3546話
結局風の結界内に存在したトラペラを全て倒すまではそう時間は掛からなかった。
まだ空は暗いままで、朝日が昇るまではそれなりに時間があるだろう。
ここまで容易にトラペラを倒すことが出来たのは、やはりマリーナの風の結界によってトラペラを閉じ込め、風の拘束によってトラペラを動けなくしたというのが大きい。
トラペラと戦う上で一番厄介なのは、高い防御力を誇る鱗もそうだが、やはり透明だということだろう。
透明で、しかも気配を殺すのも上手いトラペラは、まず見つけるのが難しい。
だが、風の拘束によってトラペラがどこにいるのかがしっかりと分かるのだから、トラペラの持つ脅威度は半減……いや、七割から八割減といったところだろう。
高い防御力を持つ鱗も厄介なのは間違いないが、それなら鱗に覆われていない場所を攻撃すればいい。
見えない以上はそう簡単なことではないが、正門前には元々スタンピード対策として多数の冒険者や警備兵、数は多くないが騎士もいた。
トラペラは風の拘束によって動けない以上、一対多で戦うのは難しい話ではない。
それによって、次々とトラペラを殺すことに成功したのだ。
「……よし。もう結界内にトラペラはいないわね。じゃあ、結界を解除するわよ」
最後に念の為に周囲の様子を確認してから、マリーナは風の結界を解除する。
すると、風の結界の周囲にいた冒険者や警備兵、騎士達がすぐに近付いてきた。
結界の内部にいた者達も、結界の外にそれなりに多数の者達がいたのは気が付いていた。
それらは、トラペラが正門の側に現れたということで、ダスカーが緊急に用意した戦力だろう。
しかし正門前まで来たものの、トラペラの侵入や逃亡を防ぐ為に用意された風の結界によって中に入ることが出来なかった。
そういう意味では、緊急の事態だとしてここまでやって来たにも関わらず、ただ見ていることしか出来なかったということになる。
とはいえ、それでも安心して見ていることが出来たのは、声は聞こえずとも外から見る限り、トラペラとの戦いが圧倒的に有利な状況で進んでいたからだろう。
もしこれで結界の中の戦いが不利な状況であれば、恐らく外にいる者達も何とか助けようと結界の内部に入ろうとしただろう。
「はっはぁ、どうだ? 俺の見事な戦いは!」
「はっ、よく言うぜ。お前があのモンスター……トラペラだったか? そいつの攻撃に当たりそうになったところはしっかり見えていたぜ」
風の結界が消失したことで、中で戦っていた者達と外で戦いを見ていた者達のうち、知り合いなのだろう冒険者達が話しているのがレイの耳にも聞こえてくる。
他にも同じような会話をしている者達がおり、レイはそんな会話を聞きながら、マリーナに声を掛ける。
「マリーナ、これからどうする? トラペラの一件は取りあえず片付いたし、領主の館に戻るか?」
「そうしたいところだけど……レイ、これでギルムにいるトラペラは全て倒せたと思う?」
「どうだろうな。見えないというのが何より厄介だ。ただ、こうしてわざわざ十匹以上が集まってきたんだから、多分ギルムにいる全部じゃないかとは思うけど」
マリーナも出来れば今回の一件で全てのトラペラを倒したと思いたいのだろう。
だが実際には、まだそう確信出来ない。
それが心配になって、レイに尋ねたのだろう。
「取りあえず、今この辺にもうトラペラがいないのは間違いない。暫くの間はトラペラが出て来ないかどうかを警戒して、それで暫く……それが具体的にどのくらいの間かは分からないが、とにかく暫くトラペラが出て来なかったら、心配はないと思ってもいいんじゃないか? その辺の判断は、それこそダスカー様とかに任せるしかないと思うけど」
「そうね。……精霊魔法を使える面々を集めて風の結界を張るという件、出来るだけ早く進めた方がいいと思うわ。あるいは、マジックアイテムの結界とか」
「俺の防御用のゴーレムの障壁が、それこそギルム全体を覆うことが出来ればいいんだけどな」
「無理を言わないの」
レイの持つ防御用のゴーレム……空を飛ぶボウリングの球のような外見を持つゴーレムについては、マリーナも知っている。
大きさに見合わぬかなり高性能なゴーレムではあるが、だからといってギルム全体を覆うような障壁を生み出すのが不可能なのは間違いない。
とはいえ、レイのゴーレムであると考えると、もしかしたら……という思いがそこにあるのは事実だったが。
何しろレイだ。
マリーナには理解出来ない何かが起きても、不思議ではないのだから。
「それで、そろそろ戻る?」
レイとマリーナの話に、そう割り込んで来たのはヴィヘラだ。
その表情に満足の色はない。
やはりスノウオークキングという極上の敵と戦った後では、トラペラとの戦いはそこまで楽しめなかったのだろう。
スノウオークキングとの戦いから数日が経過して、ヴィヘラの中にある戦闘欲が一度リセットされていれば、トラペラとの戦いも楽しめたかもしれない。
だが、スノウオークキングと戦ってから数時間もしないうちにトラペラと戦ってしまったのだ。
ヴィヘラにとっては、不運だったのだろう。
「そうだな。いつまでもこうしてここにいる訳にもいかないだろうし。……マリーナ、トラペラはもうこの周辺にはいないんだな?」
「ちょっと待って。……ええ、そうね。いないわ」
先程も風の精霊を使って周囲の様子を調べたマリーナだったが、再度風の精霊を使って周囲の様子を探る。
トラペラが透明で気配を殺すのも上手い以上、何度繰り返しても心配のしすぎということはないのだろう。
「セト、周囲にトラペラはいるか?」
「グルゥ? ……グルルゥ、グルゥ、グルルルルルゥ」
念の為にと、レイは更に追加でセトに尋ねる。
マリーナは風の精霊を使って周囲の様子を探索出来るが、セトの場合は魔力を感じるという能力を使って敵を探知出来る。
実際、レイが初めてトラペラと接触した時も、セトは離れた場所からトラペラの存在を察知し、レイにそれを教えたのだから。
そのセトであれば、マリーナの気が付かない何かを見つけられるかもしれない。
そう思って尋ねるレイだったが、セトは周囲の様子を探った後で首を横に振る。
それはセトであっても特に何かを見つけることは出来なかったということを意味していた。
「そうか。マリーナに続いてセトも見つけることが出来ないとなると、この辺にトラペラはもういないということで心配しなくてもいいのかもしれないな」
そこまでして、ようやくレイは安心する。
「じゃあ、戻るの?」
ヴィヘラの問いに、レイは頷く。
「そうなるな、いつまでもここにいても意味はないし」
「でも、レイ。トラペラの死体はどうするの? レイがミスティリングに収納していく?」
「……どうすればいい?」
トラペラが現れたと聞いたレイは、すぐにここまでやって来た。
そうである以上、トラペラの死体をどうするのかというのを決めていなかったのだ。
「そうね。そのままにしておいてもいいんじゃない? ダスカーの指示なり、ギルドの方で死体を収納すると思うし。どうしても心配なら、領主の館に行ってから聞いてみたら?」
「そうした方が手っ取り早いか。じゃあ、俺達は領主の館に戻るか。いつまでもここにいたら、朝になって起きてくる者達に妙な視線を向けられそうだし」
「……そうね」
レイの言葉に、マリーナが正門前を見てそう呟く。
正門前には冒険者と警備兵、騎士がそれぞれ結構な人数が集まっている。
戦闘が終わった興奮から、その場にいた者達が声高に話している者も多い。
この光景を、起きたばかりの者達が見たら一体何があったのかと疑問に思ってもおかしくはない。
……それで具体的に何があったのかを知れば、どう反応するのかといったことを心配に思ったりもするが。
「じゃあ……おーい、ちょっといいか?」
話が纏まったところで、レイは近くにいた騎士に呼び掛ける。
その騎士は最初自分が呼ばれているとは思わなかったが、話していた警備兵にレイに呼ばれていると言われて気が付く。
「はい、何でしょうか?」
「俺達がいつまでもここにいても意味はないだろうし、領主の館に戻ろうと思うんだけど、問題ないか?」
「えっと……トラペラはもう大丈夫なんですよね?」
「マリーナとセトがそれぞれ探索したから、大丈夫だとは思う。ギルムにまだ残っているかどうかは分からないけど、取りあえずこの周辺には問題ないと思う」
「そうですか。それなら安心ですね。分かりました。ここについてはこちらに任せて、皆さんは戻っても構いませんよ」
そう言う騎士にレイ達は軽く挨拶をして、領主の館に向かうのだった。
「そうか、話は分かった。トラペラの死体に関しては……どうする? ギルドの方で必要か?」
領主の館の応接室で、ダスカーはレイ達から事情を聞いた後、ワーカーに向かって尋ねる。
ワーカーはそんなダスカーの問いに、すぐに頷く。
「はい、トラペラについては分かっていないことが多いので、そうして貰えると助かります」
ワーカーにしてみれば、トラペラについてはスノウオーク以上に謎の深い存在だ。
そうである以上、トラペラの生態について調べたいと思うのは当然だった。
日中の一件で生きたトラペラを一匹入手してはいるが、生きている状態では調べられないことも多い。
具体的には、解体してその体内の構造について調べるといったように。
だからこそ死体を回して貰えるのなら、しっかりと調べたいと思うのはギルドマスターとして当然の話だった。
また、これはダスカーにとって悪い話という訳でもない。
「分かった。だが、トラペラについて何か分かったらこちらにも情報を渡して貰うぞ。トラペラの死体のうち、こちらの判断で対処出来るもののはその条件で全てギルドに渡そう」
ダスカーにしてみれば、トラペラの死体を貰っても特に使い道はない。
どうにかして使うとなれば、それこそ食用になるのなら肉を食べるか、あるいは魔石や素材をギルドなりどこかの商人なりに売った金で臨時の給金として騎士や警備兵に支払うか、あるいは緊急依頼を受けた冒険者の報酬とするかといったところだろう。
これが死体になったことで透明にならなくなったら剥製か何かにして、珍しい物を集めている貴族に贈り物とすることも出来るのだが。
そんな訳で、ダスカーとしてはトラペラの死体はあっても迷惑……とまではいかないが、手間暇を掛けてまでどうにかしたい代物ではないので、ギルドに引き取って貰えるのなら不満はない。
それどころか、感謝すらされるのだから。
「そう言えば、スノウオークの死体はどうする? 売るって話になっていたけど、ここに置いていけばいいか? それとも明日……いや、もう今日になるのかもしれないが、ギルドに持っていけばいいのか? もっとも、ギルドに持っていく場合はスタンピードの件の報酬として、ダスカー様に動いて貰ってからになるけど」
レイがスノウオークのスタンピードの対処を引き受けたのは、未知のモンスターということで魔石を欲したというのもあるが、同時に報酬としてクリスタルドラゴンの件でレイに接するのを禁止すると命じる件もあった。
レイとしては、後者の方が大きな理由となるだろう。
それだけ、レイはクリスタルドラゴンの件で自分に接触しようとする者達は邪魔だったのだから。
現在は貴族街にあるマリーナの家の周囲に見張りを置かないということになっており、それに関連して貴族街ではレイに接する者はいない……訳ではないが、以前よりは明らかに少ない。
それとプラスして、明確にクリスタルドラゴンの件でレイに接触するのをダスカーが禁じれば、レイも自由に街中を歩けるようになる。
勿論、そうしてダスカーが禁じたからといって全員が素直にその言葉に従うとは限らない。
だが、ダスカーからそのような布告が出されているにも関わらずクリスタルドラゴンの件でレイに接触してくる者がいた場合、それこそレイがその相手を捕らえても……あるいは攻撃しても、問題にはならない。
そういう意味で、ダスカーからの布告というのはレイにとって大きな意味があった。
「ダスカー様、どうでしょう?」
「……分かった。明るくなったらその辺について指示をしておこう。ただし、レイならそうすることはないと思うが、もしその件を理由に何の罪もない相手を攻撃したり捕らえて警備兵に突き出すといったことをした場合、こちらも相応の措置を執る。それは分かっているな?」
確認の意味も込めてそう言うダスカーに、レイは頷くのだった。