3539話
身長三m程のスノウオークキングが持っても大剣と呼ぶに相応しいその武器は、触れればヴィヘラ程度は容易に吹き飛ばすだろう。
それは刃に斬り裂かれるといったようなことではなく、それこそ刃のない場所……大剣の中心部分であったり、あるいは大剣の柄であったりしても、命中すればヴィヘラは吹き飛ばされてしまう。
スノウオークキングに近付くヴィヘラも、それは十分に理解していた。
相手は恐らくランクAモンスターなのだから、そのくらいの力はあってもおかしくはないだろうと。
だが……それでも雪と土が混ざり合った地面を踏み締め、多少は弱まったとはいえ吹雪と、レイの使った霧の音によって生み出された霧が幾らか残っている中を進む。
その表情には、ランクAモンスターと戦うという行為に対しての恐れはない。
それどころか、滅多にない強敵との戦いへの興奮によって、凄絶なまでの色気を放っていた。
強敵との戦いを心から楽しみにしている、戦闘狂としてのヴィヘラの顔がそこにはある。
スノウオークキングも、自分に向かってくる敵が本物であると、自分を倒せる実力を持つ者だと判断したのだろう。
威嚇も込めて大剣を振るうのを止め、ヴィヘラに向かって大剣を構える。
片手で大剣を手にしているが、その切っ先が揺れることはない。
それはつまり、スノウオークキングが片手でその大剣を完全に扱えるということを意味していた。
……実際には片手で持てたからとはいえ、完全に扱えるかどうかは分からない。
だが、スノウオークキングの前……大剣の攻撃範囲のすぐ外で足を止めたヴィヘラにしてみれば、スノウオークキングがその大剣を片手で自由に使えるだろうというのは本能的に予想出来た。
あるいは戦闘狂の勘なのかもしれないが。
「出来れば言葉を交わしたかったとこだけど……言葉が通じない以上は仕方がないわね」
周囲が闘気や殺気で張り詰めていくにも関わらず、ヴィヘラはスノウオークキングに向かってそう声を掛ける。
……それでいながら、ヴィヘラもスノウオークキングに負けない程に闘気や殺気をその身から放っていたが。
スノウオークキングを前に構えていたヴィヘラは、一歩踏み出す。
その一歩は、何気ない一歩であると同時に、ヴィヘラの歩法による一歩。
普通の者なら、それこそヴィヘラが一体どのように一歩を踏み出したのか分からないだろう、そんな一歩だ。
だが同時にそれだけの歩法であっても、スノウオークキングの大剣の攻撃範囲内に入ったのは事実。
それを察したスノウオークキングは、構えていた大剣を振るう。
先程までの威嚇のように振るったのではなく、相手を殺す為の一撃。
それこそ普通の長剣……いや、短剣を振るったのと同じような速度での一撃だったが……
「甘いわね」
身体を揺らし、大剣の一撃を回避しながらヴィヘラは前に出る。
スノウオークキングの一撃が鋭く、素早く、そして威力もあるのは間違いない。
だが、ヴィヘラはレイと数え切れない程の模擬戦を行っているのだ。
レイの振るうデスサイズの一撃と比べれば、スノウオークキングの一撃は鈍く、遅く、軽い。
初めてスノウオークキングと戦う者にしてみれば、それこそ予想外の速度の一撃によって回避も出来ずにまともに食らうかもしれないが、ヴィヘラにしてみればレイの下位互換の一撃でしかない。
それを示すように、ヴィヘラは容易にスノウオークキングの一撃を回避しながら前に進み、相手の懐に入る。
大剣という武器はその大きさ故に、相手に近付かれるとその威力を殺される。
とはいえ、スノウオークキングもそれを承知の上で大剣を使っているのだ。
手に持つ柄でヴィヘラを打つべく反撃の一撃を出し……同時に空いていた左手をヴィヘラに向かって振るう。
だが、続くそのような攻撃もヴィヘラはその服装が示すかのような踊り子のような見事な動きで回避しつつ、手始めに斬撃耐性を持つと言われる毛の頑丈さを確認すべく手甲に魔力の爪を生み出し、振るう。
ギャリィッ、と。
そんな音が周囲に響く。
とてもではないが、毛に武器を振るった結果出る音ではない。
ただ、ヴィヘラは自分の一撃がスノウオークキングに効果を発揮するとは思っていなかったのだろう。
魔力の爪による一撃を放ちつつ、すれ違うようにスノウオークキングの後ろに回り込み……
後ろに回り込まれたと知ったスノウオークキングが、左手で裏拳……というよりは肘による一撃を放つが……
「はぁっ!」
肘の一撃がヴィヘラに命中するよりも前に、ヴィヘラは相手の背中に一撃を放つ。
それもただの一撃ではなく、浸魔掌による一撃だ。
スノウオークキングの体毛が魔力の爪による一撃すら弾く強靱な防御力を有しているのは間違いない。
だが……ヴィヘラにしてみれば、そのような高い防御力を持つ相手との戦いというのは得意分野だ。
ヴィヘラの放つ浸魔掌は、魔力による衝撃を直接相手の体内に叩き込むという、言わば防御力を無視する効果を持つ。
今まで、ヴィヘラは多数の強敵をこの浸魔掌で倒してきた。
それだけに、今の一撃で相手を倒した……もしくは倒せなくても勝負が決まるだけの一撃を与えたのは間違いないと思ったヴィヘラだったが、次の瞬間強烈な衝撃に襲われる。
それでも咄嗟に手甲を盾代わりに使い、衝撃を与えた一撃……スノウオークキングの肘による一撃の直撃を防いだのは、ヴィヘラの戦闘勘がそれだけ優れているということだろう。
もし、もう少しスノウオークキングの一撃を防ぐのが遅ければ、それこそ肘が顔面に突き刺さっていただろう。
この辺りは戦闘狂の本能が本領発揮した形だ。
それでも直撃は防いだものの、今の一撃の衝撃は凄まじく、ヴィヘラの身体は吹き飛ぶ。
スノウオークキングの背後という、攻撃する上ではこれ以上ない場所にいたヴィヘラだったが、今の一撃で五m程も吹き飛ばされてしまう。
それでも地面を転がったりはせず、空中で体勢を整えてふわりと地面に着地したが。
「ブフゥ……」
そんなヴィヘラの様子を見たスノウオークキングの口から、感心するような鳴き声が漏れる。
スノウオークキングは、自分の放った肘の一撃に殆ど感触がなかったことを理解していた。
それはつまり、ヴィヘラが肘打ちの一撃の威力を殺す為に、わざとこれだけの距離を吹き飛ばされたということを意味していた。
スノウオークキングはヴィヘラと向き合い、大剣の切っ先をそちらに向ける。
「ふぅ……あそこまで頑丈な毛皮をしてるとは思わなかったわね。……けど、戦う相手としては丁度いいけど」
そう言うヴィヘラの口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。
スノウオークキングの様子を確認しつつ、胴体に視線を向ける。
先程、間違いなくスノウオークキングの背中に浸魔掌を放ち、間違いなく浸魔掌は成功した。
だが、今まで浸魔掌というのは一撃必殺と呼ぶべき攻撃だった筈が、スノウオークキングに目立った負傷があるようには思えない。
今までなら、それこそあの一撃は内臓を破壊していてもおかしくはない筈だった。
それだけの手応え。
しかし、そのような一撃を食らったにも関わらず、スノウオークキングは血を吹き出すでもなく、反撃の一撃を放ってきたのだ。
その一撃の強力さを考えれば、浸魔掌の効果が殆どなかったのは間違いない。
(いえ、違うわね)
スノウオークキングの動きを確認したヴィヘラは、自分の考えを即座に否定する。
何故なら、スノウオークキングの足の動きは微かにだが間違いなく鈍っていたからだ。
すり足とは呼べないような、足が地面を擦るかのような足の動き。
その足の動きを見れば、スノウオークキングに放った浸魔掌が効かなかったとは思えない。
そして具体的にどのくらいの効果なのかは分からないが、浸魔掌が効いたのは間違いない。
そうなれば、後は浸魔掌を続けて放てば勝利出来る。
(けど……)
浸魔掌を何度も当てれば勝てる。
それは間違いないが、ワンパターンな攻撃がスノウオークキングに通じるとも思えない。
最初の一撃は、ヴィヘラに浸魔掌というスキルがあるとは分からなかったし、大剣の一撃を回避した流れからそのまま浸魔掌を放つことが出来た。
だがそれは、あくまでもスノウオークキングが知らなかったからこそ可能だった流れだ。
今はもう、スノウオークキングはヴィヘラに浸魔掌――スキルの名前は知らないだろうが――という攻撃手段があるというのを知っている。
そのような攻撃手段があると知れば、スノウオークキングにも対処のしようはある。
「ブルルルラァァッ!」
そのような状況でスノウオークキングが選んだのは、アイスブレス。
近付かせると危険なら、離れた場所から攻撃をすればいいという判断からの行動。
「厄介な!」
スノウオークキングのアイスブレスを、横に跳んで回避するヴィヘラ。
ヴィヘラの着ている薄衣は、寒さに対して強い耐性がある。
それこそ踊り子や娼婦が着るような薄衣ではあるが、それを着たまま真冬の真夜中に外に出ても凍えない程には。
だが……薄衣が持ってるのは、あくまでも寒さに対する耐性だ。
それに対して、スノウオークキングのアイスブレスは冷気の他に氷の粒も多数混ざっている。
寒さは薄衣で遮ることが出来るが、氷の粒……それも先端が尖っているような氷の粒を防ぐことは出来ない。
いや、正確にはある程度防ぐことは可能だろう。
だが、その衝撃を防ぐといったことは難しかった。
ヴィヘラも自分の着ている薄衣の性能については、使っている本人だからこそ十分に理解していた為に、スノウオークキングが大きく息を吸い込みアイスブレスを使うと判断した瞬間、即座にその場から跳躍したのだろう。
しかし、ブレスというのは一瞬だけで終わるような攻撃ではない。
ブレスを放ちながら顔を動かせば、その動きにそってブレスも横に……跳躍したヴィヘラを追うように移動する。
当然ながらヴィヘラもその程度のことは理解しているので、跳躍して着地した瞬間、横に走り始めた。
そうして逃げるヴィヘラを追うアイスブレス。
そのスノウオークキングにしてみれば、自分の放つアイスブレスがヴィヘラに回避され続けているのに、特に悔しそうな様子はない。
アイスブレスから逃げるヴィヘラは、スノウオークキングの顔に浮かぶ安堵としてやったりといった表情を見て取ると、即座に相手が何のつもりでこのような攻撃をしているのかを理解する。
相手はランクAモンスターだろうスノウオークキングだ。
当然ながら勝負の機微についても理解しているだろう。
それを考えた上でこのような一見無駄のように思える行為をしてるのには時には理由がある。
(時間稼ぎね)
ヴィヘラもまた、戦闘狂として今まで多くの戦闘を経験してきた身だ。
スノウオークキングの放つブレスが何を意味しているのかを想像するのは難しくはない。
そしてこの状況で時間稼ぎをしているとなると……
(恐らく回復を待っている。私の浸魔掌はそう簡単に回復されるような威力ではないのを考えると、再生能力持ちかしら?)
そう予想したヴィヘラは、地面を走る速度を上げる。
それまでは、ヴィヘラのいた場所にアイスブレスが届くのは数秒程の時間差があったが、ブレスがヴィヘラのいた場所に届くまで更に一秒、もしくは二秒が必要となる。
時間にすればほんの一秒か二秒でしかないが、戦いの場においての一秒、二秒というのは非常に大きな意味を持つ。
スノウオークキングは、ヴィヘラの速度が増したのを察知した瞬間にブレスを放つのを止める。
ブレスを放ったままでは自分に不利だと判断したのだろう。
また、最初に受けた浸魔掌の一撃がある程度回復したというのも、ブレスを止めた理由の一つだった。
「ブルラァッ!」
スノウオークキングは今まで横に逃げていたヴィヘラが自分に向かって真っ直ぐ突っ込んでくるのにタイミングを合わせ、大剣を振るう。
今まで横に移動していた……つまり線の動きをしていたヴィヘラが、自分に向かって真っ直ぐに突っ込んでくるのは、線の動きから点の動きに変わったということを意味している。
それは攻撃を命中させる上で多少の誤差をもたらす。
勿論スノウオークキング程の強者であれば、その多少というのはそれこそ一秒にも満たない一瞬程度のものだ。
しかし、ヴィヘラにとってはその一秒に満たない一瞬で十分な時間だったのも事実。
その短い間に既にスノウオークキングの持つ大剣の間合いのすぐ外までやってきており……
「はぁっ!」
自分に向かって振るわれる大剣の一撃をまさに紙一重といった極限の回避を行い、浸魔掌の一撃を大剣の刀身に叩き込み、即座にその場から退避する。
ヴィヘラに振るわれた大剣は、そのままヴィヘラの姿がなくなったことで地面に叩き付けられ……バギン、という音と共にその刀身は中程で折れるのだった。