3553話
「…………………………………………美味い」
スノウオークキングのステーキを一口食べたレイの口から出たのは、そんな感想だった。
一口を食べてから、たっぷりと一分程が経過してからの言葉。
それだけ、目の前にある料理は美味かったのだ。
特に手の込んだ下処理をした訳ではない。
香辛料を使い、肉の厚さを均一にし、火の加減にも気を付ける。
やったのはそれくらいだったが、それだけでスノウオークキングの肉はこれ以上ない美味となる。
それでもレイが何も言えなくなったのではなく美味いと感想を口に出来たのは、クリスタルドラゴンの肉という、このスノウオークキングの肉と比べても明らかに……そして圧倒的に格上の肉を食べた経験があったからだろう。
「これはまた……自分で焼いておいてなんだけど、本当に美味しいわね」
マリーナがスノウオークキングのステーキを一口食べて、そう感想を漏らす。
「スノウオークキングの肉は、肉そのものが美味しいわ。だから下手に手間暇を掛けた料理をするよりも、こうして単純に肉そのものを味わえる料理にした方がいいのかもしれないわね。もっとも、本職の料理人なら少し話は変わってくるけど」
マリーナも料理の腕はかなりのものがある。
それこそセミプロという表現が相応しいくらいには。
だが、それはあくまでもセミプロであって、プロ……本職ではない。
実際にはその辺の店で働いている料理人よりも料理の腕は上なのだが、料理人の中でも本当の上澄み……例えば領主の館で料理人をしている者達と比べればどうしても劣る。
そのような者達であれば、ステーキとして味わうよりも、この肉の味をもっと引き出せる料理を作れるかもしれないが、それはマリーナには不可能だった。
とはいえ、マリーナはそれを残念に思うが、仕方がないという思いもそこにはある。
相手は本人の才能もあるが、人生の多くの時間を料理に使い、努力をしてきた者達だ。
元ギルドマスターであったり、その前は冒険者でしかなかったマリーナにしてみれば、趣味でしかなかった料理の腕で、そのような相手に勝てるとは到底思えない。
「これ程美味いとは……驚きだ」
エレーナもまた、スノウオークキングのステーキを一口食べただけで、素直にそのような感想を口にする。
エレーナは貴族のパーティに出ることをあまり好んではいない。
姫将軍の異名を持つだけに多くの男が言い寄ってくるのが煩わしいし、同年代の女とは会話が合わない。
また、パーティドレスの類も動きにくいのであまり好みではない。
そういう意味では、普段からパーティドレスを身に纏い、戦闘ですらパーティドレスを着て行うマリーナを尊敬しているのだが……それはともあれ、そのようにパーティの類は好みではないエレーナだったが、それでもケレベル公爵令嬢であったり、貴族派の象徴という立場である以上、全てのパーティから逃れられる訳ではない。
そういう意味では、こうしてギルムにいる今はパーティに出なくてもいいので、エレーナにとっては気楽だったのだが。
ともあれ、どうしても出なければならないパーティというのは、格式の高いパーティとなる。
当然ながら、そのような場所で出される料理はどれも贅を凝らした料理だ。
一流の食材を凄腕の料理人が料理したような。
そんな料理を食べ慣れているエレーナにとっても、このスノウオークキングのステーキは極上という表現が相応しい料理だった。
ヴィヘラもまた、そんなエレーナと同様に思う。
元皇女だけに、多くのパーティで料理を食べてきたが、このスノウオークキングのステーキはそれらの料理にも決して引けを取らないだけの味だ。
他の面々もそれは同様で、全員が料理を楽しむ。
楽しむのだが……
「このステーキが美味いだけに、付け合わせがちょっとな」
付け合わせと用意された幾つかの料理。
それらも美味いことは美味いのだが、それでもスノウオークキングのステーキと比べると数段落ちてしまう。
スノウオークキングのステーキが突出して美味いだけに、これが一品料理として出されたのなら、これ以上ない評価が出来るだろう。
だが、他の付け合わせを加えて考えると、スノウオークキングのステーキが突出しているだけに、他の料理はいまいちでバランスが悪いので、総合的な点数は悪くなる。
そんな、一種の味の暴力とでも呼ぶべき料理が、スノウオークキングのステーキなのだ。
「しまったわね」
この料理の弱点とも言うべきものは、料理をした本人だからこそマリーナも十分に理解していた。
精霊魔法使いの件で疲れていたとはいえ、このスノウオークキングのステーキに相応しい付け合わせの料理を作るべきだったと、しみじみ思う。
とはいえ、付け合わせの料理も決して手を抜いて作った訳ではない。
どの付け合わせも、十分に美味いのは間違いないのだから。
ただ、比べる料理がスノウオークキングのステーキというのが問題なのだろう。
「次は、もっとしっかりと料理を作るわ」
そう言い、悔しそうにしながらもマリーナはスノウオークキングのステーキを楽しむのだった。
スノウオークキングのステーキを楽しんだ翌日。
昼の少し前……それこそ、ちょうど昨日レイが起きた時間帯に、レイはマリーナの家の庭にいた。
「レイ、やはり私も一緒に行った方がいいのではないか?」
「エレーナの気持ちは分かるけど、今の状況だとそれが難しいのは分かるだろう?」
レイはエレーナにそう返す。
実際、エレーナに面会を求める者が来ないとも限らない……いや、確実に来る以上、そのままに出来ないのも事実。
特に昨日のレイに対してクリスタルドラゴンの素材で取引を持ち掛けるのを禁止するという布告について、レイと親しい……一緒に暮らしているエレーナなら、何らかの情報を持っているのではないかと思う者は多いだろう。
そうである以上、エレーナはここにいる必要があった。
「そうそう、ここは私に任せておきなさい。マリーナの護衛として、十分に働いてみせるから」
ここぞとばかりにエレーナにそう言うのは、ヴィヘラだ。
本来なら、レイとマリーナ、そしてセトだけで行くつもりだったのだが、そこにヴィヘラが護衛として立候補した形だった。
マリーナも高ランク冒険者として、それなりに近接戦闘は出来る。
だが、それでもやはり本職は精霊魔法や弓を使うといった後衛である以上、何かあった時の為に護衛がいた方がいいというのが、ヴィヘラの主張だった。
普通なら心配のしすぎということになるのだが、トラブル誘引体質のレイがいる以上、どのような騒動に巻き込まれないとも限らない。
だからこそヴィヘラは護衛として行動することが決まったのだ。
「むぅ。……やはりイエロを連れていった方がいいのではないか?」
エレーナがイエロを連れていくことを提案したのは、イエロの記憶をエレーナは直接見ることが出来るという能力があるからだろう。
ヴィヘラがレイに変なちょっかいを掛けるのかもしれないと、そのような心配からの言葉だった。
一応、ヴィヘラもレイとの件ではエレーナが正妻だというのは認めている。
認めているが、それでもヴィヘラの性格を思えばここでレイにちょっかいを出す可能性は十分にあった。
もしエレーナがヴィヘラの立場なら恐らくそうするだろうから、ヴィヘラもそうするだろう。
そのように思い、監視目的でイエロを一緒にと思ったのだが、ヴィヘラはそれに対して首を横に振る。
「それは止めておきましょう。今回の一件では、色々と複雑なことになるかもしれないから、イエロは連れていかない方がいいわ」
「複雑なこと? 具体的には?」
「世界樹のある場所に行くんでしょう? そこに子供とはいえ、ドラゴンを連れていくのはちょっと」
そう言われると、それなりに説得力があるようにも思えてしまい、エレーナは渋々といった様子で諦めるのだった。
なお、ヴィヘラと行動することが多いビューネだったが、気を利かせたのか一緒に行くといったことは口にしない。
……もっとも、ビューネなのでもし口を開いても『ん』の一言だけだっただろうが。
「じゃあ、話は纏まったようだし、そろそろ行きましょうか。……エレーナ、安心してちょうだい。私がいるんだから、妙なことにはならないわよ」
そう言うマリーナだったが、そのマリーナが肩や胸元が大きく開いたパーティドレスを身に纏っており、強烈なまでの女の艶を発揮しているのだから、エレーナとしては素直にその言葉を信じられるかは微妙なところだった。
とはいえ、そのような強烈な女の艶を持つマリーナだが、その倫理観が意外と真面目なのも事実。
だからこそ、エレーナはマリーナの言葉に素直に頷くのだった。
「じゃあ、行きましょうか。レイ、セト籠を出して貰える?」
「分かった」
マリーナの言葉に、レイはすぐにミスティリングからセト籠を取り出す。
マリーナとヴィヘラはすぐにセト籠の中に入る。
「じゃあ、行くか。上手くいけばすぐに戻って来られると思う。ただし、それはあくまでも上手くいけばだけどな」
「うむ。こちらについてはトラペラの件もあるが、何かがあったら私も動こう」
レイ……正確にはセトとマリーナという、トラペラの存在を察知出来る者達が揃っていなくなるのだ。
正門前で行われた一件によって、結構な数のトラペラは倒された。
だが、まだ生き残っているトラペラがいる可能性は否定出来ないし、ギルム外からトラペラが侵入する可能性は十分にある。
その辺の諸々について考えれば、警戒する必要があった。
……もっとも、マリーナがいなければダークエルフの里に行っても信用されるかどうかは分からない。
セトがいなければ、それこそ冬である以上はダークエルフの里にいつ到着出来るかも分からない。
そんな諸々の状況を考えると、やはりトラペラの存在を察知出来るセトとマリーナがダークエルフの里に行く必要があるのは間違いなかった。
「じゃあ、セト。頼むな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せてと喉を鳴らす。
レイを背中に乗せると、セトは数歩の助走で翼を羽ばたかせながら上空に向かう。
やがてある程度の高さまで達したところで、方向転換。
地上に向かって降下していく。
そのまま地上に置かれているセト籠を掴み……再び上空に向かうのだった。
「穢れの件が終わったんだから、もうこの冬は特に何も面倒なことは起きないと思っていたんだけどな」
「辺境のギルムよ? 何もない平和な時なんて……そういうこともない訳じゃないけど、滅多にあることじゃないわ」
マリーナの言葉は、元ギルドマスターという経験があるだけに、強い説得力がある。
何より、レイがこのエルジィンに来て数年……冬になり、本当に何もないまま春になるということはなかったという経験がある。
もっとも、二人の話を聞いていたヴィヘラはトラブルがあった方が強敵と戦えるので楽しいといった様子だったが。
「そうかもしれないけど、穢れの件でかなり大変だったのは間違いないんだから、ゆっくりさせてくれてもいいと思うだろう?」
そう言いつつ、レイは木の枝を焚き火の中に放り込む。
夜の闇に包まれた洞窟の入り口にある焚き火、パチンという音を立てる。
時間は既に夜。
現在のレイ達は野営をする為に洞窟の入り口にいた。
このような洞窟の中には熊……あるいは他の野生動物や、場合によってはモンスターがいたりしてもおかしくはない。
だが、幸いにもこの洞窟の中にそのような存在はいなかった。
もっともそのような相手がいても、レイにしてみれば倒して食料にするだけだったが。
……万に一つの可能性だが、この洞窟を譲って大人しく出て行くのなら見逃したかもしれないが。
ともあれ、この洞窟にそのような相手はいなかったので、今日の野営はこの洞窟の中ですることになったのだ。
ただし、洞窟の中で直接寝るのではなく、マジックテントを使ってだが。
そんな訳で、現在夕食を終えたレイとマリーナ、ヴィヘラの三人とセトの一匹のみ。
「うーん、夜になったからモンスターが襲ってくるとか、そういう可能性はない?」
「ヴィヘラが何を期待してるのかは分かるけど、ここはもう辺境から出てるんだから、襲ってくるにしても盗賊だと思うわよ? もっとも、この季節に活動している盗賊がいるかどうかは微妙なところだけど」
マリーナの言葉に、ヴィヘラは面白くなさそうな表情を浮かべる。
盗賊の中にも強者はいる。
それこそ現在ダスカーの部下となっているエッグやその部下達がかつて盗賊だったように。
もっとも、エッグ達は盗賊は盗賊でも弱者は襲わない、一種の義賊とも呼ぶべき者達だったが。
せめて、そのような者達が襲ってきてくれないかと、ヴィヘラはレイがミスティリングから取りだした薪を焚き火の中に放り込むのだった。