3554話
「見えた」
セトの背に乗ったレイが、視線の先にある森を見て呟く。
今日は珍しく冬晴れで、空には青空が広がっている。
そんな冬の太陽に照らされるように、レイの目的地……ダークエルフの里のある森が見えたのだ。
「グルルゥ」
レイの呟きを聞いたセトは、セト籠を持ちながら翼を羽ばたかせる速度を上げる。
レイが出来るだけ早くダークエルフの里に行きたいと、そのように思っているのが分かったからだ。
セトがその気になれば、目的地の森との距離は急激に近付いてくる。
森が姿を見せてから十分もしないうちに、セトはダークエルフの里のある森に到着していた。
「じゃあ、森の中じゃなくて外に降りてくれ。……下手に上空から近付くと、敵と勘違いされかねないし」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと言って地上に降りていく。
世界樹を守るダークエルフ達の里だ。
こうして外から……もしくは上空から見ても、世界樹を見つけることは出来ない。
それは恐らく精霊魔法によって姿を隠しているのだろうと思える。
そのような場所に、何の前触れもなく上空からセトに乗って降りたりすれば、それこそ敵だと判断されて攻撃されかねない。
セトが持っているセト籠の底の部分は地上から見える場所に保護色的に周囲の景色と同化するような効果があるので、もしかしたら見つからないかもしれない。
だが、マリーナのような精霊魔法使いの実力を知っているレイにしてみれば、セト籠があっても風の精霊辺りによって容易に見つかるだろうと思えてしまう。
勿論、レイもマリーナ程の精霊魔法の使い手がそういない……どころか、非常に希少なのは理解している。
数多の精霊を自由に扱うマリーナは、それこそ万能という表現が相応しい程の精霊魔法の使い手なのだから。
実際、レイ達がこうしてダークエルフの里に行こうとしているのも、現在のギルムにいる精霊魔法使いではトラペラの探知結界を作ることが出来ないから、より腕の立つ精霊魔法使いをギルムに連れていく為にやって来たのだから。
「さて、どうなるかだな。……取りあえずマリーナがいれば無事にダークエルフの里には到着出来るだろうけど」
これ以上は特に何も問題が起こらないようにと考えているレイを背中に乗せたセトは、森の外に向かって降下していき、セト籠を下ろし、続いて一度上空に戻ってから今度は自分が地上に着地する。
レイもセトの背から降りるが……
「まぁ、当然だよな」
そう言いつつも、新雪を踏む感触に面倒なという感情を抱く。
新雪を踏むという行為そのものに対しての感想ではない。
その行為そのものは、レイもそれ程嫌いではない。
……もっとも東北の田舎で生まれ育ったレイにしてみれば、雪というのは面倒な存在という思いの方が大きいのだが。
「これはちょっと面倒なことになりそうね」
セト籠から出て来たヴィヘラも、レイと同じく新雪を踏み締めつつ、そう呟く。
それは続いてセト籠から出て来たマリーナも同様だった。
何しろ新雪というのは、ちょっと踏むくらいであればその感触を楽しむことも出来るが、新雪が積もっている場所を歩いて移動するとなると、無駄に体力を消耗する。
ましてや、これからレイ達が向かうのは森の中なのだから、余計に歩きにくいのは明らかだ。
せめてもの救いは、森に生えている木々の中には常緑樹も多少はあり、そのような木の近くでは雪がそこまで積もっていないことであったり、動物やモンスターがいるかどうか、新雪があるのなら足跡から非常に分かりやすいことだろう。
「こうなると、無理をしてでもダークエルフの里に直接下りるべきだったか?」
「そうね。……ちょっと待ってて、私が風の精霊を使って話を通すから。それが終わったら、直接里に向かうことにしましょう」
本来なら、森の中を進むべきだ。
それはマリーナも分かっていたが、外側から見る限りでも森の中には結構な雪が積もっているのが分かる。
そのような場所を進むのは、マリーナとしても出来れば遠慮したかった。
この場にセトがいなければ、あるいは我慢して新雪の中を進んだかもしれないが、今はセトがいる。
なら、わざわざ新雪が積もっている森の中を進まなくてもいいだろう。
そうマリーナが思うのはおかしな話ではなく、レイもその意見には全面的に賛成する。
「そうだな。そうしてくれると助かる。この森の中を進むのはあまり気が進まないし」
「私も出来ればそっちの方がいいわね」
「ヴィヘラもか? 意外だな。ヴィヘラなら、森の中でモンスターと戦えるのを楽しみにしているから、このまま森の中に入りたいと言うかと思ったのに」
「そうね、私もここが辺境ならそう言ったかもしれないけど……この森に棲息しているモンスターは、ただのオークなんでしょう? スノウオークキングと戦ってからまだそんなに経っていないのに、ただのオークと戦っても、とても楽しめるようには思えないのよ。それに、これだけ雪が積もっていると、かなり戦いにくいし」
その理由は、どちらもレイにとって納得出来るものだった。
スノウオークキングと戦った後では、それこそ最高級の牛肉……いや、豚肉を食べた後で、痩せ細って筋張り、味も何もないような豚肉を食べるようなものだ。
また、ヴィヘラの戦闘スタイルは速度を活かしたものだ。
素早く移動するのに、森の中に積もっている新雪は邪魔でしかない。
……いや、邪魔どころか、足が滑ってバランスを崩し、あるいは転んで敵の攻撃を受けるといったように文字通りの意味で足を引っ張られることにもなりかねない。
これでオークではなく、もっと強力な……それこそスノウオークキングと同等のモンスターがいるのなら、不利を承知でもヴィヘラは森の中に入ることを望むのだろうが、森にいるモンスターは基本的にオークだけだ。
あるいはどこにでもいるゴブリンならいるかもしれないが……ヴィヘラにしてみれば、ゴブリンなど戦う相手という認識ですらない。
「じゃあ、そういうことで……ちょっと待っててね」
誰も反対する者がいないと判断したマリーナは、すぐに精霊魔法を発動する。
すると冬だというのに、暖かい風が吹く。
(この辺もマリーナの凄いところなんだよな)
レイが知ってる限り、精霊魔法を使う際には精霊に自分の意思を伝え、どのように動いて欲しいのかを呪文という形で行う者が多い。
だが、マリーナはそのような者達と違い、一言二言呟くだけで精霊魔法が無事に発動する。
今回のように伝言を頼むにも、どのような伝言を頼むか、自分達が現在どのような状況にあるのかというのを風の精霊を通して相手に伝える必要がある筈だが、マリーナはそれも込みで一言二言なのだ。
具体的に何がどうなってそうなるのか、レイには分からない。
分かるのは、マリーナが突出した精霊魔法使いとしての腕を持っているということだけだ。
「後はちょっと待ちましょう。……どうする? このまま待つ? それともセト籠の中に入る? あるいはレイのマジックテントの中でもいいけど」
「俺はこのままで構わない。マジックテントとかは、出し入れするのが面倒だし」
実際にはマジックテントはミスティリングから出し入れするので、そこまで面倒ではない。
ただ、中に入ったかと思えばすぐに里から風の精霊がやってきて、外に出るといったことになると、忙しくてあまり好ましいことではないとレイは思ってしまう。
「じゃあ、セト籠に入らない? セト籠なら、里から風の精霊が来ても、私達はセト籠に入ったままで、レイが出てセトに乗って移動すればいいだけだから、そこまで面倒じゃないでしょうし」
そんなヴィヘラの提案に乗り、レイ達はセト籠に向かうのだった。
……なお、セトはセト籠の中に入れないのでどうかと思ったレイだったが、そのセトは新雪を踏む感触を楽しむのに夢中だったので、特に問題はないということになる。
「ふぅ、外にいても寒くはないんだけど、こう……景色とかから寒々しいのよね」
「そう? 私はそれなりに慣れているから、そうは思わないけど」
セト籠の中でヴィヘラとマリーナが会話を交わす。
そんな会話を聞きつつ、レイは珍しげな様子でセト籠の中を見ていた。
ヴィヘラ達はセト籠に乗って移動することが多いので、セト籠の中はもう慣れたものだ。
そんな二人に対し、レイは基本的にセトに乗って移動する。
その為、こうしてセト籠の中に入るということは滅多にない。
それこそ、初めてセト籠を貰った時以来ではないだろうか。
そんな風に思いつつ、レイはセト籠の中を見回す。
(セト籠をミスティリングに収納してるのは俺だけど、実際にこうして乗る機会とか、そういうのはないんだよな)
セト籠の様子を見ているレイだったが、そんなレイに対してマリーナが呆れたように口を開く。
「レイ、女の部屋を見るのはどうかと思うわよ?」
「……いや、女の部屋ってこれはセト籠だろ?」
「でも、基本的に乗るのは私達でしょう?」
「それは……まぁ」
レイのパーティは、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人だ。
パーティではなく仲間として考えても、そこに追加されるのはエレーナとアーラだろう。
レイ以外は見事なまでに女だけなのは間違いない。
そしてエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人は歴史上稀に見る美女と呼ぶに相応しい者達だ。
アーラも性格はともかく、外見だけなら十分美人と評するのに相応しい。
ビューネはまだ小さいが、大人になれば美人になるだろう片鱗を感じさせる。
そういう意味では、客観的に見てレイのパーティは非常に羨ましいと思う者が多いし、その立ち位置を変わって欲しいと思う者は幾らでもいるだろう。
もっとも、美人揃いではあるが性格的には特殊な者が多い。
外見は極上の美女で、縦ロールといういかにもお嬢様風なのに言葉遣いは軍人風のエレーナ。
エレーナに負けず劣らずの美女だが、何故か普段着が……いや、戦闘ですらパーティドレスを着たままのマリーナ。
他の二人同様の美女だが、戦闘狂のヴィヘラ。
そしてエレーナ命のアーラに、表情を動かさず『ん』の一言しか喋らないビューネ。
そのような……個性的という表現が相応しい、あるいはそれでも表現が足りないような、そのような者達と一緒に行動するということは、それだけ気苦労も引き受けることになる。
不幸中の幸いと言うべきなのは、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人は揃って絶世の美女という表現が相応しく、それだけに気楽に言い寄ったり出来ないということか。
ただでさえ美人なのに、そんな女が三人集まっていれば、美の相乗効果とでも呼ぶようなものにより、一種の異空間的な感じになる。
勿論それはあくまでも気のせいで、実際にはそのようなものはないのだが。
だが……それでもそのようなものを気にせず、口説こうとする者はいる。
空気を読めない、あるいは自分に自信がある、自分の思い通りにならないことは絶対にない……そのような思いを抱く者達が。
そういう意味では、多数の小さな面倒は避けられるが、大きな少数の面倒を受け入れる必要があるということだ。
(それでも、マリーナやヴィヘラといると、悪い気がしないのは間違いないけどな)
そんな風に考えていたレイだったが、ふと思いつくことがあり、それを口にする。
「このセト籠がマリーナ達の部屋に近いというのは納得出来る。けど……以前、ギルムの増築工事で樵が多数必要だった時、俺はこのセト籠に乗せて大量の樵を連れてきたことがあったぞ?」
「……そう言えばあったわね。その後、アーラがきちんと問題がないように掃除をしていたけど」
何故アーラが?
一瞬そう思ったレイだったが、このセト籠にはエレーナが乗ることもあると考えれば、エレーナに心酔しているアーラがしっかりと掃除をするのはそうおかしな話ではない。
「アーラなら、そういうことをしてもおかしくはないか」
「でしょう? そんな訳で、このセト籠は以前はともかく、今は私達の部屋も同然なのよ」
「……穢れの本拠地に行く時も結構な人数が乗ったけどな」
結構な人数とはいえ、実際には数人……男の数は三人だ。
それを結構な人数と表現するのはどうかとレイは思ったが……自分で言った内容に、マリーナとヴィヘラが微妙に不服そうな表情を浮かべているのを見て、どう反応すればいいのか迷う。
そうしてたっぷりと数分の沈黙の後……
「ねぇ、レイ。このセト籠は乙女の園なの。それは理解出来るわよね?」
強烈な迫力と共に尋ねてくるマリーナに、レイはただ頷くことしか出来なかった。