3560話
ダスカーが応接室にやって来た時、何故かレイとマリーナ、ヴィヘラといった顔見知りの三人はともかく、初めて見るダークエルフの五人までもがメイドの用意したサンドイッチを食べながらそれぞれ料理について語っていた。
「何だ、これは」
トラペラの一件に対処する為に、マリーナが自分の故郷に行ってくるというのは聞いていた。
それでダスカーの見知らぬダークエルフを連れて戻ってきたのだから、部屋にいるダークエルフ達が精霊魔法を使ってトラペラの対策を行える人材であるのは間違いないだろう。
だが……それは分かったが、何故今この状況で料理について語り合っているのか。
これが例えば、この五人のダークエルフがここに来た理由であるトラペラについて語っているのなら、感心すらしただろう。
あるいはトラペラではなくても、モンスターについて話しているのなら、まだ納得出来た。
なのに……何故料理。
(これで、マリーナとセトがいない間にトラペラの被害があったとかなったら、思い切り突っ込んでただろうな)
幸いなことに、マリーナとセトがいない間にトラペラの被害らしい被害はなかった。
もしかしたら正門の一件で、ギルムに侵入していたトラペラは全て倒せたのではないかと、そんな風にも思う。
だが、トラペラという存在についてはまだ分かっていないことが多い。
ましてや、高ランクモンスターである以上はダスカーの想像以上の力を持っていてもおかしくはない。
そういう意味で、既にかなり多くのトラペラを倒すことは出来たが、だからといって決して油断してもいい相手ではないのだ。
だからこそ、料理の話をしてる面々に呆れたように言う。
「お前達、一体何の話をしてるんだ?」
「あ、ダスカー。ようやく来たのね。ギルムには色々な人が来るけど、その人達の住んでいた場所でしか食べられていない食材とか、どう思う?」
「だから、一体何で急にそんな話になっている?」
「いいから。もしそういう食材があって、それをギルムで栽培なり飼育なりすることが出来たら、それはギルムの新しい名物になるんじゃない?」
「それは……」
ギルムの新しい名物という言葉は、ダスカーの心を揺らすだけの説得力があった。
現状においても、辺境故の植物といった素材や、モンスターの魔石や素材がある。
それに加えて、緑人を保護したことによって香辛料の栽培も始まっていた。
また、今はまだギルムの増築工事で本格的に動いていないが、砂上船を改良した陸上船の建造も考えている。
辺境という特殊な立地……あるいは立場故に、ギルムの売りとなる物は多ければ多い程にいい。
辺境故に高ランクモンスターが普通に存在する以上、人が……冒険者が少なくなれば、やっていけなくなるのだから。
そうした冒険者を多く呼び込む為には、商人も大勢必要になる。
だからこそギルムの名物は多い方がいいのだ。
ダスカーはマリーナの言葉に心を動かされ、詳しい話を聞こうとするが……それでも何とか踏み留まり、話題を戻す。
「その件については後で聞かせてくれ。今はそれよりも、トラペラの件だ。見たところ、そっちの五人のダークエルフがトラペラ対策の為に連れてきた人材ということでいいのか?」
ダスカーの言葉に、何かを言おうとしたマリーナだったが、すぐにトラペラの方が先だと思い直す。
「ええ、そうよ。里に話を持っていったら、冒険者として活動したいという子達がいたから、連れてきたの。……ああ、精霊魔法の技量については確認してあるから、問題ないわ。この五人がいれば、他に精霊魔法の使い手がいなくても風の精霊魔法で結界を張ることが出来るわ。勿論、他に精霊魔法の使い手がいれば、それはそれでより結界は強化されるけど」
「……なるほど。だとすれば、この五人は冒険者登録をするということでいいのか? なら、こちらの推薦でランクGからにも出来るが」
本来なら、冒険者登録をした場合はランクHからのスタートとなる。
そしてランクHというのは基本的に街中での依頼しか出来ず、ギルムの外に出なければならない依頼は出来ない。
ギルムで行われている増築工事を目当てにやって来る者達が、素人でも冒険者として登録してランクHで増築工事の仕事をしているのはそのような理由からだ。
(ん? あれ? でもそうなると、樵はどうなるんだ?)
ダスカーの話を聞いていたレイは、ふとそんな疑問を抱く。
増築工事に使われる、トレントの森の木。
錬金術達が魔法的な処理をするのだが、その木を伐採するのは樵の仕事だ。
そしてレイは以前ダスカーからの依頼で樵を集めに色々な村や街に行った。
しかし、そうした樵達は冒険者として登録しているのか。
そして街の外に出られるランクGになっているのか。
そんな疑問を抱くが、問題がない以上は冒険者として登録がしてあるか、あるいは特例として許可されているのか、もしくは冒険者ではなくあくまでも樵という専門職なので問題ないのか。はたまたレイには分からない何らかの理由があるのか。
取りあえず特に問題ないからいいだろうと思っておくが……そんな風に考えているレイの視線の先では、マリーナがダスカーの言葉に首を横に振る。
「いえ、ダスカーの気持ちは嬉しいけど、特例の推薦はいらないわ。この子達も今回の精霊魔法の件だけではなく、それが終わってからも冒険者として活動していくつもりだもの。そうである以上、きちんと最初から冒険者として活動させてちょうだい、……もっとも、今の季節を考えると春になる頃にはランクアップしていてもおかしくはないでしょうけど」
特例の推薦はいらないという言葉に、ダークエルフの五人のうちの何人かが不満そうな表情を浮かべる。
しかし、春になる頃にはランクアップしているという言葉で、決して自分達の技量が侮られている訳ではないと判断したのか、まだ思うところがある者はいるようだったが、実際にその不満を口に出す者はいない。
実際、冬の間は多くの冒険者が街の外に出ることはない。
寧ろ冬に外に出るのは、冬越えの金を貯められなかった者達か、あるいは無計画に使いすぎて足りなくなったような者達が大半だ。
もっとも、中にはスノウオークのスタンピードを見つけた者のように、身体を鈍らせない為に外に出るような者もいるが。
そういう意味ではランクHとして行動しても、冬の間に街中の依頼をこなすというのは出遅れたといった思いを抱きにくい。
そして街中での行動によって春までにランクが上がれば、それからは普通に冒険者として活動出来る。
実際、ダークエルフの五人は決して腕が立たない訳ではない。
いや、精霊魔法を抜きにしても相応に腕は立つ。
ヴィヘラとの模擬戦では呆気なく負けてしまったが、この場合は比べるのは間違いだ。
ヴィヘラはランクB冒険者……それも本人があまりランクアップ試験に興味をもっていなかったり、その美貌と服装、何より戦闘狂ということで問題を起こしているので今のランクなのだが、実力的にはランクA冒険者に匹敵するのだから。
そんな相手に勝てないからといって、冒険者としての実力がない訳ではない。
実際、レイの目から見てもランクDくらいの実力はあるだろうと思えた。
「分かった。マリーナがそう言うのなら、俺からは他に何も言わない。ギルムの領主としては、腕の立つ冒険者が増えるのは大歓迎だしな」
それも精霊魔法使いが。
ダスカーは口にしなかったが、心の中でそう思う。
……もしそんなダスカーの言葉を五人のダークエルフが聞いていたら、即座にそれを否定しただろう。
ダスカーの様子から、マリーナと比較してそのようなことを言ってるのは明らかだったのだから。
ダスカーも、自分では決してそのようには思っていない。
しかし、ダスカーにとって精霊魔法使いとなると、どうしてもマリーナが連想される。
そうである以上、本人にそのつもりがなくても、自分でも知らないうちにどこかマリーナを基準にしているところがあるのは仕方のないことだった。
不幸中の幸いだったのは、ダスカーのそんな思いを五人のダークエルフが知らなかったことだろう。
「冒険者の登録については分かった。それで、風の精霊を使った結界についてはどうする? 帰ってきたばかりで悪いが、出来れば明日ではなく今すぐにでも行動して欲しいんだが」
これがもっと他のことであれば、ダスカーも帰ってきたばかりだし、明日から行動を頼みたいと思っていただろう。
しかし、トラペラの件はダスカーだけの問題ではなく、ギルム全員の問題だ。
今のところ、トラペラは強者にしか攻撃していない。
そのお陰で被害そのものはトラペラの厄介さを考えれば驚く程に少ない。
だが、それはあくまでも今のところでしかない。
今はそこまで問題ないが、トラペラがギルムで行動している中で強者だけを襲うという行動方針が変わる可能性は十分にある。
それがいつ起きるのか分からない以上、可能な限りトラペラをギルムに侵入させないようにするのが最善の結果だった。
「そうね。仕方がないかしら」
マリーナも実際にトラペラと戦っているだけに、ダスカーの不安は理解出来た。
ただし、そんなマリーナと違って五人のダークエルフはあまり気が進まない様子を見せる。
「行くわよ」
ただ、マリーナにそう言われれば、反論するのは難しかったが。
「一応、護衛として騎士を何人か派遣してくれる? 酔っ払いとかに絡まれたりしたら面倒だし」
「分かった、すぐに用意する」
ダスカーにしてみれば、風の精霊魔法の結界によってトラペラがギルムに侵入するのを防ぐなり、あるいは防げなくてもそれを察知出来るというだけで大きな意味を持つ。
その為に護衛の騎士が必要なら、何人でも……とまではいかないが、それでもかなりの数を出してもいいとすら思っていた。
ダスカーは騎士を呼ぶようにメイドに言い、マリーナはダークエルフ達に準備をするように言う。
そんな中で、レイとヴィヘラは特にやることがなかったのだが……レイは取りあえずやるべきことを終えたダスカーに声を掛ける。
「ダスカー様、ちょっといいですか? 俺がセトで空から直接ギルムに降りる許可についてですけど」
その言葉に、ダスカーは不思議そうな様子を見せる。
まさかこの状況でそのようなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
だが、それでもすぐにレイが何を言いたいのかを理解したのか、数秒も経たないうちに納得した表情を浮かべる。
「そうか。その件もあったな」
「はい。元々上空から直接ギルムに降りるというのは、クリスタルドラゴンの件があったからです。そのクリスタルドラゴンの件はダスカー様のお陰で心配しなくてもよくなりました。それにトラペラ対策の風の結界の件や、春になって増築工事が進めば正式に結界も張ることになるでしょうし」
「そうだな。だが……結界については張る前に条件付けをしておけばいい。風の精霊の結界についても、レイやセトが通るのは問題がないんだろう?」
ダスカーの視線がマリーナに向けられる。
マリーナはそんなダスカーの言葉に、すぐに頷く。
「そうね。色々と最初に手間が掛かるけど、それだけだから問題ないわ」
五人のダークエルフは、マリーナの言葉に微妙な表情を浮かべる。
マリーナのように精霊魔法を使いこなす技量があれば、特定の相手に反応しないようにするのは難しい事ではない。
だが、マリーナ程に技量のない自分達にしてみれば、それは結構な手間なのは間違いなかった。
とはいえ、この状況で実は出来ませんといったようなことは口に出来る筈もなく、大人しくしていたが。
「それは……助かりますけど、本当にいいんですか?」
レイとしては、例外的に自分やセトが上空から自由にギルムに降下出来るようにして貰えるというのは嬉しい。
冬はともかく、春から秋に掛けてはミレアーナ王国唯一の辺境にあるギルムに入ろうとする者も多いので、毎回並ぶのは面倒という思いがある。
ましてや、今はまだ増築工事が進められているのだ。
もう少しして春になれば、いつも以上にギルムにやって来る者も多くなるのは間違いなかった。
だが、中に入る手続きを抜きにして自由にギルムに入れるようにするというのは、例えばレイが誰かに買収されるなりなんなりして、ギルムに危害を加えるようなことをした場合、大きな被害が出る。
ダスカーがレイに向かってそのような許可が出すのは、そうなっても構わない。
それだけレイを信じているということを内外に示す目的もあった。
「気にするな。レイには今まで色々と迷惑を掛けてきたしな。その礼だと思えば安いものだ」
そう言うダスカーに、レイは小さく頭を下げるのだった。