのだろう。
少し困った様子で、口を開く。
「別にそこまでする必要はないと思うけど」
「何かあった場合のことよ。もしそういうことがなければ、何もしないから安心してちょうだい」
それを聞いて安心しろと?
そう思ったレイだったが、マリーナが自分のことを思ってそのように言ってくれてるのは分かる。
なので、それ以上突っ込むようなことはせず、感謝の言葉だけを口にする。
「悪いな、助かる。……ただ、あまりダスカー様を困らせるようなことはしないでおいてくれ」
「レイがそう言うのなら、少しは手を抜きましょうか。……とにかく、レイはここ最近ずっと忙しかったんだし、まずはゆっくりと休みなさい」
そうマリーナに言われたレイは、ここ最近の働きで疲れているのは間違いないし、廃墟の件でも結構な戦闘をした以上、ここでゆっくりと休むべきだというマリーナの言葉には素直に従うしかなかった。
「分かった、そうするよ。俺の春までの目標は、ゆっくりとしてこれまでの疲れを癒やすこと。それでいいか?」
そう言うレイの言葉にマリーナは笑みを浮かべて頷き……レイはこの日から、有言実行とばかりにゆっくりしつづけ、たまにヴィヘラと模擬戦を行い、そして時間は流れ……春になるのだった。