3540話
「へぇ……さすがヴィヘラだな」
レイはスノウオークキングとヴィヘラの戦いが行われている場所から十分に距離をとった場所で、戦いを見学しながら言う。
最初はもう少し近くで様子を見ていたのだが、戦いが激しくなるに連れてまるでそれに合わせるように吹雪が収まってきた為に距離を取ったのだ。
あのまま戦闘を眺めていてもよかったのだが、そうなると戦闘の余波で何らかの被害を受ける可能性もあった。
具体的には、スノウオークキングのアイスブレスによって。
また、それ以外にも地戦場の近くにいたスノウオークの死体は既にミスティリングに収納し終わったというのも、その場から移動した理由の一つだ。
レイが予想したように、二十mの高さから落ちたスノウオークの中にも何匹かはまだ息はあった。
とはいえ、こちらも予想通りあくまでも息があるというもので、スノウオークキングとヴィヘラの戦いに乱入出来る程の状態ではなかったが。
そのような相手だけに、レイも息の根を止めるのはそう難しいことではない。
結果として、まだ生き残っていたスノウオークはその全てがあっさりと殺されてしまうことになるのだった。
「グルゥ……」
レイの側では、セトもまたヴィヘラの行動に驚いて喉を鳴らしていた。
そんな一人と一匹の視線の先では、一度スノウオークキングから距離を取ったヴィヘラが再度接近し、拳を、肘を、蹴りを、膝を放っていた。
それらの攻撃は、その辺のモンスターであれば一撃で死んでもおかしくはない威力を持つ。
だが、さすがランクAモンスターと言うべきか、ヴィヘラの放つ一撃必殺の連続攻撃を食らいつつも、スノウオークキングは倒れない。
斬撃に耐性のある体毛があるのも大きいのだろうが、それでもダメージが皆無という訳ではない。
攻撃が続けば続いただけ、ダメージは蓄積していく。
だが、スノウオークキングはそれでも決して退かない。
そして……確実に防ぐのは、ヴィヘラが連続攻撃の中に混ぜる浸魔掌の一撃だけ。
先程背中に食らった一撃で、浸魔掌が自分にダメージを与える……場合によっては殺せるだけの威力を持っているのは理解しているのだろう。
だからこそ、スノウオークキングは浸魔掌の一撃のみを大剣で……より正確には大剣の残骸で弾く。
迂闊に手で弾こうとした場合、浸魔掌の性質上弾いた手にダメージを与える可能性がある。
その為、スノウオークキングは半ばから折れた大剣の残骸を利用したのだろう。
そんな戦いを見ながら、スノウオークの死体をミスティリングに収納していたレイだったが、ふと疑問を抱く。
「怪我が治っていない?」
ヴィヘラの攻撃によって、スノウオークキングはダメージが蓄積している。
それはレイにも分かっているのだが、今回疑問に思ったのは表面の部分だ。
スノウオークキングの体毛は非常に強力な防具となっているが、それでも本当に全身を覆っている訳ではない。
手の平であったり、目や鼻、口の周囲であったりと、体毛に覆われていない部位もある。
そのような部位は、ヴィヘラの攻撃で腫れたり、斬り裂かれたりといったように見て分かるような負傷がある。
だが、スノウオークキングは先程背中に浸魔掌の一撃を食らっても、即座にではないにしろ、アイスブレスを放っている間にダメージを回復していた。
戦っているヴィヘラが気が付いたことは、外から見ているレイにも十分に理解出来た。
つまり、スノウオークキングは何らかの方法によって自分を回復していた。
だというのに、今は怪我をした部分が回復する様子はない。それはつまり……
「大剣、か」
「グルゥ?」
レイの呟きに、セトはどうしたの? と喉を鳴らす。
レイはそんなセトを撫でつつ、激しい戦いを続けているヴィヘラとスノウオークキングを見ながら口を開く。
「多分だけど、ヴィヘラが折ったあの大剣……ただの武器じゃなくて、魔剣だったんだろうな。使用者を回復させるという能力を持つ。そういうのも魔剣と呼んでいいのかどうかは分からないけど」
レイが魔剣と言われて思い浮かぶのは、それこそ飛斬のように斬撃を飛ばす能力であったり、刀身を炎に包んだり、相手にダメージを与えた時に追加で何らかの効果を発揮したりという、明確に攻撃に寄った物だ。
使用者を回復させる能力を持つ物を魔剣と呼んでいいのかどうかは、微妙に分からない。
分からないが、それでもマジックアイテムを集める趣味を持つレイにとって、非常に惜しいと思えるのは間違いなかった。
(ヴィヘラもそれを知らなかったから、取りあえず武器を破壊する為に折ったんだろうし)
ヴィヘラにしてみれば、スノウオークキングの振るう大剣は非常に厄介な威力を持つ。
そうである以上、その武器を使えなくするというのは当然の考えだし、ヴィヘラには大剣を破壊出来るような手段の持ち合わせもあった。
そうなると、大剣を壊さないという選択肢はヴィヘラの中になかったのだろう。
あるいは、上手い具合にスノウオークキングが大剣を持っている右手に浸魔掌を命中させることが出来れば、大剣を手放させることも出来たかもしれないが、それは無理だと判断して大剣を直接破壊したのだろうと思われた。
そして……スノウオークキングの大剣が破壊され、回復能力がなくなったことによって戦局は次第にヴィヘラに傾いていく。
スノウオークキングも大剣を使った攻撃以外に攻撃方法がない訳ではない。
拳や蹴り、場合によっては爪の一撃もある。
その鋭い爪は、スノウオークの持つ膂力も合わさり、その辺の金属鎧程度は容易に斬り裂くことが出来るだけの威力と鋭さを持っている。
だが……ヴィヘラを相手にする場合、相性が悪いとしか言えなかった。
何しろヴィヘラは格闘こそが戦闘スタイルだ。
それに比べ、スノウオークキングはあくまでも大剣を使った戦闘が前提で、格闘は出来ない訳ではないが、それでも決して得意という訳ではない。
そんな一人と一匹の勝負……それも回復も出来ない状態では、戦局が傾くのは当然の話だった。
戦局がもうどうしようもない状態となり、スノウオークキングは必死になって抵抗する。
既に大剣の残骸も幾度か受けた浸魔掌によって破壊されており、魔剣で残っているのは折れた刀身の半ばだけだろう。
レイにしてみれば、かなり残念な結果になったが……まさかスノウオークキングの持ってる大剣が魔剣だとは思わなかった以上、レイはヴィヘラを責めるつもりはない。
最初からそれが分かっていれば、レイも多少はヴィヘラにアドバイスが出来たかもしれないが。
それはもう今更の話だ。
そして戦いの時間が経過し……動きの鈍ったスノウオークキングに対してヴィヘラは跳躍し、その頭部に向けて浸魔掌を放つことによってその勝負は終わるのだった。
「お疲れさん」
戦いの最中にスノウオークの死体を全てミスティリングに収納したレイは、スノウオークキングの前に立つヴィヘラに向かって声を掛ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ……ええ、充実した時間だったわ」
レイの言葉に、ヴィヘラは荒く息を吐きながら、それでも何とか呼吸を整えて言う。
その表情にあるのは、言葉通り満足そうな……それでいて淫悦とでも評するのが相応しい表情。
初めてヴィヘラを見る男が……いや、初めてではなくても、その辺の男が今のヴィヘラを見れば、それだけで欲情を抱くだろう、そんな表情。
本人にその気はないのだろうが、まさに目に毒といった様子だった。
「そうか。楽しんだようで何よりだ」
そう言い、レイはミスティリングから取り出した果実水の入ったコップを渡す。
激しく動いた為だろう。
ヴィヘラの身体からは汗が白い湯気となって漂っていた。
そのような状態だけに、ヴィヘラはレイから渡された果実水を一気に飲む。
身体の隅々まで広がるかのような、果実水。
その感触を楽しみつつ、ヴィヘラは地面に倒れたスノウオークキングに視線を向ける。
既にそこに生命はなく、死体だ。
そんなスノウオークキングの死体に向けるヴィヘラの視線には感謝の色がある。
スノウオークキングとの戦い……それもレイやマリーナと行うような模擬戦ではなく、本当の意味で命懸けの戦い。
それはヴィヘラの中にとてつもない充実感をもたらしていた。
そのような時間をもたらしてくれたスノウオークキングは、ヴィヘラにとって感謝すべき相手だったのだろう。
「とにかく、これでスタンピードは終わったんだよな?」
「……え? ああ、そうね」
レイの言葉に、ヴィヘラが少し戸惑ったように言う。
それを見て、ヴィヘラはスノウオークキングとの戦いの中で完全にスタンピードについては忘れていたのだろうと、レイは考える。
ただし、スタンピードを起こしたスノウオークを率いる相手を倒している以上、その件についてレイが責めたりはしない。
やるべきことはしっかりとやってるのだから。
「けど、最初にレイが作った壁を迂回した個体は本当にいなかったの?」
「吹雪とかあったから、絶対にいなかったとは言えないけど、多分大丈夫だとは思う」
「それにギルムでも一応準備をしてる筈でしょう? 数匹程度なら、多分どうにでもなると思うわ」
「ダスカー様の方でも対処の準備をしていくと言っていたしな。ある程度の戦力は用意出来てるか。……じゃあ、取りあえずここでの用事も終わったし、ギルムに戻るか?」
そう聞きつつ、レイはスノウオークキングの死体をミスティリングに収納する。
レイとしては、出来ればスノウオークとスノウオークキングの魔石だけでも取り出してスキルの習得なり強化なりをしておきたいところだったが、ギルムでは今もスタンピードに対抗する為に準備をしている筈だった。
不安に思ってる者も多いのだから、少しでも早く戻って安心させてやりたいとも思う。
(それに、トラペラの件もある。……もしまだギルムに潜んでいる個体がいたら、あるいは今回の騒動で何か動きを見せている可能性もあるかもしれないし)
スタンピードが片付いた今、トラペラが一番厄介な存在なのは間違いなかった。
とはいえ、レイとマリーナがギルムの中を散々歩き回って、結構な数のトラペラは既に殺されている。
そうである以上、残っていても少数……出来ればいなくなっていて欲しいというのがレイの正直な思いだったが。
「そうね。もしかしたら、ギルムでトラペラと戦えるかもしれないし」
「まだその気だったのか。スノウオークキングと戦って満足したんじゃないのか?」
レイとマリーナがギルムの中を回ってトラペラを倒していた時、ヴィヘラもレイやマリーナとは別口でトラペラと戦う為に行動していた。
結局レイやマリーナとは違い、ヴィヘラはトラペラを見つけて戦うことは出来なかったのだが……今の言葉からすると、ヴィヘラはまだトラペラと戦うのを諦めた訳ではないらしい。
スノウオークキングというランクAモンスターとの戦いである程度ヴィヘラの戦闘欲は満足してるのかと思っていたのだが、残念ながらそうはならなかったのだろう。
あるいは強敵との戦いを以前から何度も行っていれば、もう少し話は違ったかもしれないが。
もしくは、スノウオークキングとの戦いでヴィヘラが何らかのダメージを受けていても、話が違ったかもしれない。
スノウオークキングの一撃は、命中すればそれだけでヴィヘラにとって致命傷となるような威力を持っていた。
元々ヴィヘラはレイと同様に敵の攻撃を防ぐのではなく、回避するという戦闘スタイルだ。
それだけに、スノウオークキングの攻撃は当然ながらほぼ全て回避していた。
そのお陰でスノウオークキングとの戦いを無傷で勝利している。
何も知らない者が戦闘結果だけを見れば、ヴィヘラがランクAモンスターのスノウオークキングに無傷で勝利した……つまり圧倒したと思われてもおかしくはない光景。
だが実際には、ヴィヘラも決してそこまで余裕があった訳ではない。
大剣の一撃は、触れればそれだけでヴィヘラに大きな……場合によっては致命傷となってもおかしくはない一撃を与えるのだから。
それだけに、結果とは違ってヴィヘラが勝利したのは余裕があってのものではなく、かなり綱渡りをした状態での勝利となる。
「そうね。スノウオークキングとの戦いが楽しかったのは事実よ。……まさか、浸魔掌を使ってもそこまで大きなダメージを与えられないとは思っていなかったし」
「あの大剣が回復魔法を使える魔剣だったんだろうな」
「……ごめんね」
レイの言葉に、ヴィヘラが少しだけ申し訳なさそうな様子で謝罪の言葉を口にする。
ヴィヘラもレイとの付き合いは長いだけに、レイにマジックアイテムを集める趣味があるというのを理解していたからこその言葉だ。
しかし、レイはそれに対して首を横に振る。
「気にするな。戦いの中での出来事だし、しょうがない。それに……残骸であっても、使い道はあるかもしれないしな」
レイはスノウオークキングの死体を収納した時、ついでに魔剣も回収している。
それはいつか何かに使えるのではないかというのが、レイの予想だった。