3547話
結局スノウオークの死体はレイがギルドまで持っていくということになる。
ただし、それは午後からということになった。
何故なら、朝一番にレイに対する布告をするので、それが知れ渡るのにある程度の時間が必要だろうと判断された為だ。
ギルムの広さを考えると、半日程度でその件が完全に広がるというのは考えにくい。
だが、クリスタルドラゴンの件でレイと接触しようとしている者は、当然ながら相応の情報網を持つ。
そうである以上、ギルムにいる全員に布告の件が知られなくても、知るべき必要がある者達だけがそれを知ればいい。
ダスカーとしてはそう考えたし、レイもそれに異存はない。
それにレイにしてみれば、朝一にギルドに行くのは冬であってもそれなりに混雑している可能性が高い以上、出来れば遠慮したかった。
何より、真夜中に起きてスタンピードの鎮圧に向かい、それが終わって報告しているところで、再びトラペラの一件があったのだ。
それを思えば、午前中はまず間違いなく眠っているので、午後にギルドに行くというのは全く問題がないどころか、寧ろ望むところだった。
そうした訳で……
「ん……ふぁああああああ……」
ぐっすりと眠っていたレイは、睡眠時間に満足したのか起き上がる。
そのまま二十分程ぼうっとした後、ようやく動き出す。
いつもなら三十分程は寝惚けているのだが、それが多少なりとはいえ短くなったのは、昨夜のスノウオークとトラペラの一件があったからなのだろう。
ミスティリングから懐中時計を取り出して時間を確認すると、昼には少し早い時刻だった。
そうして簡単に身支度を整えると、部屋の外に出る。
「おはようございます、レイ様」
すると部屋の外では、メイドが一人待っていた。
そのメイドを見ても、レイは特に驚く様子はない。
部屋の中にいる時から、廊下にメイドがいるのは気配で分かっていたし、それを抜きにしてもそのメイドはレイにとって顔見知りのメイドだったのが大きい。
「ああ、おはよう。それで他の皆はどうしてる?」
この場合の他の皆というのは、ダスカーのこと……ではなく、エレーナやマリーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネといった、いわゆる身内の面々だ。
メイドもそれは分かっていたので、特に不機嫌になる様子もなく口を開く。
「皆様、応接室に集まっております」
「応接室に? そうか、なら俺も行くか」
メイドの言葉に少し意外に感じつつも、レイは応接室に向かう。
マリーナは自分の家の様子を確認しに、そしてヴィヘラは昨夜のスノウオークキングと、ついでにトラペラとの戦いの余韻からどこかに行ってるのではないかと思っていたのだ。
エレーナは貴族派を代表してギルムにいるという関係上、好き勝手に出歩くことは出来ないので、領主の館にいるのは特におかしなことではなかったが。
そんな風に思いつつ、昨日も使った応接室に行くと……食欲を刺激する香りが漂ってきた。
「美味そうな匂いだな」
「すぐにレイ様の食事を用意させて貰います」
レイの呟きを聞いたメイドが即座にそう言う。
それに感謝の言葉を発しつつ、レイは扉をノックし、中からの返事を聞いてから開ける。
応接室に入ると、ちょうどそこではエレーナ達が食事をしていた。
「おはよう、レイ。レイのことだからもう少し遅く起きるのかと思ったが、予想していたよりも早かったな」
そう言い、パンを千切る手を止めて笑みを浮かべるエレーナ。
レイは朝から見るエレーナの美貌に目を奪われそうになりつつも、そこで素直に言葉を返す。
「ああ、おはよう。やっぱり馴染みのない場所だし、昨日の今日……いや、時間的には今日の今日? とにかく夜中から朝方に掛けて色々とあったから、まだ興奮とかが残っていたのかもしれないな」
「レイがそんなに繊細かしら?」
「俺のどこが繊細じゃないと?」
マリーナにそう言い返しつつ、ソファに座る。
普段であれば椅子とテーブルなのだが、この応接室だとソファとテーブルとなる。
幸いなのは、応接室用のソファはかなり大きく、全員が座っても問題がないところだろう。
その為、レイも特に問題なく座れた。
するとアーラが即座に紅茶を淹れてレイの前に置く。
そんなアーラに感謝の視線を向け、紅茶を一口飲んでからメイドが食事の用意を終えるまで皆と話す。
「それで、今日はこれからどうするんだ? 俺は食事が終わったら少し休んで、それからギルドに行くけど」
「スノウオークの件ね」
マリーナの言葉に頷く。
昨日、この場にいた面々であれば、レイがギルドに行く理由は十分に理解してるだろう。
「そうなる。それが終わったら、セトとちょっと外に行く」
それはスノウオークとスノウオークキングの解体を行い、魔石を使う為だ。
ただ、ここにはレイとセトの事情を知らない者がいるので、具体的に何をするのかは話さない。
スノウオークの解体をするという程度なら、話しても問題はないのだが、それでも念の為だ。
「そっちの方がいいわね。ちょっと風の精霊で外の様子を確認したけど、それなりに大きな騒ぎになってるわよ?」
「だろうな」
マリーナの言葉に、レイはそう返す。
昨夜は色々と興奮していたし、自分ではあまり気が付いていなかったものの、改めて考えればギルムの領主であるダスカーが、クリスタルドラゴンの件でレイに接触しないようにと布告を出したのだ。
本来であれば、ダスカーの立場としては一人の相手に対して有利になるような布告をするのは問題だ。
それこそ、場合によってはそれによって他の貴族から責められるようなことがあってもおかしくはないくらいに。
これは貴族街にあるマリーナの家の周辺に監視を置くなというのとは訳が違うのだから。
そのような行為をしたのだから、その辺について知っている者は素直に驚くだろうし、知らない者でもその布告に驚きはするだろう。
特に実際にレイにクリスタルドラゴンの件で接触しようとしていた者達にしてみれば、青天の霹靂どころの話ではない。
実質的に、そのような者達がレイと交渉してクリスタルドラゴンの素材なり情報なりを手に入れることは不可能になったのだから。
勿論、絶対に不可能という訳ではない。
例えばレイの欲している何か……具体的にはレイが好むようなマジックアイテムとかを売るなりプレゼントするなりしてレイに好意を抱かせるようにすれば、その流れでクリスタルドラゴンの素材や情報を入手出来る可能性はある。
そしてレイがマジックアイテムを集めているというのはそれなりに知られている話だ。
……もっとも、レイにしてみれば本当に欲しいマジックアイテムをくれるかどうかは微妙なところだが。
レイが集めているのは、あくまでも冒険者として活動する上で実際に使えるマジックアイテムだ。
喫緊の物だと、エグジニスでどこぞの商会の若旦那とトラブルになった時、その謝罪の品として渡された従来よりも量が少なくて持ち運びに便利でありながら、効果も変わらないポーションのような。
もしくは、護衛用のゴーレムのような物でもいい。
だが、その辺りの事情について分からない者は、実用性のない、それこそ美術品のように持っているだけで他人に自慢出来るような、そんなマジックアイテムを持ってくる可能性があった。
もしくは、レイが集めている物では他に魔石も有名だ。
ただしこちらは、魔獣術で使う為のカモフラージュとしての趣味でしかない。
魔獣術で使うには、レイかセトが多少……本当に多少であっても戦闘に介入し、それで倒したモンスターの魔石が必要となる。
しかし、それが分からない者にしてみれば、単純にレイは魔石を集めているからということで、魔石を適当に持ってきてそれをレイに対する土産とする可能性もあった。
それを避けたいために、一応レイは魔石を集めているという件で、あくまでも自分が戦ったモンスターの魔石を集めているということにしてるのだが、それが分からない者、あるいはそれを知っていても魔石ならレイが喜ぶだろうと思う者はいない訳ではない。
「とにかく、まずは今日もう少ししてからギルドに行く時、どうなるかだな」
「問題がないといいけどね。私も一緒に行きましょうか?」
ヴィヘラがそう言うのは、何らかのトラブルになるのを楽しみにしてのものなのだろう。
それでトラブルになったことにより、戦いになったら自分が戦えるかもしれないと思っての言葉だった。
「昨夜の戦いで楽しんだ割には、随分と元気だな」
「そうね。スノウオークキングとの戦いは満足出来たけど、トラペラとの戦いはあまり好ましいものではなかったし」
「それを言うなら、もし俺がクリスタルドラゴンの件でトラブルになっても、ヴィヘラが満足出来るような敵が出てくるとは限らないぞ?」
寧ろ、ヴィヘラが満足するような相手というのは、スノウオークキングと同レベル、あるいはそれ以上の強さが必要だろう。
そうである以上、そのような強さの護衛を持つ者はそう多くはない。
ここがギルムである以上、それ以外の場所と比べれば強者が多いのは間違いないだろうが。
そういう意味では、ヴィヘラの狙いは決して悪い訳ではない。
「そうね。それでも万が一があった時の為に戦力は必要でしょう?」
「セトも一緒に連れて行くつもりなんだけどな」
セトがいれば、レイに……より正確にはセトに妙なちょっかいを出そうとすれば、セト愛好家の者達がそれを妨害する。
セト愛好家は一般人に多いが、それなりに大きな商会や貴族の娘や妻、まだ幼い子供……そんな者達もいる。
セト愛好家の面々を敵に回すのは、それこそ自殺行為に等しいのだ。
もっとも、中にはセト愛好家を敵に回してでもレイとクリスタルドラゴンの件について商談をしたいと、ダスカーの布告を無視してでも……と考える者もいないとは限らない。
そのような者達を相手にするのなら、ヴィヘラがいてもいいと思うが。
そう判断したレイは、期待を込めた目で自分を見てるヴィヘラに頷く。
「分かった。ヴィヘラがそこまで言うのなら、それで構わない。ただし、ヴィヘラが期待しているようなことが起きないかもしれないというのは十分に理解しておいてくれ」
「ええ、何があっても文句は言わないわ。……いえ、この場合は何もなくても文句は言わないわと言った方がいいのかしら?」
「好きにしろ」
ヴィヘラの言葉に呆れつつ、レイは食事を続ける。
料理人も、時間帯を考えてか料理はそこまで腹に溜まるものはない。
このような時間……昼までもう少しあるという時間に食事をする場合、朝食と昼食を一緒に食べる為にしっかりとした料理を出す場合と、昼食は別に食べる為に昼まで腹が減らない程度に軽い食事をするというパターンがある。
今日の朝食は後者で、パンと野菜とベーコンのスープと干した果実があるくらいだ。
とはいえ、朝食のメニューそのものは軽いものであっても、それを作っているのは領主の館で雇われている料理人だ。
その調理技術は一流で、簡単なメニューでも……いや、簡単なメニューだからこそ、その技量が存分に発揮されていた。
「美味いな……」
スープを飲んだレイは、しみじみと呟く。
レイのミスティリングの中にも、色々な店で売っているスープを鍋ごと、あるいはレイの持っている鍋に移し替える形で購入した物が入っている。
そのスープの種類は、三十種類以上になる。
それらのスープは、レイが実際に飲んで美味いと思えるようなスープばかりだ。
しかし、現在朝食のメニューとして出て来た野菜とベーコンのスープは、そんなレイが集めているスープと比べてもかなり美味いと思えるスープだった。
また、パンも焼いてからまだそれ程時間が経っていないらしく、囓れば香ばしい香りが口の中に広がる。
どちらも一口食べるとまた一口、もう一口といった具合に食べたくなるような、そんな料理だった。
「美味いな」
数秒前と同じ言葉を口にするレイ。
そんなレイの言葉に、他の面々も同意するように笑みを浮かべる。
食べているレイは美味いとしか分からなかったが、この野菜のスープは長時間、それこそ具の野菜が完全に崩れるまで煮込んでから、それをこして追加の野菜とベーコンという具材を入れて煮込むといった手間暇の掛かったスープだ。
濃厚な野菜の味と、ベーコンの持つ肉の旨み。
その双方を十分以上に楽しめるスープとなっていた。
「そう言えば、ダスカー様はどうしたんだ? まだ寝てるのか?」
「領主がそんなに寝坊出来る訳ないでしょ。もうとっくに起きて仕事をしてるわよ」
「……大丈夫か?」
昨夜、真夜中に起こされて睡眠時間は足りない筈だ。
そのような状況で仕事をして、身体を壊さないかとレイは心配するのだった。