3543話
「ふむ、このスノウオークというのは、戦うとなると厄介な存在になりそうだな」
床の上に置かれているスノウオークの死体を見て、ダスカーが呟く。
オークについては、ダスカーも見たことがある。また、騎士だった若い頃には実際に戦ったこともある。
そんなダスカーから見ても、スノウオークは明らかに普通のオークよりも大きく、正面から戦えばそれなりに苦戦するのは間違いなかった。
「ダスカー殿の騎士なら勝てるのではないか?」
エレーナの問いに、ダスカーは少し考えてから口を開く。
「恐らく勝てるだろう。だが、もしスノウオークが襲ってきた場合、戦うのは警備兵が主力となる。そうなると……どうだろうな」
ダスカーも、ギルムで働いている警備兵の練度の高さは知っている。
知っているが、それでも警備兵がスノウオークを倒せるかと言われれば、微妙なところだろうと思う。
何より、斬撃耐性を持つ体毛が非常に厄介だ。
それでも一匹や二匹といった数なら何とかなるかもしれない。
しかし、それが今回のスタンピードのように数百匹となれば……警備兵だけで対処するのはそう簡単な話ではないだろう。
「斬撃耐性は厄介ですけど、それはつまり耐性があるのは斬撃だけなので、棍棒とかそういう打撃系の武器を使えば対処出来るかと。もしくは、あくまでも耐性であって無効化とかそういうのではないので、腕の立つ者なら長剣とかでも普通に斬り裂けると思います」
「……助言は嬉しいが、警備兵の中にそこまで腕の立つ奴は……いない訳ではないが、それでもかなり少ないぞ。とはいえ、打撃系の武器か。その辺なら対処は難しくないか。それで、ブレスを使うという話だったが、そちらはどうだ?」
「アイスブレスはその名の通り冷たい息だったわ。ただし、アイスブレスの中には氷の破片も混ざってるから危険よ」
ブレスについての質問に答えたのは、レイではなくヴィヘラ。
実際に自分がスノウオークキングと戦い、ブレスを使われたからこその意見だろう。
その説明に、話を聞いていた者達は納得する。
特にワーカーは、スノウオークの上位種が放つアイスブレスについての情報をしっかりと入手出来たのは嬉しかったらしく、笑みを浮かべている。
「ヴィヘラ殿、アイスブレスを使った上位種は何匹くらいいたのか分かりますか?」
ワーカーのその問いに、ヴィヘラはどう言えばいいか少し迷い、レイに視線を向ける。
そこで俺かよと思ったレイだったが、どうしてもヴィヘラに任せたい訳ではないし、出奔したとはいえ、ベスティア帝国の元皇女のヴィヘラに説明させるのはどうかというヴィヘラやワーカーの考えも理解出来たので、素直に説明を引き受ける。
「スノウオークそのものは数百匹いたけど、上位種は一匹だけだった。……いや、見て分かるくらいの上位種という意味ではだけど」
もしかしたら、上位種や希少種でも外見は普通のスノウオークとそう違わない個体もいたかもしれないが、それについては後で解体する時に調べるしかないとレイは思っていた。
「その上位種は?」
「スノウオークキングだとは思うけど、確証はない。ただ、他のスノウオークよりも明らかに大きくて、魔剣を手にしていたんだ。それにヴィヘラと戦ってかなりいい勝負をしたのを考えると、多分スノウオークキングで間違いないと思う」
「それはつまり……もしヴィヘラ殿が戦った個体がスノウオークキングではなかったとしたら、実際のスノウオークキングはランクA……いや、場合によってはランクSモンスターの可能性もあると?」
嫌そうな表情で言うワーカー。
ギルドマスター……それもギルムのギルドマスターとしては、とてもではないがそのようなモンスターの存在は受け入れたくないのだろう。
せめてもの幸運は、スノウオークそのものがそう滅多に出没することがないということだろう。
(というか、もしあの数百匹の中に、外見からは判別出来ないような希少種や上位種がいた場合、魔獣術で魔石を使うのも厄介極まりないということになるんだが)
何しろ数百匹だ。
その全てを解体するだけでもかなりの手間だろう。
……ドワイトナイフがあるから、かなりの手間という程度でどうにか出来るのだが。
とにかく数百個の魔石の全てをセトとデスサイズで試すのは、レイにとっても……そして実際に魔石を飲み込むセトにとっても面倒さだけがそこにはある。
それでいながら、全ての魔石を使って結局何も新たなスキルの習得やレベルアップがなかったら、精神的にがっくりとくるのは間違いない。
レイとしては、スノウオークの群れを倒すよりも圧倒的にダメージが多いような気すらしてしまう。
(いや、大丈夫。多分その辺は問題ない。スノウオークキング以外は全部ただのスノウオークの筈だ)
半ば自分に言い聞かせるように、そう考える。
それが実際に正しいのかどうかは、レイにも分からない。
ただ、そうであって欲しいと祈っているだけだ。
「レイ?」
「あ、いや。何でもない。スノウオークの群れの解体が大変になると考えていただけだ」
それは嘘でもないが真実でもない。
ワーカーもレイの様子から何となくそれは分かったが、ここでは突っ込まない方がいいと判断したのか、それ以上レイが黙っていた件についての追及は行わなかった。
「それで、結局ヴィヘラ殿が戦った個体がスノウオークキングと考えてもいいのか?」
「恐らくだけど、俺はそう思う。……なんなら、実際に死体を見てみるか? このスノウオークの死体のように売ることは出来ないが、見せるくらいならいいぞ」
レイの言葉に、ワーカーは期待を込めた視線をダスカーに向ける。
もしここが領主の館ではなくギルドであれば、それこそワーカーはダスカーの許可を貰わずにレイにスノウオークキングの死体を見せてくれるように頼んだだろう。
それだけスノウオークキングと思しきモンスターの死体は大きな意味を持つ。
それこそ死体をそのまま売ってくれるのなら、ギルムの冒険者から見ても驚くような値段で買い取ってもいいと思える程に。
だが、これまでのレイの様子から考えると、とてもではないがその要望を受け入れるとは思えない。
だからこそ買い取ることは出来ずとも、何とか死体を自分の目で見て、多少でもいいので情報を仕入れたいと思ったのだろう。
この辺、ワーカーの賢いところだ。
ギルドによってはギルドマスターとしての強権を振るい、そのモンスターをギルドに売れと命令してきたりもする。
もっとも、ワーカーはマリーナが自分の後継者にと認めた人物だ。
そのようなことをする筈もなかったが。
「構わん。俺もスノウオークキングは見てみたい」
ダスカーの許可も出たので、レイはスノウオークの死体をミスティリングに収納する。
これはギルドが買い取るということになっていたのだが、スノウオークキングの死体を出すのに邪魔だった為だ。
入れ替わるように、スノウオークキングの死体がミスティリングから出されると……
『おお』
それを見ていた者達の口から、揃って驚くような声が上がる。
スノウオークキングの死体は、それだけの迫力があったのだろう。
既に死体になっていても、その身体から感じる迫力は、レイがランクAモンスターと認識しただけのことはあった。
外見だけなら、普通のスノウオークと比べてかなり大きいが、言ってみればそれだけだ。
例えば角が生えていたり、牙が巨大だったり、額に第三の目があったり、もしくは背中からもう一対の腕や羽根が生えていたり……といったようなことはない。
単純に、普通のスノウオークをそのまま巨大化したようなものでしかない。
だがよく見れば、体毛は普通のスノウオークと比べても上質な白い毛だと分かるし、その身体を覆う筋肉も通常のスノウオークよりも明らかに密度が濃い。
そんな諸々を考えると、スノウオークキングの存在がどれだけの強さなのかは死体からでもすぐに分かった。
「これは凄いな」
エレーナがしみじみと呟く。
姫将軍として色々な相手と戦った経験のあるエレーナだったが、そのエレーナの目から見ても一目置くといったように感じるだけの能力を持っているのは明らかだ。
「ヴィヘラはこれを相手に無傷で倒したのね」
マリーナが驚きの視線をヴィヘラに向ける。
夜中に起こされてまだ眠そうだったビューネも、ヴィヘラが倒したということでスノウオークキングの死体を見て、ヴィヘラに尊敬の視線を向ける。
普段表情を変えることがないビューネだけに、誰の目から見ても分かるその表情の変化は、それだけビューネが今回の一件を凄いと思っていることの証だろう。
「強かったわ。久しぶりに充実した戦いだったわね」
スノウオークキングとの戦いについて思い出しているのだろう。
ヴィヘラの口調にはうっとりとしたものがある。
戦闘狂のヴィヘラをこれだけ満足させたのだから、スノウオークキングがどれだけのモンスターなのかは分かりやすい。
「なるほど。この死体を見ただけでも、確かにこの個体はスノウオークキングだと言われても納得出来ますね」
ワーカーがスノウオークキングの死体を見て、しみじみと呟く。
その表情には、出来ればこの死体を欲しいという思いが浮かんでいる。
浮かんではいるが、だからといってレイがそれに頷くようなことはなかったが。
「毛も外見だけではなく、触った感触からしても普通のスノウオークとは違いますね。普通のスノウオークには斬撃耐性がある筈でしたが、このスノウオークキングはそれ以上の防御力を持っていたのでは?」
「ええ。私の武器……」
そう言い、ヴィヘラは手甲に魔力を流す。
すると次の瞬間、そこには魔力によって出来た鋭い爪が生み出される。
「この爪を使ったけど、スノウオークキングの毛には全く通じなかったわ」
「普通の刃物だけではなく、魔力で出来た爪での攻撃にも耐性があるのですか。そして、その毛で身体全体が覆われている……よく倒せましたね」
「浸魔掌があるから」
あっさりとヴィヘラは自分がどうやってスノウオークキングを倒したのかを説明する。
本来なら、浸魔掌というのはヴィヘラの奥義とも呼べる技だ。
それを教えるというのは、文字通りの意味で自分の奥義を教えるということを意味している。
だが……ヴィヘラの浸魔掌は、どういう技なのかを理解したところで対策するのは非常に難しい。
何しろヴィヘラの手に触れられれば、その時点で浸魔掌を使われ、幾ら強力な防具を持っていてもそれを無視して体内に直接衝撃を放たれるのだから。
勿論、それは触れられなければ浸魔掌を使われないという意味では、前もってそれを知っているかどうかではヴィヘラと敵対する上で大きな意味を持つかもしれない。
しかし、それを知っているからといって、近付いてくるヴィヘラに触れられないかは……別問題だろう。
体術に特化しているヴィヘラだ。
それこそ近付くのを阻止するというだけでヴィヘラと敵対した相手は多大な労力を必要とするだろう。
寧ろ浸魔掌というスキル……それも一度だけで致命傷となるだろうスキルを持っているということをブラフとして、相手を翻弄することも出来る。
ヴィヘラのような強者がそのようなことをしたら、どうなるか。
とてもではないが、戦っている方にしてみればそんなことに対処するのは難しいだろう。
腕の立つ者であれば、もしかしたら不可能ではないかもしれないが、それでも決して楽なことではない。
その為、ヴィヘラは自分の奥の手について絶対に情報を秘匿するといったようなことはせず、聞かれればそれなりに答えていた。
「もっとも、浸魔掌も一発だけで倒すことは出来なかったけど。特に大剣の魔剣によって、戦闘時間が長引けば、それだけ向こうも回復するのが厄介だったわね」
「大剣の魔剣……先程言っていた奴ですね。回復能力を持つ魔剣というのは珍しい。……話を聞くだけでもかなり厄介な相手ですね。さすがスノウオークキングと言うべきか」
ヴィヘラの言葉にしみじみと呟くワーカー。
そうしてふと気が付くと、レイに視線を向ける。
「どうした?」
ワーカーの視線にレイはどうしたのかと疑問に思う。
するとワーカーは、少し躊躇いつつも口を開く。
「スノウオークキングが使っていたという大剣の魔剣……もしレイが使わないのなら、ギルドに売って欲しい」
ワーカーがそう言ってくる気持ちはレイにも理解出来る。
回復する方法としては、ポーションの類もある。
だが、ヴィヘラの浸魔掌を食らっても回復出来る能力を持つ魔剣というのは、ギルドにとっても欲しいと思うのは当然だろう。
だが、レイは首を横に振る。
「ヴィヘラとの戦いで壊れてな。魔剣としてはもう使い物にならない」
レイの言葉に、ワーカーは心の底から残念そうな表情を浮かべるのだった。