3557話
「これは駄目ね。武器や防具はいいけど、服が多すぎよ。貴方は冒険者としてギルムに行くんでしょう? なら、こんなに服はいらないわ」
「でも、マリーナさん。もし服が必要になったら、どうすればいいんですか?」
「ギルムで買えばいいじゃない。幸い、貴方の体型は一般的だから、服を選ぶのに困ることはないと思うわよ?」
「でも……パーティとかに出る時のことを考えると……」
「あのね、高ランク冒険者になってからならともかく、まだ貴方は冒険者としての登録も終わってないのよ? どのくらいの規模のパーティを考えているのかは分からないけど、そういうパーティに参加出来るようになるのは、それなりにランクが上がってからよ」
「でも……マリーナさんの服は……」
ダークエルフの女は、マリーナに羨ましそうな視線を向ける。
自分がお洒落用に用意した服は却下されたのに、マリーナは普通に豪華なパーティドレスを着ているのだ。
それを女として不満に思うなという方が無理だった。
とはいえ、マリーナのお陰でギルムに行くことが出来る以上、ここで逆らう訳にはいかず、渋々と荷物の整理を始める。
「はい、次。……うん、いいわね。ただ、貴方は荷物が少なすぎよ。簡単なポーションの類は持っておいた方がいいわね。この里のポーションは基本的に高品質だし、いざという時に命を繋ぐ物になるでしょうし。もしくは、お金に困ったら売ってもいいわね」
ダークエルフの里で作られたポーションは、ギルムで売っているポーションと比べても高品質だ。
とはいえ、それは普通のポーションと比べて数倍の値段差が出る程に高品質という訳ではない。
あくまでも、それなりに高品質なだけだ。
これはダークエルフであったり、世界樹の加護であったり、精霊魔法を使えたり……それ以外にも様々な理由が積み重なった結果だった。
「分かりました。じゃあ、ポーションをちょっと用意してきます」
ダークエルフの男は、そう言うとポーションを入手する為にその場から走り去る。
そんな風に、マリーナは五人のダークエルフの荷物のチェックを行い……最終的にそれが終わったのは、数時間後のことだった。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「えっと、マリーナさん。この時間ですし……今日はこの里に泊まって、明日出発したらいいんじゃないですか?」
五人のうちの一人が、そうマリーナに提案する。
続いて、その視線は離れた場所でダークエルフの中でも腕利きを相手に模擬戦を行っているヴィヘラに向けられる。
「その、あっちの人も模擬戦をやって疲れてるでしょうし」
「ヴィヘラのことなら心配いらないわ。それに最初に話したと思うけど、私達がここに来たのはただの里帰りという訳でもなければ、冒険者になりたい若者をギルムに連れ出す為でもないわ」
「それは分かっています。トラペラとかいう、透明なモンスターの対策の為ですよね?」
「ええ、そうよ。いつどこからトラペラが入ってくるか分からない以上、少しでも早くギルムに戻る必要があるのよ。幸い、トラペラは強者しか襲わないという特性を持っているから、その点では少し安全だけど……それでも、万が一があるかもしれないもの」
その言葉に頷くダークエルフの男だったが、それが本当にマリーナの言葉を理解している訳ではないのは、側で見ているレイにも理解出来た。
世界樹の巫女、あるいは自分達をギルムに連れていってくれる恩人、もしくは単純に頭の上がらない相手からそのように言われたので、取りあえず頷いているだけなのだろう。
レイもそれは分かったが、それも仕方がないかと思う。
移動する時は勿論、攻撃する時……どころか、死んだ後も透明なままのトラペラ。
それだけではなく、気配を殺すのも上手い。
レイですら、その存在をなかなか察知出来ない相手なのだから。
唯一の救いは、隠密性に特化している為に、純粋な攻撃力となるとそこまでではないことか。
とはいえ、それでもかなりの強さなのは間違いないが。
ましてや、そんなモンスターが一匹で行動しているのではなく、ある程度の群れで行動してるのだから、厄介極まりない。
とはいえ、群れは群れでもある程度の群れであって、集団で襲ってくるといったことは基本的にない辺り、不幸中の幸いかもしれないが。
正門の時のように、例外はあるが。
そんな危険なモンスターの存在を察知する必要がある以上、少しでも早くギルムに戻る必要がある。
一定の範囲内を風の精霊で探索出来るマリーナと、魔力を感知することが出来る能力を使ってトラペラを見つけることが出来るセトが、こうしてギルムから出ているというのは、非常に危険なのだ。
勿論、ギルムには腕利きの冒険者が多くいるので、その中には魔力を察知出来る能力の持ち主もいるが、人数は少ないし、そのような者達に知らせるとなると依頼という形を取る事になるし、何よりトラペラの存在が広く知れ渡ってしまう可能性もある。
どうしようもないのなら仕方がないが、マリーナがダークエルフ達を連れて戻れば、ある程度はどうにでも出来るのだ。
だからこそ、マリーナは少しでも早くギルムに戻るべきだと考えていた。
「そんなに……その、トラペラというのは危険な相手なんですか?」
「そうね。実際に接触してみれば分かると思うけど。とはいえ、これはあくまでも念の為という一面が強いんだけど」
マリーナとレイでギルムを見て回り、スラム街でもトラペラと戦った。
また、ギルムにいる冒険者も何人かトラペラに襲われたが撃退したり倒したりしている。
そして最後に正門で起こった複数のトラペラとの戦い。
トラペラがランクBモンスターであると考えれば、やはりその数はそこまで多くないだろうと思われる。
もっとも、相手はモンスターだ。
マリーナがそのように考えても、万が一のことがある。
だからこそ、こうしてダークエルフの里まで精霊魔法を使える者達を呼びに来たのだ。
幸い、その交渉についてはそう時間が掛からずに終わった。
マリーナはレイと会話をしている長に視線を向け、交渉が素早く纏まったことを世界樹に感謝する。
世界樹の巫女という自分の立場、そして以前世界樹の危機を救ったレイ。
また、ギルム……というよりは、里から出て行動してみたいと思っていたダークエルフの若者がいたこと。
それら全てが影響し、こうして素早く話が纏まったのだ。
折角話が素早く纏まったのだから、その幸いを利用しない手はない。
「とにかく、行くわ。それに貴方達はギルムで冒険者として活動するんでしょう? なら、野営にも慣れておいた方がいいわよ」
もっとも、冬の野営をするということは滅多にないけど。
そこは言わずに、元ギルドマスターとしての立場から言葉を続ける。
「貴方達は精霊魔法使いとしてはそれなりの腕だけど、だからといって野営も出来ないなんてことになったら、冒険者として他の人の足を引っ張るわよ? それでもいいの? 中には魔法使いは貴重だから、そんな魔法使いがパーティを抜けないようにチヤホヤするような者達もいるけど、そういう連中と一緒にいると……腐るわよ」
びくり、と。
マリーナの口から出た腐るという言葉に、それを聞いていたダークエルフの男は……いや、会話には参加していなかったが、会話を聞いていた他の四人も自然と身体が動いてしまう。
これがマリーナ以外……それこそ冒険者について何も知らない者が、知ったかぶりでそのようなことを言っても、鼻で笑われるだけだろう。
だが、マリーナは辺境のギルムでギルドマスターとして長年活動し、あるいはギルドマスターになる前と辞めた後も冒険者として活動している。
それだけに冒険者という存在について深く理解しており、だからこそマリーナの口から出た言葉には問答無用の説得力があった。
「分かったでしょう。ギルムで冒険者としてやっていくには、精霊魔法以外にも最低限の力は必須よ。一応その辺を春までに教えてくれる相手はこちらで用意するけど、やる気がないと意味がないから注意するように」
普通なら、わざわざ冒険者のイロハ……それも普通の場所ではなく、辺境のギルムで必要なイロハを教える者をわざわざマリーナが用意するということはない。
しかし今回は、この五人の希望があるのも事実だが、マリーナが精霊魔法の腕を必要としているから連れていく一面があるのも事実。
同じ里の者ということもあり、マリーナとしても相応のフォローをする気になるのはおかしな話ではなかった。
そんなマリーナのやる気や真剣さが伝わったのか、その話を聞いていた五人のダークエルフはやる気に満ちた表情でそれぞれ頷く。
元々ダークエルフの里を出て、外の世界を見てみたいと思っていた者達だ。
今のマリーナの言葉に、最初は驚いたり怯えたりといった気持ちもあったが、すぐにそれに勝るやる気に満ちてくる。
マリーナはそんな五人のダークエルフを見て満足そうに頷くと、長と話をしているレイに声を掛ける。
「レイ、こっちの準備は出来たから行くわよ!」
その言葉にレイは長との話を終え、子供達と遊んでいたセトはその遊びを止め、ダークエルフの実力者と模擬戦をやっていたヴィヘラも勝利したタイミングだったので、そこで模擬戦を終えるのだった。
「えっと……これはちょっと……」
ダークエルフの一人が不満そうに言ったのは、里に向かう途中で使った洞窟の中。
それはダークエルフ達にとっても特に不満はなかったが、レイとマリーナ、ヴィヘラだけがマジックテントを使い、それ以外の五人のダークエルフ達だけが自分達の力で野営をしろと言われたのだ。
マジックテントを知らなければともかく、マリーナがマジックテントについて懇切丁寧に説明した以上、自分達だけがマジックテントを使えないというのを不満に思うのは当然だろう。
だが、マリーナはそんなダークエルフ達に対し、大きく息を吐いてから口を開く。
「あのね、言っておくけど普通はこういう洞窟を見つけるのがそもそも難しいのよ?」
それは事実だ。
洞窟というのはそこら中にある訳ではない。
勿論、林や森、山といった場所にはそれなりにあるので見つけやすいが、例えば草原のような場所で野営をする時に洞窟を見つけられるかは……絶対に不可能という訳ではないが、それでも相応に大変なのは間違いない。
そういう意味では、マリーナが言うように洞窟を使えるというのは大きい。
冬の雪や風を防げるというだけでも、野営をする上で大きな意味を持つのだから。
ダークエルフの五人も、それは分かる。
分かるのだが、自分達が野営をしている間、マリーナ達だけがマジックテントで快適な野営――という表現すら相応しくないと思える――をするのは、さすがにどうかと思うのだ。
だが、五人のダークエルフがマリーナに逆らえる筈もなく……不承不承ではあるが、洞窟の中で野営の準備をするのだった。
「ちょっとやりすぎじゃないか?」
マジックテントの中、ソファに座っているレイがマリーナにそう言う。
だが、そんなレイの前に紅茶を置いたマリーナは、首を横に振る。
「いいえ、私はそうは思わないわ。あの子達はダークエルフとして強い力を持っている。それこそ、私が認めるくらいには。だからこそ、最初は強烈な一撃を与えておく必要があるのよ。……それに、少しは手助けをしてあるから、取りあえず問題ないわよ」
「手助け?」
「ええ。あの子達には分からないように、精霊魔法でね」
「気が付かれないものなの?」
マリーナの置いた紅茶を飲みつつ、ヴィヘラが不思議そうに言う。
それはレイにも同感だった。
レイにしてみれば、マリーナが使うのも、あの五人のダークエルフが使うのも、双方共に精霊魔法だ。
そうである以上、マリーナが精霊魔法で何らかの手助けをしているのは、あの五人にも理解出来るのではないか。
そうレイやヴィヘラが思うのは、おかしな話ではない。
しかし、マリーナはそんな二人に対して満面の笑みを浮かべて口を開く。
「あの五人もそれなりに腕の立つ精霊魔法使いだけど、私と比べるとちょっと劣るのよ」
「まぁ……だろうな」
レイが知ってる限り、精霊魔法においてはマリーナ以上の使い手を知らない。
勿論、世の中にはまだレイの知らないことも多い。
中には、マリーナ以上の精霊魔法の使い手がいてもおかしくはない。
しかし、そのような相手はそう簡単にいないだろうというのも、レイの予想だったが。
五人のダークエルフが、そんなマリーナよりも腕が立つということは、まず考えられない。
レイ達はそんな風に会話をしながら野営をするのだった。