3558話
洞窟の中で野営をした日の翌日……レイがマジックテントから出ると、五人のダークエルフは若干疲れた様子を見せていたが、それでもレイが予想した程ではなかった。
それを不思議に思って聞いてみると……
「一応、私達もダークエルフですから、それなりに野営には慣れています。……こういう雪が降る中、洞窟での野営というのはあまり経験がありませんが」
それはつまり、多少は経験があるということを意味していた。
(なるほど。マリーナがこの連中にこうして野営をさせたのは、それを知ってたからというのもあるのか。同じ里の出身だからというのもあるかもしれないが、それなりに気を遣っている訳だ。場合によってはちょっと甘いと言われるかもしれないくらいには)
レイがマリーナから聞いた話によると、マリーナの精霊魔法によってそれなりにフォローをするということだった。
他にもセトが一緒にいる以上、モンスターに襲撃される可能性はかなり低いだろう。
……同時に、セトがいても襲ってくるモンスターがいれば、それはゴブリンのように相手の強さを理解出来ないか、あるいはセトを相手にして戦いを挑もうとするモンスターだけだ。
そして今が冬ということを考えると、ゴブリンの類がここに来るとは思えない。
そういう意味では、冬特有のモンスター……それこそスノウオークやトラペラのようなモンスターがここに姿を現さなかったことは五人のダークエルフにとって幸運だったのだろう。
もっとも、ここは辺境ではないと考えると、そんな心配はあまりなかったのだが。
(あ、いや。でもトラペラは空を飛べるのか)
空を飛ぶモンスターは、容易に辺境を出る。
そうである以上、この場にトラペラが現れる可能性も皆無という訳ではなかった。
……もっとも、万に一つ、億に一つといった可能性だが。
「とにかく、朝食を食べたらすぐに出発する。恐らく今日の夜……いや、夕方くらいにはギルムに到着する筈だ。お前達もそのつもりでいてくれ」
「ですけど、夜に到着した場合、どうするのでしょう? 聞いた話では、夜にはもう街の中に入れなくなっているということですが」
「その件については心配するな。普通ならそうだけど、俺は特別に許可を貰っている。……もっとも、この許可もいつまで使えるのか分からないけど」
元々、レイが……正確にはセトが直接ギルムに降りることが出来るという許可は、クリスタルドラゴンの件でレイがセトと共にギルムに入ってくると騒動になるからこそ許可されたものだ。
だが、スノウオークのスタンピードを鎮圧した報酬により、ダスカーはギルムの領主としてクリスタルドラゴンの件でレイに交渉を持ち掛けるのを全面的に禁止した。
……その布告によって本当に全員がクリスタルドラゴンの素材なり情報なりを諦めるかと言えば、それは否だろう。
しかし、それでも表立ってレイにクリスタルドラゴンの件で接触出来なくなったのも事実。
そうなると、レイも普通にギルムを出歩けるようになる。
いや、なるのではなく、既になっているのだ。
実際にレイがギルムの中を普通に出歩けるようになっているのだから。
そうである以上、正門を通らずギルムに直接上空から降りる許可についても、近いうちに使えなくなる可能性は十分にあった。
レイにしてみれば、街中を堂々と歩けるようになったのは嬉しいが、その許可が取り消しになるのは惜しい。
(後でダスカー様に聞いてみるか。許可が取り消されるのなら、具体的にいつ取り消されるのかとか、そういうのを聞いておきたいし。もしかしたら許可はそのままという可能性も……あるか? 自分で言うのもなんだけど、俺はダスカー様の懐刀とか外からは見られているらしいし)
実際には懐刀とかではないのだが、それでもダスカーと友好的な関係にあるのは事実。
そしてダスカーにしてみれば、実際のところはともかく、他人が見てそのように誤解するのなら、それで十分に利益となる。
そうである以上、ギルムの上空から自由に降下――それでも降下場所は限定する必要があるが――する許可を与えておくというのは、十分にその可能性があった。
レイとしては、出来ればそうであって欲しい。
そう思いつつ、他の面々と共に朝食の準備をする。
五人のダークエルフにとって幸運だったのは、レイと一緒にいたことだろう。
普通なら野営の時の食事となると、一日目であればサンドイッチのような料理を用意出来るかもしれないが、それ以後は基本的に干し肉や焼き固めたパンくらいだ。
あるいは動物やモンスターを倒すことが出来れば、その肉を使った料理を食べたりも出来るが、そういうことはあまりない。
それと比べて、レイと一緒に野営をすると料理についてはミスティリングに入っている出来たての料理を食べることが出来る。
「美味い! これ美味いですよ!」
「本当に……冬なのに、こんなに新鮮な野菜がたっぷり入ったスープを飲めるなんて」
嬉しそうに声を出すダークエルフ達。
中には声も出さず、料理に集中している者もいる。
そんな中で、マリーナは嬉しそうに料理を食べる五人のダークエルフを見て、何とも言いがたい表情を浮かべていた。
「どうした?」
「何でもないわよ。……ただ、この子達はこれから冒険者になるのよ? なのに、最初の野営でレイの用意した料理を食べたら、冒険者としてやっていく時に難しいんじゃないかと思って」
「それは……けど、別にこれが初めての野営じゃないんだろ? ダークエルフとして、それなりに野営をしていたと聞いてるぞ」
「そうだけど、それはあくまでもあの森の中での話よ。外に出ての野営は多分これが初めて。それがこうして美味しい料理を食べたとなると、これからの野営が辛くなるんじゃないかしら?」
「それは……慣れて貰うしかないな。あるいはそれを理由に発奮して、アイテムボックスを入手する為に頑張るかもしれないだろう? 買えるのは廉価版の奴だけかもしれないが」
廉価版のアイテムボックスは、基本的に収納している物は普通に時間が流れる。
中には高級品である程度時間の流れが遅くなる物もあるが、それは本当にかなりの高級品で、普通の冒険者が購入出来る物ではない。
それこそ高ランク冒険者や異名持ち、あるいは貴族の後援があったりする者なら購入出来るかもしれないが、それでもそう簡単に購入は出来ないだろう。
「そうなるといいわね」
マリーナもレイの言いたいことはそれなりに分かったのか、取りあえず納得した様子を見せる。
「冒険者としての厳しさを教えるのなら……そうだな。ヴィヘラと模擬戦をさせてみるのはどうだ?」
「え? 私?」
レイとマリーナの側で料理を食べていたヴィヘラは、自分に話が回ってきたことに少し驚くも……
「うーん、あまり強そうじゃないし、気が乗らないわね」
スノウオークキングとの戦いで十分に満足していたヴィヘラだ。
ダークエルフの里で実力者との模擬戦をやったが、そちらはそれなりに満足出来た。
しかしそれは、あくまでも実力者だったからだ。
それに比べてギルムに行くダークエルフの五人は、精霊魔法の技量こそ平均以上だが、戦士としては決してそこまで強い訳ではない。
冒険者になったばかりの者を相手にした場合は、かなり有利に戦えるだけの実力を持ってはいるが、ヴィヘラの模擬戦の相手となるには実力不足。
しかし……そんな会話を聞いて、我慢出来ない者もいる。
「聞き捨てならないな。俺はそれなりに腕には自信がある。だからこそ、マリーナ様に呼ばれてギルムに行くんだ」
五人のうち、一人のダークエルフが不満そうに言う。
だが……そのダークエルフにとって不運だったのは、ヴィヘラの前でそのようなことを口にしてしまったことだろう。
「あら、そう? なら……食後の腹ごなしという意味でも、ちょっと模擬戦をしてみる?」
「いいだろう。俺のレイピアと精霊魔法を組み合わせた戦い方は強いぞ」
「ふふっ、じゃあ楽しみにしてるわね。……もっとも、本当にその子のことを思うのなら、戦うのはレイの方がいいと思うけど」
ヴィヘラの視線がレイに向けられる。
その理由は、レイも十分に理解出来た。
レイもまた、戦士でありながら魔法を使う、いわゆる魔法戦士なのだから。
違うのは、精霊魔法を使うのではなく炎の魔法を使うということか。
……それ以外にも、デスサイズのスキルを使ったりもするが。
とはいえ、それはヴィヘラに模擬戦を挑んだダークエルフにしてみれば、自分の上位互換と呼ぶべきレイとの模擬戦では、完封されることが目に見えている。
そういう意味では、レイよりも戦闘スタイルの違うヴィヘラと戦う方がまだ勝ちの目があるだろう。
もっとも、ヴィヘラの実力を知っているレイやマリーナにしてみれば、それでもダークエルフの男がヴィヘラとの模擬戦で勝利出来る可能性はまずないと思っていたが。
ただ、世の中には絶対というものはない。
もしかしたら、何らかの理由でダークエルフの男が模擬戦の中で覚醒し、勝利出来るかもしれない。
……とはいえ、そのようなことは滅多に起きることではないのだが。
「じゃあ、食事が終わったら模擬戦をやって、それからギルムに向かうぞ」
レイの言葉に反論する者は誰もいなかった。
ずしゃり、と。
そんな音を立ててダークエルフの男は雪原の上に倒れ込む。
「自分の実力に自信を持つのはいいことだけど、それが過剰になっては意味がないわよ」
そう言うヴィヘラは、平然として雪の上に倒れているダークエルフの男を見ている。
実際、そのように言われても仕方がない戦いの結果だった。
ダークエルフの男は必死になってレイピアでヴィヘラに攻撃をしたのだが、その全てを回避されてしまう。
手甲で弾くといったことすら出来ないまま、あっさりと全ての攻撃を回避されたのだ。
レイピアは基本的に速度を重視する武器で、そういう意味では雪の上での戦いは決して得意ではない。
ただし、それはヴィヘラにも言えることだ。
速度を重視している戦闘スタイルだけに、雪の上ではその真価を発揮出来ない。
そういう意味では、双方共に本来の実力を発揮出来なかったのは間違いない。
だからこそ、お互いに純粋に実力の差が出た。
ヴィヘラは自分の持つ奥の手の浸魔掌は勿論、手甲によって生み出される魔力の爪や、足甲の踵から伸びる刃といった武器も使ってはいない。
純粋な実力差でダークエルフを倒したのだ。
それだけで、純粋にどれだけの実力差があるのか分かるだろう。
ましてやヴィヘラは明らかに手加減をしていた。
地面に倒れるダークエルフの男を一瞥したヴィヘラの視線には、既に興味の色はない。
それこそ、その辺に落ちている石か何かを見るような目だ。
普段であれば、ヴィヘラもここまで興味をなくした視線を向けない。
だが、スノウオークキングとの戦いが直近であっただけに、ヴィヘラの中でその基準が上がってるのだろう。
(哀れだな)
実力の差をこれ以上ない程に見せつけられたダークエルフの男を見て、レイはそんな風に思う。
ヴィヘラに模擬戦を挑んだのだから、自分の実力には相応の自信があったのは間違いない。
だが、その自信が木っ端微塵に砕かれてしまったのだ。
「ちょっと、ヴィヘラ。やりすぎよ? その子にもギルムでは活躍して貰わないといけないんだから」
マリーナの抗議に、ヴィヘラは全く申し訳なさそうではない顔で口を開く。
「あら、ごめんなさい。ちょっとやりすぎたかしら」
「あのね……はぁ、とにかく今はギルムに向かうのを優先しましょうか」
これ以上ヴィヘラに何を言っても無駄だと判断したのか、マリーナはギルムに行くことを優先する。
ヴィヘラの対応に思うところがない訳でもなかったが、ヴィヘラに模擬戦を挑んだ男が自分の実力に過剰に自信を持っていたのも事実。
これが辺境のギルム以外の場所に行くのなら、そこまで問題はなかっただろう。
だが、これから行くのは普通にその辺で高ランクモンスターが出て来た、あるいは新種のモンスターと接触したと言われても、誰も疑問に思わない辺境のギルムだ。
そうである以上、実力を伴わない自信というのは、自分だけではなく仲間をも殺してしまいかねない。
それが分かっているからこそ、マリーナはこれ以上ヴィヘラを責めることはなかったのだ。
実際にヴィヘラと模擬戦をやった者以外の四人も、自分の実力には相応に自信があったらしいのはマリーナは分かっていた。
今の戦いを見て、ギルムという場所ではこの程度の実力ではそこまで自慢出来るものではない。
そう理解して貰えたのなら、総合的に見て今回の件がプラスだったのは間違いないと思いつつ、マリーナはレイにギルムに向かうように言うのだった。