3569話
「トレントか!?」
「そんな筈ないわよ! もしそうなら、以前ここに来た時に気が付いていた筈だもの!」
レイの言葉に、ニールセンは即座にそう叫ぶ。
もしこの部屋の中に生えている木がトレントなら、ニールセンが言うように以前この廃墟に泊まった時、妖精にも被害が及んでいただろう。
だが、ニールセン達が以前この廃墟に泊まった時は、特に何もおきなかった。
……いや、アンデッドがかなりいたので、そちらに意識が集中してトレントの存在に気が付かなかった可能性もある。
あるいは……
「以前にニールセンが来た時はただの木だったが、それから今までの間にトレントになったという可能性もある」
モンスターというのは、普通の動物や植物、あるいは生き物ではなくても唐突にそうなることもある。
それは妖精郷にいた狼の子供達が、気が付けば狼からピクシーウルフというモンスターになっていたことからも明らかだろう。
そういう意味では、以前は普通の木でも今はトレントになっているという可能性は十分にある。
とはいえ、トレントならそれらしい動きを見せてもいい筈なのだが。
具体的には、もっと自己主張するかのように動くとか。
なのに、あの木はそのような行為がない。
そうなると、これは一体どういう訳だ? とレイは混乱する。
「もしかして、トレントのようでトレントじゃないとか?」
「じゃあ、何よ?」
警戒した様子で木を見てレイに尋ねるニールセン。
そこまで警戒しなくても、危険になればゴーレムが障壁を展開してくれるのにと思いながら、レイは考え、思いつきを口にする。
「この廃墟には基本的にアンデッドがいるんだよな? だとすれば、あの木もアンデッドじゃないのか?」
「木のアンデッド? ……トレントとは違うのよね? 私はそういうのを知らないけど、レイは知ってるの?」
レイの言葉に、ニールセンがそう尋ねてくる。
そんなニールセンの様子に、レイはもしかしたら自分の考えすぎか? とも思う。
林や森、山……そんな場所を住処にしている妖精のニールセンだ。
そのニールセンが知らないのなら、もしかしたらやっぱり部屋の中のモンスターはトレントなのかもしれない。
そう思ったが、少し考えてその考えを否定する。
「トレントの森の前の妖精郷は、別に辺境じゃなかったんだよな? なら……」
辺境に出てくるようなモンスターについては分からないのではないか。
そう言う。
しかし、ニールセンはそんなレイの言葉を聞いても素直に納得した様子はない。
「辺境についてあまり詳しくないのは事実よ。けど、それを言うのなら、そもそもここは辺境じゃないじゃない」
ニールセンの言うことも決して間違ってはいない。
現在レイ達がいる廃墟は、辺境ではないのだから。
それは間違っていないが、それに対してレイも言いたいことはある。
「ここが辺境でないのは間違いないが、同時に辺境からそう離れている訳でもないだろう? なら、辺境に関係するモンスターとあの木のモンスターが何らかの関係があってもおかしくはない筈だ」
「それは……」
レイの意見にニールセンは反論出来ない。
実際、空を飛ぶ巨大な鳥のモンスターが、ギルムから遠く離れた場所……降り注ぐ春風が長をしている妖精郷の側にやってきたのを自分の目で見ているのだから。
そう考えると、この廃墟があるのが辺境ではないものの、比較的辺境に近いのも事実。
そうである以上、ここに辺境のモンスターがいると言われても、反論は出来なかったのだ。
「それに、この廃墟にはアンデッドしかいないと言ったのはニールセンだろう?」
「以前はそうだったけど、私達がいなくなってから廃墟に入ったモンスターとかもいるかもしれないでしょう? 扉は壊れてなかったけど、上から見る限りだと屋根のない場所とかもあったし。それに壁とかが壊れている場所もあるでしょう?」
「……まぁ、あのモンスターが辺境のモンスターかどうか、あるいはアンデッドかトレントかはともかく、とにかく現在の俺達がやるべきなのはあのモンスターを倒すことだ」
レイの表情には笑みがある。
レイはあのモンスターがトレントではないだろうと半ば確信している。
そうである以上、あのモンスターを倒せば未知のモンスターの魔石を入手出来るということを意味しているのだ。
つまり、魔獣術による強化が出来る。
それがセトか、あるいはデスサイズかは考える必要があるが。
あるいはレイは部屋の中にいる木のモンスターは、トレントではなくアンデッドであって欲しいという思いの方が強い。
(そもそも、セトの水球を破壊出来る時点でトレントだとは思えないし。……こっちにとってラッキーだったのは、どうやらあのモンスターは部屋の外にまで攻撃が出来ないことだろうな。あるいは、しないようにされているのかもしれないが)
この部屋に生えている木だ。
当然ながら普通の木である筈はなく、この建物がまだ廃墟ではなかった頃の研究か何かでそのように条件付けされた可能性もある。
……もっとも、レイがニールセンから聞いた限りだと、妖精郷の移動の際にこの廃墟で休んだ時、あの木はモンスターでも何でもなく、普通の木だったらしいが。
(となると、その時はまだモンスターになってなかったのか、それともモンスターだったが妖精……長を怖がって息を潜めていたか。後者の場合、俺やセトが長よりも弱いとあの木に侮られていることになるな)
侮られるのは面白くないレイだったが、向こうが侮ることによって油断をしてくれるのなら、それはそれで戦いやすいとは思うが。
「ねぇ、レイ。それでどうするの?」
「どうするのと言われても、倒さないという選択肢はないだろ。……幸い、部屋の中はそれなりに広いし」
通路が広かったのと同様に、部屋の中も十分に広い。
レイとセトがそれぞれ戦うには何の問題もないくらいには。
唯一の難点としては、室内の戦いである以上、セトが空を飛んで攻撃することが出来ないということか。
グリフォンのセトは空を飛んで攻撃をするのが得意だ。
特に急降下して、加速と自分の体重による一撃はとてつもない威力を発揮する。
それが出来ないのは、セトの攻撃方法がかなり限定されることになるだろう。
……もっとも、魔獣術によって生み出されたセトは、スキルを使える。
空を飛ぶことが出来ずとも、多彩な……ある意味多彩すぎる攻撃方法を持つ。
「そんな訳で、ニールセンはここで待っててくれ。防御用のゴーレムがいるから、取りあえず心配はないと思う」
「それは……いいけど、どうせなら私の光を使う?」
「止めろ」
ニールセンの提案を聞いた直後、一瞬の躊躇もなくレイはそう言う。
レイの言葉の鋭さに、ニールセンは驚く。
「レイ?」
「あー……ちょっと語気が強すぎたか? ただ、ニールセンの光はさっきのスケルトンでも分かったように、アンデッドに対して特効を持ってる。それだけに、いざという時の為に取っておきたい。奥の手だな」
「えー……そう? 奥の手? 全く、レイって私をそんなに頼りにしてるなんて」
レイの言葉に疑問を抱いたニールセンだったが、自分が奥の手であると言われればそれを嬉しく思い、そちらに意識が向いてしまう。
嬉しそうなニールセンを見たレイは、自分の行動の迂闊さを残念に思いつつも、今はまず部屋の中の木のモンスターを倒してしまおうと判断する。
ここで迂闊に時間を掛ければ、またニールセンは自分が光を使って攻撃すると言い出すのかもしれないのだから。
そうなるよりも前に、さっさと倒してしまった方がいいだろうというのがレイの考えだった。
「じゃあ、行ってくる。セト」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが喉を鳴らし、同時に部屋の中に入り……その瞬間を待っていたかのように、木のモンスターが蔦による一撃を放つ。
まるで鞭……いや、鞭より細い分だけ振るわれる速度は上だ。
そして鞭よりも細いだけに、見るのも難しい。
そんな一撃ではあったが、それでもレイとセトは素早く反応する。
「ちぃっ!」
蔦の一撃を無事に回避したレイだったが、その口から出たのは嬉しげな声ではなく、舌打ちだ。
その理由は、蔦による攻撃は一度だけではなく二度、三度と連続して続いたからだ。
それも蔦は一本ではなく複数あり、その複数の蔦がレイとセトに同時に多数振るわれる。
これが一本であれば、それこそデスサイズの一撃によって容易に蔦を切断することが出来ただろう。
だが、同時に何本もの蔦による攻撃となると、それも難しい。
ただし……それは難しいのであって、出来ないのではない。
「はぁっ!」
鋭い叫びと共にデスサイズを一閃。
斬撃の軌道に複数の蔦が揃ったその瞬間を狙っての一撃だ。
その一撃は、数本の蔦を纏めて切断する。
同時に左手に持つ黄昏の槍を、木のモンスターに向かい投擲する。
途中で数本の蔦を斬り裂き、あるいは貫いて引き千切りながら、黄昏の槍は木のモンスターの幹に突き刺さり、次の瞬間にはその身体を貫く。
「お」
レイが思わずそのような声を出してしまったのは、トラペラとの戦いにおいて黄昏の槍が突き刺さりはしたものの、貫くことが出来なかったからだろう。
黄昏の槍の投擲ということで、どうやら自分でも気が付かないうちにトラペラを基準にしてしまっていたらしい。
「グルルルゥ!」
驚きの声を上げるレイは、そんなセトの声で我に返る。
セトの声のした方に視線を向けると、そこではセトが強引に動いて自分の身体に巻き付いていた蔦を無理矢理引き千切っていた。
その勢いのまま、黄昏の槍によって貫かれた木のモンスターに近づき、前足を振るう。
「グルルルルゥ!」
セトの持つスキル、パワーアタック。
その一撃はただでさえ黄昏に槍によって貫通されていた幹に命中し……次の瞬間、大きな音を立てて木が折れ、吹き飛ばされた。
「これは、また」
木の幹を貫き、壁をも貫いて飛んでいった黄昏の槍を手元に戻しながら、レイは驚きの声を上げる。
それでも一応、まだ警戒は解かない。
相手はアンデッドの可能性が高いというのがレイの予想なのだから。
そうである以上、木の幹が折れてもまだ行動出来るのではないかと、そう警戒するのはおかしな話ではない。
だからこそ、警戒していたのだが……
「ちょっ、レイ! ほら、そこそこ!」
部屋の外でゴーレムに乗っているニールセンが、急いで叫ぶ。
その指さす方向に視線を向けるレイだったが、特に何かあるようには思えない。
「ニールセン?」
「だから、そこ! ……え? ちょっと、本当にアンデッドだったの? っていうか、何でみえないのよ!」
自分の見えている光景がレイには見えていない。
それを理解したニールセンは、納得出来ないといった様子で叫ぶ。
そんなニールセンの様子から、自分の見えない光景が見えていると理解したレイは、改めてニールセンに尋ねる。
「ニールセン、何か見えるのか?」
「見えるわよ。その……セトが木の幹を折ったら、その折れた場所から魂か何かが複数上空に昇っていったわ」
「……セト?」
「グルゥ?」
何も見えなかったレイは、一応といった具合にセトに尋ねてみるが、セトはレイの言葉に首を傾げる。
セト愛好家なら、そんなセトの愛らしさに興奮するだろうし、それはレイも同様だったが、今はそれよりも目の前のことを解決する必要があった。
「ニールセンには魂が見えた訳だ。……となると、やっぱりもう死んだのか?」
レイは木の幹が折れた様子と、ニールセンが見た光景から恐らく自分の予想は間違っていないだろうと思いつつ、そう聞く。
「どうかしら。魂の件を思うと、多分それで間違いないと思うけど。……でも、絶対にそうだとは言えないわ。レイから見てどんな感じ?」
そう聞かれたレイは、別にニールセンに聞かなくても自分で直接死んでるかどうか確認すればいいだろうと判断し、手元に戻った黄昏の槍で木のモンスターを突く。
既に上半身――という表現が正しいのかどうかレイには分からなかったが――はセトの一撃によって床に倒れている。
残っているのは、床から生えている部分だけだ。
「うげ」
思わずレイがそんな言葉を口にしたのは、木の幹の外側……そこに苦しそうにしている何人もの顔の痕があったからだ。
「デスマスクとかいう奴か? ……やっぱりこれはアンデッドで間違いないっぽいな」
普通のトレントには、デスマスクが浮かんだりはしていない。
また、倒したところで魂が解放されるといったこともない。
そう考えれば、やはりレイは自分とセトが戦ったこの木のモンスターはアンデッドだったのだろうと認識するのだった。