3564話
ボブと別れたレイは、既に慣れた様子で妖精郷の奥……長のいる場所に到着する。
「長、ちょっとこれは……もう少しこう、手加減してもいいんじゃないですか?」
うぎぎ、というそんな声と共に聞こえてくる言葉。
半ば哀願しているかのような、そんな声は聞き覚えのある声だった。
そんな声に、先程のサンドイッチ争奪戦についてのことだろうと思いつつ足を進めると、やはりそこには長とニールセンの姿があった。
そんな中で、ニールセンはまるで空中に張り付けになったかのように動けなくなっている。
「レイ殿、お久しぶりです。……ニールセンが情けないところを見せてしまい、申し訳ありません」
長はレイの姿を見ると、そう頭を下げる。
長にしてみれば、レイを相手に情けないところを見せたニールセンが許せなかったのだろう。
「いやまぁ……その、気にするな。ああいうのも、妖精らしいと言えばらしいし」
レイの言葉に、長は微妙な表情を浮かべる。
先程の行為が妖精らしいと言われても、それを納得したくないとそう思ってしまったのだろう。
それでも即座に否定しなかったのは、レイの様子から取りあえず妖精に対して落胆した様子がなかったからだ。
……ある意味、ニールセンはレイのこの返事のお陰で助かったとも言える。
もしサンドイッチ争奪戦を見たレイに失望の様子があったら、この後に行われるお仕置きは間違いなく強烈なものになっていたのだろうから。
もっとも、それでお仕置きがなくなる訳ではなかったが。
「その、それでレイ殿。今日は一体妖精郷にどのような用件で? 勿論、遊びに来たのなら、それは嬉しいことですか」
「ん? ニールセンから聞いてないのか?」
レイが妖精郷にやって来た理由について、既にニールセンに話してある。
そうである以上、レイがここに来るまでに長はニールセンから話を聞いていたのではないかと思ったのだが、それは知らなかったらしい。
「ニールセン?」
「ぴぃっ!」
レイの言葉に、長がニールセンに視線を向ける。
その視線の鋭さに、悲鳴を上げてしまうニールセン。
長にしてみれば、自分の想い人のレイを前に恥を掻かせたニールセンに対し、不満を抱くのはおかしな話ではない。
……実際、ニールセンがここまで長のサイコキネシスによって連れてこられてから話していたのは、必死な言い訳だけだった。
レイがボブと軽く話してここまでやって来るまでの間、何とかお仕置きを逃れようとニールセンは言い訳を並べていたのだ。
だからこそ、長はニールセンを相手に不満を抱いたのだろう。
「あー……まぁ、状況は分からないけど、とにかく今は俺の話を聞いてくれ。それに長も、ニールセンから聞かされるよりも、俺から聞かされた方が分かりやすいだろう?」
「それは……まぁ、そうですが」
「レイ……」
ニールセンを睨む長の視線が和らいだことで、ニールセンはレイに感謝の視線を向ける。
もしレイが何も言わなければ、自分は一体どのようなお仕置きを受けていたのか。
それを思えば、ニールセンにとってレイはまさに救い主だった。
レイとしては、別にニールセンを救うつもりで言った訳ではなかったのだが。
それでも感謝されるのは悪いことではないので、その感謝は素直に受け取っておく。
「分かりました。その方がいいでしょう」
長がレイの言葉を素直に受け入れたのは、実際にニールセンを通して話を聞くより、レイから直接話を聞いた方が確実だからだろう。
ニールセンから話を聞けば、レイの話を大袈裟に話してもおかしくはないのだから。
噂話というのは、人から人に伝わる間に次第に変質していく。
盗賊を三人撃退したという話が、いつの間にか盗賊十人を殺したとなり、最終的にはその辺りにいる盗賊団全てを殺し尽くした……といった話になってもおかしくはない。
そしてニールセンを通した場合、一人しか通していないのに極端に大袈裟になっても、おかしくはなかった。
長もそれが分かっているから、レイから直接聞こうと思ったのだろう。
……それを抜きにしても、純粋に乙女心から想い人のレイから話を聞きたかったというのもあるのだろうが。
「で、俺が妖精郷に来た訳だが……」
そう言い、レイは事情について説明していく。
トラペラやスノウオークのスタンピード、そしてダークエルフの里。
数日にしては、多くの出来事がありすぎだろうとレイも自分で思う。
実際、長もレイと同じようなことを思っているらしく、驚きと呆れが入り交じった表情を浮かべていた。
もっとも、それでもレイに対して好意的な色があるのは、惚れた方が負けという言葉の意味を如実に表していたが。
「そうですか。本当に大変でしたね。……今日はこちらに泊まっていかれるのでしょうか?」
「ああ、こっちで問題ないならそうしたいと思う。ギルムにいて、また何かの騒動に巻き込まれるのはごめんだし」
「ふふっ、ですが妖精郷にいても何らかの騒動に巻き込まれる可能性はあるかもしれませんよ?」
「……冗談でもそんなことは言わないでくれると助かるんだけどな。もしかしたら、本当にそういうことになるかもしれないし」
フラグが立つ。
そう思ったレイだったが、その件について長に話しても理解されるとは思っていなかったので、フラグ云々については黙っておく。
とはいえ、実際レイは自分がトラブル誘引体質であるという自覚はある。
そうである以上、自分が妖精郷にいる時に何らかの騒動が起きないとも限らないのは間違いのない事実だった。
勿論、レイが妖精郷にいる中で何かが起きたら、その解決には協力するつもりだったが。
(それに、幾ら何でも俺がいるから絶対に騒動が起きると限った訳でもないし。エグジニスに行った時とか)
防御用のゴーレム、ついでに清掃用のゴーレムを受け取りにエグジニスに行った時は、特に騒動らしい騒動は起きなかった。
宿でそれなりの商会のボンボンに絡まれるといったことはあったが、それはレイのトラブル誘引体質とは関係のないことだろうし。
つまり、トラブル誘引体質であっても必ずしもそれが発揮される訳ではない。
(とはいえ……ここは妖精郷だしな)
妖精郷があるのは、トレントの森の中だ。
レイにしてみれば、異世界に続く空間、異世界からやってきたリザードマン、異世界からやってきた湖……そして妖精郷と、トレントの森であるというだけで、トラブルのフラグはそこら中に存在している。
とはいえ、トラブルがレイにとって、そしてギルムにとって利益になることがあるのも事実だが。
具体的には、リザードマンの中にはレイに忠誠を誓ったゾゾや、リザードマンの皇族で最強の戦士と言われているガガもいて、レイ達と友好的な関係を築いている。
湖の方は、そこまで利益になるという訳ではないが、それでも異世界の存在ということで研究にメリットは多い。
……湖の主で、レイの魔法に長期間耐え続けた巨大なスライムのような存在もいるが。
「もしそのようなことになったら、私が何とかしましょう」
「その時は頼りにしてるよ」
そう言うレイに、長は微かにだが嬉しそうに笑みを浮かべる。
長にしてみれば、自分が嬉しそうにしたところをあまりレイには見られたくない。
その為、何とかその嬉しさを隠そうとしていたのだが……
「あ、長。嬉しそ……ぴぎゃっ!」
長の様子に気が付いたニールセンが最後まで言うよりも前に、その姿が消える。
見えない手によって掴まれたニールセンが、一瞬にしてどこかに移動させられたのだ。
その乱暴な行為は、ニールセンに余計なことを言われないようにする為のもの。
「えっと……ニールセンは大丈夫なのか?」
恐る恐るといった様子でそうレイが尋ねたのは、いきなりの動きにニールセンが本当に大丈夫なのかと心配に思った為だ。
それでも長のことは信じているので、レイも本当にニールセンが危険な目に遭うとは、思っていなかったが。
「ええ、問題ありません。最近、ニールセンは色々と悪戯が酷かったですからね。この機会にしっかりと反省して貰おうかと。……もっとも、ニールセンの性格を考えれば、反省はしてもすぐにでもまた悪戯を始めるでしょうか」
「あー……うん。ニールセンだとそうかもしれないな」
レイはニールセンと行動をすることが多かったので、その性格をそれなりに理解している。
これが下手にニールセンについて知らなければ、長に対して少し手加減をして欲しいといったように、あるいはお仕置きだけは勘弁してあげて欲しいと口にしただろう。
しかし、レイはニールセンについて知っているだけに、そんなことを言いはしない。
寧ろニールセンの扱いに困っている長に同情すらしてしまう。
……もしここにいないニールセンが今のレイの様子を見ていれば『裏切り者』と叫んでもおかしくはなかったが。
「では、レイ殿。すいませんが、ニールセンのお仕置きがありますので、この辺で」
「分かった。……ああ、いや。そう言えばこれを渡しておくよ。お土産だ」
そう言い、レイが取りだしたのはスノウオークの毛皮。
その数、三十枚程。
「これは……」
「さっき話した、スノウオークの毛皮だ。素材として使えると思うから、何かに使ってくれ」
「いいのですか?」
そう言い、長は地面に置かれたスノウオークの毛皮に近付いて調べていく。
しっかりと調べた訳ではなく、あくまでも大雑把に。
ただし、マジックアイテムの作成を得意としている長だけに、そのように大雑把に見てもスノウオークの毛皮の品質は十分に把握出来た。
「どれも最上級に近い状態ですが、本当に構わないのですか?」
長の目から見ても、毛皮の状態はこれ以上ない程に綺麗なものだった。
それこそ、解体の達人がやったとしても、ここまで上手く解体出来るとは思えない程に。
毛皮には、脂や肉の破片の類は一切ついておらず、また毛皮を剥ぎ取る時に間違って刃物で毛皮を破いたり、貫通したりといったことにもなっていない。
これ以上ない程に素晴らしい素材だった。
「ああ、構わない。同じ毛皮はまだかなりあるし。それに状態もどれもそれと同じくらいだ」
そうレイが断言出来るのはドワイトナイフを使って解体した為だ。
レイの持つ莫大な魔力を十分に込めてドワイトナイフを使ったので、スノウオークの解体はどれもがこれ以上ない仕上がりとなっている。
ましてや、スノウオークキングの素材ともなれば、スノウオークの解体をする時以上の魔力を込めてドワイトナイフを使ったので、どの素材もこれ以上ない程の状態となっていた。
「そうですか。レイ殿が構わないのなら、ありがたく貰います。これを使って何を作るのかは、今のところ決めてませんが」
「だろうな。そもそもこのスノウオークはギルムでもかなり昔に出現したという情報しかない。その素材がどういうマジックアイテムに向いているのかは、それこそ実際に色々と試してみないと何とも言えないし。もしこの毛皮がどういうマジックアイテムに向いているのかが分かったら、後で俺にも教えてくれ」
「分かりました。レイ殿が驚くようなマジックアイテムを作ってみても面白いかもしれませんね」
「そういうのが出来たら見せてくれ」
元々マジックアイテムを集める趣味を持つレイだ。
長が作る、スノウオークの毛皮を使ったマジックアイテムというのは、かなり興味深い。
レイが思いつくのは、それこそ服やローブ、マントといった防具として使うような物だけだ。
だが、妖精の作るマジックアイテムだと考えれば、それこそレイには想像出来ないような何かを作れてもおかしくはない。
それが具体的にどのようなマジックアイテムなのかは、それこそ実際に見てみないと何とも言えないが。
「分かりました。では、こちらはお預かりしておきますね。レイ殿にも満足出来るようなマジックアイテムを作らせて貰いますので」
そう言う長。
この時、レイと長の間には勘違いが生まれていた。
レイにしてみれば、スノウオークの毛皮は長に無償でプレゼント……あるいは今まで色々と世話になったお礼として、渡したという認識だったのだが、長にしてみればこのスノウオークの毛皮を使って何かレイにマジックアイテムを作って欲しいのだと思ったのだ。
だが、お互いがその勘違いに気が付かないまま、レイはその場を立ち去る。
長はそんなレイの背中が見えなくなるまで見送ってから、地面に置かれたスノウオークの毛皮を念動力で動かしてマジックアイテムの素材を収納しておく場所にしまいこむ。
……なお、そのようなことをしている間もニールセンは長のみえざる手によって激しく動かされ、お仕置きをされ続けていたのだが、レイがそれを知ることはなかった。